2026年1月、世界経済フォーラム(ダボス会議)に合わせて発表されたPwC(プライスウォーターハウスクーパース)の「第29回世界CEO意識調査」は、世界のビジネスリーダーたちに冷水を浴びせるような厳しい現実を突きつけた。
95カ国、4,454人のCEOを対象としたこの大規模調査が浮き彫りにしたのは、かつてないほどの「自信の喪失」と、巨額の投資が続くAI(人工知能)分野における「深刻な収益化の遅れ」である。
「AIはすべてを変える」という熱狂から数年、企業の現場では何が起きているのか。なぜ過半数の企業がAIから1円の利益も生み出せていないのか。そして、この混迷の中で確実に成果を上げている「12%の勝者」は何が違うのだろうか。
AIの幻滅期か、実力主義の幕開けか:「成果ゼロ」の56%が意味するもの
テクノロジー業界において、2025年は「AI実装の年」になると期待されていた。しかし、蓋を開けてみれば、PwCの調査結果は衝撃的なものであった。
回答したCEOの56%が、過去12ヶ月間において「AI導入による収益の増加も、コストの削減も実現していない」と回答したのである。
「12%のエリート」のみが知る成功の方程式
一方で、希望がないわけではない。全体の12%のCEOは、AIによって「収益増加」と「コスト削減」の両方を同時に実現していると回答した。また、30%は収益増を、26%はコスト減を単独で達成している。
ここで重要なのは、なぜこれほどの差がついたのか、という「Why」の解明である。このデータからは、企業におけるAI導入が「実験(PoC)の罠」に陥っている現状が垣間見える。
多くの企業(成果が出ていない56%)は、AIを部門ごとの散発的なツール、あるいは「戦術的なプロジェクト」として導入しているに過ぎない。これに対し、成果を出している「12%のエリート企業」は、以下の特徴を持っていることがデータから読み取れる。
- 戦略との完全統合: AIを単なる効率化ツールではなく、製品、サービス、顧客体験そのものを変革する「戦略の中核」に据えている(成功企業の44%が製品・サービスに適用しているのに対し、他社は17%に留まる)。
- 強固なデータ基盤: AIが機能するための「燃料」となるデータの整備、およびシステム環境の統合に先行投資を行っている。
- 全社的な文化変革: 「責任あるAI(Responsible AI)」のガバナンスを確立し、従業員がAIを使いこなすための組織文化を醸成している。
PwCのMohamed Kande会長が指摘するように、多くのリーダーはテクノロジーの進化スピードに目を奪われ、「基本」を忘れているのではないだろうか。ここでの基本とは、AIを入れる前の業務プロセスの整理、データのクリーン化、そして明確なロードマップの策定である。
現場との温度差:従業員の日常利用はわずか14%
CEOの危機感をさらに煽るのが、経営層の期待と現場の実態との乖離だ。PwCの別調査(Global Workforce Hopes and Fears Survey 2025)によれば、生成AIを日常的に業務で使用している従業員はわずか14%に過ぎない。
MITの研究レポートでも「生成AIパイロットプロジェクトの95%が失敗している」と指摘されている通り、多くの企業ではAIがいまだに「経営層の玩具」や「一部のエンジニアの実験」に留まっており、現場のオペレーションに深く浸透していない実態が浮き彫りになっている。これは、AIへの投資が、現場の生産性向上や売上という具体的な数字(ROI)に変換されるまでの「ラストワンマイル」が、想像以上に険しいことを示唆している。
信頼度の急落:CEOたちが直面する「複合的脅威」
AIの不確実性と並行して、マクロ経済環境に対するCEOの心理も急速に冷え込んでいる。
今後12ヶ月間の自社の収益成長に対して「非常に自信がある」と回答したCEOは30%に留まった。これは2025年の38%、そしてピークであった2022年の56%から劇的に低下しており、過去5年間で最低の水準である。
地政学リスクとサイバー脅威の「悪魔の合体」
なぜ、これほどまでに自信が喪失しているのか。その背景には、単一のリスクではなく、複数の脅威が相互に増幅し合う「ポリクライシス(複合危機)」の存在がある。
- サイバーリスクの増大: 31%のCEOが、今後1年間にサイバー攻撃による重大な財務損失のリスクに晒されていると回答した(前年は24%)。特に、地政学的な対立がサイバー空間に波及しており、国家主導の攻撃や、AIを悪用した高度な攻撃への懸念が高まっている。
- 関税と保護主義の復活: 29%のCEOが、関税によって純利益率が低下すると予測している。特に、トランプ政権下の米国政策や、欧州・中国間の摩擦など、政府が自国のサプライチェーンや産業を守るために税制や規制を「武器」として使う傾向が強まっている。
興味深いのは、この脅威認識に地域差がある点だ。関税リスクに対して「非常に高い露出がある」としたのは、中国本土のCEOで28%、メキシコで35%に達した一方、中東諸国ではわずか6%であった。これは、グローバリゼーションが「全世界一律」のものから、地域ブロックごとの「断片化された経済圏」へと変質していることを物語っている。
顕在化する「信頼」の経済価値
こうした不確実な環境下において、企業の「信頼」がかつてないほど重要な資産となっている。調査では、ステークホルダーからの信頼懸念が最も少ない企業は、最も多い企業に比べて、株主総利回り(TSR)が9ポイントも高いという衝撃的なデータが示された。
サイバーセキュリティ、データの透明性、AIの倫理的利用、そして気候変動への対応。これらはもはや「コンプライアンス(法令遵守)」の問題ではなく、企業の時価総額に直結する「競争戦略」の一部となっているのである。
産業境界の消滅:42%が挑む「異業種格闘技」
危機感を抱くCEOたちが選んだ生存戦略、それは「既存の枠組みからの脱出」である。
調査によると、CEOの42%が過去5年間に「新しいセクター(異業種)」での競争を開始したと回答している。さらに、今後3年間に大型買収を計画している企業の44%が、現在の業種外でのM&Aを想定している。
テクノロジーがあらゆる産業を飲み込む
具体的には、テクノロジー企業がヘルスケアや金融サービスへ、金融機関がフィンテックを通じて決済インフラへ、そして小売業がメディアや広告事業へと進出している。PwCはこれを「産業の再構成(Reconfiguration of industries)」と呼んでいるが、筆者はこれを「バリューチェーンの再定義」と捉える。
例えば、AIとデータセンターの需要爆発により、テクノロジー企業とエネルギー企業(電力会社)の境界線が曖昧になっている。また、EV(電気自動車)の普及は、自動車産業と電力インフラ、そしてソフトウェア産業を一体化させている。
M&Aの目的変化:規模から「能力」へ
この異業種参入において成功の鍵を握るのは、M&Aの質である。従来のような「市場シェア拡大(水平統合)」を目的とした買収ではなく、自社にない技術や人材、デジタル能力を獲得するための「能力獲得型(Capability-driven)M&A」が、企業価値向上に寄与していることが調査から明らかになった。
「勝者」となる企業は、自社のコアコンピタンス(中核能力)を見極めた上で、足りないピースを外部から迅速に取り込み、エコシステム全体を支配しようとしているのだ。
グローバル投資の地殻変動:「エレクトロ・ステート」と新興国の台頭
CEOたちの視線は、地図の上でも移動している。海外投資の目的地として米国が依然としてトップ(35%)を維持しているものの、注目すべき変化が起きている。
- インドの躍進: インドへの投資を計画するCEOは13%に達し、前年の7%からほぼ倍増した。
- 中東の台頭: サウジアラビアやUAE(アラブ首長国連邦)がトップ10入りを果たした。これは、石油依存からの脱却を目指すGCC諸国が、スマートシティや大規模データセンター建設などのインフラ投資を加速させていることに呼応している。
筆者はこの動きを、米国の外交問題評議会(CFR)などが指摘する「エレクトロ・ステート(電気国家)」の台頭という文脈で読み解く。21世紀の経済覇権は、石油(Petrostate)ではなく、再生可能エネルギー、重要鉱物、高性能バッテリー、そしてAIデータセンターを支える電力インフラを握る国・地域へと移行しつつある。
中国がEVやドローン、AIインフラで圧倒的な優位性を築こうとする中、CEOたちは「次の成長市場」として、デジタルインフラと人口動態のバランスが取れたインドや、豊富な資本で急速にデジタル化を進める中東に熱視線を送っているのである。
CEOに突きつけられた「三つの使命」と未来への問い
PwCの調査結果は、2026年が企業にとって「選別」の年になることを示唆している。AIを入れてなんとなく効率化を図る企業と、AIを前提にビジネスモデルを根底から作り直す企業。その差は、今後数年で取り返しのつかないレベルまで拡大するだろう。
PwCグローバル会長のモハメド・カンデ氏は、現代のCEOには過去25年間で見たことのない「トライモーダル(三様式)の使命」が課されていると語る。
- Run (実行): 既存のビジネスを確実に運営し、利益を出し続けること。
- Transform (変革): AIやデジタル技術を用いて、業務プロセスをリアルタイムで変革すること。
- Build (構築): 産業の境界を超え、全く新しいビジネスモデルや収益源を創造すること。
これら3つを「同時進行」で成し遂げることこそが、生き残りの条件だ。
見習い制度の終焉と「システム思考」への転換
最後に、見逃してはならないのが「人材」への影響である。AIがタスクベースの業務を代替するようになれば、かつて若手社員が現場で経験を積みながら成長する「徒弟制度(Apprenticeship model)」は崩壊する。
これからの企業に必要なのは、個別のタスクをこなす人材ではなく、AIと人間、データとプロセスを組み合わせて価値を生み出す「システム思考(Systems Thinking)」を持った人材である。CEOは、テクノロジーへの投資と同じ熱量で、この新しいタイプの人材育成と、組織文化の再構築に取り組まなければならない。
「顕微鏡」で足元の危機を回避しつつ、「望遠鏡」で遠くの機会を捉える。この二つの視点を持てるかどうかが、AI時代の勝者と敗者を分かつ分水嶺となるだろう。
Sources



