現代の凝縮系物理学および電子工学は、物質内部の電子の振る舞いをいかに精密に制御するかという一点において劇的な進化を遂げてきた。その探求の歴史に新たなページを刻む、極めて特異な性質を持つ新規量子材料が報告された。米国エネルギー省 (DOE) 傘下のアルゴンヌ国立研究所とノースウェスタン大学を中心とする研究チームは、新規ニッケル硫化物材料において、二つの相反する量子状態を電気的な操作によって自在に切り替えることに成功した。電子を光のように質量を持たない粒子として超高速で移動させる状態と、逆に電子の動きを鈍化させて強い相互作用を生み出す状態を、同一の結晶構造の内部でオンデマンドに行き来する技術は、次世代デバイスの設計思想を根本から覆す可能性を秘めている。

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偶然の産物から見出された電子の交通管制官

科学の歴史を振り返ると、画期的な発見は本来の目的とは異なる文脈で産声を上げることが多い。今回の研究対象となった新素材もまた、そのようなセレンディピティの産物である。ノースウェスタン大学のMercouri Kanatzidis教授を中心とする研究チームは当初、未知の超伝導物質を探索するプロジェクトの一環として、2021年にニッケル、硫黄、カリウムの三元素からなる化合物を合成した。研究チームは水酸化物フラックス法と呼ばれる合成手法を用い、高温環境下で材料を反応させることで、この特殊な層状物質を作り出した。

開発当初の目的であった超伝導性こそ示さなかったものの、研究者たちがこの物質の結晶構造と電子物性を詳細に解析していく過程で、極めて珍しい現象が観察された。材料を特定の溶液に浸漬する、あるいは外部から電流を印加するなどの処理を施すと、ニッケルと硫黄の層の間にサンドイッチされているカリウム原子が構造外へと押し出され、材料全体の電子構造がダイナミックに変化したのである。このカリウムの脱離と挿入は可逆的なプロセスであり、材料内のカリウム濃度(組成式 KₓNi₄S₂ におけるxの値)を0から1の間で連続的に制御できることが実験で証明された。

この組成変化に伴う微細な構造の変動が、二つの極端な量子状態を同一物質内で成立させるという、物理学的に極めて稀な現象の引き金となっている。カリウム濃度が高い状態では電子は極めて高速に移動し、濃度が低い状態では電子の動きが遅滞し強い相互作用を生み出す。Kanatzidis 教授がこの物質を「電子の交通管制官」と表現したように、外部からの刺激によって物質内部の電子の流動性をリアルタイムに操作できる点は、これまでの材料科学の常識を劇的に更新する特性である。

幾何学的制約からの解放と超高速電子の生成

KNi4S2の構造。左図:カリウム(K)、ニッケル(Ni)、硫黄(S)の原子をそれぞれ紫、赤、黄色で示す。右図:K原子の除去。下図:状態間の遷移を示し、フラットバンド(四角)とディラックコーン(円)を強調表示している。(画像提供:Hengdi Zhao)この物質が科学界に与えた最大の驚きの一つは、カリウムが豊富に存在する状態(xが1に近い組成)において、「Dirac cone(ディラックコーン)」と呼ばれるトポロジカルな量子状態が出現する点にある。ディラックコーン状態にある電子は、エネルギーと運動量が線形な関係を持ち、見かけ上の質量がゼロになったかのように振る舞うため、物質内部を光に似た極めて高い速度で移動する。これまで、このような特殊な電子状態は、グラフェンに代表される炭素のハニカム(六角形)格子や、カゴメ格子といった特定の幾何学対称性を持つ物質群においてのみ観察されてきた。

しかし、KₓNi₄S₂ の結晶構造は、それらの典型的なトポロジカル材料のネットワークとは根本的に異なっている。アルゴンヌ国立研究所 のスーパーコンピューター「Bebop」を用いた第一原理計算と、詳細な分子軌道解析により、この物質内部に形成される特異な「Ni₉クラスター」の存在が明らかになった。ニッケル原子同士が直接結合を形成し、その特定のd軌道(d_z²軌道)が二次元の平面に対して垂直に張り出すことで、グラフェンのp_z軌道と類似した対称性を自発的に生み出している。

ハニカム格子に頼ることなく、単純な正方格子状のニッケルネットワークからディラックコーンが形成されるという事実は、新しい量子材料の設計指針を示すものである。トポロジカル不変量(Z₂インデックス)の解析から、KNi₄S₂ は強いトポロジカル絶縁体と同様の非自明な位相的性質を持つトポロジカルディラック金属であることが証明された。この恩恵により、x=0.7のカリウム濃度を持つサンプルでは、キャリア移動度が最大で1471 cm²V⁻¹s⁻¹ という極めて高い数値を記録している。

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フェルミ準位の自在な操作とフラットバンドの出現

KₓNi₄S₂ の真価は、カリウム濃度の調整によって物質のフェルミ準位(絶対零度において電子が占有する最高のエネルギー状態)を連続的にシフトさせ、「flat band(フラットバンド)」と呼ばれるもう一つの量子状態へとシームレスに移行できる点にある。フラットバンド状態では、電子の運動エネルギーが著しく制限され、まるで重い質量を与えられたかのように速度が極端に低下する。電子が特定のエネルギー帯に密集して動きにくくなることで、電子同士のクーロン反発などによる強い相互作用が顕著に現れるようになる。

研究チームは、Advanced Photon Source (APS) での精密なX線回折や、極低温環境下での電気伝導度測定を通じて、この劇的な物性変化を定量的に実証した。材料からカリウムを完全に抜き取った状態(x=0、すなわち Ni₂S)へと変化させると、フェルミ準位がディラックコーンから遠ざかりフラットバンドへと接近する。この構造変化の結果、キャリア移動度は9.4 cm²V⁻¹s⁻¹ へと激減し、ディラック状態の150分の一以下まで電子の動きが鈍化する。単一の結晶内で、高速道路を疾走するスポーツカーのような電子と、渋滞の中で互いに押し合いへし合いする車のような電子を意図的に切り替えられる能力は他に類を見ない。

強い電子相関がもたらす反強磁性とストレンジメタル挙動

フラットバンドへのフェルミ準位のシフトがもたらす影響は、電子の減速という単純な運動学的な変化に留まらない。電子の動きが遅滞し、電子間の相互作用が系全体を支配するようになることで、物質は全く異なる磁気的・熱力学的な性質を帯び始める。極低温における比熱測定の結果、電子の寄与を示すゾンマーフェルト係数が、カリウムの減少に伴って32.9 mJ/mole/K² から75.99 mJ/mole/K² へと2倍以上に増大することが確認された。この数値の跳ね上がりは、フラットバンドに由来する巨大な状態密度と強い電子相関の存在を直接的に裏付けている。

さらに重要な発見として、カリウムを極限まで減らした状態(x=0)では、強い電子相関の帰結として、約10.1 K(ケルビン)以下で反強磁性秩序が発現する。トポロジカルな非磁性ディラック金属から、フラットバンドが誘起する反強磁性金属へと基底状態が遷移する過程で、背後にある複雑な磁気フラストレーションが物質全体に深い影響を与えている。また、研究チームはダイヤモンドアンビルセルを用いた高圧実験を通じて、10 GPaまでの高圧下での振る舞いも調査した。強い電子相関を持つ系では圧力誘起の超伝導が発現することがしばしばあるが、この物質では超伝導は確認されず、代わりに圧力による格子歪みが物性を支配することが示された。

加えて、すべてのカリウム濃度領域において、電気抵抗率が温度に対して直線的に変化する「ストレンジメタル(非フェルミ液体)挙動」が観測されている。通常の金属における電気抵抗は低温域で温度の二乗に比例するが、ストレンジメタル挙動は高温超伝導体である銅酸化物など、量子臨界点近傍の特殊な系で観察される現象である。この奇妙な金属状態の存在は、ディラックコーンの高速電子とフラットバンドの高相関電子が、物質内部で常に強い相乗効果を生み出していることを明確に示している。

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現代エレクトロニクスの限界を突破する回路設計

この画期的な物性の切り替え機能が産業界やデバイス設計に与えるインパクトは、きわめて甚大である。現在の半導体デバイスは、シリコンをはじめとする素材に微量の不純物を添加し、静的に電子特性を固定することで論理回路やセンサーを構築している。ムーアの法則に基づく微細化が原子レベルの物理的限界に直面する中、既存の材料アーキテクチャの延長線上では、計算処理能力や省電力性の飛躍的な向上は見込みにくい。

KₓNi₄S₂ のような、印加電圧や電流によってフェルミ準位そのものを動的にチューニングできる量子材料を使用すれば、複数の異なる材料を接合する複雑なデバイス構造を劇的に簡素化できる。1つの材料の内部で、高速演算が要求される局面ではディラックコーン状態を呼び出し、情報の保持や外部環境への高感度な応答が求められる局面ではフラットバンド状態へと遷移させるといった、ハイブリッドな運用が可能になる。これは、従来のスイッチングの枠組みに留まらず、デバイスそのものの物理的な性質を再定義する設計思想である。

具体的なユースケースとして、状況に応じて処理速度と消費電力を動的に最適化する次世代トランジスタや、周囲の微細な環境変化を検知して自身の感度帯を調整する適応型センサーなどが構想されている。電気化学的なイオンの脱挿入プロセスを既存の半導体製造プロセスに統合できれば、リチウムイオン電池の充放電メカニズムと論理演算デバイスを融合したような、全く新しい形態の多値メモリデバイスやニューロモルフィック(脳型)コンピューティングチップへの道も開かれる。

量子材料研究における新たなパラダイムの幕開け

これまで、単一の材料系で極端に異なる量子状態を行き来する試みは、「ツイスト二層グラフェン」のような原子層レベルでの極めて精密な角度制御を伴う人工モアレ超格子においてのみ実証されてきた。そのような微細加工に依存せず、バルクの結晶材料におけるトポ化学反応(結晶の基本骨格を保ったままイオンが脱離・挿入されるプロセス)という比較的単純なプロセスを通じてフェルミ準位を広範囲にチューニングできる KₓNi₄S₂ の特性は、今後の基礎科学と応用工学の両面に巨大な波及効果をもたらす。

研究チームは現在、この化合物を生み出した独自の合成手法の一般化を進め、同様のスイッチング機能性を備えた新たな硫化物やカルコゲナイド系材料の探索に着手している。未知の量子世界を自在に制御する人類の挑戦において、この発見は一つの強力なマイルストーンとなる。トポロジーと強相関電子系という、現代凝縮系物理学における二大テーマを単一のバルク物質内で結びつけ、かつ自由に制御可能にした本研究は、次世代エレクトロニクスの基盤技術として長きにわたり科学史に刻まれるはずである。


論文

参考文献