PCゲーム配信プラットフォーム「Steam」を運営するValveは、小売店で販売されている物理的なSteamギフトカードの提供を終了する方針を明らかにした。同社の公式サポートドキュメントの更新によって判明したこの措置により、世界中の小売店における物理カードの在庫補充が停止される。Valve側の見立てでは、現在市場に流通している既存の在庫は、2026年末までにはすべての小売店で完全に消化される見通しである。

すでに購入済みの物理カードや、今後店頭に残っている在庫を購入した場合については、各国の法律が許す範囲において、引き続きSteamプラットフォーム上での残高チャージに利用することが可能である。また、Steamアカウントを通じてオンラインで直接購入し、フレンドに送付するデジタル版のSteamギフトカードの提供は継続される。この決定は、Steamでの残高を贈り物として共有するシステム自体を廃止するものではなく、追跡が困難で匿名性の高い「物理的な決済手段」のみを市場から排除するという、戦略的なプラットフォーム防衛策である。

2012年に導入された物理的なSteamギフトカードは、長年にわたりPCゲーマーにとって身近な決済手段であった。2002年のSteam発表時、CEOのGabe Newellが「物理的な流通コストを排除し、ブロードバンドの効率性を活用する」と宣言した通り、SteamはPCゲームにおけるパッケージ販売を事実上終わらせた立役者である。そのSteamが、唯一現実世界との接点として残していたのが、小売店に並ぶ物理的なギフトカードであった。今回の決定は、Valveが長年抱えてきた現実世界との物理的な接点を完全に断ち切り、純粋なデジタルエコシステムへと完全に移行する歴史的な転換点である。

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巧妙化する詐欺手法と資金洗浄のメカニズム

Valveが莫大な売上をもたらす物理的ギフトカードの廃止に踏み切った最大の理由は、世界規模で組織化され、多発している詐欺被害への対応である。米国連邦取引委員会(FTC)の推定によると、各種ギフトカードを利用した詐欺による被害額は毎年1億ドル(約150億円)以上に上る。詐欺グループは、ロマンス詐欺や架空請求、あるいは行政機関を騙る手口で高齢者や情報弱者を標的にし、借金の返済や手数料の名目で物理的なギフトカードを購入させる。その後、カード裏面のスクラッチ部分を削り、PINコード(引き換えコード)の写真を送信させるという手口が一般的である。

ギフトカードが詐欺グループに好まれる理由は、その圧倒的な流動性と追跡の困難さにある。被害者から騙し取ったPINコードは、ただちにeBayやサードパーティのPCゲームキー販売サイト(グレーマーケット)において、額面よりわずかに安い価格で転売される。正規のゲーマーが少しでも安くゲームを買おうとこれらのサイトを利用することで、詐欺グループの手元には容易に現金化された資金が渡る。つまり、物理的なギフトカードは、犯罪組織にとって極めて利便性の高い資金洗浄(マネーロンダリング)のツールとして悪用されているのが実態である。

Valveは長年、この問題に対して無策であったわけではない。事態を重く見た同社は、小売業者や法執行機関との綿密な連携を進めるとともに、カード本体に「EメールやSNS、電話でPINコードを共有しないでください」という目立つ警告文を追加した。さらに、為替差益を狙った不正な流通を防ぐため、引き換え可能な通貨をユーザーのSteam Walletの現地通貨に制限する措置や、不審な活動が確認された地域での販売を意図的に制限・停止するなどの多角的な対策を講じてきた。しかし、対策を強化するたびに詐欺グループも手口を適応させており、Valveは既存の保護措置だけでは顧客を完全に守り切ることは不可能であるという結論に至った。

物理的決済手段がもたらす運用負担と市場規模のジレンマ

物理的なギフトカードの廃止は、Valveにとって決して容易な決断ではなかったはずである。2024年初頭にValveが報告したデータによれば、2023年末のわずか11日間だけで、8,000万ドル分(約120億円)もの物理的なギフトカードがSteam上で利用されていた。クレジットカードを持たない若年層や、銀行口座を持たない層(Unbanked)、さらには意図的に現金決済を好むユーザーにとって、小売店でのギフトカード購入はSteamに資金をチャージする最も直接的かつ身近な手段であり、ゲーム開発者にとっても見逃すことのできない重要な収益源となっていた。

しかし一方で、Valveは以前から物理的なカードを「同社がサポートする中で最もコストのかかる決済手段のひとつ」と位置付けていた。カード自体の製造・印刷コスト、小売店への輸送や在庫管理にかかる物理的な流通コストに加え、小売店に支払うマージンなど、デジタル配信に特化した同社にとって異質な運用コストが発生している。

さらに深刻なのが、詐欺被害に遭ったユーザーからの問い合わせ対応や返金処理に割かれる膨大なカスタマーサポートのリソースである。ギフトカード詐欺の厄介な点は、被害者が単一ではないことだ。詐欺師に騙されてコードを送信した最初の被害者に加え、グレーマーケットでそのコードを購入した二次的なユーザーも、コードが無効化されれば事実上の被害者となる。Valveは、本来の顧客体験の向上に向けるべき莫大なリソースを、詐欺の調査や複雑な返金処理に浪費せざるを得ない状況に陥っていた。数百億円規模の売上機会を失うリスクを冒してでも、物理的な流通網を維持するコストとリスクの増大を断ち切る必要があったのである。

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デジタルプラットフォームにおけるセキュリティ要件の引き上げ

物理的な決済手段を完全に排除し、アカウントに直接紐づくデジタル版ギフトカードに一本化することは、決済経路の透明性を大幅に高め、プラットフォームの安全性を担保する上で極めて有効な手段となる。デジタル版の購入には、クレジットカードやPayPalなど、何らかの身元が確認された決済用アカウントが必須となるため、匿名での大量購入や国境を越えた不透明な資金移動のハードルが劇的に上がる。不正利用が発生した場合でも、Valve側でトランザクションの追跡やアカウントの凍結が迅速に行えるため、資金洗浄のループを効果的に断ち切ることができる。

近年、Valveは自社のソフトウェアプラットフォームとハードウェアエコシステムにおいて、不正行為や悪意のあるアクターの活動に対して極めて強硬な姿勢を示している。一例として、5月に発売された第2世代「Steam Controller」の販売においては、転売業者(スカルパー)や自動購入ボットによる買い占めを防ぐため、事前の購入履歴があり、良好なステータスを維持している信頼されたSteamアカウントのみを優先する予約システムを導入した。悪意のある第三者によるエコシステムの搾取を防ぐという共通の目的において、今回のギフトカード廃止も同社の一貫したプラットフォーム防衛策の一部である。

この動向は、ゲーム業界全体の決済インフラにも影響を与える可能性がある。現在、RobloxやFortnite、さらにはMicrosoftのXboxやSonyのPlayStationなど、多くのプラットフォーマーが同様の物理的なギフトカードを小売店で展開しており、等しく詐欺や資金洗浄のリスクに直面している。世界最大のPCゲームプラットフォームであるSteamが物理カードからの撤退を決断したことは、セキュリティと追跡可能性を優先し、純粋なデジタルトランザクションへと業界全体が舵を切る先行指標となる。今後は、利便性よりもエコシステムの浄化と運用コストの削減を重視する動きが、他のテクノロジー企業にも波及していくかどうかが注視される。