「我々はどこから来たのか?」――この根源的な問いは、人類が知性を手にして以来、哲学と科学の両面から探求され続けてきた。そして2025年、その問いに情報理論という鋭利なメスを入れ、宇宙における生命の存在そのものが「宇宙論的にありそうにない」と結論づける一本の論文が、科学界に静かな、しかし確かな波紋を広げている。

英国インペリアル・カレッジ・ロンドンの生物物理学者、Robert G. Endres博士が発表したプレプリント論文「The unreasonable likelihood of being(存在の不合理な尤もらしさ)」。この論文は、無生物から最初の細胞(プロトセル)が自然に誕生する――いわゆる「アビオジェネシス」――が、数学的にいかに絶望的な確率であるかを示唆し、代替案として「高度な地球外生命体による意意図的な種まき(ディレクテッド・パンスペルミア説)」という、SFの領域とも思える可能性にさえ言及している。

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情報理論のメスが暴く「生命誕生の天文学的な壁」

Endres博士の論文は、生命の起源を従来のような化学反応の積み重ねとしてではなく、「情報」の問題として捉え直した点に最大の特徴がある。博士が用いたのは、情報理論やアルゴリズム的複雑性といった、コンピュータ科学や物理学の強力なツールだ。

「カオス」から「秩序」へ:エントロピーの巨大な崖

生命とは、極めて高度に組織化された秩序の塊である。一方、生命が誕生する以前の原始地球は、様々な化学物質がランダムに漂う、混沌とした「スープ」のような状態だったと考えられている。この無秩序(高いエントロピー)な状態から、生命という秩序(低いエントロピー)が生まれるには、「エントロピーの崩壊」とも呼ぶべき巨大な崖を乗り越えなければならない。

Endres博士は、このプロセスを「情報ボトルネック」という概念で説明する。つまり、無数のランダムな化学反応の中から、生命につながる有益な情報だけを抽出し、蓄積していく必要がある。しかし、分子は常に分解や変性のリスクにさらされており、せっかく得た情報もすぐに失われてしまう。この情報の「獲得」と「喪失」のバランスが、生命誕生の鍵を握っているというのだ。

論文が導き出す「宇宙論的にありそうにない」という結論

博士は、現代の細胞モデルやAIによるタンパク質構造予測の知見を基に、生命として機能する最小のプロトセルが持つべき情報量を計算。その結果、約10億ビット(10^9 bits)という膨大な数値を見積もった。

そして、この10億ビットの情報を、原始地球で利用可能だった時間(約5億年)のうちに、ランダムな化学反応の中から蓄積できる確率を評価した。その結論は衝撃的だ。博士のモデルによれば、このプロセスが成功するためには、分子が情報を失うことなく「記憶」を保持し続ける「途方もない持続性」が必要となる。もしそうでなければ、「細胞を自然に組み立てるのに要する時間は、宇宙の現在の年齢の1000万倍を超える可能性がある」と論文では述べられている。

この計算結果から、博士は「純粋な偶然と自然な化学プロセスだけでは、地球の歴史という限られた時間枠の中での生命の出現を十分に説明できないかもしれない」と示唆。そして、この天文学的な確率の壁を越えるための代替案として、Francis Crick(DNAの二重らせん構造発見者の一人)らが提唱した「ディレクテッド・パンスペルミア説」を「思弁的だが論理的に開かれた代替案」として提示したのである。

論文の核心「数式」の逆説:計算結果はアビオジェネシスを肯定していた?

Endres博士の論文の結論は、科学コミュニティ、特に進化生物学や化学の専門家からは、この論文の前提と結論の導き方に対して、厳しい目が向けられている。その最大の論点が、論文で示された計算結果そのものが、実は著者の結論とは逆の事実を示しているのではないか、という指摘だ。

Redditの科学フォーラム「r/DebateEvolution」では、この論文を詳細に読み解いたユーザーによって、次のような核心的な一節が引用されている。

「複雑性 Iprotocell ∼ 10^9 ビットの最小プロトセルは、原理的には地球の利用可能な時間内(~500 Myr)に非生物的に出現しうる――ただし、それは前生物的な相互作用のごく一部(η ∼ 10^−8)が、広大な時間にわたって持続的に保持される場合に限る。

この文章が意味するのは、驚くべきことだ。
Endres博士の計算によれば、たとえ化学反応の効率が1億分の1(10^-8)という極めて低い値であったとしても、5億年という時間があれば、生命誕生に必要な10億ビットの情報を蓄積することは「数学的に可能」なのである。

つまり、論文の数式が導き出した答えは「アビオジェネシスは可能である」というものだった。にもかかわらず、論文の要旨や結論部分では、この事実を脇に置き、むしろその困難さを強調して「ありそうにない」「代替案が必要だ」という方向へ議論を誘導している。

この点について、前述のReddit投稿者は「彼の研究は、生命の起源が数学的に実行可能であることを見出している。彼の結論は、タイトル、要旨、プレスリリースが示唆するものと明確に正反対だ」と厳しく批判している。博士は、自らが導き出した計算結果を無視し、個人的に支持するであろうパンスペルミア説へと読者を導くために、意図的に議論を構築したのではないか、という疑惑さえ生まれている。

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科学界からの多角的な批判:「その前提、間違っていませんか?」

論文の結論と計算結果の間の矛盾に加え、専門家たちは論文の根幹をなす「前提条件」そのものにも多くの疑問を投げかけている。

批判点1:過大評価された「最小の生命」

論文では、「最小の生命」のモデルとして、現存する細菌であるMycoplasma genitalium(マイコプラズマ・ゲニタリウム)が参考にされている。しかし、この細菌は数十億年の進化を経て、現代の地球環境に最適化された、極めて洗練された生命体だ。

Redditのある生化学者は、この前提を次のように批判する。
「最初のプロトセルにとって不要であったはずの、外部環境を検知するシステムや、多くの物質を自前で合成するための生化学システムを、Mycoplasma genitalium は持っている。最初のプロトセルは、これよりも桁違いに単純だったはずだ」。

つまり、ゴール地点のハードルを不必要に高く設定し、そこに至るのがいかに困難かを論じているのではないか、というわけだ。これは、創造論者が進化論を批判する際に用いる「論点をすり替える」手法に似ている、という辛辣な意見も見られる。

批判点2:「がらくた置き場の竜巻」という誤ったイメージ

この種の確率論は、しばしば「竜巻ががらくた置き場を通過して、ボーイング747ジェット機が偶然組み上がる」という比喩で語られる。これは、部品が完全にランダムに組み合わさることを前提とした、意図的な誤謬だ。

現実の化学進化は、完全なランダムではない。物理法則や化学的親和性といった、明確なルールが存在する。特定の分子は結合しやすく、特定の構造は安定しやすい。さらに、自己触媒能を持つ分子(自らの複製を助ける分子)や、自己組織化する構造(細胞膜の原型となる脂質二重層など)の存在が、単純な確率論を無意味にする。

論文が「プロトセルの自発的自己組織化」という言葉を使いながら、そのモデルが実質的にランダムな組み合わせを前提にしているとすれば、それは生命誕生のプロセスを根本的に誤解している可能性がある。

批判点3:確率計算そのものへの懐疑

そもそも、我々がまだ完全に理解していないプロセスについて、確率を計算すること自体に意味があるのか、という根本的な疑問も存在する。

「プロセスがどのように機能するかを理解せずに、あれこれの出来事が起こる確率を計算することに基づく議論には、基本的に懐疑的だ」と、あるコメンテーターは指摘する。

別のユーザーは、シャッフルされたトランプのデッキを例に出す。
「どんなにシャッフルされたカードの並びも、その特定の並びが実現する確率を逆算すれば、天文学的に低い数値になる。しかし、カードをシャッフルすれば、毎回何らかの『あり得ない』並びが実現している」。

我々が存在しているという事実そのものが、確率が「1」であったことの証明であり、その事後的な確率を計算することの多くは、トートロジー(同語反復)に陥りがちだ。

なぜ今、「パンスペルミア説」が議論の俎上に載るのか

多くの批判に晒されながらも、Endres博士の論文が「ディレクテッド・パンスペルミア説」にあえて言及したのはなぜだろうか。

この仮説は、生命の起源という難問を地球上から宇宙へと舞台を移すものだ。もし地球での生命誕生の確率があまりに低いのであれば、より生命が誕生しやすい環境を持つ別の惑星で生まれ、それが隕石などによって地球に運ばれてきた(パンスペルミア説)、あるいは、知的生命体によって意図的に送り込まれた(ディレクテッド・パンスペルミア説)と考えることで、説明のつじつまを合わせようとする。

しかし、これもまた多くの科学者から「単なる問題の先送りだ」と批判されている。「その地球外生命は、では、どのようにして誕生したのか?」という、同じ問いが再び繰り返されるだけだからだ。

にもかかわらず、この仮説が一部の科学者の想像力をかき立て続けるのは、アビオジェネシスの解明がそれほどまでに困難な大問題であることの裏返しとも言える。

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論文が投げかけたものとは何か

Endres博士の論文「The unreasonable likelihood of being」は、その結論や手法に多くの正当な批判が寄せられており、この論文一つで「生命の自然発生が否定された」と考えるのは、明らかな間違いだろう。特に、自らの計算結果が示す方向とは異なる結論を導いている点は、科学的な誠実さの観点からも疑問が残る。

しかし、この論文の価値は、その結論の是非にあるのではないのかもしれない。
第一に、生命の起源という、ともすれば定性的な議論に陥りがちなテーマに対し、「情報」という定量的な切り口でアプローチしようとした試みそのものには、一定の価値がある。生命を情報処理システムとして捉える視点は、今後の研究に新たな道を開く可能性を秘めている。

第二に、この論文が巻き起こした一連の騒動は、科学的知見がどのように構築されていくかを示す格好のケーススタディとなっている。一つのプレプリント論文(専門家による査読を受ける前の論文)が発表され、メディアがそれを報じ、専門家コミュニティが多角的な視点からそれを吟味し、議論を通じてコンセンサスが形成されていく。このダイナミックなプロセスこそが、科学を自己修正可能な営みたらしめているのだ。

結局のところ、生命がどのようにしてこの宇宙に誕生したのか、その謎はまだ解明されていない。Endres博士の論文は、その謎の深さと、我々の無知の広大さを改めて突きつける一つのきっかけとなった。その答えは、新たな物理法則の発見にあるのか、それとも我々がまだ見ぬ化学反応の経路にあるのか。確かなことは、この根源的な問いへの探求が、これからも人類の知的好奇心を刺激し続けるということだけである。


論文

参考文献