米国立標準技術研究所(NIST)は、メリーランド州内の2研究室を結ぶ62kmの商用ファイバーで、偏光もつれを24時間にわたり配信した。距離そのものは記録的なものではない。重要なのは、回線の約70%が電柱上の架空区間で、昼間には出力偏光が数秒で数十度ずれる環境に、能動的な偏光補償を挟んだことにある。論文が報告した92.8%は、もつれの成功率ではなく、量子光を配信できた時間の比率だ。荒れやすい既存回線で測定を保つ手法がどこまで通用するかは、単一リンクの実験結果と、その境界を分けて読む必要がある。
62km、架空区間7割、遠隔同時計数は毎秒約1,500対
研究チームはNISTのゲイザースバーグとメリーランド大学(UMD)のカレッジパークを結ぶ商用ファイバー1リンクを使った。全長は62kmで、約70%が架空区間である。リンク損失は約18dBで、コネクターと偏光制御器などを加えると約3dB増える。実験は2025年初頭に行われ、Yicheng Shiほか12著者の論文は2026年7月15日付で査読誌Journal of Optical Communications and Networkingに掲載された。
NIST側ではBell状態の一つである|Phi+>の偏光もつれ光子対を生成した。対のうちシグナル光子はNISTで検出し、アイドラー光子だけを62km先のUMDへ送る。中心波長は前者が1555.75nm、後者が1549.32nmで、帯域幅はいずれも約0.3nmだ。両地点では検出効率70%超の超伝導ナノワイヤ単一光子検出器を用いた。同期情報は、同じ送受信ペアに属する並列ファイバーでUMDへ送っている。
平均ポンプ出力1.2mWで、光子対を回線へ送らず両方とも局所検出したときは毎秒約20万対だった。ところが62kmの回線と部品を通した遠隔同時計数は、1.6nsの一致窓内で毎秒約1,500対に減る。この値は遠隔で検出された光子対の率であり、論文は実用ネットワークに必要な目標レート、鍵生成率、アプリケーション性能を定量化していない。
相関の短時間測定では、NIST側の測定基底を0、45、90、135度の4通りに固定し、UMD側を0度から180度まで10度ずつ回転させた。偏光の向きが回線を通る間に変われば、この相関のパターンも崩れる。そこで研究チームは遠隔同時計数の多さとは別に、両地点で得る偏光相関をCHSH不等式で評価した。
なぜ架空ファイバーには高速な偏光補償が要るのか
偏光符号化は標準的な光学部品で生成、操作、測定しやすい。その反面、ファイバーの複屈折と経路の形状は、光子の偏光に時間とともに変わる変換を加える。架空回線では風、交通、温度変化などが秒単位の変動を生む可能性があると論文は例示するが、今回のデータは個別の外乱原因を測定して同定したものではない。
実際の回線特性にも昼夜差が現れた。夜間には出力偏光が数十分以上安定することがあった一方、昼間には数秒で数十度ずれた。時間帯によっては、送信した偏光状態との忠実度が20秒未満で95%を割り込む。量子光子の測定結果だけを長く蓄積してから補正する方法では、この変動に追いつきにくい。
チームは量子光そのものから統計を蓄積して追従する代わりに、アイドラー光子と同じ1549.32nmの強い参照光を量子光と時分割で流した。参照光の出力は約0.5mWで、両端の自動偏光補償器(APC)が回線の変換を推定し、偏光制御器で逆補正する。参照状態の最小忠実度が98%超なら量子配信を続け、98%未満になると99%超を目標に補償する設計だ。補償は55秒でタイムアウトし、その後は3秒間量子光を送り、うち2秒を同時計数に使う。
この設計は補償中に量子配信を止める。それでも、強い参照光で回線状態を短時間に測れるため、量子光子だけで追従する方式とは異なる時間配分を選んだ。24時間のうち補償に使った時間は7.2%で、アイドラー光子を検出できる3秒窓の総時間比としての「もつれ配信稼働率」は92.8%だった。したがって92.8%は、その全時間で常にCHSH指標が古典上限を超えたことを意味する数字ではない。
補償なし16時間と補償あり24時間の差
偏光もつれの残存は、二地点の偏光測定相関から得るCHSH指標Sで確かめた。局所実在論の古典上限は|S|=2であり、Sが2を超えることは測定対象の光子対に偏光もつれが残った検証になる。ただし、通信アプリケーション全体の安全性や処理性能を測る指標ではない。
補償なしの16時間測定では、参照状態の忠実度は数分で95%未満へ下がり、Sは約3時間後に2未満となった。その後、CHSH不等式の破れは観測されなかった。一方、補償ありの連続24時間測定では、時間平均Sは2.34±0.37で、論文は古典上限超えを20時間超で観測したと報告する。
短い偏光相関測定では、41秒に及ぶ補償後の外れ値を除くと、干渉縞の可視度(visibility)は0.76±0.03から0.82±0.03へ、Sは2.26±0.04から2.30±0.04へ変化した。24時間測定でも、タイムアウトした補償直後のデータを除いた平均Sは2.39±0.14となる。しかし主評価は全24時間を含む2.34±0.37であり、除外後の値は感度分析として扱うべきだ。
結果は、当該試験で能動補償を使った期間に性能が長く保たれたことを示す。一方で両測定は無作為化も同時並行もされておらず、天候などの条件が一致したことは示されていない。二つの期間の差を、補償だけの因果効果として定量化することはできない。
248kmの先行実験と、まだ実証していない機能
今回の62kmは偏光もつれ配信の距離記録を更新していない。Neumannほかは2022年、オーストリアとスロバキアを結ぶ敷設済み通信ファイバー248kmでの査読済み実験を報告した。この実験は損失79dBの回線で110時間に毎秒9対を扱い、能動偏光安定化により計82時間、可視度86%を報告している。今回の比較対象は距離ではなく、架空区間を多く含む62kmの商用回線で偏光変動へ追従した点にある。
研究成果は2026年1月16日にarXivで公開され、同年7月15日に査読誌へ掲載された。NISTは8月5日に実験を紹介している。ただし、現段階では査読済みの単一研究であり、別チームが同じ種類の架空回線で再現した結果はまだ報告されていない。
また、今回の対象は一つのリンクである。量子リピーターをつないだ複数ノードのネットワークや、量子テレポーテーションは実証していない。実運用の量子鍵配送(QKD)も、一般のインターネット通信との同一芯共存も対象外だった。量子暗号、分散量子計算、量子センシングは論文とNISTが将来用途として挙げるが、今回それらを実装、評価したわけではない。
検証範囲も24時間の単一リンクに限られる。別地域、別ベンダーの回線、降雨や着雪を含む季節変動、長期の保守性へ一般化はできず、同一条件での独立追試も論文とNIST資料には示されていない。商用ファイバーを使う量子ネットワークの実用性を判断するには、こうした条件でSの維持時間と配信時間の割合、そして検出率がどう再現されるかが次の材料になる。
