AIがコードを生成する時代が本格化する中、開発ツール「Cursor」を手がけるスタートアップAnysphereが、驚異的なスピードで成長を遂げている。同社はこのほど、OpenAIへの出資でも知られるThrive Capitalが主導する新たな資金調達ラウンドで9億ドルを確保。企業価値は約90億ドル(約1兆4000億円)に達したと報じられた。わずか数ヶ月前の評価額から3倍以上という急騰ぶりは、シリコンバレーを席巻するAIブームの熱狂と、その持続性に対する問いを改めて投げかける物だ。
評価額は3倍以上、ロケットのような成長の背景
Financial Timesによると、今回の9億ドル規模のラウンドはThrive Capitalが主導し、Andreessen Horowitz (a16z)やAccelといった著名ベンチャーキャピタル(VC)も参加した模様だ。
驚くべきはその成長速度。Anysphereは、つい数ヶ月前の2025年1月にもThriveとa16zから1億500万ドルを調達し、その際の評価額は25億ドルだった。わずか数ヶ月で評価額が3倍以上に跳ね上がった計算になる。
この急成長を支えるのが、同社の主力製品であるAIコーディングツール「Cursor」の驚異的な収益力だ。Financial Timesによれば、Anysphereの年間経常収益(ARR)は2025年4月時点で約2億ドルに達しており、これは史上最速ペースで成長するソフトウェア企業の一つであることを示唆している。
Anysphereは2022年、マサチューセッツ工科大学(MIT)で数学とコンピューターサイエンスを学んだ20代の若者4人によって設立された、比較的新しい企業だ。彼らが開発したCursorは、瞬く間に世界中の開発者の心を掴んだ。
Cursorは何が違うのか?
Cursorがこれほどまでに注目を集める理由は、そのユニークな開発体験にある。従来の開発ツールがコード補完やエラーチェックといった補助的な役割を担うのに対し、CursorはAIとの対話を通じて、より能動的にソフトウェア開発を進めることを可能にする。
開発者は、自然言語(普段我々が使う言葉)を使って「こういう機能を作ってほしい」とAIに指示するだけで、Cursorが具体的なコードを生成してくれる。さらに、既存コードの修正や機能追加も、AIとの対話を通じてスムーズに行えるという。
この革新的な開発スタイルは、テスラやOpenAIで活躍した著名なAI研究者、Andrej Karpathy氏によって「バイブコーディング(vibe coding)」と名付けられた。「まるでトランス状態のようにCursorのAIと対話し、ソフトウェアを創造する。バイブスに身を任せ、指数関数的な進化を受け入れ、コードの存在すら忘れてしまうような感覚だ」と彼は表現している。
まさに、開発者が魔法使いのように、アイデアを直接ソフトウェアという形に変えていくような体験と言えるかもしれない。CursorのWebサイトによると、同ツールはStripe、OpenAI、Spotifyといった名だたるテクノロジー企業や、前述のKarpathy氏のような著名な研究者にも利用されている。その実力は折り紙付きであり、「毎日10億行近くの動作するコードを書いている」と創業者たちは主張している。
もちろん、AIコーディング支援ツール市場には、Microsoft傘下のGitHubが提供する「Copilot」という強力な競合が存在する。しかし、Cursorは独自の開発体験と高い生産性向上効果によって、多くの開発者から熱烈な支持を集めているようだ。GoogleのCEO、Sundar Pichai氏も先月、「社内で提出されるコードの30%以上が、AIが提案したソリューションを受け入れたものだ」と述べており、AIによるコーディング支援が業界標準になりつつあることを示唆している。
Cursorの成功は、OpenAIがChatGPTをリリースした2022年後半以降に登場した、フランスのPoolsideやシリコンバレーのWindsurf、Replitといった他のAIコーディングスタートアップにとっても追い風となっている。
加熱するAI投資、評価額は持続可能か?
今回のAnysphereへの巨額投資は、AI分野、特にAI技術を具体的なアプリケーションに応用するスタートアップへの投資熱の高まりを象徴している。OpenAIやAnthropicのような、基盤となる大規模言語モデル(LLM)を開発する企業の評価額は天文学的な数字に達し、一部の富裕な投資家しかアクセスできないレベルになっている。そのため、VCはAnysphereのようなAIアプリケーション開発企業や、検索アプリのPerplexity、動画生成のSynthesiaといった企業に、AIブームに乗るための新たな投資機会を見出している。
調査会社Dealroom.coとFlashpointのデータによると、AIアプリケーションスタートアップは2024年に82億ドルを調達しており、これは前年の2倍以上に相当する額だ。
一方で、この熱狂的な投資と急騰する評価額に対して、懸念の声も上がっている。Financial Timesは、一部の投資家がAI企業の評価額の持続可能性に疑問を抱いていると指摘する。特に、最近の株式市場の不安定さを考えると、その懸念はもっともだと言えるだろう。
多くのエンタープライズ向けAIアプリケーションは、短期間で数千万ドル規模の収益を上げてはいるものの、これが「とりあえずAIを試してみよう」という企業の一時的な実験的導入によるものなのか、それとも持続可能な経常収益に繋がるのか、見極めが必要だと考える投資家もいる。
興味深いことに、OpenAIの元幹部が設立したスタートアップも、巨額の資金調達を目指している。Ilya Sutskever氏のSafe Superintelligence (SSI) は最近300億ドルの評価額を確保し、Mira Murati氏のThinking Machines Labは100億ドルの評価額で20億ドルの調達交渉中と報じられているが、両社ともまだ製品をリリースしていない。プロダクトローンチ前の企業にこれほどの高値が付く現状は、現在のAI市場の期待先行、あるいは過熱ぶりを示しているのかもしれない。
Anysphere自身、そして今回投資を主導したThrive Capital、参加したAndreessen Horowitz、Accelは、いずれも今回の資金調達に関するコメントを控えている。
AI開発の未来を切り拓くAnysphere
AnysphereとCursorの目覚ましい躍進は、AIがソフトウェア開発のあり方を根本的に変えつつある現実を浮き彫りにしている。「バイブコーディング」に象徴されるような、より直感的で生産性の高い開発スタイルは、今後さらに多くの開発者に受け入れられていく可能性が高い。
今回の巨額調達は、Anysphereがさらなる技術開発と市場拡大を加速させるための強力なエンジンとなるだろう。一方で、AIスタートアップを取り巻く評価額の高騰は、冷静な視点を持つことの重要性も示唆している。果たして、現在の熱狂は持続可能な成長へと繋がるのか、それともいずれ調整局面を迎えるのか。
確かなことは、AnysphereとCursorが、AI時代のソフトウェア開発の最前線を走っているということだ。彼らが切り拓く未来は、開発者だけでなく、テクノロジーによって形作られる私たちの社会全体にとっても、非常に興味深いものとなるだろう。
Source
- Financial Times: Maker of AI ‘vibe coding’ app Cursor hits $9bn valuation