AIがソフトウェア開発の風景を根底から塗り替えようとする中、その震源地ともいえるスタートアップが異次元の成長を遂げている。AIコードエディタ「Cursor」を開発するAnysphere は、最近巨額の資金調達を行っていると報じられていたが、これが事実であり、9億ドル(約1,400億円)という巨額の資金調達を完了したことを発表した。これにより、同社の評価額はわずか半年足らずで4倍近くに跳ね上がり、99億ドル(約1.5兆円)に達した。このニュースは、同社が製品の正式版「Cursor 1.0」をリリースした直後にもたらされ、市場に大きな衝撃を与えている。
だが、この驚異的な数字は、単なる投資マネーの熱狂というだけではない。Anysphereは設立からわずか3年で年間経常収益(ARR)が5億ドル(約780億円)を突破しており、一部の投資家からは「史上最も急成長したソフトウェアスタートアップ」との声も上がるほどだ。なぜCursorはこれほどまでに市場を熱狂させるのだろうか。
「史上最速」の称号は本物か? 異次元の成長を裏付ける数字
今回の資金調達は、OpenAIの支援者としても知られるThrive Capitalが主導し、Andreessen Horowitz(a16z)、Accel、DST Globalといった名だたるベンチャーキャピタルが名を連ねた。注目すべきはその評価額の急上昇ぶりだ。同社が2024年12月に資金調達を行った際の評価額は25億ドルだったが、2025そこから半年も経たずに約4倍の99億ドルへと飛躍した。
この背景にあるのが、爆発的な収益成長だ。複数の報道によると、AnysphereのARRは5億ドルを超え、これは競合の巨人であるMicrosoftの「GitHub Copilot」が報告する収益規模に匹敵する水準だ。ここ数ヶ月、同社のARRは約2ヶ月ごとに倍増しており、その成長がいかに規格外であるかを物語っている。
この成長を支えているのが、巧みな価格戦略だ。個人開発者向けのProプラン(月額20ドル)と、チームや企業向けのBusinessプラン(月額40ドル)を提供。当初は個人のサブスクリプションが収益の柱だったが、現在はエンタープライズライセンスの提供にも力を入れており、企業単位での導入が加速していることが、この急成長の原動力となっていると考えられる。
開発の「相棒」から「司令塔」へ。Cursor 1.0がもたらす革命
資金調達のニュースと時を同じくして、Cursorは製品版として初のメジャーバージョンとなる「Cursor 1.0」をリリースした。これは、Anysphereの評価額が単なる期待感だけでなく、確かな技術的進化に裏打ちされていることを示すものだ。今回のアップデートの目玉機能は、開発者のワークフローを劇的に変える可能性を秘めている。
自動レビュー担当「BugBot」の衝撃
Cursor 1.0で最も注目すべき新機能が「BugBot」だ。これは、開発者がGitHub上で行うプルリクエスト(コード変更の提案)をAIが自動でレビューし、潜在的なバグや問題を指摘してくれる機能である。
従来、コードレビューは他の開発者が手動で行うのが一般的で、時間と手間のかかるプロセスだった。BugBotは、このプロセスを自動化する。さらに秀逸なのは、GitHub上で問題点をコメントとして指摘した後、「Fix in Cursor」ボタンが表示される点だ。これをクリックすると、開発者は自身のCursorエディタに即座に戻ることができ、そこには問題を修正するためのプロンプトがすでに用意されている。これは、問題発見から修正までの一連の流れをシームレスに繋ぐ、極めて洗練されたワークフローだ。まるで、24時間365日働く優秀なコードレビュワーがチームに加わったかのようではないだろうか。
全ユーザーに解放された「Background Agent」
これまで一部ユーザーに限定されていた「Background Agent」機能が、全ユーザーに開放された。これは、複雑なコードの書き換え(リファクタリング)や機能追加といった時間のかかるタスクを、AIエージェントにバックグラウンドで非同期に実行させる機能だ。
開発者はAIに指示を出した後、別の作業に取り掛かることができる。AIは裏側で黙々と作業を進め、完了すれば通知する。複数のエージェントを並行して実行させることも可能で、開発者はより高次の戦略的思考や設計に集中できる。これは、開発者がAIを単なる「道具」として使うのではなく、「部下」や「アシスタント」のように扱える未来を示唆している。
データサイエンス領域への進出とエコシステムの拡大
Cursor 1.0は、データサイエンティストや研究者に人気の高い「Jupyter Notebooks」にも対応した。これにより、AIエージェントがノートブック内の複数セルにまたがるコードを直接編集できるようになる。これは、AIコーディング支援の主戦場がWebアプリケーション開発だけでなく、データサイエンスという巨大な市場にも拡大したことを意味する、重要な戦略的一手だ。
さらに、「MCP(Model Context Protocol)」サーバーのワンクリックセットアップに対応したことも見逃せない。MCPは、FigmaのようなデザインツールとAIコーディングツールが文脈を共有するためのプロトコルであり、デザインからコーディングへの連携をスムーズにする。Cursorがこのエコシステムに本格的に対応することで、開発プロセス全体のハブとなる野心が見え隠れする。
巨額資金は熾烈な競争を勝ち抜くための「弾薬」
Cursorの急成長は、AIコーディング市場全体の熱狂と競争の激しさを象徴している。最大のライバルは、Microsoft傘下のGitHubが提供する「GitHub Copilot」だ。すでに5億ドル超のARRを誇る巨人を相手に、Cursorは真正面から戦いを挑んでいる。
さらに、この市場にはAIの頂点に君臨するOpenAIも強い関心を示している。OpenAIは、Anysphereに買収を打診したものの断られた後、競合のスタートアップであるWindsurfを30億ドルという巨額で買収することに合意したと報じられている。この動きは、AIモデルを提供するだけでなく、その応用アプリケーションレイヤーも自ら押さえようとするOpenAIの戦略の表れだ。
今回Anysphereが手にした9億ドルという巨額の資金は、この熾烈な「AIコーディング戦争」を勝ち抜くための強力な弾薬となるだろう。研究開発を加速させ、より高度なAIエージェントを開発する。世界中から優秀なエンジニアを獲得する。そして、エンタープライズ市場への浸透を強力に推し進める。そのための資金は、十分に確保されたといえる。
Cursorが目指すのは、もはや単なるコード補完ツールではない。BugBotによる自動化、Background Agentによる自律的なタスク実行は、開発者がAIに対してより抽象的で高レベルな「意図」を伝え、具体的な実装はAIが担うという新しいパラダイム、「バイブコーディング」の到来を予感させる。
ソフトウェア開発の歴史は、生産性を向上させるための抽象化の歴史でもあった。Cursorの挑戦は、その歴史に新たな、そしておそらく最も大きな一歩を刻むことになるのかもしれない。その未来への期待感が、99億ドルという評価額に凝縮されている。
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