AIインフラ関連株の最近の下落に、いつ潮目が変わるのかと身構えてきた投資家は少なくないはずだ。その懸念に思いがけない形で答えを突きつけたのが、AIの到来を誰よりも早く警告してきた元OpenAI研究者Leopold Aschenbrennerだった。本人が率いるヘッジファンドが、自ら運用するAI株のロングポジションで巨額の損失を出し、公開株ポートフォリオの大半をKen Griffin率いるCitadelに売却したことが2026年7月30日に判明した。資産規模はわずか1カ月足らずで450億ドルから約100億ドルへ縮小した。
450億ドルが100億ドルへ、Citadelへの一括売却で何が起きたか
CNBCが7月30日に報じたところによれば、Aschenbrennerが率いるヘッジファンドSituational Awareness LP(有限責任組合)は、ロング・ショート両方の公開株ポジションの大半を一括のブロック取引でCitadelに売却した。Bloombergは同日、この売却によってファンドの運用資産が約100億ドルまで落ち込んだと報じている。
Kobeissi LetterはWSJの報道として、この資金規模がわずか1カ月前の7月1日時点では450億ドルに達していたと伝えている。1カ月足らずで資産の8割近くが消えた計算になる。一方、Financial Timesは独自取材として、売却前の公開株ポートフォリオの規模を160億ドルと報じており、Citadelが取得したのはそのうちの大部分とされる。取得額そのものは公表されていない。450億ドルというピークの資産規模、100億ドルという売却後の残存資産、160億ドルという売却前の公開株ポートフォリオ規模は、それぞれ総資産・残存運用資産・公開株保有規模という異なる指標を指しており、単純に合算したり倍率で比較したりできる数字ではない。
非公開株の保有は今回の売却対象に含まれていない。中でもAnthropicへの出資分は約50億ドル相当とされ、Situational Awareness LPは非公開投資会社として存続する方針だという。売却されたのはあくまで公開市場で取引される株式のポジションであり、ファンドそのものが清算されたわけではない。
4倍レバレッジがマージンコールに至る仕組み
SpotGammaの分析によれば、Situational Awareness LPは自己資本の約4倍に相当するグロスの持ち高でAI株のロングポジションを積み上げていた。同分析は、清算された持ち高の規模を200億ドル程度のAI株ブックとみており、FTが報じた160億ドル(売却前の公開株ポートフォリオ規模)とは対象範囲が異なる。レバレッジをかけた投資では、証拠金として差し入れた自己資本に借入分を上乗せして持ち高を膨らませるため、原資産の値動きが自己資本の損益として何倍にも増幅されて跳ね返る。
証拠金維持率が一定水準を割り込むと、証券会社は追加担保の差し入れを求める。それでも不足が解消されなければ、証券会社側が強制的にポジションを手仕舞う。thenextwebの報道によれば、Goldman Sachs、JPMorgan、Bank of Americaの3社がプライムブローカーとして証拠金要件への対応やポジション削減を支援していたという。
この増幅効果の大きさは、ファンドの資産が450億ドルから100億ドルへ約77.8%目減りしたという結果からも見て取れる。4倍のグロス・エクスポージャー(ロングとショートを合算した持ち高)を抱えていた場合、原資産の値動きはそれよりずっと小さな幅でも自己資本の損益としては大きく増幅されて跳ね返る。ただし4倍という数字はロング・ショート双方を合わせたグロスの水準であり、ロングポジションだけの下落率を単純な除算で一意に逆算することはできない。実際にはAdobeなどソフトウェア株のショートポジションが株価上昇によって逆行し、ロング側の損失に上乗せされたとみられ、損益の内訳はより複雑だったとみられる。
SpotGammaが集計した2026年第1四半期の13F(機関投資家の保有株式開示)によれば、Situational Awareness LPの上位保有はBloom Energy(22.8%)・SanDisk(18.8%)・CoreWeave(14.4%)などで、上位5銘柄だけで開示ポートフォリオの76%超を占めていた。集中した持ち高に4倍のレバレッジが重なれば、AIインフラ株の一角が急落しただけで自己資本が急速に溶けていく構造だったことになる。
半導体3社で4600億ドル超、AIインフラ株急落の実体
Situational Awareness LPの清算劇は、AIインフラ株全体を襲った急落と軌を一にしている。CNBCが7月29日に報じたところによれば、SK Hynix・Samsung・Micronの半導体大手3社は1週間で合計4600億ドル超の時価総額を失った。内訳はSK Hynixが1760億ドル、Samsungが1730億ドル、Micronが1130億ドルで、いずれもAI向けメモリ半導体の主要な供給元にあたる。
同じ週にはSoftBank株も6.95%下落するなど、動揺はアジア市場全体に波及した。SoftBankはArm(英半導体設計大手)への出資などAI関連投資の代理指標とみなされており、AI株の評価が揺らげば投資先の含み益への懸念が直接株価に跳ね返る構造を持つ。円換算では、Situational Awareness LPの現在の資産規模100億ドルはおよそ1兆5900億円(1ドル=159円換算)に相当し、半導体3社の週間の時価総額減少幅はその規模の桁を超える。1つのヘッジファンドの身売りが単独の事件ではなく、AIインフラ株というセクター全体の調整の一断面であることが、この数字の並びから見えてくる。
AIの到来を警告した男が、なぜ自分のAI株で自滅したのか
Aschenbrennerは元OpenAIのSuperalignment(超知能の安全性研究)チームに所属した研究者で、2024年4月に機密情報漏洩の疑いを理由に解雇された経歴を持つ。本人は解雇の真因を社内の安全性に関する内部告発メモにあると主張しており、OpenAI側はこれを否定している。thenextwebの報道によれば、2024年後半にAschenbrennerは約2.25億ドルの資金でSituational Awareness LPを設立し、Patrick・John Collison兄弟やDaniel Gross、Nat Friedmanといった著名投資家の支援を受けたとされる。
Aschenbrennerを一躍有名にしたのは、AGI(汎用人工知能)の到来が想定より早く訪れると論じた自身のエッセイだった。ファンド名の「Situational Awareness(状況認識)」自体、その論考にちなんでいる。techtimesによれば、2026年上半期のファンドのネットリターンは439%に達しており、AI株への強気の賭けは当初大きく報われていた。
その同じ賭け方が、レバレッジと集中投資の組み合わせによって裏目に出た構図は、2021年のArchegos Capital Management破綻と同型だ。Archegosも特定銘柄への集中したレバレッジポジションを抱え、株価急落でマージンコールが連鎖し、プライムブローカー各社が数十億ドル規模の損失を計上する結果になった。仕組みは同じでも賭けの対象は異なる。Archegosは個別銘柄への強気相場観だったのに対し、Situational Awareness LPはAI産業そのものの成長シナリオに賭けていた。
得をしたのはCitadelのKen Griffinで、値崩れした大型ポートフォリオを一括で取得する機会を得た。損をしたのはSituational Awareness LPの既存投資家と、Aschenbrenner自身の論客としての評判だ。この一件は個別ファンドのリスク管理の失敗という枠に収まらず、AI投資ブーム全体の持続可能性を問う事例として受け止められている。
日本市場への波及とAschenbrennerが語る反転シナリオ
Yahoo Financeが伝えるところによれば、Aschenbrennerは7月24日付の投資家向けレターの中で、直近の株安を「買い場」と位置づけたという。レターではAnthropicの新規株式公開(IPO)への期待を好材料として挙げ、AI産業の長期的な成長シナリオ自体は崩れていないとの立場を示したとされる。Situational Awareness LPは8月1日から既存顧客向けに新規資金の受け入れ枠を開設する予定で、非公開株投資会社としての活動を続ける方針だという。
この楽観的な見立てが実現するかどうかは、Anthropicの評価額が公開市場でどう値付けされるかに懸かっている。Anthropicへの出資分約50億ドルは、今回の身売りの対象から外れた非公開株保有の中でも最大の案件とされ、IPOが実現してその評価が市場で裏付けられれば、ファンドの評判回復への足がかりになる。逆に言えば、AI企業の非公開株評価そのものへの懐疑が広がれば、Aschenbrennerの「買い場」判断もまた同じ脆さを抱えることになる。
SK HynixやSamsung、Micronの時価総額減少とSoftBank株の下落は、AIブームの調整が北米市場だけの現象ではないことを示した。日本の投資家にとって、半導体サプライチェーンの中核を担う企業群の株価変動は間接的な資産形成への影響として跳ね返る。Situational Awarenessという名のファンドが、自らの持ち高が置かれた状況を見誤ったのは皮肉な結末だ。次の焦点はAnthropicの評価が公開市場でどう試されるかであり、それがAschenbrennerの「買い場」判断の妥当性を決めることになる。
