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DeepSeek「R2」遅延が暴く米制裁の”時間差”効果。NVIDIAチップ依存という中国AIのアキレス腱

Y Kobayashi

2025年6月27日

中国のAIスタートアップDeepSeekが次世代モデル「R2」の開発で躓いているようだ。表面的には技術的な問題とNVIDIAのH20チップ不足が原因とされるが、この事象は実は、グローバルAI産業における力学の根本的な変化を物語っている。一見すると単なる供給制約に見えるこの問題の奥には、技術覇権をめぐる米中の戦略的攻防と、中国AI企業が直面する「技術自立への移行期」特有のジレンマが横たわっているのではないだろうか。

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表面化した「二つの壁」:CEOの不満と消えたNvidia H20

The Informationの報道によると、DeepSeekが直面している問題は二重構造になっている。一つは「品質の壁」、もう一つは「物理的な壁」だ。

第一に、品質の壁である。The Informationが報じるところによれば、DeepSeekのCEOであるLiang Wenfeng氏が、数ヶ月にわたる集中的な改良作業にもかかわらず、R2モデルの現在の性能に満足していないという。当初2025年5月のリリースが期待されていたR2は、前モデルR1を凌駕するコーディング能力や多言語推論能力を持つとされ、その登場が待たれていた。しかし、トップの承認が得られない限り、リリースは無期限に延期される状況にある。

第二に、そしてより根本的な問題が、物理的な壁、すなわちAIチップの枯渇だ。米Trump政権が2025年4月に発動した新たな輸出規制により、NVIDIAが中国市場向けに性能を調整して提供していた最後の砦ともいえるAIプロセッサー「H20」の供給が絶たれた。中国の多くのクラウドサービスプロバイダー(CSP)は、DeepSeekの現行モデルR1をこのH20チップ上で運用しており、その供給停止は既存サービスの足元をも揺るがしかねない事態を招いている。

これら二つの壁は、互いに無関係ではない。たとえLiang Wenfeng氏が満足する性能のR2が完成したとしても、それを大規模に展開するための計算資源(コンピュート・リソース)が市場に存在しないという、より深刻な構造的問題が横たわっているのだ。

制裁の”時間差”効果:なぜ今、DeepSeekが標的になったのか

米国の対中半導体規制は数年前から段階的に強化されてきた。では、なぜ今になってDeepSeekのようなトップランナーが失速したのだろうか。その答えは、制裁の「時間差効果」にある。

DeepSeekはR1モデルのトレーニングに、投資家であるHigh-Flyer Capital Managementを通じて入手した、実に50,000個ものNVIDIA製HopperアーキテクチャGPUからなる巨大クラスターを使用したとされる。その内訳は、H20が30,000個、H800が10,000個、そして規制対象のH100が10,000個という驚くべき構成だ。いかに同社がNVIDIAチップに依存していたか、これだけでも明らかだろう。

これまでの中国AI企業は、規制強化の前に市場に流入したチップの「在庫」を駆使することで、開発競争を続けてきた。いわば、ダムの水位が徐々に下がる中、残された水でなんとか凌いできた格好だ。しかし、2025年4月のH20禁輸措置は、そのダムに流れ込む最後の細い川さえも堰き止める決定打となった。DeepSeekのR2開発の遅延は、ついにそのダムの底が見え始め、蓄えだけでは最先端の開発が立ち行かなくなるという現実が表面化した最初の兆しなのである。これは、米国の制裁が短期的な打撃だけでなく、中長期的に中国のAI開発能力そのものを削いでいく戦略であることを明確に示している。

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依存構造の脆さ:中国クラウド全体を揺るがす「計算資源」のボトルネック

この問題の根深さは、DeepSeek一社の苦境に留まらない。中国のAIエコシステム全体が抱える構造的な脆弱性を露呈させている点にある。

The Informationが指摘するように、もしR2が現在のオープンソースモデルを凌駕する性能でリリースされた場合、その利用需要は爆発的に増加し、中国のクラウドプロバイダーの処理能力を完全に超えてしまうと懸念されている。なぜなら、彼らのインフラの大多数が、今や供給が途絶えたNVIDIA H20に依存して構築されているからだ。これは、新しいアプリケーション(R2)が登場しても、それを動かすOSやハードウェア(H20とCUDAプラットフォーム)が対応できないという、悪夢のようなシナリオだ。

この事態は、中国のAI産業がNVIDIAのハードウェア(GPU)だけでなく、その性能を最大限に引き出すためのソフトウェアスタック「CUDA」にも深く依存している現実を突きつける。たとえ中国国内で代替チップが開発されたとしても、この巨大なCUDAエコシステムからの脱却は容易ではない。特定の企業が築き上げたエコシステムに深く根を張ることの効率性と、地政学的リスクに直面した際の脆さ。DeepSeekのケースは、そのトレードオフを鮮明に描き出している。

エコシステム依存からの脱却―長期戦略としての技術自立への道筋

DeepSeekの現在の困難は、中国のAI産業全体が直面している戦略的転換点を象徴している。短期的な競争力維持と、長期的な技術自立という二つの目標の間で、企業は難しい選択を迫られている。

注目すべきは、DeepSeek社内では既に中国のクラウド企業との技術仕様共有が行われており、R2モデルのホスティングと配布の準備が進められていることだ。これは、同社が単にハードウェア制約を嘆いているのではなく、制約のある環境下でも最適な展開戦略を模索していることを示している。

また、OpenAIがDeepSeekのR1開発においてプロプライエタリモデルの使用を非公式に指摘している点も興味深い。これが事実であれば、中国のAI企業が技術自立を目指しながらも、実際には先進的な米国技術への依存から完全に脱却できていない現実を物語っている。

しかし、この状況は必ずしも悲観的な展望だけを示すものではない。制約は時として革新の母となる。DeepSeekがより少ない計算資源で競争力のあるモデルを開発したという主張が真実であれば、これは効率性重視のアプローチが新たな技術パラダイムを生み出す可能性を示唆している。

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地政学的なAI競争の新たなステージ―制限と適応の循環

今回のDeepSeek R2の開発遅延は、米中のAI競争が新たな段階に入ったことを示している。これまでの「技術の自由な流通」を前提とした競争から、「制限された環境での最適化競争」への移行だ。

アメリカの輸出制限は確実に中国のAI開発を遅らせているが、同時に中国企業の技術自立への取り組みを加速させている側面もある。DeepSeekのような企業が直面している制約は、短期的には開発の障害となるが、長期的には中国のAI産業全体の構造変化を促進する触媒として機能する可能性がある。

重要なのは、この競争が単なる技術的優位性の争いではなく、異なる技術哲学とエコシステム構築アプローチの対立でもあることだ。アメリカは高性能ハードウェアを中心とした垂直統合型エコシステムを武器とし、中国は効率性と適応性を重視した分散型アプローチを模索している。

DeepSeek R2の開発再開時期は未定だが、その際に提示される技術的解決策は、制約下での革新がどこまで可能かを示す重要な試金石となるだろう。もし同社が限られたリソースで画期的な性能向上を実現すれば、それは地政学的制約を技術革新によって克服する新たなモデルケースとなる可能性がある。

この状況は、グローバルなAI産業の未来を占う上で極めて示唆に富んでいる。技術の囲い込みと開放、効率性と性能、協力と競争―これらの要素が複雑に絡み合う中で、次世代AI技術の形が決まっていくのだ。DeepSeek R2の行方は、単なる一企業の製品開発を超えて、AI時代における技術覇権の新たなルールを暗示している。


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