2026年5月6日、『EVE Online』を運営するアイスランドの開発スタジオCCP Gamesは、社名をFenris Creationsへ変更し、韓国ゲームパブリッシャーのPearl Abyssからの独立を正式に発表した。同時に、Google DeepMindとの研究パートナーシップ締結も明らかにした。

二つのニュースが同日に発表されたことは、この独立劇がAIとゲーミングの融合という技術的な転換点と重なり合っていることを示している。Googleという世界最大規模のAI研究機関が、MMOという特殊なゲームジャンルに資本と研究リソースを投下した背景には、現行のAI研究が抱える構造的な課題がある。

CCP Gamesは1997年にアイスランドのReykjavíkで設立された。スタジオの最初のゲームは「Fenris」というタイトルを冠しており、今回の社名変更は創業時の理念——「仮想世界はリスク、喪失、再生、そしてその世界に住む人々によって形作られなければならない」——への回帰を意味する。CEOのHilmar Veigar Pétursson氏はプレイヤー宛のオープンレターの中で、「社名と構造は変わるが、私たちのルーツと理想は変わらない」と述べた。

AD

Pearl Abyssとの別れ:2億2,500万ドルから1億2,000万ドルへ

財務的な観点から見ると、この取引の条件は注目に値する。Pearl AbyssはCCP Gamesを2018年に2億2,500万ドルで買収していた。今回の売却価格は1億2,000万ドルであり、6年間で1億500万ドル以上の評価額が失われたことになる。対価は現金と非現金要素から構成されていることがPearl Abyssの規制申請から明らかになっている。

両社は共同で長期戦略を見直した結果、事業環境の違いや長期的な優先事項の乖離を考慮し、独立という結論に至ったと説明している。Pearl Abyss側も「現在の経営陣への売却が両者の将来にとって最善」と判断したと公式に認めている。

CCP Gamesは近年、財務的に厳しい局面に置かれていた。2023年・2024年いずれも年間損失が2,000万ドル近くに達した。その主因として挙げられるのが、ブロックチェーンベースのスピンオフEVE Frontierと、抽出型シューターEVE Vanguardという二つの大型プロジェクトへの開発投資だった。

しかし直近の数字は一転して好調だ。Fenris Creationsは2025年通期の売上高が7,000万ドル超に達し、収益性を確保した上で強固な財務準備金を保有していると発表した。特にEVE Onlineは2025年11月に記録的な月間売上を達成し、同年第4四半期はゲーム22年超の歴史の中で第2位の四半期売上となった。

DeepMindはEVE Onlineで何を研究するのか

今回の独立劇の中で技術的に最も注目されるのが、Google DeepMindとの研究パートナーシップだ。Googleは出資を通じてFenris Creationsの少数株主になると同時に、EVE Onlineを使ったAI研究を本格始動させる。

DeepMindが研究の焦点に据えるのは、長期的計画立案(long-horizon planning)と記憶(memory)だ。これに継続的学習(continual learning)——環境の変化に応じて知識を更新し続ける能力——が加わる。これらはいずれも、現行の大規模言語モデルや強化学習エージェントが特に苦手とする部分に重なっている。

実験にはローカルサーバー上で動作するEVE Onlineのオフライン版を使用する。本番の「Tranquility」サーバーに接続されないため、既存のプレイヤー体験への影響はゼロだ。Fenris Creations側は「初期研究は制御された環境内で完結する」と明言しており、プレイヤーコミュニティに対して無用な懸念を抱かせないよう配慮している。

Google DeepMindのDirectorであるAlexandre Moufarek氏はEVE Onlineを「汎用人工知能を安全なサンドボックス環境でテストするための唯一無二のシミュレーション」と評した。この評価は大げさではない。EVE Onlineは2003年のサービス開始以来、単一シャードの共有宇宙の中で何十万人もの実プレイヤーが独自の文明を積み上げてきた。プレイヤー主導の市場メカニズムは本物の需給均衡を形成し、政治的連合の裏切りや多年にわたる大規模戦争の記録が層を重ね、現実社会の複雑系に類似した構造が自然発生的に出現している。

AD

AI研究とゲームの接点:DeepMindの歴史的経緯

Google DeepMindがゲームをAI研究の舞台として使うことは、今回が初めてではない。むしろ同社のAI研究の基盤には、常にゲームが存在してきた。

Atariゲームで人間のスコアを超えたDQN(2013年)、囲碁世界チャンピオンを破ったAlphaGo(2016年)、StarCraft IIでグランドマスターレベルに達したAlphaStar(2019年)——いずれも、ゲームという制御可能な環境を利用してAI能力を段階的に拡張してきた軌跡だ。直近では、3Dオープンワールド環境での行動学習を扱うSIMAプロジェクト(2024年)において、物理世界への橋渡しを意識した研究が進んでいる。

しかし、これまでの研究には共通の制約があった。それは「プレイヤー」の数と多様性だ。AtariもStarCraftも、基本的にはAI対AIあるいはAI対一人の人間という構図で研究が進められてきた。

EVE Onlineが異なるのは、何十万人もの実在するプレイヤーが数十年をかけて形成した経済システムや社会構造が、すでにそこに存在している点だ。AI研究者がゼロから設計した環境ではなく、人間の集合知が堆積した「生きた世界」がテストベンチになる。これは、人間社会の複雑さにより近い条件でAIモデルを評価できることを意味する。

Demis Hassabis CEO(Google DeepMind共同創業者)も「私はゲームが大好きで、子供の頃からゲーマーだった。Theme Parkのような複雑なAIシミュレーションゲームを設計・プログラミングすることからキャリアを始めた」と語り、ゲームとAI研究の接点を自身のルーツから語っている。Hassabis氏はHilmar CEO(Fenris Creations)と長年の知人関係にあり、EVE Onlineの複雑性に「プレイヤー主導の宇宙」としての独自価値を認めてきたと述べた。

社内体制と今後のロードマップ

Fenris Creationsの独立後も、社内体制は変わらない。CEOはHilmar Veigar Pétursson氏が継続し、Reykjavík・London・Shanghaiの三拠点は従来通り機能する。人員削減も組織再編も予定されていない。EVE Online・EVE Frontier・EVE Vanguard・EVE Galaxy Conquestの四タイトルの開発チームはそれぞれ現状維持だ。

新たな取締役会はFenris Creationsの上級管理職と長期投資家で構成される。会長には、アイスランドのベンチャーキャピタルOmega VenturesのCo-founderであるBirgir Már Ragnarsson氏が就任した。

Google DeepMindとの研究パートナーシップに関する詳細は、2026年5月14日から開催されるEVE Fanfest 2026で披露される予定だ。DeepMind創業メンバーの一人であるAdrian Bolton氏がHilmar CEO氏とともに登壇し、AIと知性に関する同社の見解と研究の具体的な方向性を共有する見込みだ。

AD

AIとMMOの交差点が問うもの

今回の提携が業界に示す論点は「GameとAIの融合」という一語では語り切れない。より本質的な問いは、AIが「設計された環境」ではなく「人間が自律的に形成した環境」の中でどう機能するかという点にある。

これまでのAI研究では、エージェントが「環境」に作用し、その報酬をもとに学習するという枠組みが基本だった。しかしEVE Onlineにおいては、プレイヤー自身がリアルタイムで環境を変容させ続ける。AIがいかに学習しても、翌日には市場の均衡が崩れ、戦略的均衡が変化し、新たな政治的連合が生まれうる。

そうした「恒常的に変容する環境」でAIがどう機能するかという問いは、現実社会への応用可能性という観点からも意義が大きい。金融市場や物流最適化の分野でも、複数の意思決定者が非定常な環境で相互作用するという構造は共通している。EVE Onlineでの研究成果が、こうした現実の複雑系へ転用可能かどうか——それが本パートナーシップの潜在的な価値の一つだ。

EVE Onlineが提供するのは、そうした問題系を20年以上かけてプレイヤーが自己組織化しながら形成した実験インフラだ。現実世界と同様に、その「環境」は誰かが設計したものではなく、多数の意思決定者が積み上げてきた歴史の産物である。AIがその中でどう振る舞うかを観察することは、AIが現実に対峙する前段階の試験として、これまでにない密度を持つ。