1990年の打ち上げ以来、36年という長きにわたり人類の「宇宙の眼」として君臨してきたNASAハッブル宇宙望遠鏡。宇宙の年齢の特定、超大質量ブラックホールの存在証明、そして宇宙の加速膨張の発見など、我々の宇宙観を根本から覆す無数の画期的な発見をもたらしてきたこの伝説的な観測装置が今、存覚の危機に瀕している。

老朽化による度重なるシステムの不具合に加え、近年、ハッブル宇宙望遠鏡の軌道高度が急激に低下していることが最新の観測データから明らかになった。かつては2030年代半ばまで軌道を維持できると見積もられていたが、天文学者たちの最新の分析によれば、早ければ2028年にも地球の大気圏に再突入し、その大部分が燃え尽きる可能性があるという。

なぜ、ハッブル宇宙望遠鏡の軌道はここに来て急降下を始めているのか。そして、過去何度も絶望的な状況から不死鳥のように蘇ってきたこの望遠鏡に、残された救済の道はあるのだろうか。

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忍び寄る「死の螺旋」:Jonathan McDowell氏が暴いた急激な軌道低下

ハッブル宇宙望遠鏡の終焉が予想以上に早く訪れる可能性を指摘したのは、ハーバード・スミソニアン天体物理学センターの天文学者であり、世界有数の人工衛星トラッカーとして知られるJonathan McDowell氏である。同氏がSNSプラットフォームBluesky上で公開したハッブル宇宙望遠鏡の高度推移を示す最新のグラフは、関係者に強い衝撃を与えた。

Because it's been a while, here is an update of my plot on the altitude of the Hubble Space Telescope versus time

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— Jonathan McDowell (@planet4589.bsky.social) 2026年2月25日 15:11

打上げ当初、ハッブル宇宙望遠鏡は高度600キロメートルを超える安全な低軌道(Low Earth Orbit)に投入された。その後、幾度かのスペースシャトルによる軌道引き上げ(リブースト)を経て高度を維持してきたが、現在の高度はすでに500キロメートルを大きく割り込んでいる。McDowell氏のグラフは、2020年から2026年にかけて、高度が約330マイル(約530キロメートル)から300マイル(約480キロメートル)へと急降下している事実を明確に示している。

1990年代後半以降に見られた緩やかな高度低下とは明らかに異なるこの急激な落ち込みは、IT系メディアThe Registerをして「デス・スパイラル(死の螺旋)」と言わしめるほどの深刻な事態だ。NASAの公式Webサイトでは現在でも「大気抵抗により高度はゆっくりと低下しているものの、2030年代半ばまでは大気圏に再突入しないと予想される」と記載されているが、最近の追跡データは、この公式見解がすでに楽観的すぎる可能性を示唆している。

McDowell氏の分析に基づくなら、いかなる軌道修正ミッションも実施されなかった場合、Hubble Space Telescopeは早ければ2028年、あるいは2019年や2025年の軌道デブリ研究が最も可能性が高いシナリオとして指摘した2033年を待たずして、大気圏の分厚い壁に突入することになる。

なぜ高度は落ちるのか? 太陽活動と「大気膨張」の物理メカニズム

宇宙空間は完全な真空であるという一般的なイメージとは裏腹に、ハッブル宇宙望遠鏡が周回する高度数百キロメートルの低軌道には、極めて希薄ではあるが地球の大気(熱圏)が存在している。秒速約8キロメートルという猛スピードで飛行する宇宙機にとって、この希薄なガス分子との衝突は微小な「大気抵抗」を生み出す。この抗力が長期間にわたって宇宙機の運動エネルギーを少しずつ奪い、軌道高度を低下させる現象を「軌道減衰(Orbital Decay)」と呼ぶ。

しかし、なぜここ数年でハッブル宇宙望遠鏡の軌道減衰がこれほどまでに加速しているのだろうか。その最大の原因は、我々の母なる星「太陽」の活動サイクルにある。

太陽活動は約11年の周期で極大期と極小期を繰り返しており、現在は2025年付近と予測される「第25太陽活動周期(Solar Cycle 25)」の極大期に向けて、活動が著しく活発化している。太陽表面での爆発現象である太陽フレアやコロナ質量放出(CME)が頻発すると、太陽から放出される強烈な極端紫外線(EUV)やX線、そして高エネルギーの太陽風が地球に降り注ぐ。

これらのエネルギーが地球の高層大気(熱圏)に吸収されると、大気の温度が急上昇する。気体は温められると体積が増すため、地球全体の大気がまるで風船のように宇宙空間に向かって大きく「膨張」するのである。

この大気膨張こそが、ハッブル宇宙望遠鏡にとって致命的な影響をもたらしている。大気が外側へ膨らむことで、それまでハッブル宇宙望遠鏡が飛んでいた高度の空間における大気密度が劇的に上昇する。大気が濃くなれば、当然ながら受ける大気抵抗も指数関数的に大きくなる。これが、2020年代に入ってHubbleの高度が急激に削り取られている直接的な物理メカニズムである。太陽活動という宇宙規模の気象現象が、人類最高峰の科学機器の寿命を直接的に縮めているのだ。

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満身創痍のレジェンド:単一ジャイロモードでの孤軍奮闘

軌道の低下という外部要因による危機に加え、ハッブル宇宙望遠鏡は機体内部の深刻な老朽化という内部要因にも苦しめられている。その象徴とも言えるのが、望遠鏡の心臓部ともいえる姿勢制御装置「ジャイロスコープ」の相次ぐ故障である。

ハッブル宇宙望遠鏡が、何十億光年も彼方にある微かな銀河の光をブレることなく捉えることができるのは、機体の向きを極めて精密に制御し、ターゲットを完璧に捕捉し続ける驚異的な安定性があるからだ。これを担っているのが6基のジャイロスコープである。ジャイロスコープは、高速で回転するホイールの角運動量保存の法則を利用して、3次元空間における機体の微小な回転や傾きを正確に検知する。

しかし、宇宙空間の過酷な環境と数十年に及ぶ連続稼働は、これらの精密機器に限界をもたらした。現在、搭載されている6基のジャイロスコープのうち3基は完全に機能を停止し、残る1基も深刻な性能劣化の兆候を示している。

この絶望的な状況下で望遠鏡の命を繋ぐため、NASAは2024年、苦渋の決断としてハッブル宇宙望遠鏡を「単一ジャイロモード(Single-Gyro Mode)」へと移行させた。通常、完全な3軸の姿勢制御を行うには最低3基のジャイロが必要だが、このモードでは1基のジャイロのみを使用し、不足するデータは磁気センサーや星の配置を読み取るスタートラッカーなど、他の搭載センサーからの情報で補うという高度なソフトウェア処理を行っている。

単一ジャイロモードは、望遠鏡の稼働寿命を限界まで引き延ばすための見事なエンジニアリングの勝利である。しかし、代償も大きい。目標とする天体に望遠鏡を向けるのに時間がかかるようになり、観測効率は低下。また、空の特定の領域は観測が制限されるなど、最盛期のような自由な運用はもはや不可能となっている。満身創痍となりながらも、ハッブル宇宙望遠鏡は片目と片腕で必死に宇宙の真理を探求し続けている状態なのだ。

スペースシャトル時代の終焉と立ちはだかる「維持費」の壁

ハッブル宇宙望遠鏡がこれまで数々の危機を乗り越え、36年もの間(当初の設計寿命を20年も超えて)現役を続けられた最大の理由は、それが「宇宙空間で人間による修理・アップグレードが可能な設計」を持っていたからである。

1990年から2009年にかけ、NASAのスペースシャトルミッションは計5回にわたってハッブル宇宙望遠鏡を訪問した。宇宙飛行士たちは軌道上で望遠鏡をシャトルのペイロードベイ(貨物室)に固定し、船外活動によって故障した部品の交換、最新のカメラや分光器のインストール、そしてシャトルのスラスターを用いた軌道高度の引き上げ(リブースト)を行ってきた。McDowell氏のグラフにおいて、1990年代から2000年代にかけて高度が急激に上昇しているポイントは、まさにこのスペースシャトルによる救済ミッションの痕跡である。

しかし、2011年のスペースシャトルプログラムの完全退役に伴い、ハッブルを訪問し、物理的に修理や軌道引き上げを行う手段は事実上失われた。2019年に発表された軌道デブリに関する研究論文が指摘するように、ハッブルは本来「その寿命の終わりにスペースシャトルによって回収されて地球に持ち帰られる」よう計画されていた。しかし、「ハッブルがスペースシャトルプログラム自体よりも長生きするとは誰も予想していなかった」という皮肉な歴史の巡り合わせが、現在の窮地を生み出している。

物理的なアクセスの喪失に加えて、NASA内部での予算的な逆風もハッブルを追い詰めている。元宇宙飛行士であり、NASAのScience Mission Directorate(科学ミッション本部)で副長官を務めたJohn Grunsfeld博士は、The Registerの取材に対し、ハッブルの予算が長年にわたって横ばいであり、インフレを考慮すると「実質的に約30パーセントもの予算削減に直面している」と警鐘を鳴らした。

NASAの限られた宇宙科学予算の中で、近年その圧倒的な性能で天文学の新たな扉を開いている次世代機、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡 (JWST) への資金集中は避けられない現実である。Grunsfeld氏が「彼らは少しずつ削り取ろうとしている(They’re just trying to whittle away at it)」と表現したように、度重なる故障と戦うレガシーミッションの維持費をいつまで捻出できるのかというシビアな問題が、軌道低下という物理的タイムリミットと共にNASAに重くのしかかっているのである。

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救済か、自然落下か:再ブーストミッションの起死回生(Hail Mary)

目前に迫る2028年の大気圏再突入リスクを回避し、ハッブル宇宙望遠鏡を救う手立ては残されていないのか。理論上、解決策は極めてシンプルである。別の宇宙船をハッブルに接近させ、エンジンを噴射して軌道高度を物理的に押し上げる「再ブースト(Reboost)」ミッションを実施することだ。

実際、NASAは高度400キロメートルを下回った別の観測衛星「Swift」を救出するため、科学観測を一時停止して再ブーストミッションに向けた時間を稼ぐ試みを行っている。ハッブル宇宙望遠鏡の場合、有利な条件もある。2009年の最後のスペースシャトルミッション(SM4)の際、将来の宇宙船がランデブー・ドッキングできるように、専用のキャプチャリング・リングが機体の後部に取り付けられているのだ。

この可能性にいち早く目をつけたのが、民間宇宙飛行士であり億万長者のJared Isaacman氏であった。同氏は2022年、自身が資金を提供し、SpaceXのクルードラゴン宇宙船を使用してハッブルを訪問し、修理と再ブーストを行うミッションをNASAに提案した。

しかし当時、NASAはこの提案を却下した。SpaceXのクルードラゴンは、巨大なロボットアームや広大な作業スペースを持っていたスペースシャトルとは構造が根本的に異なる。貴重なハッブルに接近・ドッキングする際のリスクが高すぎると判断したのだ。

ところが、2026年現在、状況は劇的な転換を迎えている。そのJared Isaacman氏本人が、今年初めに新たなNASA長官(Administrator)として宣誓・就任したのである。

かつて却下されたSpaceXによるハッブル救済計画の提唱者が、今やNASAの最高意思決定権者となった。この組織のトップダウンの力学の変化により、ハッブル宇宙望遠鏡が最期を迎える前に、アメフト用語で言うところの「ヘイルメアリー・パス(Hail Mary:試合終了間際の起死回生を狙った一か八かのロングパス)」が通る可能性が現実味を帯びてきている。

ハッブル宇宙望遠鏡が人類に残すものと、今後のシナリオ

仮にIsaacman長官の下で再ブーストミッションが承認されず、自然落下に任せる決断が下された場合、NASAはどのような手順を踏むのだろうか。

巨大なハッブル宇宙望遠鏡が制御不能な状態で大気圏に突入し、燃え残った巨大な破片が人口密集地に落下するリスクは避けなければならない。そのため、NASAの計画では、最終的に小型の推進モジュールを無人で打ち上げてハッブルに結合させ、南太平洋の「ポイント・ネモ(宇宙機墓場)」と呼ばれる広大な無人海域を狙って制御された再突入を行わせるか、あるいは逆に完全に地球の影響を逃れる超高軌道(墓場軌道)へと押し上げるかのいずれかが想定されている。

しかし、推進モジュールを取り付けるミッション自体にも多額の予算と技術的リスクが伴う。予算不足が指摘される中、いつ、どのようにそのミッションが承認されるのかは依然として不透明なままだ。

ハッブル宇宙望遠鏡が我々の頭上を舞う時間は、着実に終わりへと近づいている。太陽活動が引き起こす大気の膨張は、人間の都合を待ってはくれない。

たとえ2028年にその機体が炎に包まれて消滅しようとも、あるいは民間宇宙船による劇的な救出劇によって新たな寿命を得ようとも、ハッブル宇宙望遠鏡が人類の科学史に刻んだ功績が色褪せることは決してない。我々が今、宇宙の年齢を138億年と知り、暗黒エネルギー(ダークエネルギー)の存在について議論し、遠く離れた系外惑星の大気組成に思いを馳せることができるのは、すべてこの全長13メートルの筒状の反射望遠鏡が、宇宙の暗闇の中で静かに光を集め続けてくれたおかげなのである。

伝説の望遠鏡が迎える最終章。我々はその歴史的結末の目撃者となろうとしている。


Sources