長年にわたり、AppleはiOS上のすべてのサードパーティ製ブラウザに対して、自社製ブラウザSafariと同じレンダリングエンジン「WebKit」の使用を義務付けてきた。これにより、iOSにおけるChromeやFirefoxなどの競合ブラウザは、実質的にインターフェースのみが異なるSafariのクローンになることを強いられていた。しかし、欧州連合(EU)のデジタル市場法(DMA)の施行により、Appleは「BrowserEngineKit」を通じて代替ブラウザエンジンのiOSへの導入を許可することを余儀なくされた。この規制変更を背景に、MicrosoftのEdge Web Platformチームでグループプロダクトマネージャーを務めるKyle Pflug氏が、Chromiumプロジェクトに貢献して構築したBlinkベースのiOS向けプロトタイプブラウザの存在を明らかにした。

Pflug氏は、開発段階にあるこのプロトタイプをiPhone 17 Pro Max(iOS 26.5.1搭載)にインストールし、既存のSafariと性能を比較するベンチマークテストを実施した。実際のWebブラウジングの応答性を測定する指標として広く信頼されている「Speedometer 3.1」テストにおいて、Blinkベースのプロトタイプは49.27というスコアを記録し、Safariの38.3に対して28.6%という圧倒的な差をつけた。Speedometer 3.1は、演算処理速度にとどまらず、DOM要素の操作や複雑なフレームワークの実行といった、現代のWebアプリケーションで頻繁に発生するユーザーインタラクションの応答性を精密にシミュレートするベンチマークである。このテストでSafariを圧倒した事実は、実際のWebブラウジングにおける体感速度においてBlinkが確かな優位性を持つことを裏付けている。

さらに、JavaScriptおよびWebAssemblyの処理能力を評価する「JetStream 3」では306.35対270.9で13.1%、Canvasグラフィックスの描画性能を測る「MotionMark 1.3.1」でも4,773.52対4,673.68で2.1%のリードを奪い、すべてのテスト項目においてSafariを凌駕する結果となった。この性能差はデバイスのアーキテクチャの違いをも覆すものであり、iPhone 17 Pro Max上のBlinkプロトタイプのスコアは、M5チップを搭載したiPad Pro上のSafariが出したSpeedometer 3.1のスコア45.7をも上回った。これらの数値は個人の端末による予備的なテスト結果であり、正式な製品発表や厳密なラボテストの結果ではないものの、長らくWebKitの独占状態にあったiOSデバイスにおいて、別のレンダリングエンジンを採用することで大幅な性能向上が見込めることを実証した意味は大きい。

AD

顕在化する「パフォーマンス税」と技術的負債

AppleのApp Storeにおける手数料は、開発者や規制当局から長年批判の的となってきたが、今回のベンチマーク結果により、WebKitの強制使用がユーザーに強いている見えないコスト、いわゆる「パフォーマンス税」の存在が明白になった。Microsoftエンジニアの分析によれば、このパフォーマンス税はブラウジング速度において約30%にも達する。競合エンジンの排除は、ブラウザ市場のシェア争いの枠を超え、モバイルWeb全体の技術的な進化を停滞させる要因となっている。

blink-webkit-benchmark.webp

ブラウザのレンダリングエンジンは、Web標準の実装状況やセキュリティ、プライバシー保護の枠組みを決定づける中核的なコンポーネントである。現在、商用展開されている主要なエンジンは、ChromeやEdgeなどに採用されているBlink、Safariの基盤であるWebKit、そしてFirefoxを駆動するGeckoの3つに集約されている。市場シェアの多くをGoogleとAppleのエンジンが占める中、iOSエコシステムにおいてWebKitが独占的な地位を築いていることは、Web開発者が直面する技術的制約の大きな原因となっている。

Microsoftが公開した「Top Developer Needs」ダッシュボードには、開発者が現在直面している相互運用性の課題がリストアップされている。これには、CSSでの角丸処理(corner-shape)、高さの自動調整アニメーション(interpolate-size()、calc-size())、JavaScriptにおける高度な日時処理(Temporal)などが含まれる。特にCSSにおけるinterpolate-size()やcalc-size()は、これまでJavaScriptによる複雑な計算を要したスムーズなUIアニメーションをスタイルシート単体で実現可能にする画期的な機能である。また、高度な日時処理を標準化するTemporal APIや、メインスレッドの処理を最適化するScheduler APIへの対応は、複雑化する一方のWebアプリケーションにおいて、端末のリソース消費を抑えつつ滑らかな動作を担保するために不可欠となっている。

Pflug氏によれば、Blinkベースのプロトタイプはこれらの高度な機能に対する要求を満たし、CSS reading-flowやSchedulerなどの待望のAPIもデバイス上で稼働することが確認された。WebKitがこれらの最新のWeb標準への対応で後れを取っている現状は、開発者がリッチなWebアプリケーションを構築する上での足枷となり、結果としてモバイル環境におけるWebアプリ体験の進化そのものを阻害している。

WebKitのアップデートがiOSのOSアップデートと密接に紐付いていることも、開発者にとって大きな痛手となっている。重大なセキュリティ脆弱性が発見されたり、新しいWeb APIのサポートが必要になったりした場合でも、ユーザーがOS自体をアップデートしない限りWebKitのバージョンは更新されない。この構造的な遅延により、Webアプリケーションは最新のセキュリティ保護メカニズムを迅速に適用できず、長期間にわたって脆弱な状態に置かれるリスクを抱えている。独立したアップデートが可能なBlinkやGeckoなどのエンジンが導入されれば、これらのセキュリティパッチや機能追加がより迅速に行われるようになり、エコシステム全体の安全性と堅牢性が底上げされることになる。

代替ブラウザエンジン普及への高い障壁

EUのDMAに基づき、Appleは2024年3月から代替ブラウザエンジンを利用するためのツール群を提供している。理論上は、EU圏内の開発者がWebKit以外のエンジンを搭載したブラウザをiOS向けにリリースすることが可能になった。GoogleやMozillaもそれぞれBlinkやGeckoをベースにしたiOS向けブラウザのプロトタイプを開発していることが報じられている。しかし、ツールの提供開始から2年以上が経過した現在においても、代替エンジンを採用した商用ブラウザは一つもリリースされていない。

この状況の背景には、Appleが依然として維持している高い技術的・ビジネス的な障壁が存在する。BrowserEngineKitには多くのバグが指摘されており、ブラウザベンダーにとってAppleの定めるコンプライアンスプロセスは過度に煩雑であるとみなされている。さらに重大なビジネス上の懸念として、代替エンジンを使用するブラウザは、既存のWebKitベースのアプリとは全く別の新規アプリとしてApp Storeに公開しなければならないという規定がある。例えば、MicrosoftがBlinkベースのEdgeをリリースする場合、現在のiOS向けEdgeを使用している数百万人のユーザー基盤を引き継ぐことができず、ゼロからユーザーを獲得し直す必要がある。

Open Web Advocacy(OWA)などの業界団体は、Appleのこれらの措置が意図的な参入障壁になっていると指摘している。OWAによれば、Appleがブラウザエンジンを制限することでモバイルWebの能力が抑え込まれ、企業やユーザーがApp Storeのルールに縛られたネイティブアプリに依存し続ける構造が維持されている。このような障壁がある限り、ベンチマークテストで優れた結果を出したBlinkベースのブラウザであっても、実際の製品として広くユーザーの手に届く道のりは険しい。

AD

規制当局の介入とモバイルエコシステムの行方

WebKitの独占に対する不満は、EUを皮切りに、世界的な規制の動きへと発展しつつある。米国での独占禁止法訴訟や英国の規制当局の文書でも、Appleのプラットフォーム支配力がもたらす問題が繰り返し指摘されてきた。過去の内部文書では、Appleの幹部がWeb技術の革新よりも「消費者にとって十分な機能」の提供にとどめる方針を示唆していたことが明らかになっており、技術革新を意図的に抑制してきたとの批判に説得力を与えている。近年では、イタリアの競争当局や日本の規制機関もAppleのモバイルOSにおける競争制限について調査を進めており、包囲網は着実に狭まっている。

DMAの枠組みの中でAppleが十分な競争環境を提供していないという批判に対し、欧州委員会がどのような追加措置を講じるかが今後の焦点となる。OWAのエグゼクティブディレクターであるAlex Moore氏は、Appleが2年以上経過しても実用的な解決策を提示していない現状を鑑み、欧州委員会は代替エンジンの導入を阻む障壁を撤廃するための具体的な手順をAppleに指示する仕様策定手続きを開始すべきだと主張している。

さらに、代替エンジンの解禁はProgressive Web Apps(PWA)の発展にも重大な影響を与える。Appleはこれまで、PWAがネイティブアプリの強力な競合となることを警戒し、iOS上のPWAに対してプッシュ通知の制限やバックグラウンド処理の制約など、意図的に機能を制限してきたとの指摘がある。Blinkベースのブラウザがシステムレベルの深い権限を持って動作するようになれば、PWAはネイティブアプリと遜色のない高度な機能と滑らかなUXを提供できるようになる。これは、特定のプラットフォームやApp Storeの審査に依存しない、オープンなWeb上でのソフトウェア配信モデルを強力に推進する原動力となる。

iOS上でのブラウザエンジン間の競争が真に実現すれば、Safariよりも高速なChromeやEdgeが利用可能になることで、モバイルWeb全体のアーキテクチャが根本から変容する可能性がある。高度なWebアプリケーションがネイティブアプリと同等のパフォーマンスで動作する環境が整えば、開発者のプラットフォームへの依存度は低下し、アプリの配布や収益化のモデルにも影響が及ぶ。このベンチマークのスコアは、長年にわたるプラットフォームの閉鎖性が奪ってきた技術的可能性の大きさを物語っている。