2026年6月5日、NASAは国際宇宙ステーション(ISS)に滞在する宇宙飛行士5人に対し、ISSに係留中のSpaceX Crew Dragonへ移動して待機するよう指示を出した。背景にあるのは、ロシアのZvezdaサービスモジュールと連結する移送トンネル「PrK」で、Roscosmosが空気漏れの修理作業に着手しようとしたことである。
ただし、この指示はISSからの退去(evacuation)を意味しない。NASAが命じたのは、修理の最中に状況が悪化する事態に備え、Crew Dragon内で「elevated safety posture」(安全姿勢)を取るよう求める予防的な措置だった。その後、Roscosmosが構造修理をいったん停止し、追加の測定とデータ評価に回ったため、NASAは対象クルーに対しDragonから出てISS内の通常運用へ戻るよう指示している。
つまり、今回の事象から読み取れるのは、ISSが即座に放棄されるような非常事態に入ったということではない。長年監視の対象となってきたPrKの漏れが、少なくとも当日の運用計画を変更せざるを得ない安全判断をNASAに促した、その一点である。なお、RoscosmosはISS内の気圧が通常の水準で安定していると説明しており、乗員や船内システムへの脅威は存在しないとの立場を取っている。
一時的にDragonへ入った5人
Dragon内へ一時的に移動したのは5人である。具体的には、NASAのSpaceX Crew-12としてISSに滞在中のJessica Meir氏、Jack Hathaway氏、ESAのSophie Adenot氏、RoscosmosのAndrey Fedyaev氏の4人に加え、Soyuz MS-28で2025年11月にISSへ到着したNASAのChris Williams氏が含まれる。NASAの公式ミッションページによれば、Crew-12は2026年2月13日に打ち上げられており、上記4人が構成員として記載されている。
一方、ロシア側でPrKの作業を担当したのは、同じくSoyuz MS-28でWilliams氏とともにISSへ到着したRoscosmosのSergey Kud-Sverchkov氏とSergei Mikaev氏とされる。BBCの報道によれば、この2人の退避手段として使われたのは別途係留中のSoyuz MS-28であり、NASA側の判断はISSの全乗員を一つの宇宙船に集約したものではない。帰還手段と作業位置を踏まえ、安全姿勢を分散して取る運用だったことがうかがえる。
NASAのCrew-12打ち上げ発表では、Crew-12到着後のISSを標準的な7人体制として整理しているため、本記事では、公式情報に従い、6月5日時点のISS滞在者を7人として記述を進める。
複数の報道で引用されたNASA報道官Bethany Stevens氏の投稿によれば、最初の指示が出されたのは米国東部時間の6月5日午前9時すぎとされる。その後、RoscosmosがPrK内の構造修理作業を一時停止し、追加の測定値とデータの評価に切り替えた。これを受け、NASAはDragon内で待機していた5人に対し、safe haven(安全な避難所)手順を終了して通常のISS運用へ戻るよう伝えた。SpaceNewsによれば、この退避姿勢が解除されるまで2時間弱だった。
問題はZvezda本体ではなく接続部PrK

空気が漏れているのはZvezdaの本体部ではなく、接続部に当たるPrKである。PrKはロシアのZvezdaサービスモジュールとドッキングポート側をつなぐ移送トンネルであり、BBCやSpaceNewsでは「transfer tunnel」や「vestibule」と表現されている。ISSのロシア区画内にあっても、主要な居住空間そのものではなく、Progress補給船がドッキングする領域に近い接続部に位置する。
PrKで漏れが起きると、単に空気を補充するだけでは済まない。ハッチを開放するか閉鎖するか、PrK内の圧力をどう設定するか、米国区画とロシア区画の間のハッチ運用をどうするかといった点が、ISS全体の作業計画に直結する。SpaceNewsによると、PrKは通常、Progress補給船へのアクセス時を除いてZvezda本体側とのハッチを閉じているという。NASAはPrKのハッチが開放される作業を行う際、米国側のクルーを米国区画側に待機させ、米露区画間のハッチを閉じる運用をこれまでも継続してきた。
NASA監察総監室(OIG)が2024年にまとめた報告書でも、ISSの緊急対応では火災、構造漏れ、ガス漏れなどが内部脅威として扱われており、より重大な脅威を隔離できない状況下では、ISSからの退避に備えて乗員をCrew DragonやSoyuzといった乗員輸送機へ移す手順が示されている。6月5日のDragon待機は、この枠組みに沿った予防的な「safe haven」対応と位置づけられる。
言葉の選び方によって誤解が生じやすい点にも触れておく。DragonはISSに係留されたままであり、NASAが正式に発表したのは「退避準備」あるいは「安全姿勢」の発動であって、実際にISSから離脱した事実はない点には注意が必要だ。
Roscosmosの説明と2カ所の漏れ候補
Roscosmosが6月5日に出した声明では、Zvezdaの移送室を加圧した際に、ISSロシア区画の主運用管制グループが漏れを検出したと説明されている。Reutersが伝えたRoscosmos声明によれば、確認された漏れ候補は2カ所。1カ所はすでに密封材で処置され、もう1カ所は移送室の円錐部にあり、封止に向けた準備が進められているという。
SpaceNewsも、RoscosmosのTelegram投稿を典拠として、宇宙飛行士がPrK内を調べた結果、2カ所の漏れ候補を特定したと報じている。1カ所にはシーラントが塗布され、もう1カ所は処置の準備中とのことだ。Roscosmosはこれと並行し、ISSの圧力は通常レベルで安定しており、ステーションおよび乗員への脅威は存在しないと説明している。
NASA側の発表から確認できるのは、Roscosmosが「より広範な修理作業」を進める方針であったこと、およびその後、構造修理をいったん停止して測定とデータ評価に回ったことである。The RegisterやBBCでは、修理方法や漏えい量についてReutersや関係者からの情報を交えた報道がされているが、これらはNASAやRoscosmosの一次的な公開説明とは情報の性質が異なる。本記事では、修理方法の詳細や漏えい量を断定の根拠とはしない。
一方で、修理が完全に完了したと言い切ることはできない。Roscosmosの説明でも残る1カ所は準備中とされており、NASAの続報における投稿内容も「修理作業が一時停止された」となっている。よって6月5日時点で書けるのは、「危機が解消した」ではなく、「当日予定されていた踏み込んだ修理作業が中止され、5人のsafe haven姿勢は解除された」までである。
長年のPrK問題は米露のリスク認識のずれでもある
PrKの空気漏れは新しい事象ではない。SpaceNewsによると、PrKの漏れは長年監視の対象となっており、2026年3月の米下院科学委員会公聴会ではNASAのJoel Montalbano氏が「現時点で漏れはない」と説明していたと報じられている。もっとも同記事によれば、ひび割れの根本原因は調査段階であり、NASAとRoscosmosの間で深刻度の認識が完全には一致していない状況が残っていたとされる。
NASAの国際宇宙ステーション諮問委員会の公開議事録にも、この構図が明記されている。2025年9月の資料では、NASAとRoscosmos双方がPrK漏れの調査結果について詳細を説明。そのうえで、両者はPrKのひび割れの深刻度と影響について完全な合意には至っておらず、技術チームが共通理解を得るまでは、PrKを低圧で運用する、PrKハッチ開放時はNode 1のaftハッチを閉じるなど、保守的な運用を維持すべきだとの見解が示されている。
同資料ではさらに、PrKの根本原因を特定するための米露の材料・構造専門家による協議、Germetallシーラントが修理後のひび割れに与える構造健全性への影響試験、PrKの材料状態や新たなひび割れを監視する能力の改善といった事項も勧告されている。PrKの問題は「穴を見つけて塞ぐ」作業にとどまらず、ひび割れが進行する要因、封止材が構造に与える影響、どの圧力で運用すれば総合リスクを抑えられるかといった点を、運用寿命の終盤に入りつつあるISSで継続的に判断していく課題である。
今回のsafe haven手順は、こうした未解決のリスク認識を前提として実施された。NASAが安全側に重心を置いた判断を行ったことと、Roscosmosが「乗員やシステムへの脅威はない」との見解を示したことは、必ずしも矛盾するものではない。前者は修理作業中に状況が悪化することを想定した運用上の備えであり、後者は作業停止後を含む船内の気圧や当面の安全性に関する評価を述べたものだからだ。
焦点は「即時退避」ではなく保守的運用の持続性
ISSは2030年までの運用継続を前提に計画されているが、Zvezdaは2000年に打ち上げられた古い構成要素であり、PrKの漏れはISS全体の老朽化リスクを象徴する問題として捉えられてきた。6月5日の事象は、ISSが直ちに使えなくなったという証拠ではない。むしろISSの運用終盤において、規模の小さな漏れ一つが作業計画や乗員配置、帰還船の待機手順にまで影響を及ぼし得る事実を、改めて示した。
OIGの報告書は、ISS内でより重大な脅威が隔離できない状況になった場合、乗員を輸送機へ移す必要が生じると説明する一方、緊急時に即座に打ち上げられる予備機を常時確保しておくことは現実的ではないとも指摘している。ISSの安全運用は、船内の隔離手順や、係留中のCrew Dragon・Soyuzの存在、国際パートナー間の連携体制によって成り立っている。
その意味では、6月5日の出来事を「DragonがISSの救命艇として機能した」という単純な図式に押し込めてしまうのは正確ではない。Dragonが安全姿勢を取る場として実際に使われたことは事実だが、ロシア側クルー用の帰還手段としてSoyuzが別途係留されており、ISS全体としてはリスクを分散して管理していた。乗員輸送機は有事の最終的な脱出手段であると同時に、修理作業中や圧力異常時の一時的な待機場所としても運用される、柔軟な役割を備えている。
今後確認すべき点ははっきりしている。Roscosmosが2カ所目の漏れを実際にどう封止するのか、その処置後にPrKの圧力がどう推移するのか、そしてNASAとRoscosmosがひび割れの原因と深刻度についてどこまで認識をすり合わせられるかだ。今回公表された情報だけから、ISSの早期退役や緊急帰還を断定する根拠は得られない。