伝説的なチップアーキテクト、Jim Keller氏が、自身が率いるAIスタートアップTenstorrentの次世代2nmプロセス半導体製造を巡り、半導体業界の巨人に揺さぶりをかけている。TSMC、Samsung、そして日本のRapidusとの協議を進めていることを公言する一方で、悲願の復活を目指すIntelに対しては「まだやるべきことが多い(a lot of work to do)」と、将来的な協力の可能性を示唆しつつも、極めて冷静かつ厳しい評価を下した。

この発言は、Intelのファウンドリ事業(IFS)が乗り越えるべき課題の深刻さを浮き彫りにすると同時に、AIチップ開発の最前線で繰り広げられる、新たなパートナー選定の地殻変動を明確に示している。Keller氏の一言が持つ重みとは何か。そしてTenstorrentの戦略は、半導体業界の未来をどう変えようとしているのだろうか。

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伝説の技術者Jim KellerがIntelに送った、重いメッセージ

今回の発言が業界に大きな波紋を広げている最大の理由は、その言葉の主がJim Keller氏であるからに他ならない。AMD、Apple、Intel、そしてTeslaと、シリコンバレーを代表する企業の核心でチップアーキテクチャを手掛け、そのいずれにおいても画期的な製品を生み出してきた経歴を持つ彼は、単なるエンジニアではなく、業界の方向性を左右する「アイコン」として認識されている。

「検討対象」だが「まだやるべきことが多い」発言の核心

Nikkei Asiaの独占インタビューで、Keller氏はTenstorrentの次世代製品に向けたファウンドリ戦略を明らかにした。 そこで彼は、最先端の2nm技術に関して「我々はTSMC、Rapidus、そしてSamsungと話をしている」と明言。 これに続き、Intelとの協力についても「検討する」と述べたが、その直後に「彼らが真に堅実な技術ロードマップを提示するには、まだやるべきことが多く残っている」という厳しい条件を付け加えた。

この発言は、二つの側面から読み解くことができる。一つは、Intelが長年の内製主義から脱却し、外部顧客に製造サービスを提供するファウンドリとして、ようやく世界のトッププレイヤーたちの検討のテーブルに乗り始めたというポジティブな側面だ。Keller氏のような影響力のある人物がIntelを公に「検討対象」としたこと自体が、Intelのファウンドリ事業にとって一つの前進であることは間違いない。

しかし、もう一つの側面はより深刻である。Keller氏が指摘した「堅実な技術ロードマップ」という言葉は、Intelが掲げる野心的なプロセス微細化計画(5年間で4つのプロセスノードを立ち上げる「5N4Y」戦略など)の確実性や、顧客に対する実行力と透明性について、いまだ業界のトップレベルからの全幅の信頼を得られていない現実を突きつけている。ファウンドリビジネスは、単に最先端の技術を持つだけでは成り立たない。顧客との緊密な連携、設計ツールの提供、そして何よりも約束したスケジュールと性能を確実に提供する「信頼」がその根幹をなす。ケラー氏の言葉は、Intelがこの「信頼」という最後のピースをまだ埋められていないことへの、的確な指摘と言えるだろう。

なぜKeller氏の発言は業界を動かすのか?

Keller氏の言葉に重みがあるのは、彼の実績がそれを裏付けているからだ。

  • AMD時代: K8アーキテクチャ(Athlon 64など)でIntelの牙城を崩し、近年のZenアーキテクチャ(Ryzen、EPYC)の基礎を築き、同社をCPU市場の主要プレイヤーへと復活させた。
  • Apple時代: iPhoneに搭載されるA4、A5プロセッサの開発を主導し、今日のApple Siliconの圧倒的な競争力の源流を作った。
  • Tesla時代: 自動運転用AIチップの開発を率い、同社の技術的優位性を確立した。

彼は常に、既存の枠組みを破壊し、新たな価値を創造する「ゲームチェンジャー」であり続けてきた。そのような人物がファウンドリを選ぶ際の基準は、単なる技術仕様の優劣ではない。そのファウンドリが、自社の野心的な製品ビジョンを実現するための真のパートナーとなり得るか、という戦略的な視点に基づいている。だからこそ、彼のIntelへの評価は、業界全体がIntelのファウンドリ事業(IFS)に向ける期待と不安を代弁しているのである。

Tenstorrentが描く「ポストNVIDIA」時代のAIチップ戦略

Jim Keller氏がCEOを務めるTenstorrentは、2016年に設立されたAIチップのスタートアップである。 同社は、現在のAI市場を席巻するNVIDIAとは一線を画す、独自の戦略で牙城を崩そうとしている。

NVIDIAとは異なるアプローチ:低コストと効率性の追求

NVIDIAが巨大なデータセンター向けに、極めて高価で電力消費の大きいハイエンドGPUを提供することに注力しているのに対し、Tenstorrentは「AIをより手頃な価格で、より多くの人々が利用できるようにする」というビジョンを掲げている。 Keller氏は、AIコンピューティングへの需要は「無限」であるとしながらも、現在の課題は供給とコストにあると指摘。 コストを下げ、供給を増やすことで、巨大なクラウド事業者だけでなく、中小企業や個人開発者といった「ロングテール」の顧客層を取り込むことを目指している。

この戦略は、同社の製品開発にも反映されている。現行の「Blackhole」AIアクセラレータはTSMCの6nmプロセスで、次世代の「Quasar」チップはSamsungの4nmプロセスで製造されるなど、常に最先端を追い求めるのではなく、コストと性能のバランスを重視した選択を行っている。

オープンなRISC-Vアーキテクチャ採用の戦略的意味

Tenstorrentのもう一つの大きな特徴は、オープンソースの命令セットアーキテクチャである「RISC-V」を全面的に採用していることだ。現在の半導体業界は、PCではIntelのx86、スマートフォンではArm、そしてAI学習ではNvidiaのCUDAアーキテクチャがそれぞれデファクトスタンダードとなっている。これらは特定の企業がライセンスを管理しており、利用には制約やコストが伴う。

対してRISC-Vは、誰でも自由に利用・改変できるため、設計の自由度が高く、特定の企業への依存を避けることができる。Keller氏はこのオープンなエコシステムを推進しており、NVIDIAのような垂直統合モデルとは対極の、水平分業型の新たなエコシステムを構築しようとしている。これは、より多くのプレイヤーがAIチップ開発に参入することを促し、市場全体の革新とコスト低下に繋がる可能性がある。

マルチファウンドリ戦略とチップレット技術のシナジー

TSMC、Samsung、Rapidus、そして将来的にはIntelと、複数のファウンドリと同時に交渉を進めるTenstorrentの戦略は、「チップレット」技術の進化によって可能になった。チップレットとは、異なる機能を持つ小さな半導体チップ(チップレット)を個別に製造し、それらを一つのパッケージ上で高度に接続する技術である。

この技術により、全ての機能を一つの巨大なチップ(モノリシックチップ)に集積する必要がなくなる。例えば、最先端の演算コアはTSMCの2nmで、比較的成熟した技術で製造できるI/O部分はSamsungの4nmで、といったように、機能ごとに最適なファウンドリとプロセスを使い分けることが可能になるのだ。Keller氏がインタビューで「チップレット技術のおかげで、複数の製造パートナーと協力することが可能になる」と述べている通り、この技術がTenstorrentの柔軟なマルチファウンドリ戦略を支える屋台骨となっている。

この戦略は、特定の一社に依存するサプライチェーンのリスクを分散させると同時に、各ファウンドリを競争させることで、コスト交渉を有利に進める狙いもあると考えられる。

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2nm製造レースの最前線:選ばれるファウンドリの条件

Keller氏が次世代チップの製造委託先として名を挙げた企業は、現在の半導体製造の最前線を走るプレイヤーたちだ。Tenstorrentの選択は、そのまま各社の現在地を映し出す鏡となる。

TSMCとSamsung:揺るぎない王者の実力

TSMCは言わずと知れた世界最大のファウンドリであり、Samsungもそれに次ぐ地位を確立している。両社ともに2nmプロセスの開発で激しい競争を繰り広げており、最先端のAIチップを手掛けるTenstorrentにとって、この2社が主要な選択肢となるのは当然の流れだ。TenstorrentがすでにTSMCの6nmとSamsungの4nmで製品を製造している実績は、これらの企業との間に強固な協力関係が築かれていることを示唆している。

日本の国家プロジェクト「Rapidus」への期待と現実

Tenstorrentが日本のRapidusと初期段階から協力関係にあることは、特に注目に値する。Rapidusは、日本の主要企業8社の出資と政府の強力な支援を受けて設立された、次世代半導体の国産化を目指す国家プロジェクトである。2027年の2nmプロセス量産開始という極めて野心的な目標を掲げている。

Keller氏はRapidusの計画を「非常にアグレッシブ」と評価しており、すでにRapidusから複数の物理設計キット(PDK)を受け取り、詳細なフィードバックを返しているという。 このような先進的な顧客からのフィードバックは、量産ラインを完成させる上で不可欠であり、TenstorrentはRapidusの技術開発において極めて重要な役割を担っていると言える。ただし、Keller氏は実際のチップ生産がいつ開始されるかについては明言を避けており、期待と同時に、その計画の実現性については慎重に見極めている姿勢も伺える。

Intel(IFS)が乗り越えるべき「信頼」の壁

そして、Intelである。前CEOのPat Gelsinger氏の下、ファウンドリ事業への本格的な再参入を掲げ、巨額の投資を行った。当初の技術ロードマップではTSMCやSamsungを凌駕する計画を発表し、18A(1.8nm相当)プロセスの前倒しなど、意欲的な姿勢を見せていたが、実際の歩留まりなどは不透明なままだ。

Keller氏の言葉は、その野心的な計画が、まだ外部の顧客から「堅実な(solid)」ものとして受け入れられていない現実を物語っている。長年、自社製品の製造を最優先してきたIntelが、真に顧客第一のサービスを提供できるのか。設計と製造が密接に連携していた従来のビジネスモデルから、外部の多様な顧客の設計に対応できるオープンなファウンドリへと、企業文化そのものを変革できるのか。Intelが乗り越えるべきは、技術的なハードル以上に、この「信頼」という見えない壁なのである。

Keller氏の言葉が暴くIntelファウンドリの課題

「堅実な技術ロードマップを提示するには、まだやるべきことが多い」というKeller氏の言葉。この短いフレーズには、Intelが抱える構造的な課題が集約されている。

  1. ロードマップの実行可能性への疑問: Intelは「5N4Y」に代表されるように、非常に攻撃的なロードマップを掲げている。しかし過去には10nmプロセスの立ち上げで数年にわたる大幅な遅延を経験しており、業界にはその実行能力に対する根強い不信感が存在する。Keller氏が求めているのは、単なる目標ではなく、マイルストーンごとに確実に達成される、裏付けのある計画なのである。
  2. 顧客との対話とサポート体制: 「堅実なロードマップ」とは、単に技術仕様を示すだけではない。顧客がそのプロセスを使って実際にチップを設計・製造するために必要な設計ツール(PDK)、IP(設計資産)、そして技術サポート体制の全てが含まれる。ファウンドリビジネスの経験が浅いIntelが、TSMCやSamsungのように、顧客に寄り添った手厚いエコシステムを構築できているのか。Keller氏の発言は、この点における未熟さを暗に指摘している可能性がある。
  3. 内製優先からの完全な脱却: Intelの製造ラインは今なお自社のCPU製品で大部分が占められている。ファウンドリの顧客からすれば、「最先端の製造ラインは、結局Intelの自社製品が優先されるのではないか」という懸念が常に付きまとう。この懸念を払拭し、すべての顧客を平等に扱うという明確なコミットメントと実績を示さない限り、真の信頼を勝ち取ることは難しい。

Keller氏とTenstorrentは、Intelにとって理想的な試金石だ。最先端の技術を求め、かつ特定の企業系列に属さない中立的なプレイヤーである。もしIntelがTenstorrentを顧客として迎えることができれば、それはIntelが真のファウンドリへと生まれ変わったことを業界に示す、何よりの証拠となるだろう。

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Intel復活の鍵は、一人の伝説が投じた「問い」の中にある

Jim Keller氏率いるTenstorrentの動向は、単なる一企業のファウンドリ選定に留まらない。それは、AIチップの新たな潮流、オープンなRISC-Vエコシステムの拡大、そして半導体製造における地政学的なパワーバランスの変化を映し出す縮図である。

同社がTSMC、Samsung、Rapidus、そしてIntelという多様なプレイヤーと手を組もうとしている事実は、もはや特定の地域や一企業がサプライチェーンを独占する時代が終わりつつあることを示唆している。

その中で、Keller氏がIntelに投げかけた「まだやるべきことが多い」という言葉は、極めて重い意味を持つ。それは単なる批判ではなく、復活を目指す巨人に対する、業界を代表しての「問い」である。Intelはこの問いに、言葉ではなく、実績で答えることができるのか。Tenstorrentの次世代チップがどのファウンドリの製造ラインから生まれるのか。その選択が、今後の半導体業界の勢力図を大きく塗り替えることになるだろう。


Sources