世界の半導体産業が3ナノメートル、あるいはその先へと極微の領域を突き進み、TSMCやNVIDIA、Appleといった巨星たちが物理法則の限界を巡って覇権を争っている。しかし、そうした熱狂的なイノベーションの喧騒から隔絶された場所で、全く異なるベクトルでのサバイバルが静かに、そして着実に進行している。米国主導の厳格な輸出規制という見えない壁によって、極端紫外線(EUV)露光装置をはじめとする最先端の製造インフラから切り離された中国市場である。

長らく、中国のファブレスチップメーカーが発表する国産プロセッサは「西側諸国の数世代遅れ」という冷笑的な評価を免れなかった。最先端プロセスを使わずに、いかにして現代の高度な要求に耐えうるコンピューティング環境を構築するのか。その困難な問いに対する答えが、静かに臨界点に達しようとしている。

中国の有力ファブレスメーカーであるLoongson Technology(龍芯中科、以下Loongson)の胡偉武(Hu Weiwu)会長兼ゼネラルマネージャーは、2025年度および2026年第1四半期の決算説明会において、同社が推進する次世代デスクトップ向けCPU「3B6600」と、独自設計のディスクリートGPU「9A1000」の劇的な進捗を明らかにした。これらは現在エンジニアリングサンプルのテスト段階や流片(テープアウト:設計完了と製造工程への引き渡し)を終え、2027年の一般市場投入が予定されている。

真に刮目すべきは、最先端の微細化技術という「強力な武器」を奪われた彼らが、Intelの第12世代Coreプロセッサ(Alder Lake)やAMDのRadeon RX 550に肉薄する性能を、成熟しきった「12nm」というプロセスの縛りの中で叩き出そうとしている事実である。制裁の網の目を潜り抜け、完全なるシリコンの自給自足を目指す彼らのアーキテクチャは、どのような技術的飛躍を遂げたのか。その深層と、世界のサプライチェーンに及ぼす地政学的な波紋を紐解いていく。

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制裁の壁を迂回する設計の妙。「12nmの限界」を破るアーキテクチャ

シリコンの性能向上において、最も直接的で暴力的なアプローチは「微細化」である。プロセスノードと呼ばれる回路線幅を細くすればするほど、同じ面積のシリコンチップに多くのトランジスタ(電子のスイッチ)を敷き詰めることができ、電子の移動距離も短くなるため、処理速度の向上と消費電力の削減が同時に達成される。このプロセスノードを道路の幅に例えるなら、最先端の3nmプロセスは超高密度の多層立体高速道路だ。

しかし、米国による技術規制により、現在の中国は7nm以下の微細加工に不可欠なEUV露光装置をASMLから調達することができない。深紫外線(DUV)露光装置を用いたマルチパターニング技術で強引に微細化を進める手法もあるが、製造コストが跳ね上がり、歩留まり(良品率)が極端に悪化するという致命的なトレードオフを抱えている。

そこでLoongsonが選択したのが、歩留まりが高く安定して大量生産が可能な、完全に自給自足できる成熟プロセス「12nm」への徹底的な最適化である。枯れた製造ラインを活用することは、圧倒的なコスト競争力を確保できることを意味する。道路の幅をこれ以上広げられない(微細化できない)のであれば、そこを走る車(データ)の交通整理を極限まで賢くし、エンジンの燃焼効率を最大化するしかない。これを半導体工学では「IPC(Instructions Per Clock:クロックあたりの命令実行数)」の向上と呼ぶ。プロセッサの動作周波数(クロック)をエンジンの回転数とするなら、IPCは1回の爆発で進む「ストライドの長さ」だ。

今回発表された「3B6600」CPUは、自社開発のLoongArch命令セットアーキテクチャをベースとし、最新の「LA864」実行コアを8基搭載している。Loongsonの内部テストによれば、この新アーキテクチャは前世代の「3A6000(LA664コア)」と比較して、同じ動作クロックで約30%ものIPC向上を達成したという。

最大動作クロックはベース2.5GHz、ブースト時で3.0GHzと、西側の最新チップが5GHz超えを連発する現代の基準から見れば控えめな数値に映るかもしれない。しかし、高いIPCによってその低クロックを補い、業界標準のベンチマークである「SPEC CINT2006」のシングルコアテストにおいて60〜80ポイントというスコアを叩き出した。

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スペック / モデル Loongson 3A6000 (前世代) Loongson 3B6600 (次世代) Intel Core i5-12400 (参考比較)
コア/スレッド数 4コア / 8スレッド 8コア / 16スレッド 6コア / 12スレッド
最大クロック 2.5 GHz 3.0 GHz 4.4 GHz
アーキテクチャ LA664 LA864 Golden Cove (P-Core)
対応メモリ DDR4-3200 DDR5 DDR4/DDR5
推定性能層 Intel 第10世代相当 Intel 第12世代相当 -

Intelの第12世代(Alder Lake)は2021年にリリースされたアーキテクチャである。ハイエンドゲーマーやAIエンジニアの目には数世代前の遺物のように映るかもしれない。しかし、世界中の企業で稼働している何千万台ものオフィスPCや、政府機関のデータベース処理、教育現場の端末において、第12世代Coreの処理能力は現在でも十分すぎるほどの実用性を備えている。中国全土の官公庁や国営企業から西側製プロセッサを完全に排除し、国産チップへと置き換える「信創(情報技術アプリケーション・イノベーション)」プロジェクトを遂行する上で、3B6600の到達点は完璧な基準を満たしている。

「RX 550相当」が示す現実的脅威。インフラを掌握する9A1000 GPU

CPUの躍進と並行して、Loongsonはグラフィックス領域でも独自の布石を打っている。決算説明会で胡偉武氏が「2025年9月にすでにテープアウトを完了し、間もなく実シリコンが到着する」と明言したのが、自社開発のディスクリートGPU「9A1000」である。

この9A1000について、同社は「AMDのRadeon RX 550と同等の描画性能を持つ」と公言している。Radeon RX 550といえば、2017年に発売されたエントリークラスのグラフィックスカードである。熱狂的なPC自作愛好家からすれば、なぜ今さら2017年レベルのGPUを2027年の市場に投入するのかと首を傾げるだろう。

しかし、Loongsonの照準は全く別の地平を向いている。彼らの目的は、サイバーパンクなAAAタイトルを4K解像度で描写することではない。数え切れないほどの国内PCに最低限のディスプレイ出力と、グラフィカル・ユーザー・インターフェースの描画、そして近年急増するエッジAI処理を「完全な国産シリコン」で提供することにある。

前世代のグラフィックスソリューションである「2K3000」と比較して、9A1000はクロック周波数で25%の高速化を果たしつつ、シリコンのコア面積を20%縮小。さらに低負荷時の消費電力を70%も削減することに成功している。全体的なパフォーマンスは実に5倍の跳躍を見せた。

特筆すべきは、このエントリー級GPUが最大40 TOPS(Tera Operations Per Second:1秒間に1兆回の演算能力)のAIアクセラレーション性能を内包している点だ。TOPSとは、AIの推論タスク(音声認識、画像処理、軽量な自然言語モデルの実行など)における「荷物の仕分け能力」を示す指標である。最新のWindows 11における「Copilot+ PC」の最低要件が40 TOPSであることを踏まえれば、9A1000が単なる画面出力用チップではなく、将来のローカルAI処理を見据えた戦略的なエッジデバイスであることが分かる。さらにLoongsonは、このGPU向けにWindows互換ドライバの開発を明言しており、既存のソフトウェア資産とのブリッジ構築にも抜かりはない。

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メモリからOSまで。世界を分断する「完全デカップリング」の野望

Loongsonの野望は、単発のプロセッサ設計には留まらない。胡偉武氏の説明から浮かび上がってきたのは、コンピューティングを構成するすべてのレイヤーを自前の技術で掌握しようとする、壮大な「完全デカップリング(分離)」のロードマップである。

現在、彼らは高性能化を目指す次期GPU「9A2000」の設計を既に開始している。さらにその先を見据えた「9A3000」では、ついに10nm未満(サブ10nm)のプロセスノードへの移行を計画しているという。サブ10nmへの移行には、メモリインターフェースやPCIeインターフェースなどの独自PHY(物理層)の膨大なカスタマイズが必要となり、長期間の困難な開発が予想される。

彼らはその困難なボトルネックを解消するための次の一手もすでに打っている。今回の決算説明会において、Loongsonが国内のメーカーと提携し、AI時代の生命線とも言えるHBM(High Bandwidth Memory:広帯域メモリ)チップ向けのロジックシリコンウェハーの共同開発に着手したことが明かされた。NVIDIAの最先端AIアクセラレータがその圧倒的な性能を発揮できるのは、SK hynixやSamsungが供給するHBMの超高速なデータ転送能力があるからこそである。中国が真のAIインフラを自給自足するためには、プロセッサだけでなくこの広帯域メモリの独自開発が避けて通れない。密輸や迂回ルートに頼らず、自前のサプライチェーンだけで生成AIを運用する基盤を作るという、極めて強固な岩盤への挑戦である。

さらに注視すべきは、ソフトウェア・エコシステムへの侵攻である。Loongsonは現在、自社のLoongArchアーキテクチャ上でオープンソース版のHarmonyOS(ファーウェイが開発した独自OS)やAndroidをネイティブ動作させるための適応プロジェクトを強力に推進している。

この動きが意味する巨大な波及効果は、単なる公的機関におけるオフィスPCの置き換えにとどまらない。現在、中国が世界をリードするEV(電気自動車)市場において、車載インフォテインメントシステムや自動運転制御の心臓部は、QualcommのSnapdragonなどARMベースのSoCが支配している。しかし、LoongArchベースのチップがAndroidやHarmonyOSのエコシステムに完全に統合されれば、自動車の頭脳、さらには無数のIoTデバイスやスマートシティ・インフラに至るまで、西側の命令セットアーキテクチャを完全に排除することが可能になる。これはQualcommやMediaTekといった既存のモバイルSoCベンダーにとって、巨大な中国市場の根底からの喪失を意味する。

Appleが独自のApple SiliconとmacOS/iOSで構築したような垂直統合エコシステムを、一企業ではなく「国家規模のインフラ」として構築しようとする試みがそこにある。最新のゲームフレームレートや、理論値のベンチマークスコアだけを追う視点からは、Loongsonの2027年の製品群は数世代前のレプリカに見えるかもしれない。しかし、サプライチェーンの地政学というマクロな視座に立てば、その評価は一変する。西側の最先端製造ツールを剥奪されながらも、設計の洗練と成熟プロセスの極限利用によって実用性能を確保し、メモリからOSに至るまでの全領域で自立への足場を固めつつある。

3B6600と9A1000の登場が意味するのは、西側エコシステムからの不可逆的な離脱と、強固な防壁に守られた新しい「シリコン大陸」の誕生である。半導体市場の分断は、いよいよ引き返すことのできない新たなフェーズへと突入した。