GaN半導体を巡る特許訴訟のニュースが立て続けに流れると、誰が誰を訴えているのか整理しきれなくなる読者は多いはずだ。Navitas Semiconductorは2026年8月10日、ルネサス エレクトロニクスを相手取り米テキサス州東部地区連邦地裁に特許侵害訴訟を提起した。これは同年7月22日にルネサスが起こした企業秘密訴訟への対抗策だが、対立にはもう1社が絡んでいる。ルネサスはNavitasを別途提訴したWolfspeedの株式を最大39.9%まで保有できる契約を結んでおり、転換社債分を含めた実質的な保有比率はすでにこの上限に達している。3件の訴訟をつなぐ糸は、ルネサスが握るこのWolfspeed株式1本にある。
8月10日の対抗提訴、狙われたのはSuperGaN製品群と特許4件
Navitasは2026年8月10日、米テキサス州東部地区連邦地裁にルネサスを提訴する訴状を提出した。訴状はルネサスのSuperGaN製品群が米国特許4件を侵害していると主張する。対象特許は米国特許9,929,079号、11,545,838号、11,770,010号、11,862,996号の4件で、いずれもGaNパワー半導体の設計に関わる技術とされる。対象となった4件はいずれも実用特許(utility patent)にあたり、GaNデバイスの構造や製造方法といった技術的な仕組みそのものを保護対象とする点で、侵害の有無は製品の内部設計に踏み込んだ技術的な立証を必要とする。訴訟の標的として名指しされたSuperGaNは、ルネサスが2024年6月20日に買収を完了したTransphorm由来の製品ラインだ。
この提訴でNavitasが動いたのは、7月22日にルネサスから起こされた企業秘密訴訟からおよそ3週間後だった。応酬までの期間の短さは、Navitasが特許による反撃をあらかじめ準備していたことをうかがわせる。SuperGaN製品群という主力ラインを名指しした選択は、ルネサスのパワー半導体事業に直接触れる内容であり、今回の対抗提訴は感情的な応酬というより、法廷における特許ポジションの正式な主張という性格が強い。特許侵害訴訟では、原告が損害賠償に加えて差止め請求を求めるのが一般的な型であり、SuperGaN製品群という主力ラインを名指しした以上、ルネサスの当該事業に対する損害賠償と対象製品の販売差止めの双方が争点になり得る。
発端は7月22日、企業秘密持ち出しを訴えたルネサス
対抗提訴の発端は、ルネサスが2026年7月22日に米北カリフォルニア地区連邦地裁へ提出した訴状だった。ケース番号5:26-cv-07573のこの訴訟でルネサスは、Navitas本体に加えて同社CEOのChristopher Allexandre氏、元ルネサス幹部のFelicia Cheng氏を被告に名指しし、企業秘密の不正取得と契約違反を主張している。訴状は、次世代GaNチップの製品仕様や技術ロードマップ、市場投入時期に関する機密資料が持ち出されたと主張する内容だ。
Allexandre氏は2025年6月30日付でルネサスのパワー部門上級副社長兼事業本部長を退任し、同年9月1日付でNavitasの社長兼CEOに就任した人物で、Cheng氏も同時期にルネサスからNavitasへ移籍したと報じられている。パワー半導体事業の中核を担っていた幹部2人が相次いで競合へ転じ、その後に次世代製品の機密情報漏えいを主張する訴訟が起きた、という時系列がルネサスの主張の骨格になっている。ルネサスにとってこの訴訟は、情報漏えいへの対処であると同時に、パワー半導体事業の技術的な優位性を守る狙いも込められているとみられる。
ルネサスは今回のNavitas提訴について、公式コメントを出していない。Wolfspeedとの株式関係が指摘される中でルネサスが沈黙を守っている点は、同社が3件の訴訟をどこまで一体的な戦略として捉えているのかを外部から判断しづらくしている。
隠れた第三の当事者、ルネサスはWolfspeed株の4割弱を握る
この対立には、Navitasとルネサスに加えてもう1社が絡む。Wolfspeedは2026年7月7日、米デラウェア地区連邦地裁にNavitasを特許侵害で提訴した。対象特許は5件で、NavitasのGaNFast、GaNSlim、GaNSafeに加え、シリコンカーバイド製品のGeneSiCとSiCPAKも含まれる。Navitasは翌7月8日、この訴えを「根拠のない侵害の主張」として退け、製品を「断固として防御する」との声明を出した。3社が絡む2件の訴訟は一見別々の事件に見えるが、両者をつなぐ糸がある。
Wolfspeedが名指ししたのは、Navitasの主力製品ラインのほぼ全体だった。GaNFast、GaNSlim、GaNSafeはNavitasのGaN電源IC群であり、GeneSiCとSiCPAKはシリコンカーバイド製品群だ。両分野を同時に訴えられたことは、Navitasの製品ポートフォリオの大部分が係争の対象になっていることを意味する。Wolfspeed単独の請求内容がどう決着するかは、ルネサスとの株式関係を通じてNavitas全体の経営リソース配分にも波及しうる。
ルネサスはWolfspeedの経営破綻(Chapter 11、米連邦破産法11章に基づく再建手続き)に伴う裁判所主導の再建計画に参加し、2025年9月29日付の投資家権利・処分契約でWolfspeed株式を最大39.9%まで保有できる権利を取得した。対米外国投資委員会(CFIUS)の承認を経て2026年1月29日付で普通株式1685万2372株が発行され、これはWolfspeed発行済み株式の約32.4%にあたる。ここに転換社債の転換分189万3483株を加えたbeneficial ownership(実質保有株式数)ベースでは、ルネサスの保有比率は契約上の上限である39.9%に達している。ルネサスは取引先の域を超えてWolfspeedの大株主に近い立場にある。つまりNavitasを訴えたWolfspeedの背後には、Navitas自身から訴えられているルネサスが大株主として控えている構図になる。
この構図を最も明確に指摘したのは、当のNavitas CEO Allexandre氏だった。同氏はNavitasがウェハー調達先をWolfspeedから切り替えて以降、Wolfspeedが元従業員を提訴するなど対立が続いていた経緯に触れた上で、Wolfspeedの特許訴訟を「訴訟を通じた嫌がらせと威嚇のキャンペーン」と表現し、ルネサスが握るWolfspeed株を挙げて両社の訴訟の関連性を示唆した。ただしこれはAllexandre氏個人の見解であり、ルネサスとWolfspeedが訴訟で連携している事実が立証されているわけではない。ルネサス、Wolfspeedともに提訴の意図についてNavitasとの協調を公式には説明していない。
利害関係を整理すると、恩恵を受ける立場に近いのはWolfspeedとルネサスだ。Wolfspeedは自らの特許訴訟に加えて、大株主ルネサスの対Navitas訴訟という間接的な援護も得られる。ルネサスは人材流出への牽制と特許ポジションの防衛という2つの目的を同時に追える。一方でNavitasは、現金及び現金同等物を6月末時点で5億5740万ドル抱えるものの、テキサス州東部地区・北カリフォルニア地区・デラウェア地区という3つの連邦司法地区にまたがる3件の訴訟に同時対応する負担を負う。四半期売上1050万ドルの企業が3件の訴訟を同時に抱えることは、収益に対する負荷という点でもルネサスやWolfspeedとは比較にならない重みを持つ。
SuperGaNはTransphorm由来、特許紛争は「買収した技術」の起源に及ぶ
ルネサスのGaNパワー半導体技術SuperGaNは、2024年6月20日に買収を完了したTransphorm由来の技術を核にしている。Navitasが今回の訴訟で名指ししたのは、その買収によって獲得した資産を土台にする製品ラインだ。
特許侵害の判断は、出願の先後ではなく、被疑製品が有効な特許のクレーム(権利範囲を定める請求項)に該当するかどうかで決まる。出願日の先後が争点になるのは、特許自体の有効性、つまり新規性や進歩性を欠くとして無効を主張する場面であり、侵害の有無とは別の法的論点だ。ルネサスが買収によって獲得したTransphormの技術基盤の上にSuperGaN製品を構築していたとしても、その事実自体はNavitasの特許クレームへの抵触を免れる根拠にはならない。買収前から存在する技術資産の上に構築された製品が、買収後に第三者の特許クレームに該当すると判断されるかどうかは、今回の訴訟が法廷で扱う中心的な論点の一つになるとみられる。
Infineon対Innoscienceが示す先例、GaN特許紛争は暫定的な販売差止めに至りうる
GaN特許を巡る訴訟が実際にどこまで行き着くかについては、参照できる直近の先例がある。中国の蘇州中級人民法院は2026年5月、InfineonがInnoscienceの中核GaN特許2件を侵害しているとして、該当製品の販売・輸入の即時停止を命じる行為保全命令(仮の差止め)を発令し、1000万人民元(米ドル換算で約140万ドル)の賠償額も示されたと報じられている。中国最高人民法院は2026年6月、この行為保全命令を維持する決定を下し、Infineonは中国国内における該当GaN製品の販売を実際に差し止められた。Innoscienceはこれを「最終勝利」と発表したが、Infineon側は最高人民法院の決定が予備的な差止めに関するものであり、侵害・賠償の当否を判断する本案訴訟は継続中だと反論しており、事案が完全に確定したかどうかについては両社の見解が分かれる。
この経緯が示すのは、GaN特許訴訟が和解や姿勢表明で終わらず、少なくとも暫定的な販売差止めという事業に直結する結果まで進み得るという事実だ。Infineonは世界的なパワー半導体大手であり、Innoscienceは中国のGaN専業メーカーという非対称な力関係だったが、それでも差止めは大手企業側の販売停止という形で実際に維持された。Navitas、ルネサス、Wolfspeedの3社が争う今回の訴訟も、規模の大小にかかわらず同様の帰結に至る可能性を排除できない。
Infineon対Innoscienceの構図と今回の3社間訴訟には、共通点と相違点がある。共通点は、いずれも異なる法域にまたがるGaN大手同士の特許係争である点だ。相違点は、Infineon対Innoscienceが2社間の対立だったのに対し、Navitas対ルネサス対Wolfspeedは株式保有という資本関係が絡む三者構造である点であり、判決が出た場合の余波がより複雑になりうる。
売上246倍の非対称、AIデータセンター電源が生む火種
AIデータセンターは給電方式を800Vの直流アーキテクチャへ移行させつつあり、GaNパワー半導体はシリコンIGBT(絶縁ゲートバイポーラトランジスタ)比で約10倍のスイッチング周波数、約30%低いエネルギー消費を持つという指摘がある。この需要拡大を根拠に、GaNを含むAI向けパワー半導体市場全体は、2028年までのAIデータセンター容量拡大80GWと半導体含有率1kWあたり約250ドルという上振れシナリオの想定で200億ドル規模に達しうるとの試算もある(基本シナリオでは約160億ドル)。この試算はAI向けパワー半導体市場全体を対象としたものであり、GaNに限った数値ではない点に留意が必要だ。この訴訟合戦は、この成長市場の争奪戦とタイミングが重なる。
GaNトランジスタがシリコンより高速にスイッチできるのは、電子の移動度が高く、オン抵抗を保ったまま動作周波数を上げられるためだ。スイッチング周波数を上げられれば、電力変換に使うコイルやコンデンサといった受動部品を小型化でき、電源回路全体の体積と発熱を抑えられる。AIデータセンターのように大量のGPUへ高密度に電力を送る用途では、この小型化と低発熱の効果がラック当たりの搭載密度に直結するため、GaNへの置き換えが進みやすい。従来シリコンIGBTが主流だった産業機器や電気自動車の急速充電器でも、同様の理由からGaNとシリコンカーバイドへの置き換えが徐々に進んでいる。
この成長市場を巡る争いだが、当事者2社の体力差は際立つ。Navitasの2026年4-6月期売上は1050万ドルで前四半期比22%増、高出力市場は前年同期比50%超伸びた。GAAP基準の純損失は2億2820万ドルで、このうち2億310万ドルを評価替え費用が占める。
これとは別の算出方法による非GAAP基準の純損失は930万ドルであり、GAAPと非GAAPは調整項目の範囲が異なるため単純な差し引きでは一致しない。財務指標として引用する際は、この2つを混同せず区別して扱う。現金及び現金同等物は6月末時点で5億5740万ドルと、2025年末の2億3690万ドルから積み増した。
一方のルネサスの同四半期売上は非GAAP基準で4053億円(前年同期比24.8%増)、非GAAP営業利益率は32.7%に達した(IFRS基準では売上4184億円・営業利益率24.4%)。1ドル=157円で換算すると非GAAP売上は約25.8億ドルとなり、Navitasの四半期売上1050万ドルの約246倍に相当する。訴訟にかかる費用も体力差の範囲内で吸収できる規模であり、この非対称性がNavitasにとって3件の訴訟へ同時対応する重荷を増幅させている。
ルネサスは今回の提訴についても公式コメントを避けているが、訴訟が進めばSuperGaN製品群の技術的な仕組みとNavitasが主張する特許クレームの範囲を法廷が照らし合わせる審理が始まり、両社のどちらの主張が妥当かが徐々に明らかになっていく。Navitas対ルネサスとWolfspeed対Navitas、どちらかの訴訟で先に和解や暫定的な判断が出れば、もう一方の交渉環境にも波及する可能性が高く、ルネサスが保有するWolfspeed株の扱いはその連動を測る手がかりになる。Transphorm由来の日本拠点を抱えるルネサスのパワー半導体事業にとって、今回の対立の決着は事業体制そのものを左右する重みを持つ。
