NTTと東京大学発スタートアップOptQCは、次世代計算機「光量子コンピュータ」の実用化に向けた連携協定を締結した。NTTが誇る光通信技術とOptQCの量子開発技術を融合し、2030年までに世界トップレベルとなる100万量子ビットの実現を目指す。常温・常圧で動作し、圧倒的な省電力性を誇る「光」方式は、量子コンピューティングの勢力図を塗り替える可能性を秘めている。
「光」が拓く量子計算の新時代、2030年100万量子ビットへの挑戦
2025年11月18日、NTTとOptQCは、量子コンピューティング分野における日本の技術的優位性を確立しうる重要な提携を発表した。両社は、スケーラブル(拡張可能)で信頼性の高い光量子コンピュータを共同で開発し、2030年までに100万量子ビット規模のマシンを実現するという野心的な目標を掲げた。
NTTの島田明社長は記者説明会で、「常温常圧で動くのが光量子コンピュータの強み。他方式と比べると、消費電力を1桁以上も削減できる。一般的な家電と同じレベルの電力で量子コンピューターが使えるようになる」と述べ、光方式の持つポテンシャルを強調した。
この連携は、単なる技術開発に留まらない。ユースケースの創出から社会実装、さらにはサプライチェーンの構築までを見据えた、包括的な国家戦略の一翼を担うものと位置づけられる。
なぜ「光」なのか? 量子コンピューティングの主流を狙う圧倒的優位性
量子コンピュータには、GoogleやIBMが先行する「超伝導」方式や、「イオントラップ」「中性原子」など複数の実現方式が存在する。しかし、これらの多くは量子状態を安定させるために、絶対零度に近い極低温環境や真空状態を必要とし、巨大な冷却設備や特殊な制御装置が不可欠だった。これが消費電力の増大とシステムの大規模化を招き、スケーラビリティにおける大きな障壁となっている。
常温・常圧で動く「ゲームチェンジャー」
これに対し、NTTとOptQCが挑む「光量子コンピュータ」は、光子(フォトン)を情報の担い手とすることで、常温・常圧での動作を可能にする。
- 圧倒的な省電力性: 冷却設備が不要なため、消費電力は数百W程度に抑えられる見込みだ。これは、最低でも数kWを必要とする他方式と比較して1桁以上の削減であり、技術の進展によってはさらなる省エネ化も期待される。
- 優れたスケーラビリティ: システムの小型化・簡素化が可能となり、量子ビット数を増やす際の物理的な制約が少ない。島田社長が「エネルギー効率に優れていることは、圧倒的なスケーラビリティを実現できる可能性につながる」と語るように、100万量子ビットという大規模化の目標達成には、この特性が不可欠である。
- AI時代の電力問題を解決する切り札: AIの普及に伴い、データセンターが消費する電力は世界的に急増し、深刻な社会課題となっている。圧倒的なエネルギー効率を誇る光量子コンピュータは、この課題に対する根本的な解決策となる可能性を秘めている。
最強タッグの誕生 ― NTTの「光通信」とOptQCの「量子技術」
今回の連携の核心は、それぞれ異なる分野で世界をリードする技術を持つ両社の強みが融合する点にある。
NTTが握る鍵:IOWN構想と通信技術の応用
NTTは長年にわたり、光通信技術の研究開発で世界をリードしてきた。特に、光技術を基盤とする次世代通信基盤構想「IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)」で培われた知見は、光量子コンピュータ開発において決定的な役割を果たす。
- 光増幅・光多重化技術: 通信分野で遠距離に光信号を届けるために使われるこれらの技術は、量子コンピュータ内で安定した光子を大量に生成・制御するために応用される。NTTは既に、この技術を用いて従来比1000倍以上の高速な量子生成に成功している。
- 誤り訂正技術: 量子コンピュータは外部のノイズに極めて弱く、計算エラーが頻繁に発生する。実用化には、このエラーを検出し訂正する技術が不可欠だ。NTTが通信分野で培った高度な誤り訂正技術は、量子計算の信頼性を担保する上で重要な基盤となる。
OptQCの真価:25年の研究が生んだ東大発の叡智
OptQCは、東京大学における25年にもわたる光量子コンピュータの基礎研究を母体とするスタートアップだ。2024年11月には理化学研究所やNTTなどと共に、常温・常圧で動作する汎用型光量子コンピュータのプラットフォームを世界で初めて実現するなど、この分野のフロントランナーである。
同社には、光増幅器を用いた超広帯域量子測定や、誤り訂正のための量子ビット生成など、光量子コンピュータの根幹技術を開発してきた研究者が集結している。OptQCの高瀬寛CEOは、今回の提携を「社会実装とサプライチェーンの構築まで含むものであり、光量子コンピューターによる社会基盤の実現まで」目指すものだと語る。
100万量子ビット実現への具体的ロードマップ
両社は今後5年間にわたる共同検討計画を策定し、段階的に開発を進める。
5カ年計画の4つの柱
- 多重化・誤り訂正技術の創出: NTTの通信技術を応用し、大規模化と信頼性向上に不可欠なコア技術を確立する。
- ユースケース創出とアルゴリズム開発: 新薬開発や金融など、具体的な社会課題を解決するためのアプリケーションとソフトウェアを開発する。
- サプライチェーンの構築: 部品や素材の供給網を国内で確立し、技術のブラックボックス化を防ぎ、経済安全保障にも貢献する。
- 社会実装: 開発したコンピュータとユースケースを社会に展開していく。
初年度は技術検討に着手し、パートナー企業との連携を開始。2年目には開発環境を構築し、3年目には具体的なユースケースの検証を行う計画だ。
「100万物理量子ビット」の先に目指すもの
ここで注意すべきは、「100万量子ビット」という数字がそのまま計算能力を意味するわけではない点だ。現在の量子ビット(物理量子ビット)はノイズに弱く不安定なため、複数の物理量子ビットを束ねて誤り訂正を行うことで、ようやく1つの安定した「論理量子ビット」として機能する。
そのため、100万物理量子ビットは、およそ100から1,000論理量子ビットに相当するとされる。これは、現代の暗号を解読できるとされる「ショアのアルゴリズム」のような、複雑な量子アルゴリズムを実行するために必要とされる規模であり、まさに「実用化」の入り口に立つことを意味する。この「物理」から「論理」への転換に、NTTの誤り訂正技術が鍵を握っているのだ。
国産「光量子」は世界標準となりうるか
今回の連携は、日本の量子コンピューティング戦略における極めて重要な一歩である。筆者は、この提携が持つ意味を2つの側面から分析したい。
日本発「光量子」がデファクトスタンダードを握る可能性
現在、量子コンピューティング開発は米国と中国が巨額の投資で先行しているが、その多くは超伝導方式に集中している。日本が「光」という異なるアプローチで実用化への道を切り拓くことができれば、国際競争において一気に主導権を握る可能性がある。常温動作と省電力性という明確なアドバンテージは、データセンターへの導入やエッジコンピューティングへの応用など、超伝導方式では困難な市場を開拓できるかもしれない。
ただし、その道のりは平坦ではない。海外ではPsiQuantumなどの強力な競合も存在する。成功のためには、ハードウェア開発と並行して、アルゴリズムやソフトウェアを開発する人材の育成、そして国内外の企業や大学を巻き込んだオープンなエコシステムの構築が急務となるだろう。
サプライチェーン構築という深謀遠慮
発表内容で特に注目すべきは、「サプライチェーンの構築」にまで言及している点だ。これは、半導体産業で日本が経験した教訓を活かしたものと考えられる。優れた技術を開発しても、製造装置や基幹部品を海外に依存していては、真の産業競争力には繋がらない。開発の初期段階から国内での製造基盤確立を視野に入れることで、技術と経済の両面での主導権確保を目指すという強い意志が感じられる。
NTTとOptQCの挑戦は、単に新しいコンピュータを創り出すだけでなく、日本の科学技術と産業の未来を賭けた壮大な航海の始まりと言えるだろう。光が次世代の計算基盤を照らす日を、期待をもって見守りたい。
Sources