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Quditを活用した量子コンピュータが2次元量子場理論のシミュレーションに成功

Y Kobayashi

2025年3月26日

オーストリア・インスブルック大学とカナダ・ウォータールー大学の研究チームは、従来の量子ビット(Qubit)とは異なる多値の量子情報単位「Qudit」を用いた量子コンピュータで、これまで実現が困難だった2次元空間での格子ゲージ理論(場の量子論の一種である量子電磁力学、QED)の完全なシミュレーションに世界で初めて成功した。この成果は、宇宙の基本法則である素粒子物理学の理解を深め、その未解決問題の解明に繋がる重要な一歩となるものだ。

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複数次元での量子場理論シミュレーションの実現

素粒子物理学の根幹をなすゲージ理論は、素粒子間の基本的な相互作用(力)を記述する。しかし、その量子的な性質、特に粒子間の力を媒介するゲージ場(例えば光子に対応する電磁場)の複雑な振る舞いは、従来のコンピュータ(古典コンピュータ)でのシミュレーションを極めて困難にしている。量子コンピュータは、このような問題に対する有望な解決策として期待されているが、従来のQubit(0か1の2状態をとる)ベースの量子コンピュータでは、ゲージ場のような多自由度を持つ対象を効率的に表現することが課題であった。

今回の研究で用いられたのは、「Qudit」と呼ばれる新しいタイプの量子情報単位である。Quditは、2つの状態(0と1)に制限されるQubitとは異なり、3つ以上の量子状態(エネルギー準位)を同時に利用できる。研究チームは、トラップされたカルシウムイオンを用い、最大5つの準位を持つQuditを実装した量子コンピュータを開発・利用した。このQuditは、複数の方向や強度を持ちうるゲージ場を、qubitよりも遥かに自然かつ効率的に表現できるという利点を持つ。

「量子技術には非常に大きな可能性があり、quditは量子コンピュータをはるかにリソース効率の高いものにするため重要な役割を果たします」とウォータールー大学のChristine Muschik教授は説明する。

研究チームは量子電磁力学(QED)と呼ばれる理論の2次元格子上でのシミュレーションを実施した。このシミュレーションには、粒子や反粒子(電子や陽電子など)、そしてそれらの間に働く電場と磁場が含まれており、物理学の標準模型の中で特に重要な位置を占めている。

「これは複雑なQuditアルゴリズムの初めての実装です。以前は、Qudit量子コンピュータのいくつかの基本的な構成要素が開発されていました。この研究では、改良されたQuditゲートを開発し、すべての部品を組み合わせて、いわば試運転しました。そして、それはうまく機能しました」とMuschik教授は付け加えた。

量子場の自然な表現を実現する技術的ブレークスルー

量子場理論のシミュレーションが困難な主な理由は、荷電粒子間の電磁力などの力を表す場を捉える必要があることだ。これらの場は異なる方向を指し、さまざまな強度や励起状態を持つことができる。このような複雑な対象は、従来の0と1に基づく古典的および量子コンピュータの計算パラダイムには適合しない。

この難題を解決するため、インスブルック大学で開発されたQudit量子コンピュータとウォータールー大学で開発された基本的な粒子間相互作用をシミュレートするためのQuditアルゴリズムを組み合わせたアプローチが採用された。

「私たちのアプローチにより、量子場の自然な表現が可能になり、計算がはるかに効率的になります」と研究の筆頭著者であるMichael Meth氏は説明している。これにより、研究チームは2次元の量子電磁力学の基本的な特徴を観察することができた。

研究チームは、このQudit量子コンピュータ上で、物質(電子と陽電子)とゲージ場(光子)の両方を含む2次元格子上のQEDシミュレーションを実行した。これは、過去に行われた1次元空間でのシミュレーション(粒子が直線上しか動けない)からの大きな進歩であり、より現実に近い状況設定である。具体的には、以下の成果を実証した。

  1. 基本構成要素のシミュレーション: 物質場とゲージ場の相互作用を含む2次元QEDの基本単位(プラケット)の性質を量子計算で再現した。変分量子固有値ソルバー(VQE)と呼ばれる量子・古典ハイブリッドアルゴリズムを用い、系のエネルギーが最も安定な状態(基底状態)を探索し、物質(電子・陽電子対)の生成・消滅がゲージ場(特に磁場に関連する物理量)に与える影響を観測することに成功した。
  2. ゲージ場表現の精密化: Quditの次元(利用する準位の数)を3 (Qutrit) から5 (Ququint) へと制御することで、ゲージ場の離散化(シミュレーションのための近似)の精度を系統的に向上させられることを示した。これにより、計算資源の許す範囲で、より正確なシミュレーションへ段階的に近づけることが可能になる。
  3. 実時間ダイナミクスの観測: 系の時間発展をシミュレーションし、電子・陽電子対が生成され、それに伴って磁場のエネルギーが変化する様子を追跡した。これは、古典コンピュータでは特に困難とされる計算領域である。

これらのシミュレーションにおいて、Quditを用いることで、同じ計算をQubitで行う場合に比べて、必要となる量子ビット数や実行するゲート操作の数を大幅に削減できることが示された。これは、Quditがゲージ理論のような複雑な問題に対して「ハードウェア効率」の高いアプローチであることを意味する。

実際、従来のQubit量子コンピュータと比較して、Quditを使用したアプローチは回路のサイズを10分の1に縮小することができた。これは計算効率の大幅な向上を意味する。

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物理学の未解決問題への新たなアプローチ

物理学の標準模型は、私たちの世界を形作る素粒子と力を説明する最先端の理論だが、今日最大のスーパーコンピュータをもってしても答えられない重要な問題が多く残されている。

「標準模型内の大きな問題クラスは標準的な計算方法ではアクセスできないため、自然が何をなし得るかを発見するための科学は根本的に行き詰まっています。しかし、量子コンピュータをプログラミングすることで、今日では進展できない現代科学の問題に答えることができます」とMuschik教授は述べている。

この研究以前にも、インスブルック大学では2016年に粒子-反粒子ペアの生成をシミュレーションしていたが、当時は粒子を直線上でのみ移動するように制限していた。「その制限を取り除くことは、量子コンピュータを使って基本的な粒子間相互作用を理解するための重要なステップです」とMuschik教授は説明する。

今回の成果は、1次元という制限を取り払い、より高次元(2次元)で、物質とゲージ場のダイナミクスを含む完全なゲージ理論の量子シミュレーションを実現した点で画期的である。特に、1次元では現れない磁場の効果を扱えるようになったことは、3次元、ひいては我々の住む現実世界(3+1次元)の物理現象の理解に向けた重要なステップとなる。

将来の展望:3次元モデルと強い核力の解明へ

量子電磁力学に関するこの新たな研究は始まりに過ぎない。研究者たちによると、さらにいくつかのquditを追加するだけで、現在の結果を3次元モデルだけでなく、原子を結合させ、物理学における残された多くの謎を含む強い核力にも拡張することが可能になるという。

「これらの魅力的な問題の研究に量子コンピュータが貢献する可能性に興奮しています」とRingbauer教授は熱意を示している。

より高速でリソース効率の良いQudit量子コンピュータは、自然界の理解を深めるだけでなく、創薬から新材料の設計まで、量子計算の潜在的な応用を加速する可能性を秘めている。


論文

参考文献

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