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AIの知性とは何か? ChatGPTが48年前の“老職人”コンピュータAtari 2600にチェスで惨敗した日

Y Kobayashi

2025年6月13日11:52AM

最新のスーパーカーが、美しく整備されたクラシックカーに公道レースで敗れる。そんな光景を想像できるだろうか。2025年、私たちはデジタル世界でまさにその瞬間を目撃した。主役は、現代AIの象徴であるChatGPT。そして対戦相手は、1977年に生まれたゲーム機、Atari 2600だ。

この物語は、単なる「AI vs レトロゲーム」という珍事ではない。それは、まるで膨大な料理のレシピを暗唱できる評論家が、キッチンで卵一つ焼けない現実を突きつけられたような、示唆に富む寓話である。現代のAIを動かす何百万ドルものGPU群が、わずか1.19MHzで動く48年前の「老職人」の前にひざまずいたのだ。

なぜ、こんなことが起きたのか? この敗北は、私たちが「知性」と呼ぶものの正体を、残酷なまでに、しかし鮮やかに映し出している。

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事件の概要:大図書館は、なぜ一冊のルールブックに負けたのか?

物語は、Citrix社のインフラアーキテクト、Robert Caruso氏が始めた、ささやかな実験から始まった。彼がChatGPT 4oとAIとチェスの歴史について会話していたところ、驚くべきことに、ChatGPT自身が「Atariのチェスと対戦してみたい」と申し出たのである。まるで、自らの能力を試したくてうずうずしている挑戦者のように。

対戦相手に選ばれたのは、Atari 2600向けに1979年に発売された「Video Chess」。これを現代のPC上で動かすエミュレーター「Stella」を介して、対局の舞台は整えられた。

この対決は、本来ならば勝負にすらならないはずだった。

  • 挑戦者、ChatGPT: 数千億のパラメータを持ち、現代の強力なGPU群の上で動く、いわば「デジタル世界の大図書館」。人類の知識の大部分を学習し、詩を詠み、プログラムを書き、複雑な質問に答える。
  • 王者、Atari 2600: わずか1.19MHzの8ビットCPUと、128バイト(ギガバイトではない)のRAMしか持たない。これは、現代の基準では計算機ですらない骨董品だ。そのチェスエンジンは、せいぜい1〜2手先を読むのがやっとの、チェスの「ルールブック」そのものと言える存在である。

Caruso氏も、当初は「レトロな思い出に浸る、気楽な散歩」くらいに考えていた。だが、彼が目撃したのは、一方的な「屈辱」だった。

惨劇の90分間:なぜAIはルークとビショップを見分けられないのか?

「ChatGPTは、初心者レベルで完膚なきまでに叩きのめされた(got absolutely wrecked)」とCaruso氏は語る。90分に及んだ対局は、お世辞にも試合とは呼べないものだった。

ChatGPTが見せたのは、AIの「知性」というイメージを根底から覆す、驚くべきミスの連続だった。

  • 駒の認識不能: ルーク(戦車)とビショップ(僧侶)を何度も混同した。
  • 初歩的な戦術の見落とし: 相手が仕掛けた単純なポーン(歩兵)によるフォーク(両取り)に気づかなかった。
  • 盤面認識の完全な喪失: 自分の駒がどこにあるのか、盤面の状態を繰り返し見失った。カルーソ氏は、ほぼ一手ごとにChatGPTの間違いを正し、盤面の状況を教えなければならなかったという。
  • 小学生レベルの悪手: その指し手は「小学3年生のチェスクラブからも笑いものにされるレベル」と酷評されるほどだった。

追い詰められたChatGPTの反応は、さらに興味深い。AIは、まるで人間のように「言い訳」を始めたのだ。最初は「Atariの駒のアイコンが抽象的すぎて認識できない」と不満を漏らした。そこでCaruso氏が、アイコンではなく標準的なチェス記法(例:「e4」など)に切り替えて助け舟を出した。しかし、結果は変わらなかった。

さらにChatGPTは、「もう一度最初からやり直せば、次は改善できる」と、まるで負けを認めない子供のように、何度もゲームのリスタートを懇願したという。

その間、Atariのチェスエンジンはどうだったか。Caruso氏は記す。「Atariの謙虚な8ビットエンジンは、ただ自分の仕事をこなすだけだった。言語モデルもなければ、派手さもない。ただ、力ずくの盤面評価と、1977年生まれの頑固さがあるだけだ」。

そしてついに、ChatGPTは投了した。

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なぜこんなことが?:「知っている」と「できる」の致命的な違い

この信じがたい結果の裏には、現代AI、特に大規模言語モデル(LLM)の本質が隠されている。核心は、「知っていること」と「ルールに従って行動できること」は全くの別物だ、という点にある。

言葉の海を泳ぐChatGPT:博識なオウムの限界

ChatGPTは、チェスのルールを「理解」しているわけではない。それは、インターネット上に存在する膨大なチェスに関する記事、棋譜、戦略解説を「学習」したに過ぎない。つまり、チェスについて非常に雄弁に語れるが、チェスをプレイする能力はないのだ。

これを「確率的オウム」という比喩で説明できる。ChatGPTの仕事は、与えられた文脈に対して、統計的に最も「それらしい」次の一言を予測し、生成することだ。チェスの盤面を与えられたとき、ChatGPTは「この盤面について書かれたテキストでは、次にどんな手が言及される可能性が高いか」を推測しているに過ぎない。そこには、盤面の背後にある厳密なルール、論理的な制約、そして戦略的な思考は存在しない。

だからこそ、駒の位置を見失い、あり得ない手を指そうとする。それは、文章の文脈を追うことはできても、チェス盤という厳格なルールの支配する「ゲーム世界」の物理法則を理解していないからだ。まるで、重力の法則を知らずに空を飛ぼうとする鳥のようだ。

ルールの大地を歩くAtari:無口な職人の強さ

一方、Atariのチェスプログラムは、ChatGPTとは正反対の存在だ。それは「知識」を一切持たない。詩も書けないし、会話もできない。しかし、たった一つのこと、チェスのルールという閉じた世界を完璧に体現している。

そのプログラムは、ごく限られたリソース(1.19MHzのCPUと128バイトのRAM)の中で、許された駒の動きを計算し、考えられる盤面を「しらみつぶし」に評価し、最も有利な手を選ぶよう設計されている。これは「ブルートフォース(力ずく)」と呼ばれる、極めて原始的だが確実なアプローチだ。

Atariは、チェスのルールという「大地」にしっかりと足を着けている。その世界は狭いが、その中での動きに一切の迷いはない。まさに、一つの道具を生涯使い続け、その特性を完璧に知り尽くした「老職人」の姿がそこにある。

この敗北が私たちに教えること:万能ナイフと専門ノミ

この一件は、AIの能力について熱狂する私たちに、重要な教訓を与えてくれる。

AIは万能の神ではない。それは、特性を持った「道具」である。

ChatGPTのような大規模言語モデルは、文章の作成、要約、アイデア出しといった、広範な知識と言語の創造性が求められるタスクにおいて、驚異的な力を発揮する「万能ナイフ」だ。しかし、チェスや数学、プログラミングの厳密なデバッグのように、論理的な一貫性とルール遵守が絶対的に求められるタスクにおいては、その性能は著しく低下する。

そうした領域では、Atariのチェスプログラムのような、特定の目的のためだけに研ぎ澄まされた「専門ノミ」の方が、はるかに優れた結果をもたらすのだ。

今回の敗北は、ChatGPTの欠陥を嘲笑うためのものではない。むしろ、AIという強力な道具を、私たちがどう賢く使いこなしていくべきかの指針を示している。何でも屋に専門的な手術を任せないように、私たちはAIにも適切な仕事を与えなければならない。

この物語は、私たち自身にも問いを投げかける。あなたの仕事やスキルは、膨大な知識を模倣するだけで成り立つ「ChatGPT型」だろうか。それとも、限られた領域で、誰にも負けない専門性と正確性を追求する「Atari型」だろうか。

AIの時代が深まるほど、この問いの答えは、私たちの未来を左右する羅針盤となるに違いない。


Sources

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