20世紀初頭、物理学界は液体ヘリウムが絶対零度付近で摩擦を完全に失い、容器の壁を這い上がる「超流動(Superfluidity)」という現象に衝撃を受けた。それから約1世紀。人類は今、量子力学が支配する物質の新たな極限状態――流体でありながら固体でもあるという、直感に反する「超固体(Supersolid)」の自在な制御という、歴史的な扉を開こうとしている。

コロンビア大学およびテキサス大学オースティン校を中心とする米国の物理学研究チームは、二層のグラフェンを用いた実験において、擬粒子である「励起子(Exciton)」の超流体を「超固体」へと相転移させることに世界で初めて成功した。この発見は、半世紀以上にわたる物理学の未解決問題に終止符を打つ可能性を秘めているだけでなく、次世代の量子デバイスや材料科学に革命をもたらす物となるかもしれない。

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励起子という「擬粒子」が描く量子振付

今回の発見の主役は、通常の原子や分子ではなく「励起子」と呼ばれる擬粒子である。

半導体やグラフェンのような材料において、光や電気的なエネルギーによって電子が本来のエネルギー帯(価電子帯)から飛び出すと、そこには電子が抜けた跡である「正孔」が残る。正孔は正の電荷を持っているかのように振る舞うため、負の電荷を持つ電子と静電引力(クーロン力)によって引き合い、あたかも一つの粒子のように結合する。これが励起子だ。

励起子は、電子(フェルミ粒子)と正孔(フェルミ粒子)がペアになったものであるため、全体としては「ボース粒子」として振る舞うという極めて重要な特性を持つ。量子力学において、ボース粒子は極低温下で多数の粒子が全く同じ量子状態に落ち込む「ボース=アインシュタイン凝縮(Bose-Einstein Condensation: BEC)」を起こす。

BEC状態にある粒子群は、個々の粒子の個性を失い、巨大な一つの「波」として振る舞い始める。これが「超流体」の正体だ。超流体は粘性がゼロであり、エネルギーを失うことなく永久に流れ続けることができる。

「超固体」:流動と秩序の不可能な共存

物質の三態(固体・液体・気体)において、固体と液体は明確に区別される。固体は原子が規則正しく並び(並進対称性の破れ)、液体はランダムに動き回る。しかし、1969年、Alexander Andreev、Ilya Lifshitz、そしてAnthony Leggettといった物理学者たちは、量子的な効果によって「流動性(超流動)」と「結晶構造(固体)」を同時に併せ持つ奇妙な状態が存在し得ると予言した。

これが「超固体」だ。超固体の中では、粒子は規則正しい格子状に配置されて動かない(固体の性質)一方で、量子的なコヒーレンス(位相の一致)によって摩擦ゼロの流動(超流動の性質)が内部を貫いている。

これまで、超固体は冷却された原子ガスを用いたシステム(AMO:原子・分子・光物理学)などで人工的に作り出されたことはあった。しかし、それらはレーザーや光学格子などの外部装置によって「強制的に」粒子を並べることで実現されたものであった。今回の研究が画期的なのは、外部のトラップ装置を使うことなく、粒子間の純粋な相互作用のみによって、超流体から超固体への「自然な相転移」を観測した点にある。

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実験装置:原子一層のキャンバス「二層グラフェン」

研究チームは、この量子的な相転移を実現するために、極めて精巧なナノデバイスを構築した。舞台となったのは、炭素原子が六角形の格子状に並んだ「グラフェン」である。

デバイスの構造

研究者たちは、二枚の単層グラフェンを、絶縁体である窒化ホウ素(hBN)の薄い層を挟んで平行に配置した。この「二層グラフェン・ヘテロ構造」は、以下の役割を果たす:

  • 電気的な隔離: 二枚の層は物理的に接触していないため、電子が直接層間を移動することはない。
  • 層間クーロン結合: しかし、距離が極めて近いため(数ナノメートル)、一方の層の電子と他方の層の正孔が強く引き合い、層をまたいだ「層間励起子」を形成する。

量子ホール領域での制御

チームはこのデバイスを極低温(絶対零度からわずか1.5〜4度高いだけの環境)に冷却し、強力な磁場を印加した。磁場中では電子の運動が量子化され、「量子ホール効果」と呼ばれる状態になる。ここで、層間の電圧やキャリア密度を精密に制御する「ノブ(調整つまみ)」を操作することで、励起子の密度を自在に変化させた。

超流体が「静止」する瞬間

実験の核心は、励起子の輸送特性を測定することにあった。励起子自体は電気的に中性であるため、通常の電流測定ではその動きを捉えられない。そこでチームは「ドラッグ測定(Drag measurement)」と「カウンターフロー(Counterflow)測定」という特殊な手法を用いた。

超流体の証拠

励起子密度が高い領域では、一方の層に流した電流が、もう一方の層に100%の効率で逆方向の電流を発生させる「完全ドラッグ」が観測された。これは、電子と正孔が強固にペア(励起子)を組み、摩擦なしに移動している、すなわち「超流体」状態にあることを示している。

絶縁体への相転移

ところが、研究チームが励起子密度を下げていく(希薄な状態にする)と、ある臨界点で劇的な変化が起きた。それまで自在に流れていた励起子が、突然動きを止め、システムが「絶縁体」となったのである。

コロンビア大学の物理学者、Cory Dean氏はプレスリリースで次のように述べている。

「超流体は本来、永久に流れ続けるものと考えられています。しかし、私たちはそれが相転移を起こし、動きを止めるのを初めて目撃しました。それはあたかも、量子レベルで水が氷に変わるような現象です」

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なぜ「超固体」と言えるのか?

観測された「絶縁状態」が、単なる無秩序な静止ではなく、秩序ある「超固体」であることを裏付けるために、チームは詳細な解析を行った。

再突入型転移

最も驚くべき発見は、温度を「上げた」ときに起きた。絶縁状態にあるシステムを温めると、なんと再び超流体へと「溶け出した」のである。通常の固体であれば、温めればバラバラの液体や気体になるが、このケースでは「秩序ある固体」が「量子的な流体」へと戻ったことを意味する。

ヒステリシス(履歴現象)

さらに、この相転移の過程で「ヒステリシス」が観測された。これは、密度を上げていくときと下げていくときで、転移が起きる条件が異なる現象だ。物理学において、これは「第一種相転移」の決定的な証拠であり、相転移に「潜熱」が伴うこと、すなわち物質が構造的な変化(結晶化)を起こしていることを強く示唆している。

テキサス大学オースティン校のJia Li氏はこう説明する。

「超流動性は一般に、低温での基底状態とみなされます。しかし、絶縁相が温められて超流体へと溶けるという現象は前例がありません。これは、低温相が非常に特殊な『励起子固体』であることを強く示唆しています」

つまり、低温では励起子同士の「反発力(ダイポール相互作用)」が量子的な「ゆらぎ」に打ち勝ち、励起子を規則正しい格子状に固定したのだ。超固体とは、この固体の骨組みを持ちながら、量子的な重ね合わせによって超流動性のポテンシャルを内に秘めた状態を指す。

パラダイムの刷新

今回の研究成果には、単なる「新しい状態の発見」を超えた、重層的な意義がある。

1. 2D材料プラットフォームの確立

これまで量子相の研究は、冷却が困難な液体ヘリウムや、巨大な装置が必要な冷原子ガスで行われてきた。本研究は、グラフェンという「固体デバイス」上でこれらと同等、あるいはそれ以上に精密な量子シミュレーションが可能であることを証明した。これは、量子力学の研究が「理学」の領域から、チップ上に実装可能な「工学」の領域へとシフトし始めたことを意味する。

2. 未知の粒子物理学への窓

励起子はヘリウム原子に比べて数千倍も軽いため、理論上はより高い温度で量子効果を発現できる。今回の発見を基に、より高温で作動する超流体や超固体が実現すれば、エネルギー損失ゼロの送電網や、全く新しい原理の量子コンピューティング素子の開発に繋がる可能性がある。

3. 多体問題の解明

無数の粒子が相互作用し合う「多体問題」は、物理学において最も難解な領域の一つだ。今回の励起子システムは、粒子の密度、温度、相互作用の強さを自由に変えられる「完璧な実験室」を提供する。これにより、高温超伝導のメカニズム解明など、他の難解な物理現象の理解が進むことが期待される。

量子凍結の先にある未来

コロンビア大学とテキサス大学オースティン校のチームが達成した「励起子超固体の観測」は、物理学の教科書に新たな章を加える快挙である。彼らは、原子一層の厚みしかないグラフェンの中で、量子力学の最も奇妙な予言の一つを現実のものとした。

現在、研究チームは、強力な磁場を必要としない他の二次元材料(遷移金属ダイカルコゲナイドなど)を用いた、より実用的な環境での超固体実現に向けて研究を進めている。

「私たちは今、この絶縁状態の境界を探索し、それを直接測定するための新しいツールを構築しているところです」とDean氏は語る。

静止しているのに流れている。固体なのに摩擦がない。そんな量子世界の矛盾を内包した「超固体」の探求は、まだ始まったばかりだ。しかし、今回の発見によって、私たちは確実に、自然界が隠し持っていた最も深遠な秘密の一つに手をかけたのである。


論文

参考文献