2025年12月、電気自動車(EV)の心臓部であるモーター技術において、物理法則の限界を押し広げるような驚くべき成果が報告された。Mercedes-Benzの子会社であるイギリスのテクノロジー企業「YASA」が、わずか12.7kg(28ポンド)の重量で、最大1000馬力(750kW)を発揮する新型の軸流(アキシャル・フラックス)モーターのプロトタイプを発表したのだ。
これは従来の自動車工学の常識を覆す「パワーウェイトレシオ(出力重量比)」の達成であり、EVの設計思想そのものを根底から変革する可能性を秘めている。本稿では、YASAが打ち立てた新記録の科学的意義、それを可能にした軸流モーターのメカニズム、そしてこの技術がもたらす「インホイールモーター」の実用化と車両軽量化の未来について見ていきたい。
59kW/kg:常識を打ち破る「非公式世界記録」
まず、今回YASAが達成した数値がどれだけ“異常”かを見ていこう。
2025年夏、YASAは13.1kgのモーターで550kW(約738馬力)を記録し、42kW/kgという驚異的な出力密度を達成していた。しかし、最新のテストではさらに軽量化された12.7kgのユニットを用い、より強力なダイナモメーターでの試験において59kW/kgというベンチマークを叩き出した。
数値が語る「異常値」
一般的な高性能EVに搭載されている従来のラジアル(径方向)磁束モーターの出力密度は、優れたものでも5kW/kg〜10kW/kg程度だ。つまり、YASAの新型モーターは、現行の業界標準と比較して約6倍から10倍の密度を持っていることになる。
これを具体的なイメージに置き換えてみよう。スーパーマーケットで売っている10kgの米袋より少し重い程度の物体が、Bugatti Veyronのようなハイパーカーに匹敵する1000馬力の出力を(短時間とはいえ)発生させるのだ。この事実は、内燃機関(エンジン)の時代には想像すらできなかったエンジニアリングの極致と言える。
このモーターはピーク時でこそ1000馬力を発揮するが、持続出力においても469〜536馬力(350〜400kW)という、重量級のスポーツカーを駆動するに十分なパワーを維持できる。
「軸流(アキシャル・フラックス)」はいかにして魔法を起こすか
なぜ、これほどの小型軽量化と高出力を両立できるのか。その秘密は、モーターの構造、すなわち「磁束(フラックス)の流れ」にある。
ラジアル対アキシャル:構造のパラダイムシフト
現在、Teslaや多くのメーカーが採用している一般的なモーターは「ラジアル(Radial)型」と呼ばれる。これは、固定子(ステーター)の中に円筒形の回転子(ローター)が入っており、磁力線が回転軸に対して垂直(径方向)に働く構造だ。歴史が長く信頼性は高いが、構造上、銅線の巻き線量が多くなり、どうしても重量と体積が嵩む傾向にある。また、中心部の空洞が無駄なスペースになりがちだ。
対して、YASAが専門とする「アキシャル(Axial)型」は、全く異なるアプローチをとる。
- パンケーキ構造: ラジアル型が「長い筒」なら、アキシャル型は「薄い円盤(パンケーキ)」のような形状をしている。
- 磁束の向き: 磁力線は回転軸に対して平行(軸方向)に流れる。
- トルク発生効率: 回転半径を大きく取れるため、同じ磁力でもより大きなトルク(回転力)を生み出すことができる。「てこの原理」をイメージすれば分かりやすい。作用点が支点(軸)から遠いほど、小さな力で大きな回転力を得られる。
YASA独自の「ヨークレス」技術
さらにYASA(Yokeless And Segmented Armature)という社名が示す通り、彼らはモーターの鉄心部分である「ヨーク(継鉄)」を取り除き、ステーターを分割構造にすることで、劇的な軽量化と冷却効率の向上を実現した。従来のモーターでは熱対策が最大の課題だったが、YASAの設計は油冷システムを直接コイルに接触させることで、この高密度な出力を熱ダレすることなく制御可能にしている。
「インホイールモーター」の聖杯と「質量中立」の衝撃

この超軽量・高出力モーターの真価は、単にエンジンルームのスペースを空けることではない。「インホイールモーター(In-Wheel Motor)」の実用化にある。
夢の技術と「バネ下重量」の壁
インホイールモーターとは、その名の通りホイール(車輪)の中にモーターを内蔵する技術だ。ドライブシャフトやデファレンシャルギアが不要になり、車内空間が劇的に広がるほか、各車輪を独立制御することで物理法則を無視したようなコーナリングが可能になる。
しかし、これまで普及しなかった最大の理由は「バネ下重量(Unsprung Mass)」の増加だ。サスペンションより下にある部品(タイヤ、ホイール、ブレーキなど)が重くなると、路面の凹凸への追従性が悪化し、乗り心地や接地性が著しく損なわれる。従来の重いモーターをホイールに入れれば、車はドタバタと跳ね、まともに走れなかったのだ。
YASAの回答:マス・ニュートラル(質量中立)
今回のYASAの発表で最も注目すべき点は、このプロトタイプが「マス・ニュートラル(Mass Neutral)」であるという主張だ。
YASAの計算によれば、以下の図式が成り立つ。
- 削除されるもの: 従来のドライブシャフト、重い等速ジョイント、そして強力な回生ブレーキによって小型化・あるいは削除可能となる油圧ブレーキキャリパーとディスク。
- 追加されるもの: 12.7kgのモーターと、15kgの新型インバーター。
これらを差し引きすると、ホイール周りの総重量は、従来の内燃機関車や既存のEVとほとんど変わらない、あるいは軽くなる可能性があるというのだ。これが実現すれば、インホイールモーター最大の欠点が解消され、メリットだけが残ることになる。
軽量化のスパイラル:最大500kgのダイエット
モーター単体の軽量化は、車両全体に「軽量化の連鎖(Weight Spiral)」を引き起こす。YASAは、このシステムを採用することで、将来のEVから440ポンド(約200kg)から最大1100ポンド(約500kg)もの重量を削減できると試算している。
なぜそこまで軽くなるのか?
- パワートレーンの消失: トランスミッション、ドライブシャフト、デファレンシャルなどの機械部品が全廃される。
- ブレーキの小型化: 最大1000馬力相当の強力な回生ブレーキ(モーターを発電機として使い減速する力)が得られるため、物理的な摩擦ブレーキは緊急用として極小のもので済むようになる。「リアブレーキを削除できる可能性」すら示唆されている。
- バッテリーの縮小: 車体が軽くなれば、同じ航続距離を走るために必要な電力も減る。つまり、バッテリーを小さく軽くできる。バッテリーが軽くなれば、車体を支えるフレームも軽くできる……という好循環が生まれる。
この500kgの軽量化は、EVの最大の課題である「航続距離」と「資源消費」を一挙に解決する鍵となる。重いバッテリーを積んで航続距離を稼ぐという現在の「重量化競争」に終止符を打つ可能性があるのだ。
Ferrariから大衆車へ:技術のトリクルダウン
YASAの技術は、すでにFerrari『SF90 Stradale』や『296GTB』、Lamborghini『Temerario』といったハイブリッド・スーパーカーに採用され、その性能は実証済みである。Mercedes-Benzが2021年にYASAを買収したのも、次世代の高性能EVラインナップ(AMGモデルなど)へこの技術を独占的に導入するためだった。
しかし、今回の「インホイールモーター」のプロトタイプは、スーパーカーというニッチな市場を超え、一般的な乗用車や商用車への応用を見据えている。特に、スペース効率が求められる都市型EVや、デザインの自由度が求められる次世代モビリティにおいて、この「パンケーキ型モーター」は決定的なコンポーネントとなるだろう。
EVは「第2フェーズ」へ突入する
2025年、YASAが示した59kW/kgという数値とインホイールモーターの実現性は、EV技術が「バッテリーの進化待ち」という停滞期を抜け出し、モーターそのものの構造改革による「第2フェーズ」へ突入したことを告げている。
重厚長大な機械部品の塊であった自動車は、よりシンプルで、より軽く、そしてより効率的な「走るコンピューター」へと姿を変えつつある。タイヤの中に1000馬力を秘めた車が街を走る日は、そう遠くない未来に訪れるだろう。我々は今、自動車の再発明を目撃しているのである。
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