AlibabaがAIインフラの発表を、単なる新チップのニュースにとどめなかった。2026年5月20日のAlibaba Cloud Summitで、同社の半導体設計子会社T-HeadはAIトレーニング・推論向けプロセッサ「Zhenwu M890」を発表した。あわせて、M890を128基搭載するラック型サーバー「Panjiu AL128 Supernode Server」、長時間のエージェント実行を前面に出した大規模言語モデル「Qwen3.7-Max」も示した。
ここで注目すべきは、M890が「NVIDIA対抗チップ」と呼べるかだけではない。Alibabaは、チップ、チップ間ネットワーク、モデル、モデル提供基盤を同じ発表の中で接続し、エージェント型AIの負荷を自社スタックで処理する絵を描いた。米国の輸出規制と中国側の調達判断によりNVIDIA製品へのアクセスが揺れる中で、Alibabaは代替部品を一つ増やすのではなく、自社クラウドの需要を受け止める垂直統合の選択肢を提示したことになる。
M890の新しさは単体性能ではなくラックとモデルの一気通貫にあり
Alibaba Cloudの発表によると、Zhenwu M890は前世代のZhenwu 810Eに比べて3倍の性能を持つ。公開された主要仕様は、144GBのGPUメモリ、800GB/sのチップ間帯域、FP32からFP4までの複数精度へのネイティブ対応である。T-Head独自の並列コンピューティングアーキテクチャと、独自のICN(Inter-Chip Network)相互接続プロトコルを使うとも説明している。
ここで重要なのは、AlibabaがM890を単体アクセラレータとしてではなく、ラック規模の部品として見せた点だ。Panjiu AL128は、M890とネットワークチップ「ICN Switch 1.0」を組み合わせ、単一ラックに128基のAIアクセラレータを高密度に収める構成である。Alibaba Cloudは、これにより単一ラックでPB/s級の帯域を実現し、エージェントからの大規模な同時リクエスト処理や大規模モデル訓練を支援するとしている。
ICN Switch 1.0自体も、25.6Tbpsの総帯域を持つスイッチングチップとして発表された。Alibabaは、M890とICN Switch 1.0の組み合わせにより64基のアクセラレータ間を全帯域で接続でき、大規模インテリジェントコンピューティングの効率と安定性を高めるとうたう。チップ、スイッチ、ラック、ソフトウェアスタック「T-Head SAIL」を同時に出しているため、今回の発表は半導体の個別仕様よりも、クラスタをどう組むかの発表として読んだ方がよい。
数字は強いが、H200との比較には未公表部分が残る
M890は、報道ではNVIDIA製AIプロセッサの代替候補として扱われている。背景には、米国の輸出規制により中国のAI開発者がNVIDIAの最先端アクセラレータを自由に買えない状況がある。TechXploreが配信したAFP記事は、H200について米国側では中国販売が認められた一方、中国市場へのアクセスは停滞していると伝えた。CNBCも、北京が国内企業による外国製AIチップの利用を厳しく見ていると報じている。
ただし、M890をH200の同等品と断定するには材料が足りない。NVIDIAの公式仕様では、H200は141GBのHBM3eメモリと4.8TB/sのメモリ帯域を備える。これに対し、AlibabaがM890について公開した800GB/sはチップ間帯域であり、メモリ帯域そのものではない。数字の種類が違うため、「144GB対141GB」のような容量比較だけで総合性能を判断するのは危うい。
CNBCにコメントしたSemiAnalysisのMyron Xie氏も、M890の公開メモリ容量や帯域は主要な西側チップ企業の水準にまだ及ばず、計算性能など重要な指標が未公表だと指摘している。Counterpoint ResearchのBrady Wang氏は、M890をH200の真の競合ではないとしつつ、中国市場では信頼できる代替になり得ると見ている。つまり現時点の評価軸は、世界最高性能の奪取ではなく、中国国内のAIクラウド事業者が長期ロードマップを組めるだけの調達可能性と性能密度を持つかどうかである。
Qwen3.7-Maxは長時間エージェント需要をハード側に接続する
同じ発表で出たQwen3.7-Maxは、AlibabaがM890をどの負荷に向けて設計しているかを示す手がかりになる。Alibaba Cloudは同モデルを、高度なエージェント型コーディング、複雑推論、長時間タスク実行向けの大規模言語モデルと説明した。最大35時間の連続動作と1000回超のツール呼び出しを、性能劣化なく実行できるとうたっている。
これは、従来型のチャット応答よりもインフラ負荷が読みづらい領域である。エージェントは長いコンテキストを保持し、複数のツールや外部システムを呼び出し、場合によっては複数のエージェント同士で状態を受け渡す。AlibabaがM890の説明で、広い作業メモリ、複数エージェント協調のための高速通信、低コスト実行のための低精度演算を強調したのは、この負荷を意識しているためだ。
提供範囲にも差がある。Qwen3.7-MaxはModel Studioを通じて世界の開発者と企業に提供予定とされる。一方、Panjiu AL128は中国市場向けのModel Studio、すなわちBailianですでに利用可能と説明されている。AlibabaはBailianに、エージェント実行のフィードバックを使ってモデルを継続改善する「Agentic RL」や、安全境界を保つガバナンス機能も組み込んだとしている。モデルの性能競争だけでなく、運用中のエージェントをどう管理し、改善し、クラウド課金につなげるかが発表の中心にある。
NVIDIA依存を下げる計画は供給能力の検証段階に入った
Zhenwuシリーズの採用規模は、Alibabaがこの領域を実験段階として見せていないことを示す。Alibaba Cloudは、Zhenwuシリーズを累計56万基超出荷し、400を超える外部顧客が20業種で利用していると発表した。報道では、自動車メーカーや金融機関も顧客に含まれるとされる。Reuters日本語版は、Alibabaが2027年第3四半期に後継チップ「V900」、2028年第3四半期に「J900」を投入する複数年ロードマップを明らかにしたとも伝えている。
この規模感は、国内代替の議論を一段具体的にする。中国のAI企業にとって問題は、単発のベンチマークでNVIDIAに勝つかどうかだけではない。モデル開発、推論サービス、社内業務エージェント、自動運転研究などに必要なアクセラレータを、規制や外交判断で止まりにくい形で確保できるかが事業計画に直結する。TechXploreが引用した中国専門メディアeetrend.comのZhang Guobin氏は、M890の発表タイミングについて、H200の中国市場入りが不確実な窓に重なっていると指摘した。
一方で、供給能力は未解決の論点として残る。CNBCはCounterpoint ResearchのWang氏の見方として、AlibabaがSMICのような国内半導体ファウンドリでどれだけ製造能力を確保し続けられるかには疑問が残ると伝えている。M890が中国市場向けの「信頼できる代替」になり得るとしても、それは仕様表だけで決まらない。量産、歩留まり、ソフトウェア互換性、クラウド事業への実装速度がそろって初めて、NVIDIA依存を下げる実務上の意味を持つ。
AlibabaのAI投資はクラウド売上の数字から垣間見える
AlibabaがここまでAIスタックを前面に出すのは、クラウド事業の成長がすでにAIに強く結びついているためだ。Alibaba Groupの2026年3月期第4四半期決算では、Cloud Intelligence Groupの売上が416.26億元、前年同期比38%増となった。外部顧客向け売上は40%増で、AI関連プロダクトの採用拡大が主因の一つと説明されている。クラウド内AI関連プロダクト売上は89.71億元で、外部顧客向け売上の30%を占め、11四半期連続の3桁成長だった。
この数字を見ると、M890、Panjiu AL128、Qwen3.7-Maxは別々の製品発表ではなく、クラウド収益を伸ばすための同じ装置に見える。モデルが高度化し、エージェント実行が長時間化すれば、計算資源、メモリ、ネットワーク、運用基盤への要求は上がる。Alibabaはそこで、Qwenの利用を増やすだけでなく、その推論や訓練を支える自社チップとラックを持つことで、コスト、供給、サービス差別化を同時に管理しようとしている。
今回の発表で確定したのは、M890が世界最速のAIチップになったことではない。確定したのは、Alibabaがエージェント型AIをクラウド成長の中心に置き、その計算基盤を外部GPU調達だけに任せない姿勢を明確にしたことだ。次に見るべき点は、独立ベンチマークでのM890の実効性能、Panjiu AL128の実運用での効率、そしてQwen3.7-Maxが35時間級のエージェント実行をどれだけ企業利用に変えられるかだ。



