Appleは2026年7月10日、OpenAIと同社のハードウェア責任者らがAppleの営業秘密を不正に取得したとして、米カリフォルニア北部地区連邦地方裁判所に提訴した。41ページの訴状が描くのは、退職者が資料を持ち出したという個人事件ではない。Appleは、OpenAIの採用面接が未発表製品の情報や実物部品を集める場として使われ、取引先に預けた製造ノウハウまでOpenAIの機器開発へ流れたと主張している。
被告は元AppleのエンジニアChang Liu、OpenAI最高ハードウェア責任者のTang Yew Tan、OpenAI Foundation、OpenAI Group PBC、io Productsである。訴状に載っているのはApple側の主張だけで、裁判所はまだ事実認定をしていない。それでも訴えの組み立てには注目する価値がある。OpenAIが元社員を雇った事実そのものではなく、同社が秘密情報の取得と利用にどう関与したかを、面接資料や端末の記録、サプライヤーとの接触に結びつけて描いているからだ。
退職後に開いた社内ストレージと1,000ページ超の資料
Chang LiuはAppleで8年間、システム電気エンジニアとして製品開発に携わり、2026年1月にOpenAIへ移った。Appleによると、Liuは退職時に業務用ノートPCを返却しなかった。退職後もAppleのネットワークへ認証済みの端末を手元に残していたという。
訴状が転機として挙げるのは2月9日頃のアクセスである。Liuは退職後もクラウド型の社内ストレージに入れる認証上の不具合を見つけ、OpenAIで働きながら数週間にわたって機密ファイルを取得したとされる。Appleは発見後にこの不具合を修正した。影響を受けた少数の他ユーザーについては、機密情報へアクセスした形跡が見当たらないとも説明している。
取得したとされる資料には、技術プレゼンテーションや表計算ファイル、PDFなどが含まれ、まとめて1,000ページを超えるという。なかにはMLB、すなわち多層基板またはメインロジックボードの製造・検査手順を扱う資料があった。検査で得るデータの読み方や使用機器、各装置で診断できる不具合まで記されていたとAppleは主張する。製品の外形ではなく、量産時に良否を見分ける工程知識が争点に入っている。
Appleはさらに、Liuが当時Appleに在籍していた同僚へ、セキュリティ部門の調査を避けながらファイルをコピーする方法を助言したと訴えている。その同僚がOpenAIの面接を受ける前には、未発表製品に関するどの社内資料を勉強すべきか指示し、検出を避けるためLINEで連絡するよう求めたという。同僚は4月にAppleを離れ、OpenAIから採用された。この経緯は今後、被告側の回答と証拠開示を通じて検証されることになる。
採用面接が秘密情報の収集経路だったとの主張
もう一人の個人被告Tang TanはAppleに24年間在籍し、直近ではiPhoneとApple Watchの製品設計担当副社長を務めた。現在はOpenAIの最高ハードウェア責任者である。Appleは、Tanが採用面接でApple内部の開発コード名を使い、未発表製品の進捗を尋ねたと主張する。
訴状に記された面接指示は踏み込んでいる。候補者には「Technical Deep Dive」のスライドに加え、CADや設計成果物と試作品を示すよう求めたという。部品選定の考え方やシステム統合に使うツール、取引先の選び方も説明対象だった。さらにバッテリーやSiP、メインロジックボードなど、Appleの実物部品を「show and tell」用に持参するよう指示した例も挙げられている。ある候補者は、部品をオフィスから持ち出せるとは知らなかったと驚きを示したという。
人材の移動と営業秘密の不正取得は同じではない。新しい勤務先が、前職で身につけた一般的な技能や経験を使うことまで禁じれば、転職そのものが成立しなくなる。今回の訴状でAppleが線を引こうとしているのは、経験を持つ人材の採用と、社内資料や未発表部品を持ち込ませる行為の間だ。
主張はApple社内からの取得で終わらない。Appleは、OpenAIとioがAppleの取引先に対し、Appleが長年開発した多段階の金属仕上げ工程を実行させたと訴えている。取引先にはAppleとの守秘義務と利用制限があったが、OpenAI側はAppleの許可を得ていると誤信させたという。別の取引先には、電源やバッテリーに関する製造設計を、Apple内部の用語を使って質問したとも主張した。裁判所がここを事実と認めれば、争いは社員の端末管理から、Appleが構築した製造網の利用へ広がる。
xAI訴訟の棄却が示した立証の壁
わずか1カ月前、OpenAIを相手取った似た構造の訴訟を裁判所が退けている。xAIは、元社員がソースコードなどを持ち出してOpenAIへ移ったとして、連邦営業秘密防衛法に基づきOpenAIを訴えた。しかし同じカリフォルニア北部地区の裁判所は6月15日、OpenAIが持ち出しを促したことや、秘密情報だと知って取得・利用したことを十分に主張できていないとして、再修正を認めず請求を棄却した。
同事件で裁判所は、xAIの主張だけではOpenAIによる不正取得を合理的に推認できないと判断した。元社員が前の勤務先の情報を保有していたとしても、OpenAIがそれを取得、開示、利用したという具体的な主張につながっていなかったためだ。社員が転職前に資料を持ち出したという時間的な近さも、同事件ではOpenAIの責任を導く根拠にならなかった。
Appleの訴状は、この穴を意識したように読める。Tanが社内コード名を使って質問したこと、面接担当者が試作品や部品の持参を求めたこと、OpenAIの機器開発中にLiuが資料を取得したこと、取引先へ秘密工程を実行させたこと。これらを並べ、OpenAIの認識と利用を直接主張している。ただし、これはAppleが訴状で示した筋書きである。OpenAI側は、情報が営業秘密に当たるのか、取得や利用を知っていたのか、Appleにどの損害が生じたのかを争える。xAI事件との違いが、請求を証拠開示へ進めるだけの具体性を持つかが最初の関門になる。
差止めの狙いはハードウェア、ChatGPT契約は対象外
OpenAIは2025年7月、io Productsのチームが同社へ正式に統合されたと発表した。Jony IveとLoveFromは独立を保ちながら、OpenAI全体の設計を担う。公式文書は製品カテゴリーを明かしていないが、従来型の製品やインターフェースを越える構想が「具体的なデザイン」へ進んだと説明している。Appleの訴えが向かうのは、この消費者向けハードウェア開発である。
Appleが求める救済には、営業秘密の保有・使用・開示を禁じる仮差止めと恒久差止め、証拠の保存、Apple資料の返還が含まれる。損害賠償、不当利得、合理的なロイヤルティー、懲罰的な加算賠償、弁護士費用も請求した。連邦法は故意かつ悪意ある不正取得が認められた場合、実損などに対する賠償額の2倍まで加算を認める。一方で、知識を持っているという理由だけで雇用関係を禁じることは認めていない。差止めが認められるとしても、対象は立証された秘密とその利用へ絞られる。
両社の既存関係について、訴状は明確な境界を置いた。AppleとOpenAIは2024年、SiriなどからChatGPTを利用できる統合を発表している。だがAppleは脚注で、この書面契約は今回の事件と関係がなく、争いの対象ではないと記した。請求にもChatGPT統合の停止は含まれていない。したがって現段階で、Apple製品上のChatGPT機能に直ちに変更が生じる根拠はない。
まず確認すべきは、OpenAIが訴状へどう答え、裁判所が証拠保全や仮差止めをどこまで認めるかだ。Appleが主張する面接記録と取引先での工程利用が裏づけられれば、OpenAIの機器開発は、設計の独自性を裁判手続きの中で説明する必要に迫られる。