AppleがWWDC26で示したRAW 9は、写真アプリに新しいノイズ低減ボタンを足す話ではない。iPhoneからVision Proまで、Apple製品がRAWファイルを表示・編集するときに通るOS標準の現像パイプラインそのものが変わる。中核は、従来は別々の段階だったデモザイクとノイズ低減を、タイル化されたCore MLモデルで一度に扱う点だ。
RAW現像は、撮影後の見た目を決める最後の飾りではなく、センサーから出た未完成のデータを画像へ変える入口である。ここが変わると、新しいカメラで撮った写真に加え、何年も前に保存したRAWの再現結果も変わる。Appleが「これまでで最大のアップデート」と呼んだ理由は、AI処理を写真編集の追加機能として置いたからではなく、RAWの基礎工程へ入れたからだ。
デモザイクとノイズ低減を同時に解く
RAWファイルは、JPEGやHEIFのようにすぐ表示できる完成画像ではない。Appleの説明では、Core Imageはまずメタデータを読み、センサー値を取り出す。その時点の各画素は赤、緑、青のどれか一色の情報しか持たない。次にデモザイクで各画素にRGB値を補い、ノイズ低減、エッジや局所コントラストの処理、ホワイトバランスや露出、色、トーンの調整へ進む。
RAW 9が手を入れたのは、この最初の山場である。従来のRAW処理では、色を補間するデモザイクと、輝度ノイズや色ノイズを抑える処理が別工程になりやすかった。RAW 9では、タイル化されたCore MLモデルがデモザイクとノイズ低減をまとめて処理する。モデルはApple Neural Engine上でデバイス内実行される。
この変更は、特に高ISOの写真で効く。AppleはCanon 5D Mark IIIのISO 51,200のクレヨン写真を例に出し、RAWデータ上では輝度ノイズと色ノイズで個々の色が判別しにくい状態から、RAW 9では色の分離とハイライトの見え方が改善すると説明した。Sony Alpha 7 IIの低ノイズ画像では細かな文字、Fujifilm X-T5のISO 12,800の刺しゅう糸では布地の質感と小さな文字が例示された。
Fujifilm X-T5の例は意味が大きい。X-Trans CMOSは一般的なBayer配列と異なるカラーフィルター配列を持ち、デモザイクが難しいセンサーとして知られる。Appleがその例を選んだのは、RAW 9をiPhone写真のノイズ低減だけに閉じた更新として見せないためだ。Core Image RAWは、外部カメラで撮ったRAWをMacやiPadで開く時にも使われる。
784モデルの土台に乗る、ただし全機種一斉ではない
Appleによれば、Core Image RAWの対応は2006年の21機種から、WWDC26時点で784機種まで増えた。Apple Supportの現行ページも、iOS 26、iPadOS 26、macOS 26、visionOS 26で多くの第三者カメラのRAWにOSレベルで対応していることを示している。RAW 9は、この互換性の積み上げの上に載る。
ただし、784という数字をRAW 9の初期対応台数と読み替えると誤る。AppleはOS 27のリリース時に「数百」のモデルがRAW 9を使えると説明しており、主要なプロ向けカメラベンダーを含むとしている。対応リストはOSの無線アップデートで増えていく。RAW 9が新しいRAW形式を作るのではなく、Core Image側の現像バージョンを増やす更新であるためだ。
DNGをネイティブ撮影するカメラは、RAW 9で自動的にサポートされる。Appleはその例としてiPhoneを挙げた。ここで効くのは、iPhoneのProRAWを含むDNG系の写真を、後から新しいアルゴリズムで現像し直せるというRAW本来の性質である。撮影時のセンサー情報を残していれば、ソフトウェアの進歩が過去の写真にも戻ってくる。
写真家にとっての変化は、専用アプリを買い替えるかどうかとは別の場所にある。Photos、Finder、Previewのようなシステム側の表示、Image IOを使うアプリ、CIRAWFilterを使う編集アプリが、AppleのRAW処理の品質に依存している。Core Image RAWが更新されると、OS標準の写真体験の下限が上がる。
第三者アプリはRAW 9を明示的に選ぶ
開発者向けには、RAW 9の採用条件がはっきりしている。Appleは、CIRAWFilterでRAW 9はデフォルトでは有効にならないと説明した。アプリはsupportedDecoderVersionsにversion9が含まれるかを確認し、decoderVersionをversion9に設定して初めてRAW 9を使う。さらに、新しいsupportedCameraModelsで、特定の現像バージョンがどのカメラをサポートするかを取得できる。
編集UIにも変化が出る。CIRAWFilterには現在20の調整可能な較正プロパティがあり、Appleは露出と輝度ノイズ低減を主要な操作として挙げた。シャープネスとコントラストも、RAW画像の見え方を変える重要な調整として扱われる。一方で、RAW 9ではcolorNoiseReductionAmountが効かなくなる。色ノイズはCore MLモデルが自動処理するためだ。detailAmountとmoireReductionAmountもRAW 9では不要になり、サポートされない。
これは、ユーザーが触れるスライダーが単純に増える更新ではない。むしろ一部の古い調整は消え、モデルが現像の早い段階で判断する領域が増える。編集アプリは、RAW 8以前と同じUIをそのまま残すだけでは、RAW 9の挙動を正しく表せない。写真アプリの開発者にとっては、画質改善と同時にUI設計の見直しが発生する。
処理負荷も無視できない。Appleは、RAW 9が従来より性能とリソースを多く使い、Core MLモデルを1枚の画像に対して数百回実行すると説明している。インタラクティブ編集では縮小表示時にscaleFactorを使い、ビューごとに1つのCIContextを置き、cacheIntermediatesを有効にすることが推奨される。書き出しでは逆にcacheIntermediatesを無効にし、iOSで保守的に256MBに設定されるメモリ上限を512MBまたは1024MBへ上げる選択肢が示された。
専用現像ソフトとの違いは配布経路にある
AIによるRAWノイズ低減は、写真編集市場では新しい発想ではない。PetaPixelは、DxOのDeepPRIME系もデモザイクとノイズ低減を一体で扱う例として挙げている。RAW 9の新しさは、その競争へAppleが単独の現像アプリとして入ることではない。OS標準のCore Image APIに、同じ方向の処理を組み込む点にある。
この違いは大きい。AdobeやCapture Oneのように独自のRAWエンジンを持つアプリは、自社の画作り、レンズ補正、ワークフローを維持する理由がある。一方で、Core Imageに依存する小規模な写真アプリや、OS標準の表示・編集体験は、AppleがRAW処理を更新するだけで画質面の恩恵を受けやすい。RAW 9は、プロ向け現像ソフトを置き換える更新ではなく、Appleプラットフォーム全体のRAW処理の基準線を引き上げる更新である。
同時に、Appleは客観的なベンチマークを公表していない。示されたのは、Sony α7 II、Canon 5D Mark III、Fujifilm X-T5の比較例と、開発者向けのAPI説明だ。画質の最終評価は、OS 27の正式版、実アプリでの採用、同じRAWファイルを複数エンジンで現像した比較が出てから固まる。
次に見るべき数字は三つある。OS 27公開時にRAW 9へ対応するカメラモデル数、主要アプリがversion9を採用する時期、そして高画素RAWの編集・書き出しでどれだけメモリと時間を使うかだ。RAW 9の価値は、Appleのデモ画像よりも、古いRAWアーカイブと日常の編集待ち時間の中で測られる。