中国メディアの財聞は2026年11月3日、DeepSeekが次世代AIモデル「DeepSeek V5」の主要な学習基盤として、HuaweiのAIチップ「Ascend 950」を採用する計画だと、業界関係者の話として報じた。科創板日報も同日、複数のサプライチェーン関係者への取材を基に、DeepSeekがAscendを使ったV5の事前学習を計画していると伝えている。
事前学習は、大量のデータを使ってAIモデルの基礎的な能力を構築する工程だ。HuaweiのAscendでは、これまでDeepSeekモデルの推論に加え、既存モデルに追加学習を施す後学習の実績も報告されている。しかし、新モデルの事前学習を大規模に実施するには、演算性能だけでなく、長期間の安定稼働や分散学習を支えるソフトウェア基盤が必要になる。今回の計画は、中国製AIチップが次世代フロンティアモデルの開発基盤として本格的に利用できるかを試す重要な動きとなる可能性がある。
DeepSeek V5は2027年を視野に、学習基盤はなお選定段階
財聞によると、DeepSeek V5の開発計画は2027年の実現を視野に入れている。ただし、使用する学習基盤は現在も選定段階にあり、Ascend 950の採用が正式に決まったわけではない。2027年という時期も、モデルの公開日や学習完了日として確約されたものではない。
二つの報道には、対象とする技術の説明にも違いがある。財聞はAscend 950を中核的な学習基盤として利用する計画を伝え、科創板日報はAscendを使った「事前学習」を明示している。いずれも匿名の業界関係者への取材に基づく情報であり、DeepSeekやHuaweiによる正式発表ではない。モデルのパラメータ数や能力、使用するチップの数量、具体的な学習スケジュールも明らかになっていない。
今回の計画を評価するには、Ascendでこれまでに実証された学習能力と、V5で新たに求められる能力を区別する必要がある。
1.6兆パラメータの後学習は実証済み、事前学習とは何が違うのか
中国の深圳河套学院は2026年5月、HuaweiのAscend 910Cを搭載した大規模計算基盤を使い、1.6兆パラメータの「DeepSeek-V4-Pro」で全パラメータ後学習を実施したと発表した。9月24日に公開した活動報告でも、この成果を改めて紹介している。同学院によると、学習基盤の最適化によってモデルの計算資源利用率(MFU)は11.67%から34.22%へ改善した。
この実績で重要なのは、「全パラメータ後学習」という工程の違いだ。全パラメータとは、学習時にモデルの重みをすべて更新対象にすることを意味する。しかし、すでに学習済みのモデルから始める後学習と、大量のデータを使ってモデルの基礎能力を構築する事前学習では、計算量や学習期間、必要なシステムの安定性などが異なる。
AIモデルの主要な処理工程を整理すると、次のようになる。
| 工程 | 主な目的 | Ascendで確認できる実績・計画 |
|---|---|---|
| 推論 | 学習済みモデルを使って回答などを生成する | DeepSeekモデルの推論環境として利用実績あり |
| 後学習 | 学習済みモデルを追加学習し、能力や振る舞いを調整する | 深圳河套学院がAscend 910CでDeepSeek-V4-Proの1.6兆パラメータを対象とする全パラメータ後学習を実施したと報告 |
| 事前学習 | 大量のデータから新しいモデルの基礎能力を構築する | DeepSeek V5でのAscend採用計画が報道された段階 |
深圳河套学院による成果は、大規模な既存モデルのすべての重みを、中国製AIチップで更新できることを示す実例となる。一方、DeepSeek V5の事前学習には、モデルの基礎能力を構築するための長期間の学習を、安定して継続する能力が求められる。したがって、V4-Proの後学習に成功したことだけで、V5の事前学習にも十分対応できると判断することはできない。
DeepSeekが公開したAscend向けの演算・通信ライブラリ
事前学習に必要なのは、AIチップ単体の演算性能だけではない。大規模モデルでは、多数のチップに計算を分散させ、チップ間でデータを頻繁にやり取りする必要がある。DeepSeekは2026年9月30日、Ascend向けのソフトウェア基盤を公開しており、その中核となるのが「DeepGEMM-Ascend」と「DeepEP-Ascend」だ。
DeepGEMM-Ascendは、AIモデルの主要な計算処理である行列積(GEMM)を高速に実行するライブラリだ。Ascend 950に対応し、BF16、FP8、FP4といった異なる数値精度の演算をサポートする。従来のDeepGEMMとAPI互換性を持つため、対応する演算処理については既存のプログラムから利用しやすい。ただし、これはライブラリのAPIに関する互換性であり、NVIDIAのCUDA向けソフトウェアがすべて変更なしで動作することを意味するものではない。
一方、DeepEP-Ascendは、Mixture of Experts(MoE)モデルに必要な通信を高速化するライブラリだ。MoEでは入力データに応じて処理を担当する専門ネットワーク(Expert)を選択するため、複数のチップ間でデータを振り分け、処理結果を集約する必要がある。DeepEP-Ascendは、この振り分け(dispatch)と集約(combine)を担い、学習と推論の両方で共通のEPBufferインターフェースを利用できる。
学習時には、モデルの出力を計算する順伝播だけでなく、誤差を逆方向に伝えて重みを更新する逆伝播も必要となる。DeepEP-Ascendには、逆伝播時にdispatchとcombineを逆の役割で再利用する処理も実装されている。演算と通信の両方に学習向けの仕組みが用意されていることは、Ascendによる事前学習を目指すうえで重要な技術的基盤となる。
行列積で理論性能の99.8%を達成、ただし学習全体の効率ではない
DeepGEMM-Ascendの公開資料には、Ascend 950DTを使った性能測定結果も示されている。CANN 9.20環境でBF16同士の行列積を実行したところ、演算性能は431 TFLOPSに達し、資料に記載されたハードウェアの理論値432 TFLOPSに対して99.8%の利用率を記録した。TFLOPSは、1秒間に実行できる浮動小数点演算の回数を表す指標だ。
測定条件は行列サイズがM=4096、N=7168、K=16384で、L2キャッシュに対象データが残っていない状態で実施された。これは特定の行列積処理において、演算器の能力をほぼ最大限に引き出せたことを示す結果である。
ただし、99.8%という数字はAIモデル全体の学習効率ではない。 実際の事前学習では、行列積以外にもデータ転送、チップ間通信、逆伝播、重みの更新など、多数の処理が発生する。こうした処理の待ち時間やシステム全体の安定性を含めた学習効率は、単体の演算性能からは算出できない。また、この測定値をそのままNVIDIA製GPUとの性能比として扱うこともできない。
通信ライブラリ側にも制約がある。DeepEP-Ascendの性能測定は、Ascend 950DTとCANN 9.2.0を使用し、DeepSeekに提供された概念実証用ハードウェア開発キット(PoC HDK)に追加設定を施した環境で実施された。公開資料の性能値は、この特定環境で得られたものであり、一般に利用できる商用構成でも同じ性能が出ることを保証するものではない。
さらに、公開版のDeepEP-Ascendでは、分散学習に使うreduce-scatterやall-reduceのAscend向けカーネルが開発中とされている。MoEのExpert間で処理負荷を均等化するための通信カーネルも、APIは用意されているものの未実装だ。ただし、これは公開リポジトリの実装状況であり、別のライブラリや社内向け実装の有無までは分からない。そのため、公開コードに未実装の機能が残っていることだけで、DeepSeek V5の事前学習が実行できないとは判断できない。
DeepSeek V5の計画が実現すれば、HuaweiのAscendは既存モデルの推論や後学習にとどまらず、次世代フロンティアモデルの基礎能力を構築する工程にも本格的に使われることになる。しかし、現時点で確認できるのは学習基盤の採用計画に関する報道と、それを支えるソフトウェアの開発状況までだ。今後は、実際に使用するAscendのチップ構成、学習規模と期間、継続運用時の効率、完成したモデルの品質が明らかになるかが焦点となる。これらが確認されて初めて、中国製AIチップが大規模な事前学習をどこまで担えるのか、具体的に評価できるようになる。



