ロケットや人工衛星の推進システムでは、燃料の保管安定性と供給のしやすさを両立させることが重要な課題となっている。液体推進薬は配管を通じて供給しやすく、流量も精密に調整できるが、微小重力環境や姿勢変更時には、タンク内部で燃料が揺れ動く「スロッシング」が発生する。この揺れは宇宙機の姿勢制御に悪影響を及ぼすほか、タンクへの負荷や気体の吸い込みによる燃料供給の不安定化につながるおそれがある。長期間の軌道上保管では、弁やシール部分からの燃料漏れを防ぐことも欠かせない。
一方、固体推進薬は燃料が流動しないため、スロッシングや液体の漏洩を心配する必要がない。しかし、一般的な固体ロケットモーターは、一度点火すると推力の細かな調整や燃焼停止後の再着火が難しい。こうした液体と固体の長所を兼ね備える候補として、液体燃料をゲル状にした「ゲル推進薬」の研究が進められてきた。静止時には固体のように形状を保ち、必要なときには液体のように流動させるという発想だ。ただし、従来のゲル燃料には粘度の制御が難しいという課題があり、配管内の圧力損失やインジェクターでの微粒化不良が実用化を妨げてきた。
カナダのコンコルディア大学ジーナ・コーディ工学・計算機科学部のPranay Mudaliar氏とJerin John准教授は、ケロシンを主成分とする新たなゲル燃料を開発し、その流動特性と熱応答を詳しく調べた。研究成果は学術誌『Langmuir』に2026年7月29日付でオンライン公開され、同誌第42巻第35号(25399〜25414ページ)に掲載された。研究チームは、天然由来のレシチンと微量の塩化カルシウムを用いてケロシンをゲル化し、せん断力や温度、化学的刺激によって粘弾性がどのように変化するかを明らかにした。ただし、今回実施されたのは材料の基礎物性試験であり、ロケットエンジンでの燃焼試験や宇宙空間での実証ではない。
紐状ミセルがケロシンをゲル化する仕組み
研究チームが開発した材料は、航空宇宙分野でも使われる炭化水素燃料のケロシンに、天然由来のレシチンと低濃度の塩化カルシウム(\text_2)を加えたものだ。レシチンは生体膜の構成成分としても知られる物質で、今回はゲル化剤として使用されている。論文によると、得られたゲルは全体として燃焼可能であり、光学的にも透明だという。この透明性は、将来的に配管やインジェクターの内部で燃料がどのように流動・変形するかを、光学的に観察する際に役立つ可能性がある。
ゲル化の鍵となるのが、塩化カルシウムによって促進されるレシチン分子の自己組織化だ。二価のカルシウムイオンがレシチンの極性頭部と相互作用することで、分子が自発的に集合し、細長く柔軟な「紐状ミセル(worm-like micelles)」を形成する。これらのミセルが互いに絡み合って三次元の網目構造を作り、内部にあるケロシンの流動を抑える。つまり、ケロシンそのものを固化させるのではなく、分子の集合体によって液体の動きを制限する仕組みである。
ゲル化剤の濃度を高めると、材料の性質は粘性液体に近い状態から、弾性が優勢な固体に近い状態へと変化する。ここでいう「ゲル」は従来の固体推進薬とは異なり、粘性と弾性を併せ持つ粘弾性材料であり、流動時には非ニュートン流体として振る舞う。また、レシチンは有機物として燃焼に寄与する一方、網目構造の形成を促す塩化カルシウム自体は燃料成分ではない。研究チームは、こうした構造が外部からの力や熱に対してどのように応答するかを、レオメーターなどを用いて詳しく調べた。
せん断速度が100倍になると粘度は100分の1に
ゲル推進薬を実用化する上で重要な性質の一つが、「せん断減粘性(shear-thinning)」である。これは、流体に加わるせん断速度が大きくなるほど、見かけの粘度が低下する性質を指す。燃料タンク内で静止しているときには流動を抑え、エンジンに燃料を供給する際には配管内を流れやすくなることが望ましい。こうした性質を備えた材料であれば、保管時の安定性と燃料供給のしやすさを両立できる可能性がある。
研究チームが実施した定常せん断流動試験では、合成したケロシンゲルに顕著なせん断減粘性が確認された。せん断速度を1\text^-1から100\text^-1へと100倍にすると、見かけ粘度は約100分の1に低下した。ただし、比較前後の粘度の絶対値は、確認できた公開資料には記載されていない。この粘度低下は、絡み合った紐状ミセルがせん断流によって配向・再編成され、流れに対する抵抗が小さくなるためと考えられる。
さらに、材料が流動を始める際の目安となる降伏応力は14〜40 Paの範囲にあり、ゲル化剤の濃度が高くなるほど増加した。これは、ミセルの網目構造が密になるにつれて、流動を開始させるために必要な応力も大きくなることを意味する。ゲルの組成によって降伏応力を調整できることは、燃料の保形性と供給特性を設計する上で重要な知見となる。
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"title": "せん断速度に伴うケロシンゲルの粘度低下",
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}研究チームは、微小な変形に対する応答を調べる振動試験も実施した。ひずみ振幅が1%未満の線形粘弾性領域では、弾性的な応答が粘性的な応答を上回ることが確認された。ケロシン含有量90%の試料であるゲルを用いた比較試験では、ゲル状態の貯蔵弾性率$G'$が損失弾性率$G''$を明確に上回っていた。貯蔵弾性率は変形時にエネルギーを蓄えて元に戻ろうとする性質を、損失弾性率はエネルギーを散逸させる粘性的な性質を表す指標である。一方、ゲル化剤を加えていない液体ケロシンでは$G''$が$G'$を上回り、液体としての性質が優勢だった。
さらに、大きな変形に対する応答を調べる大振幅振動せん断(LAOS)試験では、弾性的な寄与と粘性的な寄与を分離して解析した。その結果、ひずみの増加に伴い、振動の各周期における応力とひずみの応答波形が次第に歪むことが分かった。これは、大きな変形を受けるにつれてミセルの網目構造が徐々に崩れていく過程を反映していると考えられる。単に粘度が下がるだけでなく、ゲル内部の構造が外力によってどのように変化するかを捉えた点も重要である。
これらの結果は、ゲル燃料を配管に流したり、インジェクターから噴射したりする際の抵抗を抑えられる可能性を示している。ただし、レオメーターで粘度の低下を確認したことと、燃焼室で燃料を細かな液滴に分裂させる「微粒化(atomization)」が適切に行われることは別の問題だ。今回の研究では、実際のインジェクターによる噴霧パターンや液滴径の分布、燃焼効率までは検証されていない。せん断減粘性が実際の推進システムでどの程度の利点をもたらすかは、今後の実機に近い条件での試験によって明らかにする必要がある。
加熱とエタノール添加で液状化する仕組み
研究チームは、せん断力に加えて、温度と化学的刺激によってゲルの状態がどのように変わるかも調べた。温度を変化させながら粘弾性を測定した温度掃引試験では、59〜68℃の範囲で材料の応答が大きく変化した。低温では貯蔵弾性率$G'$が損失弾性率$G''$を上回っていたが、加熱に伴って両者の大小関係が逆転し、$G''$が優勢になった。これは、ゲルが固体に近い弾性的な状態から、流動性の高い液体に近い状態へと移行したことを意味する。
ただし、59〜68℃という温度範囲は、すべての配合に共通する単一の融点ではない。ゲル化剤の濃度や組成によって転移温度は変わり、網目構造が密な試料ほど高い温度までゲル状態を維持する傾向が見られた。温度が上昇すると、分子の熱運動によってカルシウムイオンとレシチンの相互作用が弱まり、紐状ミセルの網目構造が維持されにくくなると考えられる。こうした熱応答を利用すれば、燃料の流動性を温度によって制御できる可能性がある。
化学的な刺激に対しても、特徴的な応答が確認された。ゲルにエタノールを数滴加えると、材料はほぼ瞬時に液状化した。これは、極性を持つエタノール分子がレシチンの自己組織化状態に影響を与え、ケロシンを保持していたミセルの網目構造を崩すためと説明されている。機械的に強いせん断力を加えなくても、添加物によってゲルの流動性を大きく変えられることが分かった。
論文の補足データに含まれる振幅掃引試験でも、エタノール添加後の試料では$G''$が$G'$を上回り、粘性的な応答が優勢になることが確認された。こうした化学的な液状化は、燃料供給を制御する新たな方法につながる可能性がある。ただし、エタノールを添加すれば燃料組成も変わるため、実際の推進システムに応用するには燃焼特性や供給系への影響を調べなければならない。
今回の研究で確認された主な物性と、それぞれの結果が推進工学に持つ意味を整理すると、次のようになる。数値は論文およびコンコルディア大学の公式発表に基づく。なお、推進システムへの応用可能性は材料特性から考えられるものであり、実機性能が確認されたことを意味しない。
| 条件・試験項目 | 観察された材料応答 | 測定結果・詳細 | 推進工学上の意味と残された課題 |
|---|---|---|---|
| 定常せん断試験 | せん断減粘性 | せん断速度が1\text^-1から100\text^-1へ増加すると、粘度が約100分の1に低下。降伏応力は14〜40 Pa | 燃料供給時の流動抵抗を抑えられる可能性があるが、高圧噴射や微粒化は未実証 |
| 微小振動試験 | 弾性が優勢な線形粘弾性応答 | ひずみ1%未満で$G' > G''$となり、固体に近い応答を示す | 静止保管時の保形性を示すが、打ち上げ時の大きな荷重への耐性は未確認 |
| 大振幅振動せん断(LAOS) | 網目構造の段階的な破壊 | 応力・ひずみ応答の歪みから弾性と粘性の寄与を分離 | 大きな変形を受けた際の構造変化を把握するための基礎データ |
| 温度掃引試験 | 加熱によるゲルの液状化 | 59〜68℃で$G''$が$G'$を上回る状態へ移行。転移温度は組成に依存 | 温度による流動制御の可能性。ただし、冷却後の回復や繰り返し使用時の挙動は未確定 |
| エタノール添加試験 | 化学的刺激による急速な液状化 | 少量の添加でミセル構造が崩れ、$G'' > G'$の液体的な応答へ移行 | 化学的な流動制御に応用できる可能性があるが、燃料組成の変化や供給系の複雑化が課題 |
| 長期密封保管観察 | 目視可能な相分離なし | 密閉容器内で1年以上静置しても、肉眼で確認できる相分離は発生せず | 静置保管時の安定性を示すが、宇宙環境での長期保管性能は未検証 |
重要なのは、これらが実験室の試料で確認された物理化学的な応答であるという点だ。実際の燃料タンクや配管にヒーターを設けたり、エタノールを注入して流量を制御したりする仕組みが完成したわけではない。特に加熱による液状化については、冷却後に元の均一なゲル構造が完全に回復するのか、加熱と冷却を繰り返しても同じ特性を維持できるのかという点が、確認できた公開データだけでは十分に分からない。温度を使って繰り返し流動状態を切り替えるには、こうした可逆性と耐久性の検証が欠かせない。
1年以上の保存安定性と宇宙運用の間にある課題
ゲル推進薬に期待される利点の一つが、長期間にわたる燃料の安定した保管である。コンコルディア大学によると、今回開発したゲルは密閉容器内で1年以上保管しても、目視で確認できる相分離を起こさなかった。微小な変形に対して弾性的な性質が優勢だったというレオロジー試験の結果も、静置時に形状を保ちやすいことを裏付けている。長期間の保管が必要な人工衛星や探査機の推進システムにとって、こうした性質は魅力的だ。
ただし、地上の密閉容器で長期間安定していたことが、そのまま宇宙空間での保管性能を保証するわけではない。ロケットの打ち上げ時には強い振動や音響負荷、加速度が加わり、軌道上では日照条件による温度変化や放射線などの影響を考慮する必要がある。燃料タンク内部は外部の真空や温度変化に直接さらされるわけではないものの、宇宙機の熱制御や遮蔽性能に応じて、燃料が受ける環境も変化する。地上で静置した試料の安定性だけでは、こうした複合的な負荷に耐えられるかどうかは判断できない。
2025年に学術誌『Aerospace』に掲載されたゲル燃料のレオロジーと安定性に関するレビュー論文でも、静置時の安定性と、外力が加わる運用環境での安定性を区別する重要性が論じられている。ゲル燃料は非ニュートン流体であるため、振動やせん断力によって内部構造が変化し、流動特性も変わる可能性がある。実際の打ち上げを模した振動試験でミセルの網目構造が維持されるか、長期保管中に溶媒であるケロシンがゲルから分離する「離液(シネレシス)」が発生しないかを確かめる必要がある。温度変化や繰り返しの機械的負荷を受けた後でも、当初の物性が保たれるかどうかも重要な評価項目となる。
スロッシングの抑制や燃料漏れの低減についても、現段階では材料特性から期待される効果にとどまっている。ゲルが静止時に固体に近い性質を持つことは確認されているが、実際の燃料タンクで液面の揺れがどの程度抑えられるかを測定したわけではない。また、ゲルの降伏応力が14〜40 Paであることから分かるように、十分な外力が加われば流動が始まる。したがって、打ち上げ時の加速度や姿勢変更に伴う外乱に対して、どの程度の流動抑制効果が得られるかを定量的に評価する必要がある。
実用化に向けたもう一つの大きな課題が、燃焼室への燃料供給と微粒化である。前述のレビュー論文でも指摘されているように、降伏応力や粘弾性を持つゲル燃料は、流動条件によってはインジェクター内で大きな圧力損失を生じる。また、燃料を噴射した際、通常の液体燃料のように細かな液滴へ均一に分裂せず、液滴同士がつながった紐状の構造(リガメント)や凝集塊を形成する場合がある。こうした微粒化の不良は、燃料と酸化剤の混合を妨げ、燃焼効率の低下や燃焼不安定性、未燃焼成分の残留につながるおそれがある。
今回のケロシンゲルについては、こうした問題が実際に発生するかどうかも含めて、噴霧・燃焼特性がまだ明らかになっていない。コンコルディア大学も公式発表で、宇宙機の推進システムにおける性能を判断するには、実際の装置を用いた試験が必要だと説明している。今回の研究では、比推力(I_})や燃焼効率、着火性能、推力調整(スロットリング)能力などは測定されておらず、航空宇宙用途に必要な安全性や信頼性が実証されたわけでもない。実用化に向けては、今回得られた材料物性データを基に、噴射試験、燃焼試験、環境耐性試験へと検証を進める必要がある。
ロケット燃料として実用化するための検証
今回の研究は、天然由来のレシチンと塩化カルシウムを用いることで、ケロシンに特徴的な粘弾性を与えられることを明らかにした。特に、静止時の保形性と、せん断力による大幅な粘度低下を併せ持つ点は、ゲル推進薬の材料設計にとって重要な成果といえる。一方、実験室で得られた物性が、そのままロケットエンジンの作動条件でも維持されるとは限らない。実用化には、少なくとも流動特性、環境耐性、燃焼への影響という三つの側面から検証する必要がある。
まず重要なのが、実際のインジェクターで生じる高いせん断速度に対する応答である。今回報告された粘度の約100分の1への低下は、せん断速度が1\text^-1から100\text^-1へ増加する範囲での結果だ。一方、実際の噴射・微粒化過程では、流路や運転条件によって10^4〜10^6\text^-1程度の高いせん断速度が生じる場合がある。この領域でもせん断減粘性が維持されるのか、ミセル構造が大きく変化した後に元の状態へ戻るのかは、今回の結果だけでは判断できない。特に、噴射後の液滴形成や燃料と酸化剤の混合に、こうした構造変化がどのような影響を及ぼすかを明らかにする必要がある。
次に、打ち上げから軌道上での長期運用に至るまで、熱的・機械的な負荷に耐えられるかという問題がある。降伏応力14〜40 Paのゲルが、ロケットの振動や加速度を受けても十分な保形性を維持できるかを確認しなければならない。また、59〜68℃で液状化するという性質は、流動制御に利用できる可能性がある一方、燃料温度が意図せず上昇した場合には保管安定性を損なう要因にもなる。宇宙機の熱設計との適合性や、温度変化を繰り返した際の材料特性の変化を調べることが重要だ。
さらに、ゲル化剤が燃焼に与える影響も検証する必要がある。塩化カルシウムは微量とはいえ不揮発性の無機物であり、燃焼後に生じる成分がインジェクターやノズルの表面に堆積しないかを確かめなければならない。レシチンに含まれるリンなどの元素についても、燃焼生成物や排気の特性、燃焼室内壁の材料との適合性を評価する必要がある。これらは今回の研究で問題が確認されたという意味ではなく、実際の推進システムに組み込む際に検証すべき項目である。
今回の成果によって、ケロシンゲルの流動特性や外部刺激への応答を理解するための基礎データが得られた。ただし、材料として望ましい性質を備えていることと、ロケット燃料として十分な性能を発揮することの間には、まだ大きな隔たりがある。次の段階では、単一インジェクターによる噴霧試験で液滴径や噴射パターンを測定し、燃焼試験によって着火遅れや火炎伝播、燃焼効率を直接評価することが重要になる。静止時には安定し、必要なときには流れやすくなるという特性を、実際の推進システムでも再現できるかどうかが、この新しいゲル燃料の実用化を左右することになる。



