都心の高層ビル街や山あいの道でカーナビの位置表示がずれた経験を持つ人は少なくない。GPS単独では防ぎきれないこの誤差を埋めるために日本が独自に運用してきたのが、準天頂衛星システム「みちびき」だ。2026年8月11日午前4時23分31秒、H3ロケット9号機がみちびき7号機の打ち上げに成功した。ただし新しい衛星が実際に測位サービスへ加わるのは、軌道到達や機能確認を経た約7か月後の見通しで、それまでQZSS(準天頂衛星システム)は従来どおり5機での運用が続く。政府が掲げる「7機体制」、つまりGPSに頼らずみちびき単独で測位し続けられる体制に必要な最後の1基は、2025年12月に起きたロケット打ち上げ失敗で失われたままで、後継機と目される衛星の打ち上げも2031年度頃になる見通しにとどまる。
「6基」ではなく5機のまま:打ち上げ成功と7か月後の運用開始
みちびき7号機(QZS-7)は2026年8月11日4時23分31秒、種子島宇宙センターからH3ロケット9号機によって打ち上げられた。9回目の飛行となったこのミッションで、7号機は約29分後に分離に成功し、その後は自らの推進系で軌道を上げていく。内閣府とJAXAが公表したスケジュールでは、打ち上げから約0.5か月で準静止軌道に到達し、約2か月強で搭載機器の機能確認を完了、約3か月でEnd to End確認、約5か月で測位チューニングを終え、測位サービスの開始は約7か月後になる見通しだ。打ち上げが成功しても、QZSSの稼働数がすぐに6機へ増えるわけではない。
7号機が加わる前の稼働はQZS-1R、QZS-2、QZS-3、QZS-4、QZS-6の5機だ。2025年2月に打ち上げられた6号機が同年7月に運用へ加わって以来、この5機体制が続いている。政府が掲げる目標は、みちびき単独でGPSに頼らず測位できる「7機体制」であり、5機はその目標に対してまだ距離がある。
理由は打ち上げ成功のわずか8か月前にさかのぼる。2025年12月22日、みちびき5号機(QZS-5)を搭載したH3ロケット8号機が打ち上げに失敗し、5号機は軌道投入できずに失われた。文部科学省の中間報告によれば、衛星フェアリングの分離時の衝撃で衛星搭載アダプタ(PSS)の剥離が進み、最終的に不安定破壊に至ったことが直接要因である可能性が極めて高く、衛星はロケットの第1段・第2段の分離時点ですでに機体から離脱したと推定されている。H3ロケットの実機飛行としては2023年3月の試験機1号機以来となる失敗だった。
7機体制という目標そのものは、2011年9月の閣議決定にさかのぼる。2010年代後半の4機体制整備とあわせて、将来的な7機体制を目指す方針が国家プロジェクトとして予算化された。2017年に2号機・3号機・4号機の打ち上げが相次いで成功して4機体制が整い、2018年11月にサービスを開始した。2023年6月の宇宙基本計画改定で新たに設定されたのは、この7機体制のさらに先、1機が故障しても測位機能を維持できる「11機体制」への拡張だった。
7機体制の内訳は、準天頂軌道(8の字軌道)の衛星4機、静止軌道の衛星2機、準静止軌道の衛星1機を合わせた合計7機になる。現在稼働中の5機は準天頂軌道3機と静止軌道2機(2025年2月打ち上げの6号機が2機目)にあたり、失われた5号機は準天頂軌道の4機目を担うはずだった衛星だ。今回打ち上げられた7号機は、唯一の準静止軌道を担う衛星であり、軌道の種類としては7機体制で最後に埋まる1枠にあたる。つまり7号機が無事に運用へ加わっても、準天頂軌道の4機目という別の空白は残ったままになる。
8の字軌道はなぜGPSなしの測位を可能にするのか
QZSSの基本構成は、赤道上空にとどまる静止衛星と、日本上空で非対称な8の字を描く準天頂軌道を回る衛星からなる。8の字軌道を描く衛星は入れ替わりながら日本上空を通過するよう配置されており、常にそのうち1機がほぼ天頂、仰角60度以上の高い位置にとどまる。ビルや山に遮られにくい高仰角の衛星を常時確保できる点が、地上から見て「頭の真上に1機ある」という準天頂衛星の名前の由来になっている。
衛星測位は原理上、少なくとも4機を同時に捕捉できなければ3次元の位置と時刻を算出できない。7機体制が実現すれば、準天頂軌道4機・静止軌道2機・準静止軌道1機の組み合わせにより、常時4機以上のみちびきが日本上空に存在するようになる。これが実現して初めて、GPSやGalileoといった他国のシステムに頼らずみちびき単独で連続測位できる「持続測位」が可能になる。現在の5機体制では上空に4機がそろわない時間帯が生じるため、みちびきは今もGPS等を補完する役割にとどまる。
みちびきが実際に測位精度を底上げする仕組みは、GPS等の誤差を補正する補強信号の配信にある。一般的なGPS単独の測位誤差は5〜10m程度とされるが、みちびきのサブメータ級補強サービス(SLAS)を使えば誤差1m以下、センチメータ級補強サービス(CLAS)を使えば誤差を6cmまで抑えられる(内閣府資料)。なお、みちびきが提供するSBASは航空機向けの誤差補正・故障情報配信サービスであり、CLASやSLASとは別の用途を持つ。単独で測位を担いきる主役としての役割は、5機体制の間は実現しない。
GPS31基、BeiDou50基が示す衛星測位の格差
米国のGPSは31機、ロシアのGLONASSは24機が運用中だ(内閣府調べ、2026年3月時点)。欧州のGalileoは2026年1〜3月期の実績で補助衛星を含め最大26機が健全な信号を提供しており、中国のBeiDouは同3月時点で50機が軌道上で運用中だと発表している。日本のQZSSは7号機打ち上げ前で5機、インドのNavICは4機とされていた。測位精度にも差があり、GPSが5〜10m程度、GLONASSが10〜25m程度であるのに対し、GalileoやBeiDouは補強情報の活用で20cm程度を目指すとされる。
このうちNavICは、その後さらに状況が悪化した。NavICの基本コンステレーションは7機で、これまで後継機を含め11機が打ち上げられてきたが、2026年3月にIRNSS-1Fの原子時計が停止し、7月末時点の報道では完全な航法信号(測位・航法・時刻情報)を出せる衛星はIRNSS-1B、IRNSS-1I、NVS-01の3機まで落ち込んだと報じられている。単独測位に最低限必要な4機を下回る状態だ。
7機という数字は、内閣府の説明でも「必要最低限の機数であり、1機でも故障すると維持できない」水準とされる。みちびき自身も2025年12月のQZS-5喪失でこの脆さを直接経験しており、NavICの衰退も原子時計という単一部品の連続故障が全体の測位能力を揺るがした例だ。だからこそ日本は、7機体制の完成を待たずに、どの1機が故障しても測位を維持できる11機体制への拡張をあわせて計画している。
H3ロケットの失敗が測位主権の完成を数年単位で遠ざける
H3ロケットが最初につまずいたのは2023年3月、試験機1号機の打ち上げ失敗だった。以後は実機飛行が積み重ねられ、2025年12月22日にみちびき5号機を搭載した8号機が失敗するまでの2年9か月、H3は連続して打ち上げを成功させてきた。8号機の失敗は、この連続成功の記録を断ち切ると同時に、みちびき5号機という準天頂軌道4機目の衛星を丸ごと失う結果を招いた。
内閣府の分析によれば、5号機を欠いたまま7号機を投入した6機体制で運用した場合、7機体制の当初計画と比べて測位のカバーエリアが縮小し、特に日本北部で精度が低下するという。準天頂軌道上の衛星間で配置を再調整すれば北部の精度はある程度回復するが、7機体制が本来もたらす水準には届かないという。
改訂された宇宙基本計画工程表では、QZS-5の後継機となりうるQZS-8の打ち上げは2031年度頃になるとの報道がある。内閣府はQZS-8が5号機の直接の代替機となるかについて、2025年12月25日時点で「イエスともノーとも言えない」とコメントしており、明確な後継機は未確定のままだ。失われた5号機の穴は、数年単位ですぐには埋まらない見通しにある。
令和8年度予算案では、実用準天頂衛星システムの開発・整備・運用の推進に169.06億円が計上されており、内閣府資料はこれを公式の合計額として明記している。内訳はサービス提供に132.94億円(前年度129.55億円)、11機体制に向けた開発・整備・打上げに31.35億円(前年度34.74億円)、調整・調査に4.77億円(前年度同額)だ。11機体制向けの予算はむしろ前年度を下回っており、拡張の加速を裏付ける材料は乏しい。
未完成でも農業と防災を支えているみちびきの現在地
2026年6月末時点で、みちびきに対応する製品は受信機やスマートフォン、カーナビ、スマートウォッチなど50種類・483製品にのぼる。センチメートル級測位補強サービスCLASは日産自動車の電気自動車「アリア」の運転支援技術(プロパイロット2.0)に採用されているほか、国産小型ドローン「蒼天」を手がけるACSLはサブメータ級のSLASに対応し、600台以上を官公庁に納入して防衛装備庁への導入も決まった。7機体制が完成するかどうかとは関係なく、みちびきはすでに自動車や物流の現場で実利をもたらしている。
北海道のエゾウィンはCLASを活用した集団農作業の管理システムを開発し、除雪やごみ収集、町内バスの運行管理など農業以外の分野にも応用が広がっている。北海道開発局も、CLASを使った河川敷の除草(Smart-Grass)や除排雪(i-Snow)の自動化に取り組み、対象地域の拡大を予定している。担い手不足が続く地方の現場にとって、通信環境を選ばない自動操舵や自動化の存在は、7機体制の完成前から具体的な効果を生んでいる。
みちびきの災害・危機管理通報サービスDC Report/DCXは、気象庁の防災情報に加えJアラートとLアラートを配信する機能を持ち、2024年4月に拡張版の提供を始めた。2025年7月からは緊急メッセージの優先配信が本運用に入り、災害時の情報伝達で気象衛星や地上回線に依存しない経路を確保している。
QZSSの運用は内閣府の宇宙開発戦略推進事務局が統括し、日々の運用は準天頂衛星システムサービス株式会社(QSS)が担う。打ち上げ機であるH3ロケットは、三菱重工業が打ち上げサービスを担い、JAXAは種子島宇宙センターなどの射場設備の維持と飛行安全の確保にあたる。7機体制の完成、つまりGPSに頼らない単独測位の実現は、QZS-5の後継機となるQZS-8の開発が固まり、内閣府が5号機との代替関係を正式に位置づけたうえで打ち上げに成功するところまで進んで、ようやく視野に入る。経団連や自動車メーカーなど産業界からはさらに先の11機体制への期待も強く、それまでの数年間、みちびきは7号機が加わっても7機に届かないまま、CLASと災害通報という形で日本の産業と防災インフラを下支えし続けることになる。



