現代の社会インフラは、小型のモバイル端末から大型のモビリティまで、リチウムイオン電池の性能向上に支えられて拡張してきた。現在主流となっているリチウムイオン電池は、リチウムイオンが正極と負極の層状構造の隙間に出入りするインターカレーションと呼ばれる物理的な仕組みで動く。この反応は可逆性が高く、骨組みとなる金属酸化物の構造が安定しているため、長寿命かつ安全に運用できる。
しかし、電気を蓄えるためには、必ず重い金属酸化物の器を電池セル内部に用意しなければならない。どんなに製造技術が洗練されても、この器の重さがバッテリーパック全体のエネルギー密度の限界を決めている。市販のリチウムイオン電池のエネルギー密度は、理論上の限界値に近い重量あたり300 Wh/kg程度で頭打ちになりつつある。内燃機関を完全に代替し、長距離トラックや電動航空機を実用化するには、この限界を突破する新しい原理が必要だった。
次世代モビリティを阻む酸素反応の壁
金属の器を不要にする究極の蓄電池
世界のエネルギー研究者が究極の蓄電池として視線を注ぐのが、リチウム酸素電池である。最大の特長は、正極の反応物質として電池の外部にある空気中の酸素を直接利用する点にある。
全固体電池をはじめとする他の次世代技術が、主に安全性や充電速度の向上を目指しているのに対し、リチウム酸素電池は重量あたりのエネルギー密度を根本から引き上げるアプローチをとる。放電時には、負極から溶け出したリチウムイオンが電解液を通って空気極へ移動し、大気中から取り込んだ酸素分子と結びついて過酸化リチウム()という固体を形成する。電池内部に重い正極材料を抱え込む必要がないため、理論上のエネルギー密度は約3,500 Wh/kgに達する。従来のリチウムイオン電池の最大10倍であり、化石燃料であるガソリンが持つエネルギー密度に肉薄する数値だ。現在の電気自動車のバッテリー重量を10分の1に減らすか、同じ重量で航続距離を10倍に伸ばせるポテンシャルを秘めている。
充放電の効率を落とす活性化エネルギーの壁
金属と空気中の酸素を反応させて電気を取り出す仕組み自体は、決して新しいものではない。亜鉛空気電池は、古くから補聴器の電源などで実用化されてきた。しかし、それらの多くは一度放電したら終わりの一次電池である。充電を繰り返す二次電池として金属空気電池を成立させるのは、化学的に極めて難易度が高い。リチウム酸素電池の構想は1970年代から存在したが、その複雑な反応機構ゆえに長らく実用化の目処が立たなかった。
放電時に形成された強固な酸化物を、充電時には再び金属と酸素分子に完全に分離しなければならないからだ。とりわけリチウムを用いた場合、放電時に空気極に蓄積する過酸化リチウムは絶縁体である。この物質が電極の表面を覆い尽くすと、電子の移動経路が遮断されてしまう。そのため、充電時にはこの絶縁性の固体を分解するために、極めて大きなエネルギーを外部から押し込む必要がある。
空気極で起こるこの化学反応は、放電時の酸素還元反応と充電時の酸素発生反応と呼ばれる。酸素分子の強固な二重結合を切断し、あるいは再び形成するこれらの過程は、多段階にわたる複雑な電子の移動を伴う。反応を進めるには高い活性化エネルギーの壁を越えなければならない。結果として、充電に必要な電圧が跳ね上がり、放電で実際に取り出せる電圧が大きく下がる。この充電と放電の電圧の差は過電圧と呼ばれ、そのまま熱としてのエネルギー損失になる。充放電の効率を著しく落とすこの過電圧こそが、リチウム酸素電池の実用化を阻む最大の要因だった。
半世紀の定説を揺さぶる小さな表面積
白金への依存を生んだ表面積至上主義
反応の遅れを解消し、過電圧を縮めるため、材料化学者は多種多様な触媒をテストしてきた。酸素の還元と発生の両方を力強く加速させるには、白金や酸化ルテニウム、イリジウムのような貴金属が有効である。これらの元素は、酸素分子を吸着して結合を緩める能力に優れている。だが、貴金属は地殻中の存在量が少なく極めて高価だ。数百万台規模の電気自動車や大型ドローンに搭載するバッテリーを量産するうえで、白金をふんだんに使った設計はコストの面から現実的ではない。
安価な代替素材を探す過程で、触媒開発の現場には長く信じられてきた一つの定説があった。触媒の総表面積をできる限り広くするという設計思想である。
化学反応は、物質の表面で起きる。したがって、材料をナノレベルで多孔質にして電気化学的な有効表面積を物理的に広げれば広げるほど、酸素分子と電子が出会う反応サイトの数が増える。反応サイトが多ければ全体の反応速度は上がり、電池の性能が向上する。研究者たちは、カーボンナノチューブなどの導電性の高い土台に微小な触媒粒子を分散させ、限界まで表面積を稼ぐ手法を競い合ってきた。これが半世紀以上にわたって材料工学の主流を占めてきた直感的なアプローチだった。
定説を裏切った小さな表面積の優位性
芝浦工業大学の石崎貴裕教授らの研究チームは、この支配的な前提に疑問を投げかける成果をイギリス王立化学会の学術誌『RSC Advances』で発表した。研究チームは、貴金属を一切使わずに、ペロブスカイト型酸化物()とスピネル型酸化物()という二つの安価な素材を組み合わせた複合触媒を新たに設計した。
研究チームは、単体の酸化物や新たに合成された複合材料を含む複数の候補について、物理的な表面積と触媒としての性能を詳細に比較した。結果は定説に反するものだった。テストしたすべての材料の中で最高の触媒活性を示したのは、最も電気化学的表面積が小さい複合酸化物だったのである。
表面積の広さという物理的な量ではなく、分子レベルで構築された電子構造の質こそが、酸素反応の速度を決定づけていた。従来の面積至上主義が行き詰まりを見せる中で、この発見は触媒設計の新たな指針を提示している。
ペロブスカイトとスピネルが作る電子の立体交差
共沈法が引き出した二つの酸化物の相乗効果
直感に反する現象の理由は、異なる結晶構造を持つ二つの酸化物が接する境界、すなわち界面に生じた特異な分子環境にある。
ペロブスカイト型構造を持つランタンコバルト酸化物()は、大きなランタン原子と小さなコバルト原子が規則的に並ぶ骨組みを持つ。この構造は、結晶格子の中に酸素を柔軟に取り込んだり放出したりする能力に優れている。一方、スピネル型構造を持つ酸化コバルト()は、化学的に極めて堅牢であり、過酷な酸化環境下でも構造が壊れにくい。それぞれ単体でも触媒としての性質を持つが、研究チームはこれらを密接に複合化させることで、互いの弱点を補う相乗効果を引き出そうと試みた。
二つの粉末をそのまま混ぜ合わせる物理的な混合では、粒子同士の接点はごくわずかな点にとどまる。そこで研究チームは、溶液中に金属イオンを均一に溶かし込み、化学反応によって同時に沈殿させる共沈法を用いた。沈殿物を集めて高温で焼き固めることで、ナノメートル規模で二つの酸化物が複雑に入り組んだ、強固で広大な異種材料間の界面が形成された。
結晶の不整合が生む酸素空孔の働き
実際に二つの異なる酸化物を接合させると、それぞれの結晶格子の大きさが異なるため、境界部分に原子配列のズレが生じる。通常、こうした格子不整合は電気伝導性を落とす欠陥として避けられる傾向がある。しかし、研究チームはこの不整合を逆手に取った。界面に生じた原子の歪みを緩和するために、酸素原子が本来あるべき位置から弾き出され、酸素空孔と呼ばれる微細な穴が豊富に形成されることが判明したのである。
結晶構造に生じたこのナノレベルの欠陥が、触媒としての性能を大幅に高める原動力となる。豊富な酸素空孔が、触媒表面における電子のやり取りを滑らかにするからだ。
交通量が飽和した交差点の渋滞解消を例に取る。車線をひたすら増やして道路の面積を広げる物理的アプローチが従来の表面積拡大だとすれば、この複合触媒が実現したのは、信号のタイミングを同期させ、立体交差を設けて車の流れそのものを整えることである。分子間の界面に整備された新しい電子経路によって、酸素分子への電子の受け渡しが容易になった。一つひとつの反応サイトが高効率で稼働し、電気抵抗の壁をすり抜けるように酸素分子の分解と結合が進行する状態を作り出した。
1.14 Vの電位差が切り拓く実用化の道
充放電の双方を加速させる二機能性
| 触媒の種類 | コスト・材料依存度 | 充放電の電位差(過電圧) | 特徴と設計思想 |
|---|---|---|---|
| 従来の貴金属触媒 | |||
| (白金、酸化ルテニウム等) | 極めて高い | ||
| (希少金属に依存) | 比較的小さい | 単一の反応に優れるが、高コスト。表面積を広げて反応サイトを増やす設計が主流。 | |
| 単一の非貴金属触媒 | |||
| (カーボン系、遷移金属等) | 低い | 1.5 V 以上 | 充放電のいずれか一方の反応しか促進できず、全体のエネルギー効率が低い。 |
| 本研究の複合触媒 | |||
| (と) | 低い | ||
| (遷移金属酸化物で構成) | 1.14 V | 界面の酸素空孔により電子の流れを最適化。表面積が小さくても高い二機能性を発揮。 |
整備された電子経路の効果は、明確な定量データとして裏付けられている。新たに開発された複合触媒は、リチウム酸素電池における充電と放電の電圧ギャップを1.14 Vまで縮小させることに成功した。一般的な非貴金属触媒を用いた場合、このギャップは1.5 V以上になることが多い。電圧ギャップの縮小は、そのまま充電時の無駄な電力消費が減り、電池の充放電効率が根本的に改善されることを示している。
それぞれの反応を個別に分析すると、その性能の高さがより際立つ。充電を担う酸素発生反応のテストにおいて、この複合触媒は産業界のベンチマークである市販の酸化ルテニウムを凌駕する反応速度を見せた。放電を担う酸素還元反応でも、高価な白金系触媒に匹敵する還元速度を記録している。極めてコストの低い遷移金属の組み合わせだけで、充放電の双方を促進する高度な二機能性を実現した点は、次世代バッテリーの材料設計における重要な前進となる。
実用化を阻む水分と二酸化炭素の壁
アメリカ大陸を横断できる長距離電気自動車や、太陽が昇ってから沈むまで上空に留まり続ける自律型ドローン。新しいモビリティが日常の風景に溶け込む日は、高エネルギー密度のリチウム酸素電池をいかに安価に社会実装できるかにかかっている。今回の非貴金属触媒は、コストとエネルギー効率という長年のジレンマに対して、有望な解答を提示した。
一方で、実験室のクリーンな純酸素環境で得られた成果を、そのまま野外の空気にさらして使えるわけではない。現実の大気中には、酸素のほかに水分や二酸化炭素も含まれている。これらが電池内部に取り込まれると、触媒表面やリチウム極と予期せぬ副反応を起こす。例えば二酸化炭素は放電時に炭酸リチウム()を生成するが、これは過酸化リチウム以上に分解が難しく、電池全体の劣化を急速に早める要因になる。
また、都市の空を飛ぶ電動モビリティに搭載するには、短時間の激しい充放電に伴う大電流に耐えうるかの検証が必要になる。数百回におよぶ過酷な充放電サイクルを繰り返した際に、触媒界面に形成された微細な酸素空孔が崩れずに維持されるのかも現段階では未解明である。大気を吸い込んで走る次世代電池への挑戦は、触媒のミクロな界面構造の探求から、システム全体のマクロな安定性の証明へと、新たな局面を迎えている。



