空港のセキュリティゲートや天文台の望遠鏡において、隠れた物質を透視するセンサーは現代社会の目を担っている。しかし、厚い遮蔽物の奥にある物体や、宇宙空間を漂う冷たい星間物質を透視できる遠赤外線やテラヘルツ波となると事情が変わる。その光が持つエネルギーはあまりに微小であり、既存の電子部品で捉えることは非常に難しい。
見えない光を見るための物理学
テラヘルツ波が持つ透過性と共鳴の力
人類は電磁波の波長を使い分けることで、目に見えない世界を可視化してきた。波長の短いX線で骨を透視し、赤外線で物体の熱を感知する。その広大な電磁波のスペクトルの中で、光と電波のちょうど中間に位置するのが、テラヘルツ波や遠赤外線と呼ばれる領域である。
波長はおよそ数十マイクロメートルから数ミリメートル。周波数に換算すると1テラヘルツ(1秒間に1兆回の振動)前後の帯域となる。この光は、紙や衣類といった非金属物質を通り抜ける優れた透過性を持つ。同時に、特定の分子が持つ固有の振動と共鳴するため、光を当てるだけで爆発物や違法薬物などの成分を特定できる能力を秘めている。さらに、医療分野においても、X線のように細胞を傷つけることなく皮膚の表面直下の組織を描き出す技術として研究が進んでいる。天文学においても、冷たい宇宙の塵や星が誕生する領域を観測するために必須の波長帯である。
テラヘルツギャップが阻む微弱エネルギーの観測
しかし、この帯域は長年「テラヘルツギャップ」と呼ばれ、技術的な未開拓領域とされてきた。光を利用するには物理的な制約がある。波長が長いということは、光子一つあたりが持つエネルギーが極めて小さいことを意味する。一般的なデジタルカメラのセンサーは、半導体に光が当たり、電子が高いエネルギー状態(伝導帯)に飛び移ることで電気信号を生み出す。だが、テラヘルツ波の微小なエネルギーでは、半導体のエネルギーの壁(バンドギャップ)を越えることができない。
一方で、スマートフォンなどに使われる電波の受信アンテナのように、電子を波として揺さぶる手法も、周波数が高すぎるため電子回路が追いつかなくなる。光学技術と電子工学技術のちょうど谷間に落ち込んでいるのだ。
そのため、微弱な長波長放射を検出するには、光を熱として感知するボロメータと呼ばれる装置が使われてきた。光のエネルギーを吸収してわずかに温度が上がり、それに伴う電気抵抗の変化を読み取る仕組みである。極限の感度を得るために、現在の最先端の観測装置では、絶対零度近くまで冷却した超伝導体が利用されている。
限界を迎えていた光応答の力技
相転移に求められた強大なエネルギー
光を当てて物質の性質を根本から変えるアプローチは、半導体に限らず古くから研究されてきた。とくに、電気を通さない絶縁体を金属に変える光誘起相転移は、現代の物理学における大きなテーマである。
だが、従来の物理学の常識においてこの現象を引き起こすには、力ずくのエネルギーが必要だった。たとえば、モット絶縁体と呼ばれる特殊な絶縁体に超高速のレーザーパルスを叩き込み、結晶構造そのものを一時的に歪ませたり、電子を無理やり高いエネルギー状態へ押し上げたりする。このような手法では、光子一つあたり数電子ボルトという高いエネルギーや、一瞬に巨大な出力を生み出すフェムト秒レーザーの強力な電場が求められる。
このアプローチには明確な限界がある。波長が長くエネルギーが低い遠赤外線を利用しようとしても、物質内の電子はわずかに揺れるだけで、相転移を引き起こすような大規模な変化は起きない。微弱な信号を捉える新しい検出器を作るうえで、このエネルギーの壁が大きく立ちはだかっていた。光で絶縁体を壊すには、強い光でなければならないという前提が、長らく分野を支配していたのである。
魔法角が作り出す脆い集団秩序
モアレ超格子に生じるフラットバンド
シンガポール国立大学や英マンチェスター大学などの国際研究チームが『Nature Communications』で発表した手法は、この枠組みを根底から覆すものだった。彼らが目を向けたのは、強力な光ではなく、物質側の極端な脆さである。
研究チームは、炭素原子が六角形の網目状に結びついたシート状の物質であるグラフェンを用いた。通常のグラフェンはディラック電子と呼ばれる質量を持たない特殊な電子を宿し、電気を極めてよく通す。しかし、これを2枚重ねて特定の角度でずらすと、まったく異なる性質が現れる。
2018年、マサチューセッツ工科大学の研究者らによって、2枚のシートを約1.1度ずらして重ねたときに、電子の振る舞いが一変することが発見された。この魔法角と呼ばれる角度で重ねると、2枚のシートの網目が干渉し合い、元の六角形よりもはるかに巨大な周期構造であるモアレ超格子が生まれる。炭素原子間の距離が約0.14ナノメートルであるのに対し、このモアレ超格子の周期は約13ナノメートルにも及ぶ。網戸を2枚重ねて少しずらしたときに浮かび上がる大きな模様と同じ原理である。
この巨大な周期構造の内部では、グラフェン本来の高い電子移動度が失われ、電子の運動速度がほぼゼロに落ち込むフラットバンド(平坦帯)という状態が形成される。運動エネルギーを失った電子たちは、互いが持つマイナスの電荷による反発力、すなわちクーロン相互作用の影響を強く受けるようになる。ここで外部から電圧をかけて特定の電子密度に調整すると、電子たちは身動きがとれなくなり、整然と並んで固定される。これが相関絶縁体と呼ばれる状態である。
わずかな温度上昇で崩壊する電子の整列
ここで重要な事実は、この絶縁体状態が極めて脆いということである。電子たちを縛り付けているエネルギーの壁(ギャップ)は、わずか数ミリ電子ボルトしかない。温度に換算すると、10ケルビン(マイナス263度)程度まで温めるだけで、この集団秩序は簡単に壊れてしまう。
電子の熱容量を極限まで小さくする
極低温環境が生み出す局所的な加熱
研究チームはこの脆さを逆手に取った。実験では、魔法角ねじれ2層グラフェンを窒化ホウ素の層で挟み込み、電圧をかけて電子密度を精密に調整し、相関絶縁体の状態を作り出した。そこに、波長が数ミリメートルのミリ波や遠赤外線を照射した。
微小なエネルギーを持つ光子がグラフェンに飛び込むと、結晶格子を構成する原子全体の振動が活発になる前に、電子系だけが局所的に加熱される。絶対零度に近い極低温の環境下では、電子と原子の振動(フォノン)との結合が極端に弱くなるため、電子だけが高温になる非平衡状態を作り出せるのである。
この非平衡状態を成立させたのが、フラットバンドの性質である。運動エネルギーを持たない電子の集団は、熱を蓄える能力である熱容量が極めて小さい。少しの熱を与えられただけで、電子の温度は急上昇する。
このわずかな温度上昇が引き金となり、電子たちが作っていた集団秩序が一気に崩壊した。電子を縛り付けていた数ミリ電子ボルトの相関ギャップが消滅し、絶縁体だった物質が瞬時に金属的な性質を帯びて、電気抵抗が急降下する。
従来の光応答が固い岩をハンマーで砕くようなものだとすれば、今回のメカニズムは薄氷の表面をわずかな熱で溶かすような構造的な転換である。光のエネルギーそのもので電子を動かすのではなく、電子の熱容量の小ささを利用して相関ギャップを破壊することで、極めて小さなエネルギーを巨大な電気的変化に変換できるようになった。
超伝導ボロメータを裏返した測定原理
強い磁場でも維持される巨大な電圧応答
微弱な光を測定する高性能な装置として、現在は超伝導ホットエレクトロンボロメータなどが広く使われている。これは光の熱で電子を温め、超伝導状態(抵抗がゼロの状態)を壊して、そこに抵抗が生まれたことを検知する仕組みである。
今回のグラフェンを用いたデバイスは、その原理を完全に裏返している。光が当たると、抵抗が極めて高い絶縁体状態が壊れ、電気が流れるようになる。この逆転の構造が、いくつかの実用的な利点を生み出した。
| 特性 | 既存の超伝導ボロメータ | 本研究のグラフェン光検出器 |
|---|---|---|
| 測定原理 | 超伝導状態(抵抗ゼロ)の破壊 | 相関絶縁体状態(高抵抗)の破壊 |
| 光照射時の変化 | 抵抗が上昇する | 抵抗が急激に低下する |
| 磁場への耐性 | 磁場に弱く、超伝導が壊れやすい | 最大約4テスラまで安定して動作 |
| 電圧応答度 | センサーの仕様により大きく変動 | 吸収ワットあたり約1700万ボルト |
定量的な裏づけとして、波長85から2140マイクロメートルの広帯域な範囲において、吸収された光1ワットあたり約1700万ボルトという巨大な電圧応答度を記録した。これは、ごくわずかな光の吸収でも明確な電気信号として読み取れることを示している。研究チームによれば、この内部応答度は同じ帯域で動作する多くの市販ボロメータを上回っている。
さらに、温度が6から7ケルビンに上昇しても光応答は維持された。特筆すべきは磁場に対する堅牢性である。超伝導体は強い磁場環境に置かれると機能を失うが、この相関絶縁体は約4テスラまでその特性を保つ。磁場を利用する特殊な科学観測機器において、新しい選択肢となる。
実用的な応答時間も約50ナノ秒と測定されており、電子の冷却速度自体ははるかに速いため、デバイスをさらに小型化すれば応答時間を1桁短縮できると研究チームは見込んでいる。
見えない光の活用に向けた残されたハードル
長波長の光を高い感度で捉えられれば、世界の見え方は大きく変わる。可視光を通さない物質の内部を壊さずに検査する技術や、宇宙空間に漂う微弱な信号の観測など、その応用範囲は広い。
ただし、完成された商業用検出器になるまでには複数のハードルがある。現在のデバイスは基礎実験の段階であり、空間を飛び交う光をグラフェンに効率よく吸収させるためのアンテナ構造やメタマテリアルが組み込まれていない。また、ねじれ角を1.1度に精密に制御した魔法角グラフェンを、高い品質でウェハー規模に大面積化する製造技術も未確立である。
なにより、極低温環境が必要という条件は依然として残っている。どの程度の温度範囲まで相関絶縁体の脆さを利用できるのか。多層化されたグラフェンを用いた場合、応答特性はどのように変化するのか。大規模なセンサーアレイとして統合した際に、ノイズをどう制御するのか。微弱な光が引き起こす巨大な応答という現象を前に、次なる工学的な問いが積み上がっている。
