大作ゲームをプレイするたびに悲鳴を上げるVRAM(ビデオメモリ)。高精細なテクスチャはリアルな世界を描き出すために不可欠だが、その代償としてグラフィックボードのメモリを際限なく消費し、多くのゲーマーを悩ませてきた。もし、そのVRAM使用量を劇的に削減しつつ、画質はむしろ向上させられる技術があるとしたらどうだろうか。
そんな夢のような話が、今まさに現実のものとなろうとしている。その名は「ニューラルテクスチャ圧縮(Neural Texture Compression、以下NTC)」。この革新的な技術が、ゲームグラフィックスの常識を根底から覆す可能性を秘めていることが、YouTuberのCompusembleが公開したNVIDIAとIntelの技術デモによって鮮烈に示された。
驚異のデモが示すNTCの実力 – VRAMは1/20に、画質はむしろ向上
言葉で説明するよりも、まずその効果を見てもらうのが早いだろう。Compusembleが紹介した2つのデモは、NTCのポテンシャルを雄弁に物語っている。
Intelデモ:鮮明さを取り戻すT-Rexの肌
Intelが公開したデモでは、歩行するT-Rexの質感が比較されている。現在主流の「ブロック圧縮(BC)」技術を使ったテクスチャは、細部がややぼやけ、情報が失われているのが見て取れる。これは、テクスチャを固定サイズのブロックに分割して圧縮するBC方式の限界とも言える。

対してNTCで展開されたテクスチャは、非圧縮のオリジナルデータに極めて近く、T-Rexの皮膚の凹凸や質感が驚くほど鮮明かつシャープに再現されているのだ。圧縮技術でありながら、従来手法よりも高品質な結果を得られるという、まさに逆転の発想がここにある。
NVIDIAデモ:272MBが11MBに、フライトヘルメットが示す圧縮率
NVIDIAのデモは、NTCのもう一つの側面、つまり驚異的な圧縮率に焦点を当てている。デモで使われたフライトヘルメットのテクスチャは、非圧縮状態では272MBものVRAMを占有する。これをブロック圧縮すると98MBまで削減できるが、NTCを適用すると、そのサイズはわずか11.37MBにまで激減する。これは非圧縮データの約1/24、ブロック圧縮と比較しても1/8以下という驚異的な数値だ。

この削減効果が意味するものは大きい。開発者はVRAMの制約から解放され、よりリッチで複雑なアセットをシーンに配置できるようになる。あるいは、同じビジュアル品質を維持したまま、より少ないVRAM容量のグラフィックカードでも快適なプレイを可能にする道が開かれるかもしれない。
パフォーマンスへの影響は? 鍵は「Cooperative Vector」
これだけの処理をリアルタイムで行うとなると、パフォーマンスへの影響が気になるところだ。Compusembleの検証(RTX 5090、4K解像度)によれば、NTCを有効にした場合の処理時間は0.111ms。BCの0.045msと比較すると約2.5倍の負荷がかかっているが、フレーム全体から見ればごくわずかなコストだ。
しかし、この技術が現実的であるためには、決定的に重要な要素がある。それが、本記事のもう一つの主役である「Cooperative Vector」だ。もしこのハードウェアアクセラレーションを無効にすると、NTCの処理時間は5.7msにまで跳ね上がる。これは実に50倍以上の差であり、リアルタイム処理が全く不可能になることを意味する。NTCの魔法は、Cooperative Vectorという土台があって初めて成立するのだ。
なぜ今、NTCが可能になったのか? DirectXの静かなる革命「Cooperative Vector」
NTCというアイデア自体は数年前から存在していた。しかし、それが今、現実的な技術として花開こうとしている背景には、MicrosoftとNVIDIA、Intel、AMDといった業界の巨人たちが水面下で進めてきた標準化の動きがある。その結晶が、DirectX 12の新機能群、Shader Model 6.9に含まれる「Cooperative Vector」である。
「協調ベクトル」とは何か? Tensorコアを直接叩く新手法
「Cooperative Vector(協調ベクトル)」とは、一言で言えば、ゲームのシェーダープログラムから、GPUに搭載されたAI演算ユニット(NVIDIAのTensorコア、IntelのXMXエンジン、AMDのAIアクセラレーター)を直接かつ効率的に利用するための新しい命令セットである。
これまでのグラフィックスパイプラインでは、こうしたAI演算ユニットは、DirectMLやCUDAといった別のAPIを通じて利用するのが一般的だった。しかしCooperative Vectorは、ライティングやマテリアルの計算を行う個々のシェーダースレッドから、直接「行列とベクトルの積和演算」といったAIの基本処理を、高レベルな命令として発行できるようにする。
“Cooperative(協調)”という名の由来は、その実装方法にある。シェーダー内で個々のスレッドが発行したベクトルと行列の乗算リクエストを、GPUのドライバーが波(Wave)と呼ばれるスレッドのグループ単位で賢く束ね、ハードウェア上で一つの大きな行列同士の乗算処理としてまとめて実行する。これにより、AI演算ユニットの能力を最大限に引き出し、圧倒的な効率化を実現するのだ。
これは、単にAPIが一つ増えたという話ではない。グラフィックスとAIの融合が、いよいよレンダリングパイプラインの心臓部にまで及び、標準化された形で開発者に提供される時代の幕開けを意味するのである。
三大GPUメーカーの足並み – 業界全体で進む標準化
この革命が一部のメーカーの独占技術ではないことも重要だ。
- NVIDIA: GeForce RTXシリーズ全般で対応。すでにプレビュードライバーを公開。
- Intel: Arc BシリーズおよびCore Ultraプロセッサー(Series 2)で対応。こちらもプレビュードライバーを公開済み。
- AMD: 2025年夏までにはドライバー対応を予定。
Microsoftが主導するDirectXという共通基盤の上で、主要なGPUメーカーが足並みを揃えて対応を進めている。この事実は、NTCとCooperative Vectorが一部の先進的な開発者のためのおもちゃではなく、将来のスタンダードとして業界全体で推進されている技術であることを強く示唆している。
理想と現実 – NTCは8GB VRAMの救世主となるか?
これほど有望な技術であっても、普及への道が平坦であるとは限らない。特に、VRAM容量に悩む多くのユーザーが抱くであろう「これで手持ちの8GB GPUが救われるのか?」という期待に対しては、いくつかの現実的な課題を直視する必要がある。
普及への「2つの壁」:開発者の採用と既存ゲームの問題
第一の壁は、NTCが開発者側の対応を必要とする点だ。これはグラフィックドライバーを更新すれば自動的に有効になるような魔法ではない。ゲームエンジンがNTCをサポートし、開発者がアセットの制作パイプラインに組み込んで初めて、その恩恵を受けられる。
つまり、今後開発される新作ゲームへの採用は期待できるものの、すでにリリース済みの膨大な数のゲームにNTCが遡って適用される可能性は低いだろう。
「偽のテクスチャ」論争は起こるか?
第二に、これはAIベースの技術であるという点だ。NTCは、厳密にはデータを解凍しているのではなく、ニューラルネットワークの重み(weights)からテクスチャ情報を生成している。NVIDIAのDLSS 3で導入されたフレーム生成(Frame Generation)が、一部で「偽のフレーム」と揶揄されたように、NTCもまた「AIが作り出した偽のテクスチャだ」という批判に晒される可能性は否定できない。
もっとも、デモが示す通り、その品質は従来手法を凌駕するレベルに達している。最終的には、ゲーマーがそのビジュアルをどう評価するかにかかっているが、こうした議論が起こりうることは心に留めておくべきだろう。
タイミングがすべて:あなたのGPUが恩恵を受ける日はいつか
PC Gamer誌が指摘するように、結局のところ問題はタイミングだ。この技術が広くゲームに普及するには、おそらく数年の時間を要する。その頃には、ゲーマーは今とは違う世代のグラフィックカードを手にしているかもしれない。
しかし、この技術は、短期的なVRAM問題の解決策という以上に、将来のゲーム開発におけるリソース活用のあり方を根本的に変える可能性を秘めているとも考えられる。ストレージ容量、VRAM、そしてメモリ帯域幅という三重の制約から開発者を解放し、これまで想像もできなかったような豊かで複雑なデジタル世界の創造を可能にするのではないだろうか。
ゲームグラフィックスの次なるパラダイムシフトの始まり
ニューラルテクスチャ圧縮(NTC)とCooperative Vectorの登場は、リアルタイムグラフィックスにおける次なるパラダイムシフトの始まりを告げるものだ。
VRAMの消費量を劇的に抑えながら、ビジュアル品質を向上させる。この一見矛盾した目標を、AIの力を借りて標準化されたAPIの上で実現する。そのインパクトは計り知れない。
普及には時間がかかるだろう。乗り越えるべき課題もある。しかし、ゲームのビジュアルがよりリッチに、より複雑になる流れは止められない。その流れの中で、ハードウェアリソースをいかに効率的に使うかという問いに対する、NTCは現時点で最もパワフルな答えの一つだ。
数年後、我々は「昔のゲームはなんであんなにストレージを食っていたんだろうね」と笑っているのかもしれない。その未来は、思ったよりも早く訪れるのではないだろうか。
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