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半導体製造技術で冷却革命:JHU/APL・Samsung開発、超高効率「CHESS」薄膜熱電冷却とは?

Y Kobayashi

2025年5月26日

現代社会において、電子機器の高性能化やデータセンターの巨大化、さらには気候変動への対応から、エネルギー効率が高く、環境負荷の少ない冷却技術への需要はかつてないほど高まっている。従来のコンプレッサー式冷却システムは、その性能と引き換えに、かさばり、多くのエネルギーを消費し、環境に有害な冷媒を使用するという課題を抱えていた。だが今回、ジョンズ・ホプキンス応用物理学研究所(Johns Hopkins Applied Physics Laboratory: APL)と韓国のSamsung Electronicsが、従来の常識を覆す可能性を秘めた画期的な薄膜熱電冷却技術を発表し、この状況を大きく変えようとしている。彼らが発表した「CHESS(Controlled Hierarchically Engineered Superlattice structures:制御された階層的設計の超格子構造)」と名付けられたこのナノ材料は、既存の半導体プロセス技術を用いて製造可能でありながら、従来のバルク熱電材料と比較して冷却効率を劇的に向上させることに成功したというのだ。この技術は、私たちの生活に身近な冷蔵庫やエアコンから、最先端のデータセンター、さらには宇宙開発に至るまで、幅広い分野でエネルギー効率と環境性能の向上をもたらすブレークスルーとして、大きな期待が寄せられている

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「静かなる革命」の狼煙:CHESS技術、APLとSamsungが共同開発

今回の革新的な冷却技術は、米メリーランド州ローレルに拠点を置くジョンズ・ホプキンス応用物理学研究所(APL)と、世界的な電機メーカーであるSamsungの研究チームによる共同研究の成果である。APLは、このCHESS技術に関して10年にもわたる基礎研究を積み重ねてきた。その研究は、当初、米国防高等研究計画局(DAPRA)のプログラムの一環として、国家安全保障分野への応用を目指してスタートしたという背景がある。

CHESS技術の核心は、ナノメートルスケールで精密に制御された層状構造を持つ特殊な半導体材料にある。この材料に電流を流すと、ペルチェ効果(異なる種類の導体または半導体を接合し電流を流すと、接合点で熱の吸収・放出が起こる現象)により、一方の面が冷却され、もう一方の面が加熱される。従来の熱電冷却材料との大きな違いは、そのナノ構造にあり、これにより熱と電気の輸送特性が最適化され、冷却効率が飛躍的に高まるのだ。

この技術は、コンプレッサーや環境負荷の高い化学冷媒を一切使用しない「固体冷却」を実現する。つまり、機械的な可動部分がなく、静音性に優れ、信頼性が高く、そして何よりも環境に優しい冷却ソリューションとなり得るのである。APLの熱電技術の主任研究員であるRama Venkatasubramanian氏は、「新しい熱電材料を用いたこの実世界での冷凍実証は、ナノエンジニアリングされたCHESS薄膜の能力を示すものです。これは冷却技術における大きな飛躍であり、熱電材料の進歩を実用的で大規模な、エネルギー効率の高い冷凍応用へと転換する道筋をつけるものです」と、その意義を強調している。

砂粒が生み出す冷却力:CHESS技術の驚異的な効率とスケーラビリティ

CHESS技術の最も注目すべき点は、その卓越した冷却効率と、既存の半導体製造プロセスを活用できることによるスケーラビリティ、そして驚くほど少ない材料で実現できるという経済性だろう。

効率2倍、常識を覆す冷却性能

APLとSamsungの研究チームが実施した標準的な冷凍テストによると、CHESS材料を用いた熱電冷却デバイスは、現在市販されている従来のバルク熱電材料を用いたデバイスと比較して、室温(約25℃)において材料レベルで約100%(2倍)の効率向上を達成したという。さらに、この材料レベルの向上は、CHESS材料で構築された熱電モジュールのデバイスレベルで約75%の効率向上、そして完全に統合された冷凍システムレベルにおいても約70%の効率向上に繋がったという。これは、実用的な条件下で大量の熱を移動させる試験において確認されており、その信頼性は高いと言えるだろう。

この効率向上は、エネルギー消費の大幅な削減に直結する。同じ冷却効果を得るために必要な電力が少なくて済むため、運用コストの低減はもちろん、地球環境への負荷軽減にも大きく貢献することが期待される。

砂粒ほどの材料で実現する未来

さらに驚くべきは、CHESS薄膜技術が必要とする材料の少なさだ。1つの冷凍ユニットあたりに必要な材料は、わずか0.003立方センチメートル。これは、文字通り「砂粒ほどのサイズ」であり、従来のバルク材料と比較して劇的な削減である。材料使用量の削減は、コスト効率の向上に直接的に貢献し、広範な市場への普及を後押しする重要な要素となる。

APLの研究・探査開発ミッションエリアの探査プログラムエリアマネージャーであるJeff Maranchi氏は、「冷凍を超えて、CHESS材料は体温のような温度差を利用可能な電力に変換することもできます。次世代の触覚システム、義肢、ヒューマンマシンインターフェースの進歩に加えて、これはコンピュータから宇宙船に至るまでのアプリケーションのためのスケーラブルなエネルギーハーベスティング技術への扉を開きます。これらは、古いかさばる熱電デバイスでは実現不可能だった能力です」と、その多様な可能性に言及している。

実績あるMOCVDプロセスが量産を後押し

この革新的なCHESS材料の製造には、MOCVD(Metal-Organic Chemical Vapor Deposition:有機金属化学気相成長法)という半導体製造プロセスが用いられる。MOCVDは、原子レベルで薄膜を精密に積層できる技術であり、すでに高効率な衛星用太陽電池や、私たちの生活に欠かせないLED照明の商業生産で広く利用されている実績ある技術だ。

APLでMOCVD成長能力を率いるシニアリサーチエンジニアのJon Pierce氏は、「私たちはCHESS材料の製造にMOCVDを使用しました。この方法は、そのスケーラビリティ、費用対効果、そして大量生産をサポートする能力でよく知られています。MOCVDはすでに商業的に広く使用されており、CHESS薄膜熱電材料の生産をスケールアップするのに理想的です」と述べている。既存の製造インフラを活用できることは、新技術の迅速な市場投入とコストダウンにおいて計り知れないアドバンテージとなる。

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冷蔵庫から宇宙船まで:CHESS技術が切り拓く無限の可能性

CHESS技術の応用範囲は、単に既存の冷却装置の効率を上げるだけに留まらない。そのユニークな特性は、これまで熱電冷却の適用が難しかった分野や、まったく新しい応用への扉を開く可能性を秘めている。

家庭用冷蔵庫・エアコンの常識が変わる?

Venkatasubramanian氏は、「この薄膜技術は、リチウムイオン電池が携帯電話のような小型デバイスから電気自動車のような大型デバイスまで電力を供給するようにスケールアップされてきたのと同様に、小型の冷凍システムから大規模な建物のHVAC(暖房・換気・空調)アプリケーションをサポートするまでに成長する可能性を秘めています」と、そのスケーラビリティに大きな期待を寄せている。

家庭用の冷蔵庫やエアコンが、コンプレッサーや有害な冷媒を使わない、静かでコンパクト、そして高効率なものに置き換わる未来は、そう遠くないのかもしれない。特に、CHESS技術は可動部品がないため故障しにくく、メンテナンスの手間も軽減される可能性がある。さらに、精密な温度制御が可能になることで、食品の鮮度保持や快適な室内環境の実現にも貢献するだろう。Samsung Electronicsの生活ソリューションチームを率いる材料エンジニア、Sungjin Jung氏と、同チームの幹部であるJoonhyun Lee副社長は、APLとの協力により、詳細な熱モデリングを通じて結果を検証し、実環境条件下での正確な性能評価を保証した。この実用化に向けた産業界との緊密な連携は、CHESS技術の将来性を物語っている。

体温さえもエネルギーに:熱電変換材料としての側面

CHESS材料の興味深い点は、冷却だけでなく、逆に温度差を利用して発電する「エネルギーハーベスティング」にも応用できることだ。例えば、人間の体温と外気温とのわずかな温度差を電力に変換し、ウェアラブルデバイスや医療用センサーの電源として利用するといった応用が考えられる。

APLは、実際にこの技術を義肢に応用し、装着者に冷感を与えることで、より自然な感覚を取り戻す研究を進めており、その成果は2023年に権威あるR&D 100賞を受賞している。前述のジェフ・マランチ氏が指摘するように、この特性は、コンピュータの排熱利用や、極限環境で作動する宇宙船の自己発電システムなど、多岐にわたる分野での活用が期待される。

医療からデータセンターまで、広がる応用分野

2025年5月21日に科学誌『Nature Communications』に掲載された論文では、CHESS技術のさらなる応用可能性が示唆されている。例えば、医療分野では、局所的な精密冷却による低侵襲治療や、医薬品の厳密な温度管理が求められる輸送・保管システムへの応用が考えられる。また、電子機器の分野では、高性能化・高集積化が進むCPUやGPUのホットスポットを効率的に冷却することで、さらなる性能向上と小型化に貢献するだろう。

特に、膨大な電力を消費し、発熱問題が深刻化しているデータセンターにおいては、CHESS技術による高効率な冷却システムが、省エネルギー化と運用コスト削減の切り札となるかもしれない。

10年の歳月と未来への布石:CHESS研究開発の軌跡と展望

この画期的なCHESS技術は、一朝一夕に生まれたものではない。その背景には、APLにおける10年以上にわたる地道な研究開発の積み重ねがある。

国防技術から民生応用へ:DAPRAとR&D100賞

前述の通り、CHESS技術の源流は、DAPRAの支援を受けた国家安全保障関連の研究プロジェクトに遡る。そこでの基礎研究が、後に義肢への応用や、今回のSamsungとの共同研究による冷凍技術へと発展した。2023年のR&D 100賞受賞は、その革新性と将来性が高く評価された証と言えるだろう。このように、最先端の国防技術がスピンオフし、民生分野で大きな花を咲かせようとしている事例は、科学技術の発展における興味深い側面の一つだ。

AIとの融合でさらなる高みへ

APLとSamsungは、今後もCHESS熱電材料の改良を続け、従来の機械式システムに匹敵する効率を目指すとしている。具体的には、冷凍庫を含むより大規模な冷凍システムの実証や、AI(人工知能)を活用したエネルギー効率の最適化(例えば、冷蔵庫内の区画ごとの温度を最適に制御する区分冷却や、必要な場所だけを効率的に冷やす分散冷却など)に取り組む計画だ。AIとの融合は、CHESS技術のポテンシャルをさらに引き出す鍵となるかもしれない。

オープンな連携で実用化を加速

APLの技術商業化マネージャーであるSusan Ehrlich氏は、「この共同作業の成功は、高効率の固体冷凍が科学的に実行可能であるだけでなく、大規模に製造可能であることを示しています。これらの革新を実用的で現実世界のアプリケーションに転換するために、企業との継続的な研究と技術移転の機会を楽しみにしています」と述べ、今後の産業界との連携に意欲を示している。オープンな協力体制は、この革新的な技術を一日も早く社会実装するための重要な推進力となるだろう。

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CHESS技術のインパクト:静かでクリーンな冷却社会の実現に向けて

一連の発表は、科学ジャーナリズムの世界においても大きな注目を集めている。CHESS技術が秘めるポテンシャルは、単なる冷却効率の向上に留まらず、私たちの社会システム全体に影響を与える可能性があるからだ。

まず、地球温暖化対策という観点から見ると、CHESS技術は大きな希望の光となる。従来の冷凍空調システムで広く使われているフロン系冷媒は、強力な温室効果ガスであり、その排出規制が世界的な課題となっている。CHESS技術は、これらの冷媒を一切使用しないため、地球温暖化の抑制に直接的に貢献する。また、エネルギー効率の大幅な向上は、化石燃料の消費量削減にも繋がり、CO2排出量の削減にも貢献するだろう。

経済的な側面では、エネルギーコストの削減はもちろん、CHESS技術に関連する新たな産業の創出も期待される。半導体製造装置メーカー、材料科学関連企業、そしてCHESS技術を応用した新製品を開発する企業など、広範な分野での経済効果が予測される。

もちろん、実用化に向けては、さらなる効率向上(特に大規模システムにおける機械式システムとの競争力)、長期的な耐久性の確立、そして量産化によるコストダウンといった課題も残されているだろう。しかし、今回のAPLとSamsungの発表は、それらの課題を克服し、CHESS技術が私たちの生活をより豊かで持続可能なものに変えていくという確かな手応えを感じさせるものだ。新たな冷却の時代が訪れることは間もなくかもしれない。

Nano-engineered Thermoelectrics Enable Scalable, Compressor-Free Cooling

論文

参考文献

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