ブルックヘブン国立研究所の研究者が、磁性材料モデルにおいて「半氷半火」と呼ばれる物質の新たな相を発見した。この発見は、秩序と無秩序が共存する電子スピン状態を示し、量子情報技術や次世代冷却技術への応用が期待されるものである。
秩序と無秩序が共存する新奇な物質相
米国エネルギー省(DOE)傘下のブルックヘブン国立研究所(BNL)の研究チームは、特定の磁性材料の理論モデルを研究する中で、これまで観測されたことのない物質の相を発見した。この全く新しく、奇妙な相は「半氷半火(half-ice, half-fire)」と名付けられた。
この名称は、物質を構成する電子が持つ微小な磁石としての性質、すなわち「スピン」の状態を表している。「氷(ice)」は電子スピンが高度に秩序立った(整列した)状態、いわば「冷たい」状態を指す。一方、「火(fire)」はスピンが非常に無秩序な(バラバラな方向を向いた)状態、すなわち「熱い」状態を意味する。「半氷半火」相は、この秩序状態(氷)と無秩序状態(火)が物質内で共存している特異な状態なのだ。
この発見がなされたのは、ストロンチウム(Sr)、銅(Cu)、イリジウム(Ir)、酸素(O)から構成される磁性化合物 Sr3CuIrO6 の一次元モデルを用いた研究においてである。この物質は「フェリ磁性体」と呼ばれる種類に属する。フェリ磁性体とは、物質内に上向きと下向きといった互いに反対方向のスピンを持つ原子集団が存在するが、それぞれの集団の磁気モーメント(磁力の強さと向き)の大きさが異なるため、全体として磁化が残る物質のことである。
物理学者 Weiguo Yin氏 と Alexei Tsvelik氏らの研究チームによると、「半氷半火」相は、単に新しいだけでなく、実用的な有限温度において、相から相への切り替え(相転移)が極めてシャープに起こるという特徴を持つ。この鋭敏なスイッチング特性が、将来的な技術応用への期待を高めている。
この研究成果の詳細は、学術誌『Physical Review Letters』に掲載された。
「半火半氷」相の双子:制御可能性へのブレークスルー
実は、「半氷半火」相の発見は、同じ研究チームによる先行研究の続編にあたる。チームは以前、同じ Sr3CuIrO6 化合物において、外部磁場を印加することによって誘起される「半火半氷(half-fire, half-ice)」と呼ばれる相を発見していた(2016年に発見、2024年初頭に論文発表)。

この「半火半氷」相では、「半氷半火」とは逆に、銅(Cu)サイトの電子スピンが無秩序な「火」状態(より小さな磁気モーメントを持つ)となり、イリジウム(Ir)サイトのスピンが秩序だった「氷」状態(より大きな磁気モーメントを持つ)となっていた。
しかし、研究チームはこの「半火半氷」状態をどのように利用できるか、長年解明できずにいた。「我々はこの状態をどのように利用できるか、まだ分かっていませんでした。特に、一次元イジング模型(強磁性を記述する確立された数理モデルで、半火半氷状態を生成する)が有限温度での相転移を持たないことは一世紀にわたってよく知られていたためです。「パズルのピースが欠けていました」と Tsvelik氏は語る。一次元イジング模型の理論的制約から、実用的な温度で相転移を制御することは困難と考えられていたのである。
今回のブレークスルーは、Yin氏の研究によってもたらされた。彼は、先行研究で「不可能」とされていた有限温度での相転移が、実は「極めて狭い温度範囲」での超シャープな相クロスオーバーとして実現可能であることを示したのである。
そして、今回の研究で、「半火半氷」相には隠れた「双子」の状態、すなわち「半氷半火」相が存在することが明らかになった。特定の極めて狭い温度範囲で、銅とイリジウムのスピン状態が入れ替わり、「火」だったものが「氷」に、「氷」だったものが「火」になる相転移が起こるのである。
この発見は、単に新しい相を見つけただけでなく、これまで理論的に困難とされてきた「有限温度での鋭敏な相制御」が可能であることを示した点で画期的である。この制御可能性こそが、Sr3CuIrO6 のポテンシャルを解き放つ鍵となる。
「エキゾチックな物理的特性を持つ新しい状態を発見し、それらの状態間の遷移を理解し制御することは、物性物理学および材料科学分野の中心的な問題です」と Yin氏は述べる。「これらの問題を解決することは、量子コンピューティングやスピントロニクスのような技術に大きな進歩をもたらす可能性があります」。
量子技術から冷却技術まで:広がる応用への期待
「半氷半火」相の発見と、その極めてシャープな相転移特性は、様々な分野への応用可能性を秘めている。
- 量子情報技術: 量子コンピュータの基本素子である「量子ビット」は、電子スピンの向き(上向き/下向き)を利用して情報を表現することがある。今回発見された「氷」と「火」という明確に区別でき、かつ制御可能な相転移は、この相自体を情報のビット(0または1)として利用する新しいタイプの量子情報ストレージ技術につながる可能性がある。スピン状態を精密に制御できることは、調整可能な量子ビットの開発にも貢献しうる。
- スピントロニクス: 電子の持つ電荷だけでなくスピンも利用する次世代エレクトロニクス「スピントロニクス」においても、スピン状態を鋭敏に制御できる材料は重要である。
- 冷却技術: 相転移に伴って大きなエントロピー(乱雑さ)変化、特に「巨大磁気エントロピー変化」が見られる場合、それを磁気冷凍技術に応用できる可能性がある。「半氷半火」と「半火半氷」間の超シャープな相転移は、この点で有望視されている。
研究チームは、今回の発見が「特定の材料における相と相転移の理解と制御への新たな扉を開くかもしれない」と考えている。
今後の展望について、Yin氏は「次に、我々は量子スピンや、追加の格子、電荷、軌道の自由度を持つ系において、この火と氷の現象を探求するつもりだ」と語る。「新たな可能性への扉は今、大きく開かれた」。
この研究はまだ基礎段階であるが、物質の根源的な性質の理解を深めるとともに、未来の技術革新につながる重要な一歩となることが期待される。
論文
- Physical Review Letters: Phase Switch Driven by the Hidden Half-Ice, Half-Fire State in a Ferrimagnet
参考文献
- Brookhaven National Laboratory: Brookhaven Physicists Discover New Phase of Matter in a Magnetic Material