2025年初頭、シリコンバレーとワシントンの双方に激震が走った。中国・杭州を拠点とするAIスタートアップ、DeepSeekが公開した「DeepSeek-R1」は、米国製モデルに匹敵する性能をわずかなコストで実現したとされ、世界のAI市場を震撼させた。しかし、その驚異的な「効率性」の裏側に、OpenAIなどの先行企業が莫大なコストを投じて開発した知財の「フリーライド(ただ乗り)」があるという疑惑が、今や決定的な対立軸へと発展している。

OpenAIは2026年2月12日、米下院の「中国共産党に関する特別委員会」に宛てたメモの中で、DeepSeekが知識蒸留(Distillation)や隠蔽技術を駆使して自社モデルの出力を「盗用」していると断定し、公式に警告を発した。このメモは、単なる企業間の競争を超え、米中の技術覇権争いにおける新たな局面を浮き彫りにしている。

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「知識蒸留」という名のショートカットとOpenAIの主張

OpenAIが最も警戒しているのは、DeepSeekが「知識蒸留」と呼ばれる手法を悪用し、OpenAIやその他の米国の最先端研究所が開発した機能を模倣しようとしている点である。

通常、知識蒸留とは、大規模で複雑な「教師モデル」の知識を、より軽量で効率的な「学習モデル」に継承させる手法を指す。このプロセス自体は、モデルの最適化のために業界内で広く用いられているものだが、他社の商用モデルの出力を無断で自社モデルの訓練データとして利用することは、多くのAI企業の利用規約で厳格に禁止されている。OpenAIの利用規約も、競合モデルの開発に出力を利用することを禁じている。

OpenAIは、DeepSeekの従業員に関連するアカウントが、同社のアクセス制限を回避するために「難読化されたサードパーティ製ルーター」や、出所を隠蔽するその他の手法を開発していることを確認したと主張している。さらに、DeepSeek側が米国のAIモデルにプログラムを介してアクセスし、蒸留用の出力を組織的に取得するためのコードを作成していたことも突き止めたという。

同社のSam Altman CEO率いるOpenAIは、これを「米国の最先端ラボが開発した能力への継続的なただ乗り」と表現し、強い不快感を示している。

隠蔽工作の巧妙化と「猫と鼠」の攻防

OpenAIと、同社を支援するMicrosoftは、2025年初頭の「DeepSeek-R1」リリース直後から、不適切なデータ取得に関する調査を開始していた。実際に昨年、蒸留の疑いがあるアカウントを調査し、複数のアカウントをブロックしているが、DeepSeek側はさらなる隠蔽技術を導入して防御網を突破しようとしている。

OpenAIのメモによれば、DeepSeek側は以下の手法を用いてアクセスを試みているという。

  • 難読化ルーターの利用: リクエストの送信元を特定されないよう、複雑な経路を経由させてアクセスをカモフラージュする。
  • プログラムによる組織的アクセス: 人間の操作を装うのではなく、コードを用いて大量のデータを自動かつ効率的に抽出する。
  • 不正な再販業者ネットワークの活用: OpenAIのサービスを不正に再販しているネットワークを経由し、同社の監視の目をすり抜ける。

ホワイトハウスのAI顧問であるデビッド・サックス(David Sacks)は、DeepSeekがOpenAIのモデルから「より多くの果汁を搾り取っている」と指摘し、米国の主要AI企業は今後数ヶ月以内に、こうした「コピーキャット(模倣)」モデルの出現を遅らせるための技術的な対抗措置を強化するだろうと述べている。

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経済的優位性の浸食と地政学的リスク

この問題が米議会で議論される背景には、単なる知財侵害にとどまらない深刻な経済的・安全保障上の懸念がある。

第一の懸念は、米国企業の競争力低下である。OpenAIやAnthropicなどは、AIインフラと研究開発に数十億ドルもの巨額投資を行っており、その回収のために有料サービスを展開している。一方で、DeepSeekを筆頭とする中国のモデルの多くは、サブスクリプション料金をとらずに提供されるか、極めて低コストである。米国の最先端モデルから「蒸留」によってエッセンスを安価に抜き取られ、それが「オープンウェイト(モデルの内部パラメータが公開された状態)」としてばら撒かれれば、米国企業が巨費を投じて築いた技術的アドバンテージが急速に無効化されるリスクがある。

第二の懸念は、AIの安全性とガバナンスの欠如である。OpenAIは、蒸留によってモデルがコピーされる過程で、本来備わっているはずの「ガードレール(安全策)」が脱落することを警告している。これにより、生物学や化学といった高リスク分野でのAIの悪用が容易になる可能性がある。また、DeepSeekのチャットボットが台湾や天安門事件といった中国政府にとってデリケートな話題について検閲を行っていることも、米国内での不信感を増幅させる要因となっている。

下院中国共産党特別委員会のジョン・ムーレナー(John Moolenaar)委員長は、今回の事態を「盗み、コピーし、殺すという中国共産党の常套手段の一環だ」と厳しく非難している。

NVIDIA製チップの輸出規制をめぐるジレンマ

DeepSeekの躍進は、米国の対中チップ輸出規制の効果についても疑問を投げかけている。DeepSeekは、米国が規制を強める前の旧型チップや、規制の網をかいくぐって入手したチップを用いて、驚異的な学習効率を達成したと主張している。

特に注目すべきは、DeepSeek-V3の学習に要したNVIDIA製「H800」GPUの総稼働時間がわずか280万時間であったという点だ。これは、米国の最新鋭モデルの学習に必要とされるリソースと比べて極めて少ない。NVIDIAはDeepSeekに対し、R1モデルの改善や共同設計のための技術サポートを提供していたとの指摘もあり、米国内では規制の「抜け穴」に対する批判が強まっている。

Donald Trump大統領は昨年末、NVIDIAが性能を抑えた「H200」チップを中国へ輸出することを容認する方向に動いたが、これに対しては「不十分な規制が中国に世界最先端のオープンソースモデルを開発させてしまった」という保守派議員からの反発も根強い。

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「再帰的学習」の時代か、知財の略奪か

一方で、業界内にはOpenAIの姿勢に懐疑的な声もある。TechDirtの創設者Mike Masnick氏は、OpenAI自体がインターネット上の膨大なデータを学習に利用してきた経緯を指摘し、他社による蒸留を批判することは「滑稽に見える」とコメントしている。

また、Counterpoint ResearchのNeil Shah副社長は、「今のAI業界において孤立したモデルは存在せず、業界全体が再帰的な学習(他者の成果を基にした学習)によって進化してきた」と指摘する。新興勢力が「蒸留」や「最適化」という経路をたどることは、AI開発における一種の歴史的必然であるという見方だ。

しかし、OpenAIが今回提示した「難読化ルーターによる隠蔽」や「組織的なアクセスコードの開発」といった具体的な証拠は、単なる技術的なキャッチアップを超えた、悪意のある「収奪」の側面を強調している。

加速するAI軍拡競争の行方

DeepSeekは、2026年末までにOpenAIに対抗するAIエージェントモデルのリリースを目指していると報じられている。また、中国国内ではDeepSeekのブレイクスルーを受け、大手テック企業やスタートアップが相次いでオープンソースモデルの公開を急いでいる。

OpenAIによる今回の議会への警告は、こうした中国勢の猛追を「技術流出」の観点から食い止めようとする米国の防衛本能の表れである。今後、米国企業はモデルの出力を守るための「カウンターメジャー(対抗策)」をさらに強化し、政府と密接に連携して知財保護に動くことは確実だ。

AI開発は今、アルゴリズムの純粋な優劣を競う段階から、いかにして他者に「学習させない」か、そしていかにして「隠れて学習するか」という、高度な情報戦と地政学的な駆け引きの場へと変貌を遂げている。


Sources