SK hynixが、スマートフォンやタブレットなどモバイルデバイスのAI性能を飛躍的に向上させる可能性を秘めた、全く新しいメモリ技術「High Bandwidth Storage(HBS)」の開発に着手していることが明らかになった。 この技術は、性質の異なるDRAMとNANDフラッシュメモリを一つのパッケージ内に積層し、「垂直配線ファンアウト(VFO)」と呼ばれる独自の先進パッケージング技術で接続するものである。 HBSは、プロセッサとストレージ間のデータ転送における長年の課題であった「メモリの壁」を打ち破り、真のオンデバイスAI時代を切り拓くための戦略的技術と位置づけられる。
なぜ今、新たなストレージ技術が必要なのか?
近年のスマートフォンは、単なる通信端末から高度なコンピューティングデバイスへと進化を遂げた。その中心にあるのがAI技術であり、特にクラウドを介さずデバイス内でAI処理を完結させる「オンデバイスAI」の重要性が急速に高まっている。これには、プライバシー保護、低遅延応答、オフラインでの動作といった明確な利点があるためだ。
しかし、オンデバイスAIの性能向上には構造的なボトルネックが存在する。現在のスマートフォンアーキテクチャは、高速だが小容量で揮発性(電源を切るとデータが消える)のDRAMと、大容量だが低速で不揮発性のNANDフラッシュストレージが別々のチップとして搭載されている。プロセッサ(AP)がAIモデルのような巨大なデータを処理する際、NANDからDRAMへデータを読み込み、その上で演算を行うという手順を踏む。このDRAMとNAND間のデータ転送速度が、システム全体のパフォーマンスを規定する「律速段階」となっているのだ。これが、いわゆる「メモリの壁」問題である。
SK hynixが開発するHBSは、この根本的な課題に対する直接的な解答である。DRAMの高速性とNANDの大容量性を一つのパッケージに統合し、プロセッサとの間のデータ転送帯域幅を劇的に向上させることで、この壁を取り払うことを目指している。
HBSとは何か? – DRAMとNANDの異種融合
HBS(High Bandwidth Storage)の基本概念は、これまで分離されていた二つの主要メモリ、DRAMとNANDフラッシュを垂直に積層し、一つの統合パッケージとして機能させることにある。 このアプローチは、メモリ階層をチップパッケージの内部で再構築する野心的な試みだ。
- 異種メモリの統合: HBSは、低消費電力と広帯域を両立させた「LPWIO(Low Power Wide I/O)DRAM」とNANDフラッシュを積層する。 これにより、高速なキャッシュとして機能するDRAMと、大規模なAIモデルやデータを格納するNANDが物理的に極めて近い距離に配置される。
- 広帯域幅の実現: HBSの最大の目的は、データ転送帯域幅の最大化である。最大16層のDRAMとNANDを積層し、後述するVFO技術によって多数のI/O(入出力)を確保することで、従来のストレージ規格(UFSなど)とは比較にならないデータ転送速度を目指す。
- オンデバイスAIへの最適化: HBSは、アプリケーションプロセッサ(AP)と一体でパッケージングされ、モバイルデバイスのメインボードに実装される想定だ。 これにより、APとメモリ間の物理的な距離が極限まで短縮され、AI推論時に発生する大量のデータアクセスを極めて低遅延かつ高効率に処理することが可能になる。
HBSを支える核心技術「VFO」のアーキテクチャ

HBSの実現性を担保するのが、SK hynixが2023年に世界で初めて開発した「VFO(垂直配線ファンアウト)」パッケージング技術である。 この技術の理解なくして、HBSの本質を語ることはできない。
従来技術との構造的差異
従来のチップ積層では、チップ間を接続するために「ワイヤーボンディング」という手法が広く用いられてきた。これは、チップ上の端子から基板上の端子へと細い金属ワイヤーをアーチ状に接続する方法である。この方式は確立された技術だが、物理的な制約が大きい。
- 配線の長さと信号品質: ワイヤーが曲線を描くため配線が長くなり、信号の伝搬遅延や電力損失、ノイズの発生源となる。
- スペース効率: ワイヤーのループが占める空間のため、パッケージの小型化・薄型化に限界がある。
- I/O数の制限: 配置できるワイヤーの本数に物理的な制約があり、帯域幅の拡大が難しい。
VFOによるブレークスルー
VFOは、これらの課題を根本的に解決する。その名の通り、積層されたチップ間を「垂直」かつ「直線」の配線で接続する技術である。 これは、「ファンアウト・ウェーハレベル・パッケージ(FOWLP)」という、チップの外側にI/O端子を再配置する技術を応用・進化させたものである。
VFOの具体的な利点は、SK hynixが公表しているデータによって定量的に示されている。
- 配線長の大幅短縮: 従来のワイヤーボンディング比で、配線長を4.6倍短縮。 これが信号品質の向上と遅延の削減に直結する。
- 電力効率の向上: 4.9%の電力効率改善。 モバイルデバイスのバッテリー持続時間にとって極めて重要である。
- 薄型化の実現: パッケージ全体の厚さを27%削減。 これにより、スマートフォンなどの薄型デバイスへの実装が容易になる。
- 放熱性の改善: 熱抵抗を低減し、放熱性を1.4倍向上。 高性能化に伴う発熱問題の緩和に貢献する。
HBMで用いられるTSV技術との決定的な違い
高帯域幅メモリとして知られるHBM(High Bandwidth Memory)は、「TSV(Through-Silicon Via、シリコン貫通電極)」という技術を用いてDRAMダイを垂直に接続する。これは、シリコンチップ自体に微細な穴を開け、銅などの導体で埋めて上下のチップを電気的に接続する高度な技術である。
一方、HBSが採用するVFOは、TSVを必要としない。 チップを貫通させるのではなく、チップの外側にある配線領域(ファンアウト領域)を利用して垂直に接続する。このアーキテクチャ上の選択が、HBSに決定的な競争優位性をもたらす。
- 製造コストの低減: TSVは、チップに穴を開けるエッチング工程や絶縁膜形成、導体の充填など、複雑でコストのかかるプロセスを必要とする。VFOはこれを回避できるため、製造コストを大幅に抑制できると期待される。
- 歩留まりの向上: TSVプロセスは欠陥が発生しやすく、歩留まり(良品率)を低下させる一因となる。VFOはより確立されたFOWLP技術をベースにしているため、比較的高い歩留まりが見込める。
TSVを回避するというエンジニアリング判断は、HBSをサーバー向けのHBMのような高価な特殊メモリではなく、コストに敏感なスマートフォン市場向けの量産技術として成立させるための、極めて戦略的かつ現実的な選択であると言える。
HBSがもたらすスマートフォンの未来
HBSの実用化は、スマートフォンやモバイルデバイスの体験を根底から変えるポテンシャルを秘めている。
- 真のオンデバイスAIの実現: 現在のスマートフォンに搭載されているAI機能の多くは、依然としてクラウド上の大規模なサーバーと連携して動作している。HBSによってメモリ帯域幅のボトルネックが解消されれば、数十億パラメータを持つような大規模言語モデル(LLM)や、高解像度の画像生成AIを、デバイス上で直接、高速に実行できるようになる。これにより、ネットワーク接続に依存しない、真にパーソナルでセキュアなAI体験が可能となる。
- 新次元のアプリケーション: AR(拡張現実)グラスとの連携、リアルタイムの高度な音声翻訳・映像翻訳、プロフェッショナルレベルの動画編集など、これまで専用の高性能PCを必要としていたタスクが、スマートフォンで快適に実行可能になる。
- システム全体の省電力化: プロセッサとメモリ間のデータ移動は、電力消費の大きな要因である。HBSはDRAMとNANDをプロセッサの至近距離に配置することで、データ移動の距離と頻度を削減し、システム全体のエネルギー効率を向上させる。これは、デバイスのバッテリー持続時間の延長に直接貢献する。
競合技術と市場動向
SK hynixのHBS開発は、メモリ業界全体の大きな潮流の中で理解する必要がある。
- SK hynixの広帯域戦略: SK hynixは、サーバー向けにはDRAMを積層した「HBM」、AI推論ワークロード向けにはNANDを積層した「HBF(High-Bandwidth Flash)」、そしてモバイル向けにはDRAMとNANDを融合した「HBS」という、全方位の広帯域メモリ戦略を推進している。 2025年3月には、「LPW NAND」という商標を出願しており、これはHBFやHBSの設計思想である「Low Power Wide I/O」を反映したものと推察される。
- SanDiskのHBF: メモリメーカーのSanDiskも、NANDを16層積層して512GBの容量とHBMに匹敵する帯域幅を実現する「HBF」を発表している。 HBFがNANDのみの積層であるのに対し、SK hynixのHBSはDRAMとNANDの異種メモリを積層する点でアプローチが異なる。これは、OSやアクティブなアプリケーションをDRAM領域で高速に処理しつつ、大規模なAIモデルをNAND領域から素早く読み出すという、モバイルデバイス特有のワークロードに最適化した設計思想の表れと考えられる。
- SamsungのLPW DRAM: 競合であるSamsungも、モバイル向けLPDDR DRAMを積層した「LPW DRAM」を開発している。 これは「モバイル版HBM」とも呼べる技術であり、2028年頃の製品化を目指している。 このように、業界全体がモバイルデバイスにおけるメモリ帯域幅の拡大を最重要課題と捉えていることは明らかであり、その中でHBSは「DRAM+NAND」というユニークなアプローチで差別化を図っている。
スマホメモリの今後の展望
SK hynixが開発を進めるHigh Bandwidth Storage(HBS)は、単なるストレージの高速化技術に留まらない。それは、DRAMとNANDという二つの異なるメモリを、VFOという革新的なパッケージング技術によって垂直に統合し、長年の課題であった「メモリの壁」を打ち破ろうとする、モバイルコンピューティングのアーキテクチャ変革の試みである。
TSVを用いないVFOの採用は、高性能と低コストの両立を可能にし、HBSがハイエンドスマートフォン市場で広く採用されるための現実的な道筋を示している。今後の課題は、主要なSoC(System-on-Chip)ベンダーとの協業によるエコシステムの構築や、業界標準化の動向であろう。次世代SoCとして噂されるQualcommの「Snapdragon 8 Elite Gen 6 Pro」が、LPDDR6やUFS 5.0といった次世代メモリ規格をサポートすると見られているように、プロセッサ側も既にHBSのような広帯域メモリソリューションを受け入れる準備を始めている可能性がある。
HBSが市場に投入されれば、オンデバイスAIは新たなステージへと進化し、我々の手の中にあるデバイスが持つ可能性は、今日我々が想像する以上に大きく広がることになるだろう。
Sources
- aaa



