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OpenAIがDeepSeekよりも警戒する「Zhipu AI」とは何者か?米中AI戦争、舞台は『ソブリンAI』インフラへ

Y Kobayashi

2025年6月29日

米中AI競争が、新たな、そしてより地政学的な局面へと突入した。2025年6月25日、OpenAIは公式ブログを通じて、中国のAIスタートアップ「Zhipu AI」を主要な競合相手として名指しするという異例の発表を行った。これは単なる技術的なライバル宣言ではなく、中国の国家戦略と一体化したAIインフラが世界に張り巡らされる「デジタルシルクロード」構想と、OpenAIが描くグローバルなAIインフラ構想が、真正面から衝突する時代の幕開けを告げるものだ。

これまで中国AIといえば、モデル性能で注目を集めるDeepSeekのような企業が話題の中心だった。しかし、OpenAIが照準を合わせたのはZhipu AIだった。この選択自体が、AIを巡る覇権争いの本質が、単なるモデルの性能競争から、国家のデジタル主権を支える「インフラ」の支配権争いへと移行しつつあることを雄弁に物語っている。

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なぜDeepSeekではなくZhipu AIなのか?OpenAIの警告が示すゲームの変化

今回のOpenAIの発表で最も注目すべき点は、その名指しの相手がZhipu AIであったことだろう。多くの技術専門家がベンチマークスコアで鎬を削るDeepSeekの動向を注視してきた中で、OpenAIの視線は異なる場所、より戦略的な高みに向けられていた。

OpenAIはブログの中で、Zhipu AIを「中国のAI世界制覇競争の最前線にいる企業」と位置づけ、その世界的なAIインフラ展開と中国政府との密接な関係性に警鐘を鳴らした。OpenAIが問題視しているのは、Zhipu AIがLLM(大規模言語モデル)の性能で他を圧倒しているからではない。これは、LLMの性能という「点」の競争ではなく、AIを社会基盤として実装していく「面」の競争、すなわちインフラ・エコシステム全体の覇権争いを強く意識した動きに他ならない。

DeepSeekが技術イノベーションの象徴であるとすれば、Zhipu AIは中国の国家戦略の実行部隊である。OpenAIは、後者の動きこそが、自社のグローバルな未来、ひいては西側諸国が主導するAI秩序にとって、より本質的な挑戦であると判断したと考えられる。

Zhipu AIとは何者か?清華大学発「国家代表」AI企業の正体

では、OpenAIがこれほどまでに警戒するZhipu AIとは、一体どのような企業なのだろうか。

2019年に中国の最高学府である清華大学の知識工学研究室からスピンオフして設立されたZhipu AIは、純粋な民間スタートアップとは一線を画す存在だ。設立以来、国営ファンドなどから総額14億ドル(約2,240億円)以上という巨額の資金を調達しており、その出自と資金背景から「国家代表AI企業」とも言うべき性格を色濃く帯びている。

技術革新より「ソブリンAI」インフラ提供に特化

Zhipu AIの最大の特徴は、そのビジネスモデルにある。同社は、最先端モデルの開発競争にリソースを集中投下するのではなく、各国政府や国営企業向けに「ソブリン(主権)AI(Sovereign AI)」インフラを提供することに特化しているのだ。

ソブリンAI」とは、国家が自国の国境内、あるいは自国の管理下にあるインフラ上で、AIを運用し、データを管理することで、他国のプラットフォームに依存することなく、デジタル主権を確保するという考え方だ。米国の巨大テック企業が提供するクラウドサービスに依存することへの懸念が世界的に高まる中、このコンセプトは特に新興国や非西側諸国にとって強い魅力を持つ。

OpenAIの報告によれば、Zhipu AIはこのソブリンAI市場を巧みに開拓している。彼らの戦略は、中国政府が推進する巨大経済圏構想「一帯一路」と連動した「デジタルシルクロード」構想の実行部隊として機能することだ。具体的には、以下の三位一体のソリューションを提供している。

  1. ソブリンLLMインフラの提供: 各国が自国内で運用できる独自のLLM基盤を構築する。
  2. ターンキー型ハードウェア: Huaweiと提携し、設定済みのハードウェアとソフトウェアを一体化した「AI-in-a-box」を提供する。これにより、専門知識が乏しい国でも容易にAIインフラを導入できる。
  3. ガバナンスのノウハウ: AIの運用ルールや倫理基準といった、中国式のガバナンス・フレームワークもセットで輸出する。

世界に広がる「デジタルシルクロード」の尖兵

その動きはすでに世界各地で具現化している。

提供された情報によれば、Zhipu AIはマレーシア、シンガポール、アラブ首長国連邦(UAE)、サウジアラビア、ケニアなどで実際に政府契約を獲得している。さらに、中東、英国、シンガポール、マレーシアにオフィスを構え、インドネシアやベトナムでは「イノベーションセンター」を運営するなど、そのネットワークは着実に拡大している。

これは、かつての鉄道や港湾の建設が地政学的な影響力をもたらしたように、21世紀の「デジタルインフラ」を巡る覇権争いの縮図と言えるのではないだろうか。

OpenAIは、「その目的は、米国や欧州の競合他社が参入する前に、新興市場に中国のシステムと標準を固定化することだ」と分析する。Zhipu AIは自社のAIを「責任ある、透明で、監査可能」なオルタナティブとして売り込んでおり、これは西側諸国のAIガバナンス論議を意識した、極めて戦略的な動きと言えるだろう。

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水面下で進むインフラ戦争:Stargate計画 vs デジタルシルクロード

では、OpenAIはなぜ、このタイミングでZhipu AIを公然と名指ししたのだろうか。この行動には、複数の意図と、そしてリスクが内包されていると考えられる。

最も直接的な理由は、自社のグローバル戦略「OpenAI for Countries」への危機感だろう。OpenAIもまた、世界各国の政府と協力し、民主的な価値観に基づくAIインフラの構築を目指している。Zhipu AIは、その構想にとって最も直接的で手強い競合相手に他ならない。Zhipu AIの動きを公にすることで、西側同盟国やパートナー候補国に警戒を促し、中国製AIインフラ導入のリスクを周知させる狙いがあるのは明らかだ。

しかし、この一手は「両刃の剣」となりうる。著名なベンチャーキャピタリストであるBill Gurley氏はX(旧Twitter)で、「OpenAIがこの中国企業を公然と宣伝するのは非常に奇妙な決定だ。この行動は競合の認知度を資金提供者と顧客の両方に対して高めるだけで、事実上彼らを地図に載せてしまった」と指摘した。「愛の反対は無関心だ」という彼の言葉は示唆に富む。OpenAIからの「名指し」は、皮肉にもZhipu AIにとって国際的な信頼性を高める「お墨付き」として機能してしまう可能性があるのだ。

だが、OpenAIの行動が、単なる焦りではなく、計算された「予防的外交」の一環とも解釈できる。Zhipu AIが「責任ある透明なAI」という仮面を被って静かに勢力を拡大する前に、あえてスポットライトを当てる。そして、同社が中国政府や軍と密接な関係にあること、米国の制裁対象であることを世界に再認識させる。これにより、Zhipu AIとの提携を検討している国々に対し、地政学的なリスクを突きつけ、判断を躊躇させる効果を狙ったのではないだろうか。

米中AI覇権の新たな主戦場:「Stargate」対「デジタルシルクロード」

今回の出来事は、米中AI覇権争いが、企業間の競争というレベルを超え、国家主導の巨大プロジェクトがぶつかり合う新たなステージに突入したことを浮き彫りにした。

米国陣営の戦略は、OpenAIと米国政府、そしてテックジャイアンツが一体となったエコシステム輸出だ。その象徴が、OpenAIが主導する5000億ドル規模のAI投資計画「Stargate Project」である。第一弾として発表されたUAEでの巨大AIキャンパス建設計画には、OpenAIに加え、Oracle、NVIDIA、Ciscoといった米国企業が名を連ねる。これは、資金力のある同盟国を巻き込み、ハードウェアからソフトウェア、ガバナンスに至るまで、米国基準のAIエコシステムを世界に展開しようという壮大な構想だ。

対する中国陣営の戦略が、Zhipu AIを尖兵とする「デジタルシルクロード」である。こちらは、開発途上国や非西側諸国を中心に、低コストで導入が容易なインフラと、国家による統制を是とするガバナンスモデルをセットで提供する。いわば「反Stargate連合」の受け皿となりうるのだ。各国が独自のAIインフラを持つようになれば、OpenAI-Microsoft連合が提供する中央集権的な巨大プラットフォームへの依存度は低下する。これにより、経済的・技術的な影響力を拡大し、米国主導のデジタル秩序に対抗するブロックを形成しようという狙いが見える。

もはや、これは単なる市場シェアの奪い合いではない。どちらの技術標準がグローバルスタンダードとなるのか。データの流れは誰がコントロールするのか。そして、未来のデジタル社会はどのような価値観に基づいて構築されるのか。米中のAI競争は、計算資源とデータ、そしてそれらを管理するインフラの支配権を巡る、地政学的な陣取り合戦の様相を呈しているのだ。

興味深いのは、Zhipu AIが2025年1月に米商務省のエンティティリストに追加され、米国製部品の調達が禁止されているにもかかわらず、その海外展開の勢いが衰えていない点だ。これは、米国の規制が先端半導体などのサプライチェーンを対象とする一方で、Zhipu AIが非米国製のハードウェアや独自のソフトウェア・スタックを組み合わせてインフラを構築し、顧客国の開拓という「下流」で影響力を拡大している可能性を示唆している。

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IPOを控え、加速するAI地政学

Zhipu AIは、2025年10月のIPO(新規株式公開)を計画していると報じられている。これにより得られるであろう莫大な資金は、ソブリンAIインフラの世界展開をさらに加速させるための軍資金となるだろう。

今回のOpenAIによる警告は、水面下で進行していたAIインフラを巡る米中の静かなる戦争が、ついに公然の対立へと発展したことを示す狼煙(のろし)だ。今後、世界各国は、米国の巨大テック企業が主導するグローバルAIプラットフォームに接続するのか、それとも中国が支援するソブリンAIインフラを導入し、独自のデジタル主権を追求するのか、という戦略的な選択を迫られることになる。

この対立は、単なる技術標準やビジネスの競争に留まらない。データの流れ、プライバシーの考え方、そしてAIがもたらす価値を誰がコントロールするのかという、21世紀の国際秩序の根幹に関わる問題だ。OpenAIが放った一石は、我々がAI時代の新たな地政学の始まりを目撃していることを、明確に告げている。


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