自動車誕生以来、1世紀以上にわたって「止まる」ための主役であり続けた油圧システムが、ついにその座を譲ろうとしている。2026年第1四半期から第2四半期にかけ、中国の自動車メーカーであるChery(奇瑞汽車)とLi Auto(理想汽車)が、世界初となる「純電子機械ブレーキ(EMB:Electronic Mechanical Braking)」を搭載した市販車の量産を相次いで開始する。

この新たな動きは、車両の「神経系」そのものをデジタル化し、ソフトウェア定義車両(SDV)や完全自動運転への道を切り拓く、自動車工学におけるパラダイムシフトの幕開けとなるかもしれない。

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物理的な結合を断つ「EMB」の正体

従来のブレーキシステムは、ドライバーがペダルを踏む力を油圧倍力装置で増幅し、ブレーキフルード(油)を通じて各ホイールのキャリパーに伝達する仕組みだった。これに対し、今回量産化されるEMBは、マスターシリンダー、油圧配管、ブレーキフルードを完全に排除する。

ドライバーのペダル操作は電気信号に変換され、各車輪に配置された高精度な電気アクチュエータが直接ブレーキパッドを押し出す。この「ブレーキ・バイ・ワイヤ」の究極形とも言えるシステムには、以下の圧倒的な利点がある。

  • 応答速度の劇的な向上: 油圧の伝達遅延がなくなり、ミリ秒単位での制御が可能になる。これにより、緊急時の制動距離を大幅に短縮できる。
  • 精密な制動力制御: 各車輪の制動力を独立かつ緻密に調整できるため、路面状況に応じた安定性が飛躍的に高まる。
  • 構造の簡素化と軽量化: 複雑な油圧配管やフルードが不要になることで、車両重量の削減とメンテナンス性の向上が実現する。
  • 環境負荷の低減: 定期的な交換が必要なブレーキフルードを使用しないため、環境への影響を抑えられる。

世界初を巡るCheryとLi Autoの攻防

興味深いのは、この革新的技術の「世界初」の称号を巡って、中国の二大メーカーが火花を散らしている点だ。

Chery:航空機グレードの信頼性を掲げる「Exeed EX7」

Cheryは、プレミアムブランド「Exeed」の新型クロスオーバー「EX7」にEMBを搭載することを発表した。同社の副総裁であるLi Xueyunによれば、開発には約3年を要し、航空機と同等の安全基準を満たす信頼性を確保したという。

EX7(旧称:Exlantix ET7)は、2026年第1四半期に発売予定だ。このモデルは「Flying Fish 3.0」と呼ばれる最新のシャシーとEMBを統合。車両をひとつの「インテリジェントな神経系」として機能させることで、あらゆる路面でのハンドリングと安全性を高めている。

また、EX7の技術仕様も極めて高い。BEV(純電気自動車)モデルは97.7kWhの大容量バッテリーを搭載し、最大726kmの航続距離を誇る。レンジエクステンダー(EREV)モデルでも、約40kWhのバッテリーで200km以上のEV走行が可能とされており、次世代プレミアムSUVとしての地位を狙っている。

Li Auto:知能化の頂点を目指す「L9 Livis」

一方でLi Autoは、2026年2月6日にフラッグシップSUV「L9」の次世代モデルとして、究極の仕様となる「L9 Livis」を発表した。価格は559,800人民元(約12,650,000円)で、2026年第2四半期の納車開始を予定している。

Li Autoが「世界初」を主張する根拠は、その包括的な「バイ・ワイヤ」構成にある。L9 Livisは単なるEMBだけでなく、ステア・バイ・ワイヤ、四輪操舵、そして800V完全アクティブサスペンションを統合した、世界初の「フル・バイ・ワイヤ・シャシー」を謳っている。

特に注目すべきは、その計算基盤だ。自社開発の5nmプロセスチップ「Mach 100(M100)」を2基搭載し、合計2,560 TOPSという驚異的な演算能力を実現した。これはNVIDIAの次世代チップ「Thor-U」の3倍以上に相当する性能であり、EMBのミリ秒単位の制御と高度な自動運転機能を支える心臓部となる。

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規制の壁を突破した中国の規格戦略

技術的には可能であっても、長らく量産化を阻んできたのは安全基準(法規制)の壁だった。しかし、中国政府は2025年5月に新たな国家標準「GB 21670-2025」を発行し、2026年1月1日から施行した。この規格でEMBシステムが正式に認められたことが、今回の量産化ラッシュの最大のトリガーとなっている。

Li Autoは、L9 Livisがこの新基準に準拠した最初のモデルであることを強調している。油圧という「物理的なフェイルセーフ」を持たないシステムにおいて、多層的な電子的な冗長性(バックアップ)が公的に認められた意味は大きい。これは、中国が自動車のインテリジェント化において、ルールメイキングの面でも世界の主導権を握ろうとしている姿勢の現れである。

ハードウェアから「サービスとしての制動」へ

EMBの普及は、自動車のサプライチェーンとメンテナンスの概念を根本から変える。 これまでのブレーキシステムは、定期的なフルード交換や、経年劣化によるゴムホースの亀裂、錆によるピストンの固着といった「液体系」特有のトラブルと隣り合わせだった。EMBはこれらの物理的な弱点を排除する。

さらに、ブレーキの「タッチ」や「効き味」がソフトウェアでカスタマイズ可能になることも重要だ。雨の日の滑りやすい路面、スポーツ走行時のクイックな反応、あるいは同乗者が酔いにくい穏やかな減速。これらはすべて、ファームウェアのアップデートによって最適化できるようになる。

かつて、航空機の操縦系統が油圧からフライ・バイ・ワイヤへと移行した際、その機動性と安全性は飛躍的に向上した。今、自動車で起きているのはまさにその「地上版」である。

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2026年、プレミアムSUVの激戦

2025年、中国市場における中国メーカーのシェアは35.6%と過去最高を記録した。しかし、市場全体としては激しい価格競争と需要の飽和に直面している。特に3列シートの大型SUVセグメントは、Li Auto、Nio、Zeekr、Xiaomi、そしてVolkswagenといった巨人がひしめく最激戦区だ。

このような状況下で、CheryやLi AutoがEMBという「究極のソリューション」を投入する理由は明確である。既存のスペック競争(加速性能や画面の大きさ)がコモディティ化する中で、シャシーの深部における「技術的な格差」を提示し、ブランドの先進性を再定義する必要があるのだ。

真の自律走行に向けた最後のピース

EMBの導入は、レベル3以上の自律走行機能を実現するための「最後のピース」とも言える。自動運転システムが回避行動を取る際、油圧の立ち上がりを待つコンマ数秒が命運を分けるからだ。

Chery Exeed EX7やLi Auto L9 Livisが示す道筋は、自動車がもはや「機械の集合体」ではなく、高度な演算能力を備えた「移動するロボット」へと進化したことを告げている。航空機グレードの技術が日常の道路を走り始める2026年は、後に「デジタル・シャシー元年」と呼ばれることになるかも知れない。


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