BCIの国際競争を伝えるニュースを追うほど、「結局どちらの国が先を行っているのか」が分からなくなる中、2026年3月には「中国がNeuralinkを追い抜いた」という見出しが相次いだ。上海のNeuracle Medical Technology(博睿康医療科技)が開発した侵襲型BCI「NEO」に、中国国家薬品監督管理局(NMPA)が世界初の商用承認を与えたからだ。だが米国でPrecision Neuroscienceが得た承認は、ソフトウェアも無線機能も持たない受動的な皮質電極アレイに対する、30日未満の一時的な使用許可にすぎない。「どちらが先を行っているか」を測る物差し自体が、国によってまるで違う。その物差しの不在こそが、この承認劇が本当に示している問題だ。
NEOの承認で恒久植込み型BCIの医療保険コード交付まで進んだ
NMPAは2026年3月13日、Neuracle Medical Technology(博睿康医療科技、上海市浦東新区張江拠点)が開発した植込み型BCI「NEO」に第三類医療機器(Class III)の登録証を交付した。正式名称は「植込み型脳コンピュータインターフェース手部運動機能代償システム」で、対象は頸髄損傷により四肢麻痺があるものの上腕の一部機能が残る18〜60歳の患者に限定される。技術の土台は清華大学発の研究で、頭蓋骨の下、硬膜の上にコイン大のディスクを設置する半侵襲設計を採用した。脳組織そのものを貫通しないため、脳内に電極を刺入する完全侵襲型とは構造が根本的に異なる。
国家医療保障局(NHSA)は承認からわずか2日後の3月15日、自ら対応窓口を設けて医療保険(医保)コードの交付を完了させた。医保コードは医療機関がNEOを保険請求の対象として扱えるようにする「入場券」であり、同局自身も「臨床上の実際の効果に医保が支払う価値があるかどうか、病院側の採用意欲を含めて、なお現実的な駆け引きが残る」と認めている。コード交付が保険償還の確定を意味しない点には留意が必要だが、承認からわずか2日でここまで到達した事例は、世界のどの国のBCIにもこれまで見当たらない。
同じ上海拠点のNeuroXessは完全植込み・完全ワイヤレス型BCIの治験を進めているが、2026年7月時点で商用承認は取得しておらず、NEOとは別法人・別段階にある。「中国のBCI」とひとくくりに語ると、承認済みの製品と治験中の製品を混同しかねない。
中国のClass III承認と米国の30日限定診断用承認の隔たり
Precision Neuroscienceの「Layer 7-T」は2025年3月30日、FDAから510(k)清算(簡易審査による市販前届出、K242618)を取得した。ただしこれはソフトウェアも無線通信機能も持たない受動的な皮質電極アレイであり、外部のFDA承認済みEEG機器から電力供給を受けて動作する単純なデバイスにすぎない。用途は30日未満の一時的な植込みによる脳表面電気信号の記録・監視・刺激で、術中の脳機能マッピングなど医師の診断行為を補助する場面に限られる。NEOのように解読ソフトウェアと無線伝送を備え、患者の運動意図を外部機器の動作へ変換する「システムとしてのBCI」とは、そもそも製品のカテゴリが異なる。
2026年半ば時点で、運動機能回復を目的とした植込み型BCIについてFDAの本承認(PMA)を得た製品は米国に一つも存在しない。Neuralinkも複数の臨床試験を進めているが、この一線を越えられていない点は変わらない。運動機能代償を目的とした恒久植込みにFDAが慎重なのは、感染症や電極の生体適合性など長期にわたる安全性データの蓄積が求められるためだ。
血管内カテーテルで留置する非開頭型BCI「Stentrode」を手がけるSynchronは、この中間に位置する。2025年11月6日には2億ドル(1ドル=162.40円換算で約325億円)のシリーズDを調達し、累計調達額は3億4500万ドルに達した。AppleのiPhone、iPad、Vision ProとのBluetooth接続プロトコル(BCI-HID)を共同開発し、米国での本格承認(pivotal trial)に向けて前進しているが、承認そのものにはまだ至っていない。
恒久植込みと医保コード交付まで漕ぎ着けたNeuracleと、国家戦略上の優位性を得る中国政府は、この規制区分の非対称性からまず利益を得る。規制対応に追われるNeuralinkやPrecision Neuroscienceは時間を失い、連邦レベルで拘束力ある神経データ保護法が整わないまま市場だけが先行する米国の患者は、そのしわ寄せを受ける立場に置かれる(コロラド州・カリフォルニア州など一部州は独自に神経データを保護対象へ加えている)。中国の医保コード整備は、恒久植込み型BCIの費用対効果データを世界で最初に蓄積する立場を中国に与える意味も持ち、他国の保険当局が償還モデルを検討する際の参照点になり得る。
市場規模の予測は調査会社ごとに幅があるが、Grand View Researchは2030年に62億ドル、Research and Marketsは46億6000万ドル、Allied Market Researchは54億6300万ドルと、いずれも50〜65億ドル前後に収束する。62億ドルは同じレートで換算すると約1兆69億円に相当する規模だ。AIや半導体分野の市場規模と比べれば、BCIはまだニッチな新興分野の域を出ない。それでも小さな市場の内部では、誰が標準を握るかをめぐる争いが承認区分の違いという形ですでに表面化している。
8個のセンサーで手の動きを読み取る半侵襲設計の仕組み
NEOの中核は、頭蓋骨の下、硬膜の上に埋め込む直径2〜3センチほどのディスク型デバイスだ。8個のセンサーが大脳皮質の運動野が発する電気信号を拾い、患者が「手を握る」「腕を伸ばす」と意図した際に生じる神経活動のパターンを検出する。信号は体内から無線で外部の解読ソフトウェアに送られ、意図された動作の種類に変換されたうえで、空気圧式グローブなどの外部機器を作動させる。
解読ソフトウェアは、患者が特定の動作を意図したときに現れる神経活動のパターンをあらかじめ学習し、リアルタイムで入力される信号をそのパターンと照合して「握る」「離す」といった離散的な動作コマンドに分類する仕組みだ。連続的な運動そのものを再現しているわけではない。それでも限られた種類の動作コマンドへの分類だけで、日常の把持動作を代償するには十分な実用性を持つ。
BCIは侵襲度によっておおまかに4段階に分かれる。脳組織そのものに電極を刺し込む完全侵襲型(Neuralinkなど)、脳表面には触れるが組織を貫通しない半侵襲型(NEOやLayer 7-Tなど)、頭皮の外側から信号を拾う非侵襲型(EEGキャップなど)、そして血管を通じてカテーテルを脳周辺の静脈まで送り込む血管内型(Stentrode)である。侵襲度が高いほど信号の精度は上がるが、開頭手術に伴う感染症や出血のリスクも増す。半侵襲設計は精度とリスクの中間を取る現実的な落としどころであり、この設計判断が恒久植込みでの医保コード交付という結果につながった一因になった可能性がある。
神経データ保護法の空白、チリの5年前の先例と止まったままの米国調査
BCIが読み取るのは、患者の運動意図という極めて個人的な神経データである。この種のデータを保護する法制度は、国によって整備の度合いが大きく異なる。チリは2021年、世界で初めて神経(neuro)分野を対象に憲法を改正(Ley N°21.383)した先例を持つ。改正条文は「科学技術の発展は人々に奉仕するものであり、生命と心身の完全性を尊重して行われる」と定め、脳活動そのものとそこから得られる情報を法律で特別に保護するよう国に義務づけた。売買禁止や自由意志、認知拡張技術への平等なアクセスまで具体的に定めた別の神経権保護法案は、この憲法改正を受けて別途審議が続いている段階だ。
米国の現状はチリとは対照的である。2025年9月29日、上院議員のChuck Schumer氏がCantwell氏・Markey氏と連名で「MIND Act(S.2925)」を提出した。だが同法が定めるのは神経データそのものの規制ではない。連邦取引委員会(FTC)に対し、神経データの取り扱い実態を調査し規制上のギャップを分析するよう命じる、いわば調査指示法案にとどまる。
中国側にも神経データ専用の保護法は存在しない。7省庁が2025年7月23日に発表した「脳コンピュータインターフェース産業の革新的発展促進に関する実施意見」は、2027年までの核心技術突破と2030年までのグローバル企業2〜3社育成という産業目標を掲げ、データガバナンス枠組みの構築や「脳プライバシー漏洩の防止」にも言及する。だが神経データの越境移転をどう規律するか、患者の同意取得やデータ削除請求の手続きをどう保障するかという実装レベルの制度設計には触れていない。
NMPAの承認発表も同様だ。治験データの独立検証可能性や有害事象の開示範囲——審査プロセスの核心部分は、公表資料のどこにも記載がない。Neuracle Medical Technologyが上海証券取引所の科創板での上場準備を進めていると報じられている中、企業が資金調達のために国際展開を急ぐほど、患者の神経データがどこに、どのような管理体制のもとで蓄積されていくのかという問いへの答えは置き去りになりやすい。
ブレッチリー宣言の限界をなぞる「グローバル連合」構想
こうした空白を埋めるため、専門家の間では国際的な協調の枠組みを求める声が出ている。Blackrock Neurotech共同創業者のFlorian Solzbacher氏は、「これは技術競争以上に、どの国の価値観が世界をリードするかの争いだ」と、thedebrief.orgのインタビューで述べている。CorTec Neuro CTOのMartin Schüttler氏も、中国が事実上の「ゴールドスタンダード」の設定を主導する立場になりつつあると同インタビューで指摘した。トロント大学の生命倫理学者Kerry Bowman氏は、規制が手薄な地域で「規制の抜け穴(regulatory arbitrage)」が生まれるリスクを警告している。
だが、この種の「グローバル連合」構想には近い前例がある。AI分野では2023年11月1〜2日、英国ブレッチリー・パークで28カ国とEUが「ブレッチリー宣言」に署名した。この宣言を土台に、2024年5月のソウルAIサミットでAI安全研究所の国際ネットワーク設立が合意され、同年11月に最初の会合が開かれた。宣言そのものに法的拘束力はなく、実効性を担保するのは各国の自主的な協調のみだ。BCIの「グローバル連合」提言が同じ道筋をなぞるなら、実効性の乏しさというブレッチリー宣言の弱点まで引き継ぐ可能性がある。
しかも「グローバル連合」提言自体は、ブレッチリー宣言ほどの具体性さえまだ備えていない。ブレッチリー宣言は署名国を28カ国とEUに確定し、その半年後にはソウルサミットでの安全研究所ネットワーク設立合意という次の一手にまでつながった。一方、BCIの「グローバル連合」構想は、誰が参加し、違反時にどのような措置を取るのか、既存のどの国際機関が事務局を担うのかといった制度設計にまだ触れていない。枠組みの中身より前に、まず理念だけが先行している段階だ。
2021年に対中人材招致プログラムとの関係を隠していた罪で有罪となった元ハーバード大学教授Charles Lieber氏は、2025年4月28日に中国に入り、5月1日付で深圳医学科学院(SMART)の研究員、および中国国家出資の脳研究機関「i-BRAIN」の創設ディレクターに就任した。i-BRAINはASML製の深紫外線リソグラフィ装置まで備えるという。有罪判決を受けた人物すら国家プロジェクトの中核に迎えられている以上、法的な制裁だけで人材と技術の逆流を止めるのは難しい。各国の思惑がこれほど分かれている状況で、拘束力ある国際的なルール作りに実効性を持たせるのは、なお容易ではない。
侵襲型BCIには前例がない日本に突きつけられる問い
日本国内にBCI・BMI関連の医療機器認証が皆無というわけではない。非侵襲型の「LIFESCAPES医療用BMI(手指タイプ)」は2024年3月に医療機器認証を取得し、同年6月からは「運動量増加機器加算」という区分で保険適用も始まった。ただしこれは頭皮の外側から信号を読み取る非侵襲型の運動補助機器であり、NEOのように頭蓋骨下に電極を植え込む侵襲・半侵襲型BCIの薬事承認例は、日本国内にまだ一つも存在しない。
神経データを直接対象とする法整備も、個人情報保護法制の枠内では手つかずのままだ。チリが脳活動そのものを憲法条項で特別に保護する一方、日本の法体系には脳由来のデータを特別に位置づける規定はない。侵襲型BCIの実例が国内にまだない以上、規制当局が参照できる先行事例は海外にしかない。
Bowman氏が警告する「規制の抜け穴」のリスクは、規制が薄い地域ほど大きくなる。日本がその対象から外れている保証はどこにもなく、BCIの商用化が海外で先に進むほど、国内で議論が追いつかないまま輸入製品や国際的なデータ流通が先行する展開もありうる。中国が2027年までの核心技術突破、2030年までのグローバル企業育成という具体的な年限を掲げて動いている以上、日本にとっての猶予もそう長くはない。
規制の空白が続いたまま海外製BCIの輸入や国際共同治験が先に動き出せば、患者の神経データがクラウド経由で海外の解析基盤に送られる事態も起こり得る。そうなったとき、データがどの法域の管理下に置かれるのかを事後的に議論するのでは遅い。チリの神経権法制やMIND Actのような議論の蓄積がない分、日本は制度設計の土台そのものから組み立てる必要がある。
拘束力あるルール作りが一朝一夕には進まないとしても、標準や価値観をめぐる争いはすでに始まっている。米国にはMIND Actという調査指示レベルの一歩が存在するが、チリが2021年に実現した憲法レベルの神経権保護には、米国も中国も日本もまだ届いていない。その調査が具体的な規制案として結実するかどうかが、次の分岐点になる。NEOの承認が突きつけたのは勝敗の行方ではない。基準作りの主導権が、まだ誰の手にも定まっていないという現在地そのものだ。


