米中技術覇権争いの新たな焦点、GPU(Graphics Processing Unit)開発。その最前線から、地殻変動を予感させるニュースが飛び込んできた。深圳を拠点とするスタートアップ企業Lisuan Technologyが、中国初となる6nmプロセス採用の国産GPU「G100」の初回電源投入に成功したと発表したのである。これは単なる新製品の誕生を告げる報せではない。半導体の自給自足という巨大な国家戦略を背景に、NVIDIAやAMDが築き上げた牙城へ挑む挑戦の狼煙だ。しかし、その目標性能はNVIDIAのメインストリーム製品「GeForce RTX 4060」級と噂される。果たしてこの野心は現実のものとなるのか、それとも茨の道が続くだけなのか。
逆境からの船出、Lisuan Technologyと「G100」の実像
この挑戦の主役であるLisuan Technologyは、2021年に設立された比較的若い企業だ。しかしその中核を担うのは、シリコンバレーで25年以上の経験を積んだとされるGPU開発のベテランたち。彼らは、中国の半導体国産化という大きな潮流に乗る形で、新たな戦いの場を選んだ。同社は、Moore Threads(2020年設立)やBiren Technology(2019年設立)といった先行する国内スタートアップと共に、中国GPU開発の旗手として期待されている。
しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。当初2023年の市場投入を目指していたG100の開発は、深刻な資金難とサプライチェーンの障害に直面。2024年には一時期、倒産の危機に瀕したとまで報じられている。この窮地を救ったのが、親会社であるDongxin Semiconductorによる2,770万ドル(約43億円)の緊急資金注入だった。この支援により、プロジェクトは息を吹き返し、今回の「電源投入成功」という重要なマイルストーンに到達した。
G100が注目される最大の理由は、その出自にある。
- 独自アーキテクチャ「TrueGPU」: Imagination Technologiesなどの外部企業からIP(知的財産)ライセンス供与を受けるのではなく、ゼロから自社で開発した「TrueGPU」アーキテクチャを採用している。これは、将来的なライセンス問題や米国の規制強化を回避するための、極めて戦略的な選択だと考えられる。
- 中国初の6nmプロセス: G100は、中国国内で開発されたGPUとして初めて6nmプロセスノードで製造される。米国の厳しい輸出規制により、TSMCやSamsungといった世界最先端のファウンドリへのアクセスは事実上不可能だ。そのため、製造は中国最大のファウンドリであるSMIC(中芯国際集成電路製造)が担っている可能性が極めて高い。SMICの6nmプロセスは、HuaweiのAIチップ「Ascend 920」にも採用実績があり、中国の半導体技術が着実に進化していることを示している。
現在、G100はハードウェアの検証、ドライバの統合、そして性能チューニングという、製品化に向けた核心的なフェーズにある。同時に、「テープアウト」後のリスク試作段階に入っており、ウェハの歩留まりやクロック速度、電力効率といった量産に向けたデータ収集が進められている。この段階で大きな問題が発生しなければ、2025年第3四半期にも最初のエンジニアリングサンプルがOEMパートナーの元に届けられ、本格的な量産は2026年を見込んでいるという。
「RTX 4060級」という野心の真贋
G100を巡る噂の中で最も注目を集めているのが、「NVIDIA GeForce RTX 4060と同等レベルの性能を持つ」というものだ。RTX 4060は、現行世代のゲーミングGPU市場において、最も販売ボリュームの大きいメインストリーム製品の一つである。もしLisuan Technologyが初代製品でこの性能レベルを実現できれば、それはまさに快挙と言えるだろう。
しかし、この目標がいかに野心的であるかを冷静に評価する必要がある。NVIDIAやAMD、そしてIntelは、GPU開発に数十年という歳月と、年間数千億円規模の研究開発費を投じ続けてきた。彼らが持つ膨大な特許ポートフォリオ、最適化されたドライバ、そして広範なゲーム開発者とのエコシステムは、一朝一夕に構築できるものではない。
G100がサポートするとされるDirectX 12、Vulkan 1.3、OpenGL 4.6といった最新APIは、確かに現代のゲーミング環境における必須条件だ。だが、APIを「サポートする」ことと、実際のゲームタイトルで「最適化された性能を発揮する」ことの間には、天と地ほどの差が存在する。スペックシート上の理論性能(TFLOPS)が高くても、それが実ゲームのフレームレートに直結しないことは、これまでのGPUの歴史が証明している。
この「RTX 4060級」という目標は、技術的な達成目標であると同時に、投資家や国内市場に向けた強力なマーケティングメッセージとしての側面も大きいと筆者は考える。中国国内のユーザーや政府機関に対し、「我々は西側諸国の現行製品にキャッチアップしつつある」とアピールする上で、これほど分かりやすい指標はないからだ。
真の戦場は「ソフトウェア」— ドライバという最大の壁
たとえG100のシリコンが完璧な設計であったとしても、それは長い戦いの始まりに過ぎない。GPUの性能を最終的に決定づける最大の要因は、ハードウェアとOSやアプリケーションを繋ぐ「ソフトウェア」、すなわちドライバとファームウェアにあるからだ。
この点において、先行する中国企業Moore Threadsの事例は示唆に富む。同社のGPU「MTT S80」は、発売当初、多くのゲームで性能を発揮できず、互換性の問題も指摘された。しかし、その後の精力的なドライバアップデートにより、特定のゲームでは性能が最大120%も向上するという劇的な改善を見せた。これは、ハードウェアのポテンシャルを解放するためには、地道で継続的なソフトウェア開発がいかに重要であるかを物語っている。
Lisuan Technologyもこの課題を認識しており、ドライバの反復的な最適化と、主要なゲームエンジンやコンピューティングフレームワークとの互換性テストに注力する姿勢を見せている。しかし、世界中に存在する無数のゲームタイトルやアプリケーションとの互換性を確保する作業は、まさに人海戦術を要する果てしない道のりだ。NVIDIAが毎月のようにリリースする「Game Ready Driver」は、同社のソフトウェアエンジニアリング力の象徴であり、新規参入者が最も苦戦する領域なのである。
国家戦略の駒か、ゲームチェンジャーか?中国半導体自給におけるG100の位置づけ
G100の開発は、単なる一企業のプロジェクトではない。それは、米国の技術的封じ込めに対抗し、半導体における自給自足体制を確立しようとする中国の国家戦略そのものを体現している。
米国の輸出規制は、中国企業が最先端の製造技術や設計ツールへアクセスすることを困難にした。しかし、この逆境は皮肉にも、中国国内での独自技術開発を加速させる「怪我の功名」とも言える状況を生み出した。G100がSMICのプロセスを採用し、独自アーキテクチャ「TrueGPU」を開発したことは、まさにその象徴的な動きだ。外部からの供給に依存しない、純国産のエコシステムを構築するという強い意志がそこには見て取れる。
G100の成功は、Lisuan Technology一社の勝利に留まらない。それは、中国の半導体設計能力、SMICの製造能力、そして国内のソフトウェア開発力が一定の水準に達したことを示す、強力なシグナルとなるだろう。もしG100が市場で一定の評価を得ることができれば、他の国内企業への投資を呼び込み、才能あるエンジニアを惹きつけ、中国全体の半導体エコシステムを底上げする好循環を生む可能性がある。
巨龍の覚醒はまだ先か?— 茨の道を行く挑戦者たち
Lisuan TechnologyによるG100の電源投入成功は、間違いなく中国の半導体産業における歴史的な一歩だ。それは、シリコンバレー帰りのベテランたちの技術力、親会社の資金力、そして国家的な後押しが結実した成果である。
しかし、その前途が洋々かと問われれば、答えは「否」だ。これからG100は、歩留まりの問題、予期せぬ不具合による再設計(リ-スピン)のリスク、そして何よりもソフトウェアという巨大な壁に直面する。2026年の量産開始という目標も、これらのハードルをすべて乗り越えられた場合の、最も楽観的なシナリオと見るべきだろう。
たとえRTX 4060級の性能を達成できたとしても、その時にはNVIDIAやAMDはさらに先の世代、おそらくは「RTX 60シリーズ」やその後継製品を市場に投入している。技術の最前線は常に動き続けており、一度開いた差を埋めるのは容易ではない。
それでも、G100の挑戦が持つ意味は大きい。それは、既存の秩序に満足せず、困難な道を選んだ挑戦者の物語であり、技術覇権を巡る地政学的なパワーバランスの変化を映し出す鏡でもある。G100が真のゲームチェンジャーとなるか、あるいは単なる国家戦略の一駒で終わるのか。その答えは、これから始まるであろう、市場という名の厳しい現実の中での戦いによってのみ、明らかにされるだろう。
Sources