NVIDIAのGPUエコシステムを支える中核技術「CUDA」。この強力なプラットフォームの独占に挑むオープンソースプロジェクト「ZLUDA」が、2025年第2四半期に開発体制を倍増させ、AIやレガシーゲーム対応において重要なマイルストーンを達成したことが明らかになった。GPU市場における長年の「NVIDIA一強」体制に風穴を開け、ハードウェア選択の自由度を劇的に高める可能性を秘めたこの挑戦は、今、新たな局面を迎えている。
開発体制強化、プロジェクトを牽引する新たな力
ZLUDAプロジェクトがこの四半期で遂げた最も象徴的な変化は、開発体制の強化だろう。これまで1名で推進されてきたフルタイム開発者のチームに、新たに「Violet」と名乗る開発者が加わり、その規模は2倍となった。ZLUDAの公式ブログによれば、Violet氏は参加から1ヶ月足らずで、特にAI関連の対応において既に多大な貢献を果たしているという。
この人員増強は、プロジェクトが単なる個人の試みから、持続可能で組織的な開発フェーズへと移行しつつあることを示唆している。匿名の支援者による資金提供を受けて再始動したZLUDAが、着実にその開発基盤を固め、目標達成に向けたペースを上げていることの何よりの証左と言えるだろう。
AI時代の「ロゼッタストーン」へ – llm.c対応の大きな一歩
現代のコンピューティング、特にAI分野においてCUDAが支配的な地位を築いている最大の理由は、その豊富なソフトウェア資産にある。ZLUDAが真にNVIDIAの代替となり得るか否かは、このソフトウェア資産、とりわけPyTorchのような主要なAIフレームワークをどれだけ忠実に実行できるかにかかっている。
その基準としてZLUDAチームが現在注力しているのが、「llm.c」というテストプロジェクトだ。これは、GPT-2のような大規模言語モデル(LLM)を、純粋なC言語とCUDAで実装したもので、その動作を完全に再現することは極めて重要なマイルストーンとなる。llm.cは、単なるCUDAの基本関数だけでなく、高速な数学演算ライブラリである「cuBLAS」も使用するため、より複雑で実践的なアプリケーションへの対応力を測る上で格好のターゲットなのだ。
報告によれば、ZLUDAの進捗は目覚ましい。当初はプログラム開始直後の最初のCUDA呼び出しでクラッシュしていたものが、Violet氏らによる一連の精力的なコミットにより、現在では全8,186回のCUDA呼び出しのうち、552回目まで正常に実行できるようになった。対応が必要な44種類の関数のうち16の実装が完了しており、完全な動作成功も視野に入ってきた。このllm.cで得られた知見と実装は、将来的にPyTorchのような、より巨大で複雑なソフトウェアをサポートするための確かな礎となるはずだ。
ゲーマーに朗報? 忘れられた「32-bit PhysX」復活への道筋
ZLUDAの射程は、最先端のAI分野だけに留まらない。一部のPCゲーマーにとって懐かしくも重要な技術、「32-bit PhysX」のサポートにも進展が見られた。NVIDIAはかつて物理演算エンジンPhysXを大々的に推進したが、最新のBlackwellアーキテクチャ(GeForce 50シリーズ)では32-bit版のサポートを打ち切っており、古いPhysX対応ゲームの描画が不完全になるなどの問題が指摘されていた。
この「忘れられた技術」に光を当てるべく、ZLUDAコミュニティの貢献者(@Groowy氏)が32-bit PhysXのCUDAログ収集を開始。この初期段階の調査が、結果としてZLUDA本体のバグ発見に繋がったという。ZLUDAチームは、これらのバグが64-bit版のCUDA動作にも影響を与える可能性があるとして、公式ロードマップに修正を組み込んだ。
現時点ではまだ完全なサポートへの道は遠く、今後の進展はオープンソースコミュニティからのさらなる貢献に委ねられているが、NVIDIA自身がサポートを終えた技術を蘇らせようというこの試みは、ZLUDAが目指す互換性の深さと、ユーザーコミュニティの期待の大きさを物語っている。
地道な改善が支える信頼性 – 舞台裏の技術的躍進
華々しい成果の裏側で、プロジェクトの根幹を支える地道かつ重要な技術的改善も着実に進められている。これらは、ZLUDAが単に「動くだけ」でなく、「正確に動く」信頼性の高いプラットフォームとなるために不可欠な要素だ。
ビット単位の正確性を求めて
ZLUDAの究極の目標は、未修正のCUDAバイナリを非NVIDIA製GPUで、寸分違わず実行することにある。これを実現するため、ZLUDAは「PTX sweep tests」と呼ばれる厳格な検証プロセスを導入。これは、NVIDIAの中間言語であるPTXのあらゆる命令と修飾子の組み合わせに対し、考えうる全ての入力パターンで、NVIDIA製ハードウェアと完全に同一(ビット単位で正確)の結果を出すかを確認するテストだ。この徹底した検証により、これまで見過ごされてきたコンパイラの不具合が発見・修正され、特に複雑な挙動を示す「cvt命令」などでビット単位の正確性が確認された。この執拗なまでの品質追求こそが、ZLUDAの信頼性の源泉となる。
AMDドライバの「ABI破壊」を乗り越える
異なるベンダーのGPU上で動作するということは、それぞれのソフトウェアエコシステムの「癖」に対応する必要があることを意味する。その典型例が、AMDのROCm 6.4で発生した「comgrライブラリ」のABI(Application Binary Interface)破壊問題だ。この変更により、ZLUDAが意図しない動作(例えば、コンパイルの代わりにリンクを実行しようとする)を引き起こし、原因不明のエラーに悩まされた。ZLUDAチームはこの問題を迅速に特定し修正。異なるベンダーのドライバアップデートに追従する技術的な困難さと、それを乗り越えるチームの対応力の高さを示した。
開発を加速する基盤整備
さらに、開発効率を向上させるための基盤整備も進んでいる。CUDAアプリケーションとのやり取りを詳細に追跡するロギング機能が大幅に強化され、デバッグが容易になった。また、GitHub上で最新コードの自動ビルドが提供されるようになり、開発者やテスターはソースコードから手動でビルドする手間なく、最新版を試すことが可能になった。
ZLUDAが目指す未来 – GPU市場の「壁」を壊せるか
ZLUDAプロジェクトの進展は、単なる技術的な好奇心を満たす試みではない。これは、過去十数年にわたりNVIDIAが築き上げてきた、ハードウェアとソフトウェアが一体となった強固な「CUDAの堀」に対する、最も直接的で野心的な挑戦である。
もしZLUDAがAMDやIntelのGPU上で主要なCUDAアプリケーションを「ほぼネイティブ」の性能で実行できるようになれば、AI研究者、データサイエンティスト、そしてクリエイターは、特定のベンダーに縛られることなく、性能やコストに応じて最適なハードウェアを自由に選択できるようになるだろう。これは、GPU市場における健全な競争を促進し、最終的には技術革新の加速とコストの低下をユーザーにもたらす可能性がある。
もちろん、道のりはまだ長い。パフォーマンスの最適化、対応アプリケーションのさらなる拡大、そしてプロジェクトの持続的な資金確保など、乗り越えるべき課題は山積している。しかし、開発体制を強化し、AIとゲームという両輪で着実な成果を積み上げ始めたZLUDAは、GPUコンピューティングの未来を塗り替えるポテンシャルを秘めている。このオープンソースの挑戦が、NVIDIAの牙城にどこまで迫れるのか、今後大きな注目を集めていくことだろう。
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