Elon Musk氏が、自ら設立したAIスタートアップxAIについて、「最初から正しく構築されていなかった」と公言した。この自己批判は単なる謙虚さでも反省でもない。Tesla株主が2億ドルを投じてから6週間、SpaceXとの1.25兆ドル規模の合併が完了してから数週間というタイミングでの発言であり、AI業界全体に波紋を広げている。
「最初から間違っていた」
2026年3月13日(現地時間)、Musk氏はX(旧Twitter)に投稿した。「xAIは最初から正しく構築されていなかったため、今まさに基盤から作り直している(xAI was not built right first time around, so is being rebuilt from the foundations up)」。比喩調でも謙遜でもなく、文字通りの意味だ。
その前日、xAIのAIコーディングツール担当を統括していた共同創業者のZihang Dai氏とGuodong Zhang氏が相次いで退社した。「xAIでの最後の日。過去3年間は激動だったが、次の章に向けて楽しみだ」と、Zhang氏は投稿した。その淡々とした文章の裏に、どれだけの失望があったかは想像するに難くない。
この2人の退社は、より大規模な人材流出の最新事例だ。xAIは2023年の設立時に12人の共同創業者を抱えていたが、現時点で残っているのはManuel Kroiss氏とRoss Nordeen氏の2人だけ。Jimmy Ba、Tony Wu、Igor Babuschkin、Kyle Kosic、Christian Szegedy、Greg Yang、Toby Pohlenといった世界的なAI研究者たちが次々と去った。創業から約3年で、創業チームの83%が失われた計算になる。
コーディングAIという「戦場」で後れをとった現実
では、なぜこれほど急速に崩壊したのか。直接のトリガーは、AIコーディングツール市場での競争上の敗北だった。
2026年初頭、AI開発市場でのキラーアプリは疑いなく「AIによるコーディング補助」だ。AnthropicのClaude Code、OpenAIのCodexはエンタープライズ市場での契約を着実に積み上げており、Claude Codeに至ってはOpenAIすら追いかける立場に置かれている。その一方でxAIのGrokは三番手に甘んじている。
Musk氏はカンファレンスでこう認めた。「Grokは現在、コーディングにおいて遅れをとっている。コーディングに関するオールハンズミーティングに出席していたため遅刻した。競合を超えるために何が必要かを検討していた。今年半ばには追いつける見込みだ」。
xAIは2025年8月に「Grok Code Fast 1」を”コーディングに秀でた超高速AIモデル”として発表していた。しかし実際のユーザーレビューは厳しく、「深い推論よりも速度を優先した結果、AnthropicのClaudeに大きく水をあけられている」という評価が相次いだ。「速度重視で思考力を欠く」というのは、Musk氏自身のxAI経営姿勢の比喩としても皮肉が利いている。
ArcAGIなどの評価基準においても、Grokはパフォーマンスとコスト効率の両面でGoogle、OpenAI、Anthropicから大きな差をつけられているのが現状だ。
Cursor引き抜きと「過去の不採用者」への詫び
遅れを取り戻すためにMusk氏が選んだ手段は、ライバル企業からの人材引き抜きと、過去に見逃した人材の再発掘だ。
SpaceXはAIコーディングスタートアップCursorからAndrew Milich氏とJason Ginsberg氏を採用した。2人はCursorでプロダクトエンジニアリングを共同で担ってきたベテランだ。ここで注目すべきはCursorの立ち位置だろう。同社はフロンティアモデルを自社開発するのではなく、Anthropicなど外部のLLMに依存する形でコーディングツールを構築してきた。そのCursorのエンジニアがあえてxAIへと転じたという事実は、独自のフロンティアモデルと計算インフラを保有することへの強い信念の表れと読める。同時期、CursorはBloombergの報道によれば500億ドル規模の評価額での資金調達交渉中にあると伝えられており、その渦中での引き抜きはなおさら象徴的だ。
一方でMusk氏は翌朝、別のXへの投稿でこう書いた。「過去数年間、多くの才能ある人々がxAIへのオファーや面接すら得られなかった。申し訳ない。Baris Akis(採用担当)とともに面接履歴を精査し、有望な候補者に連絡を取り直している」。
世界有数のテック企業のCEOが、採用候補者に対して公開で詫びるのは異例中の異例だ。YouTuberのZack Nelsonは「そんなにひどいのか(It’s that bad eh)」とだけ返信した。
Teslaの20億ドルとSpaceX合併:問われる投資家への説明責任
Musk氏の発言が単なる自己批判として見過ごせない理由がある。タイムラインが余りにも問題含みだからだ。
2026年1月16日、TeslaはxAIのシリーズEラウンドに20億ドルを投資した。Tesla株主はこの時点でxAIへのエクスポージャーを持つことになった。その2週間後、SpaceXがxAIを買収する1.25兆ドル規模の合併が完了し、Teslaの20億ドルはSpaceXの少数株式に転換された。そして6週間後にMusk氏は「最初から間違っていた」と告白した。
だが、果たしてSpaceXの投資家とTeslaの取締役会は「基盤から作り直す必要がある」という事実を事前に認識した上で合併を承認しただろうか。合併完了後にしか「再建が必要」と言えないタイミング設定は、上場前に評価額の再評価を回避する意図があったとも読める。Teslaの株主はすでに、Musk氏がTeslaからAI人材とリソースをxAIに流用していたとして受託者義務違反の訴訟を提起しており、今回の発言はその法的論争にさらなる材料を加えた形だ。
政府機関DOGEへの関与によって政治的火線にさらされているMusk氏だが、企業ガバナンスの問題はまた別の次元の話だ。Tesla、SpaceX、X(旧Twitter)、xAI、Neuralink、The Boring Company、そしてDOGEを同時に主導しながら、どの事業においても創業期ほどの集中力を維持できているのか——その問いに10人の共同創業者の退社という事実が一つの答えを示している。
「Macrohard」の頓挫と、TeslaのDigital Optimusへの接続
Musk氏が次に賭けるのは、ホワイトカラーがコンピューター上で行う作業のすべてを代行するAIエージェントだ。
2025年8月に発表された「MACROHARDRR」プロジェクトがその具体的な形だ。名称はMusk自身が「Microsoftへの洒落たジョーク」と説明するが、その本質はエンタープライズ向け生産性AIへの本格参入だ。しかしプロジェクトを率いていた元DeepMindのToby Pohlen氏は就任からわずか16日で退社し、Business Insiderの報道によればMACROHARDRRは現在、事実上の停止状態にある。
事態を打開するためMuskはTeslaをプロジェクトに引き込んだ。「MACROHARDRR」はTeslaの「Digital Optimus(デジタル・オプティマス)」と連携する構想で、xAIの言語モデルがTeslaのエージェントに指示を送る形の協調システムを想定しているという。TeslaはすでにxAIのGrokを自社EVのインフォテインメントシステムと人型ロボットOptimus開発に組み込んでいるほか、自社のMetapackバッテリーをxAIのデータセンターに4億3000万ドル相当販売している。
この構想が現実になれば、MuskのAIエコシステムはXのSNSデータ、Teslaの現実世界データ、TeslaのEVとロボットというエンドポイント、そしてxAIの言語モデルが一体化した循環型構造を形成する。しかし、その前提となるxAIのモデル品質がAnthropicやOpenAIに届いていない現状では、この壮大な構想は砂上の楼閣に留まる。
企業ユーザーのデジタルタスクを代行する「デジタルプロキシ」サービスとして、Perplexityが最近提供を開始した「Personal Computer」と比較すれば、Musk氏のビジョン自体は業界で孤立したものではない。問題は実行力であり、その実行力を支えるチームの喪失こそが今回の危機の核心だ。
IPOの影と、崩れ始めた「マスク神話」
Musk氏のSpaceXは今年中に上場する見通しで、1.25兆ドルという評価額は史上最大規模のIPOになる可能性がある。xAIはSpaceXに統合されているため、その業績と評判はSpaceXの企業価値に直接影響する。現金を燃やし続けるAI部門が、公開会社として株主に向き合わなければならなくなるというプレッシャーは、これまでとは次元が違う。
Musk氏の成功神話——PayPal、Tesla、SpaceX——は長らく「この人物が関わる事業なら高いバリュエーションも正当化できる」という投資ロジックを支えてきた。しかしTwitter(現X)は買収後に価値の70%を失い、Muskが自らの裁量でxAIを通じて救済するまで回復しなかった。TeslaのRobotaxiプログラムは予告から1年近くが経過してもほぼ未展開に近い状態が続いている。そして、250億ドルの評価額で投資家に売り込んだフロンティアAIラボであるxAIが「基盤から作り直す」必要があると言外に認めた。
世界最高水準のAI研究者10人が相次いで去った背景に何があったのかを、株式市場の上場というタイミングが近づく中でどこまで開示できるか。Musk氏の次の一手が問われている。
Sources
- Elon Musk (X)
- The Information: XAI Hires Two Senior Leaders From Cursor to Catch Up on Coding
- Financial Times: Elon Musk pushes out more xAI founders as AI coding effort falters