イランによるカタールのラス・ラファン工業都市への攻撃は、原油や天然ガスの供給不安というマクロな文脈で語られがちだ。しかし、半導体製造の現場から見れば、この出来事の本質はまったく異なる場所にある。問題の核心は「ヘリウム」——地球上で最も軽い貴ガスであり、2nmや3nm級の先進プロセスノードを稼働させる上で代替のきかない物質の供給途絶リスクにある。
The ElecおよびMoneyDJ(台湾)が相次いで報じた内容を統合すると、今回の危機が単なる価格高騰の話にとどまらず、東アジアの半導体製造体制そのものを揺るがしかねない構造的な問題であることが浮かび上がる。
ヘリウムが「咽喉」と呼ばれる理由
半導体製造プロセスにおけるヘリウムの役割は、一般に知られているよりはるかに根本的だ。
先進的なドライエッチング工程では、ウェハーが高エネルギーのイオン照射を受ける。この際、ウェハーが熱膨張で変形すれば回路パターンのズレが生じ、そのままロット丸ごと歩留まりゼロとなる。ヘリウムはその優れた熱伝導率から、ウェハー背面の冷却媒体として機能し、この致命的な熱変形を防ぐ唯一の選択肢である。
ASML製のEUV(Extreme Ultraviolet)露光装置の内部でも、ヘリウムの役割は変わらない。強烈な極紫外光がシリコンウェハーに照射される瞬間、ウェハー背面にヘリウムが流されることで熱緩衝効果が生まれ、チップ回路の位置合わせ精度を保護する。ナノメートル以下の精度が要求される先進プロセスでは、この熱緩衝機能が失われた時点で露光工程そのものが成立しなくなる。
さらに、半導体製造装置の気密検査(リーク検査)においても、ヘリウムは他のガスでは代替できない検出感度を持つ。新規設備の導入や定期メンテナンス後の復旧検査において、ヘリウムリーク検査装置はグローバルな業界標準として機能している。ヘリウムを調達できなければ、装置の立ち上げ自体が不可能になる——これは稼働率の問題ではなく、製造施設の機能停止を意味する。
MoneyDJは、この状況を「氦氣短缺5.0(ヘリウム不足5.0)」と呼ぶ。2022年のロシア・ウクライナ戦争が引き金となったヘリウム不足4.0と比較して、今回は①カタールという世界最大級の生産拠点への直接打撃、②米国連邦ヘリウム備蓄(BLM)の民営化完了という2つの構造変化が重なり、過去の事例より供給ギャップが大きいと評価されている。
カタール依存という地政学的脆弱性
ヘリウムを理解する上で欠かせないのが、その生産構造だ。ヘリウムは天然ガスの液化(LNG化)プロセスの副産物として得られる。カタールは世界のヘリウム供給の約3分の1を担う最大級の生産国であり、ラス・ラファンはその心臓部に相当する。
QatarEnergyのCEO、Saad al-Kaabi氏は、今回のイランの攻撃によって同国のLNG輸出能力の約17%が影響を受けたと述べた。LNGの生産が落ちれば、ヘリウムの生産量は連動して減少する。TrendForceの报告によれば、ヘリウムのスポット価格はすでに50%超の上昇を示しており、仮に今後和平交渉が実現しても、ラス・ラファンの施設復旧には数年単位の時間がかかると業界では見られている。
各国・地域の依存度はさらに問題を複雑にする。MoneyDJの分析では、韓国のヘリウム輸入の64.7%(2025年実績)がカタール産で占められており、中東情勢への依存度は東アジア諸国の中でも際立って高い。加えて、先進プロセスに不可欠な臭化水素(HBr)については、韓国の97.5%がイスラエルからの輸入に依存するという二重苦の構造にある。
一方、日本は相対的に安定した立場にある。日本のヘリウム調達は米国から約50%、カタールから約30%という分散構造を持ち、日本酸素が米国・オーストラリアに保有する自社気源網が太平洋を横断する三角供給体制を形成している。国内では45日分以上の戦略在庫も維持されており、短期的な調達能力という点では他の東アジア諸国より優位にある。
ただし、日本が完全に無縁かといえばそうではない。東京エレクトロンやSCREENホールディングスなど、半導体製造装置を韓国・台湾のファブへ納入する装置メーカーは、顧客ファブの稼働率が落ちれば装置の需要・サービス収益にも跳ね返る。日本のヘリウム調達が安定していても、台湾や韓国の生産縮小が現実になれば、その影響は装置・材料の受注を通じて国内産業に及ぶ。今回の供給危機を「対岸の火事」として眺めることのできる日本企業は少ない。
台湾の「二重圧力」:電力とヘリウムの同時危機
台湾の立場は一層複雑だ。MoneyDJの報告は、台湾が直面するリスクが単純なヘリウム調達の問題ではないことを指摘する。
TSMCやUMCはすでにヘリウムのリサイクル回収率を60〜75%まで引き上げ、輸入依存度を大幅に低減させている。この数字だけを見ると、台湾の先進ファブはある程度の耐性を持つように見える。しかし問題は、残る25%の日々の損失分は依然としてヘリウム輸入で補填しなければならないという現実にある。
より深刻なのは、回収システム自体が大量の電力を消費するという点だ。台湾は2025年に国内の原子力発電所をすべて廃炉とした。その結果、電力供給の約50%を天然ガス火力に頼る体制となっており、カタールはガスの主要供給国の一角を占める。ホルムズ海峡の封鎖やLNG輸送の停止が長引けば、台湾は発電用LNGの不足から電力供給自体が逼迫し、その結果ヘリウム回収システムの稼働率も落ちる——という、エネルギーとガス供給が連動して悪化するドミノリスクを抱えている。
TSMCにとっての本当の脅威は、ヘリウムコストの上昇ではなく、この「電力×ガス」の複合リスクによる先進製造ラインの稼働停止だ。
コスト圧力は半導体材料全体に波及
ヘリウムに限らず、今回の中東紛争は半導体製造材料全体のコスト構造を押し上げている。
The Elecが詳報したように、フォトリソグラフィ後のフォトレジスト除去に使われる薄め液(シンナー)は、プロピレンオキシド(PO)を原料にPGME(プロピレングリコールモノメチルエーテル)やPGMEA(同アセテート)へ加工された石油化学製品だ。DuPont、Dow、LG Chemといった素材大手がすでにPGMEAメーカーへの値上げ通知を発行しており、PGME・PGMEAの価格は40〜50%の上昇を見せている。この上昇分を受けた下流の東進セミケム(Dongjin Semichem)、ENFテクノロジー、東宇ファインケム(Dongwoo Fine-Chem)は、4月出荷分について約20%の値上げを予定している。
同様に、ウェハー洗浄やエッチング後残渣の除去に用いられる半導体グレードエタノール(純度99.99%以上)、およびナフサ由来のIPA(イソプロピルアルコール)についても、韓国を中心とするサプライヤーが今週中に二桁台の値上げ通知を発行する見込みだ。最終的な上昇幅はまだ確定していないが、業界全体として値上がりを織り込む動きが加速している。
Samsung ElectronicsおよびSK hynixは現時点でコスト面よりも在庫確保を優先する戦略を取っており、市場価格での緊急調達を進めている。短期的にはコスト押し上げ要因となるが、ここでの在庫確保の失敗が生産ラインの停止につながると見れば、コスト安定より供給安定を選ぶのは合理的な判断だ。
工業ガス大手が握る「資源配分権」という実力
半導体産業におけるヘリウムの生死圏を実質的に掌握するのが、Linde、Air Liquide、Air Productsの三大工業ガス企業だ。この構造は今回の危機でより鮮明になる。
Lindeのビジネスモデルは他社と一線を画す。TSMCやIntelのファブ内に専用の分留設備を設置し、管路で生産ラインに直接ガスを供給する「オンサイト専用供給」方式を採る。一度この体制が整うと、顧客がサプライヤーを切り替えるには数ヶ月規模の設備停止と再認証コストが発生する。この構造的な離反コストがLindeの定価交渉力の根拠になっており、需要環境が軟化しても価格を下げずに済む体制が確立されている。2025年、グローバルな製造業の需要停滞の中でも約2%の値上げを実施しつつ売上高を約340億ドル(前年比3%増)へ押し上げた。調整後営業利益は101億ドル(同4%増)、調整後営業利益率29.8%、投資資本利益率24.2%はいずれも過去最高水準である。
Air Liquideは異なるアプローチを採る。フランスCAC 40の構成銘柄でもある同社は、主要工業団地の中心に大型の分留プラントを配置し、周辺の複数の顧客に管路網で並行供給するハブアンドスポーク型の地域集中供給モデルを取る。このモデルは遠洋輸送への依存を大幅に削減し、ホルムズ海峡封鎖のような海上輸送の混乱をある程度緩衝できる。2025年のガス・サービス(G&S)営業利益率は前年比約1%ポイント改善しており、現在の受注残は49億ユーロという過去最高水準にある。注目すべきは2026年初頭に完了した韓国DIG Airgasの約30億ユーロでの買収で、アジア事業を一段と強化した。
Air Productsは対照的に守りの戦略を取っている。2025年に37.5億ドルの資産再編・減損引当を計上し、収益性が基準を下回るプロジェクトから積極的に撤退した。ヘリウム需要の低迷と事業売却の影響で年間販売量は4%減少したが、非ヘリウム製品の価格調整により調整後1株利益(EPS)は12.03ドル(前年比3%減)に抑制し、財務的な安定基盤を維持した。欧州市場では営業利益が前年比4.3%増と好調を示しており、2026年には40億ドルの設備投資を通じてオンサイト供給案件の強化に注力する計画だ。
今回のような供給危機では、三社ともヘリウムを含む希少ガスの配分権を実質的に持つことで、半導体ファブへの気体供給契約全体への主導権を確保しやすくなる。危機の時期に調達不安を抱えるファブにとって、ガス供給の一元管理は魅力的に映るからだ。
「使い捨て」にできない緊張の長期化リスク
今回の危機を特異にしているのは、紛争が終結しても問題が解消されないという点だ。
The Elecの報告によれば、仮にイランとカタールの間で和平交渉が成立したとしても、ラス・ラファンの損傷したLNG設備の修復には数年単位の工期が必要とされる。供給途絶とその後の価格高騰は、中長期的なリスクとして業界に定着する可能性がある。
加えてMoneyDJが指摘するように、低温ISOタンクコンテナ(液体ヘリウムの輸送容器)の約30%が現在ペルシャ湾岸地域に滞留している。液体ヘリウムの保持可能期間は約45日間に過ぎない。輸送が止まっている間も在庫の価値は蒸発し続け、物流が回復した時点で実際に使える状態の在庫がどれだけ残っているかは不透明だ。供給回復の見通しについては、たとえ軍事衝突が短期間で終息しても、製造側への影響は戦事そのものより長期化すると業界関係者の多くが見ている。
Fitch Ratingsの試算によれば、缺氦情勢が悪化した場合のヘリウムスポット価格の上昇幅は50%から最大200%に達する可能性がある。半導体ファブの多くは長期契約でスポット価格の急変を一定程度緩衝できるが、次回の契約更改では20〜40%のコスト上昇圧力に直面する可能性がある。コスト構造から見れば、ヘリウムは半導体製造コストの0.5〜1%に過ぎず、TSMC・三星電子の製品価格への直接影響は限定的だ。
しかし数字が示す本当のリスクは、価格の上昇幅ではない。供給の「有無」——この一点に尽きる。大口の価格交渉より、まず「ガスが届くかどうか」が先進製造ラインの稼働を決定する今、業界の関心はコスト管理から調達安全保障へ、はっきりと軸足を移している。
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