マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームが、半導体業界の長年の夢だった「高性能だが高価な窒化ガリウム(GaN)」と「安価で普及しているシリコン」のハイブリッド化を、低コストで実現する画期的な技術を開発した。この3D集積技術は、スマートフォンのバッテリー寿命を延ばし、通信速度を飛躍させるだけでなく、次世代の電力網から量子コンピュータまで、あらゆる電子機器の未来を再定義する可能性を秘めている。一体、彼らはどうやってこの難題を克服したのだろうか?
シリコンの限界とGaNの台頭:半導体業界が直面した壁
半導体の歴史は、シリコンの歴史と言っても過言ではない。ムーアの法則に後押しされ、シリコンベースの集積回路(IC)は驚異的な微細化と高性能化を遂げ、現代のデジタル社会を築き上げてきた。しかし、その進化のペースは近年、物理的な限界から鈍化し始めている。より速く、より電力効率の高いデバイスへの渇望は、シリコンという王者の座を揺るがし、新たな素材への探求を加速させていた。
そこで脚光を浴びたのが、窒化ガリウム(GaN)だ。GaNはシリコンに比べて、より高い電圧に耐え、より高速にスイッチングでき、エネルギー損失も少ないという優れた特性を持つ。この「半導体界のサラブレッド」は、特に5G/6G通信で使われる高周波パワーアンプや、電気自動車(EV)、データセンターの電源システムといった、高出力と高効率が同時に求められる分野で、シリコンを凌駕するポテンシャルを秘めていた。
しかし、その普及には大きな壁が二つ立ちはだかっていた。一つはコスト。GaNウェハーはシリコンに比べてはるかに高価だ。そしてもう一つは製造の難しさ。GaNを既存のシリコンCMOS(相補性金属酸化膜半導体)チップと統合するプロセスは複雑で、特殊な設備を必要とし、量産(スケーラビリティ)の妨げとなっていたのだ。高性能なGaNの恩恵を、どうすれば低コストで、誰もが使えるシリコンチップの上で享受できるのか。このジレンマが、業界全体の長年の課題であった。
MITが打ち破った「統合の壁」:3D-mmWIC技術の全貌
今回、MITの研究チームが発表したのは、この長年の課題に対するエレガントかつ画期的な回答だ。彼らが「3D-Millimeter Wave Integrated Circuit (3D-mmWIC)」と名付けた新技術は、GaNとシリコンの「いいとこ取り」を、驚くほど現実的なアプローチで可能にする。その核心は、以下の3つのブレークスルーにある。

「ダイレット」という革命:必要な分だけGaNを切り貼りする新発想
従来の発想は、GaNウェハーとシリコンウェハーを丸ごと貼り合わせるというものだった。しかし、チップ全体の中でGaNの性能が必要なのは、パワーアンプのようなごく一部の回路だけだ。この手法では、GaNの大部分が無駄になり、コストを押し上げていた。
MITチームのアプローチは全く異なる。彼らはまず、GaNウェハー上に高性能なトランジスタを密集して作り込む。そして、微細なレーザー技術を使い、個々のトランジスタを240×410ミクロン(1ミクロンは1000分の1ミリ)という極小サイズに切り出すのだ。この切り出された極小の機能ブロックを、彼らは「ダイレット(dielet)」と呼ぶ。
これは、広大な土地(シリコンチップ)に、高性能なプレハブ住宅(GaNダイレット)を、必要な場所に必要な数だけ設置するようなものだ。GaNの使用量を劇的に削減し、コスト問題を根本から解決する。まさに発想の転換であった。
金から銅へ:低コスト・低温接合が拓く量産の道
次に解決すべきは、どうやってダイレットをシリコンチップに接続するか、という問題だ。従来の高性能チップの接続には、しばしば金(Au)が用いられてきた。しかし、金は高価であるだけでなく、接合に高温と強い圧力を必要とする。この高温が、デリケートなシリコンCMOS回路の性能を損なうリスクを孕んでいた。さらに、金は多くの半導体製造工場(ファウンドリ)で「汚染物質」と見なされており、その使用には高価な専用設備が必要となる。
ここで研究チームは、銅(Cu)を用いた直接接合という手法を選択した。銅は金よりもはるかに安価で、導電性も高い。そして何より、400℃以下という比較的低い温度で強固な接合が可能だ。この低温プロセスは、シリコンとGaN、双方のトランジスタの性能を損なうことなく統合するための鍵となった。
この銅接合の採用は、単なる材料の変更以上の意味を持つ。それは、高価な専用施設を必要とせず、世界中の標準的な半導体ファウンドリの製造ラインにこの技術を組み込める可能性を開いたことを意味する。つまり、実験室レベルの成功から、手頃な価格での大量生産への道筋をつけたのだ。
ナノメートル精度の職人技:専用ツールの開発
だが、こうした素晴らしい発想も、それを実際、形にすることは困難を伴うことが少なくない。ミクロンサイズのダイレットを、シリコンチップ上の狙った位置にナノメートル(100万分の1ミリ)の精度で配置し、接合するのもまさに至難の業だ。
この課題を克服するため、研究チームは専用の新しい実装ツールを開発した。このツールは、真空でダイレットを吸着・保持し、高度な顕微鏡で位置を監視しながら、シリコンチップ上の銅ピラー(柱状の電極)に寸分違わず配置する。正確な位置が決まると、熱と圧力を加えて接合を完了させる。
この一連のプロセスについて、論文の筆頭著者であるMITの大学院生、Pradyot Yadav氏は、「プロセスの各ステップで、必要な技術を知る新しい協力者を見つけ、彼らから学び、それを私のプラットフォームに統合する必要がありました。それは2年間にわたる絶え間ない学習の連続でした」と語る。この言葉は、今回のブレークスルーが、分野を超えた協力と地道な試行錯誤の末に成し遂げられたものであることを物語っている。
「ハイブリッドチップ」がもたらす未来:スマホから量子コンピュータまで
この革新的な3Dチップ技術は、我々の生活にどのような変化をもたらすのだろうか。その影響は、今手元にあるデバイスから、未来のコンピューティングにまで及ぶ。
スマートフォンの進化:より速く、より長く、より繋がる
研究チームは、この技術の実証として、スマートフォンの心臓部の一つであるパワーアンプを試作した。パワーアンプは、無線信号を増幅してアンテナから送信する重要な部品だ。
このGaN-on-Siliconハイブリッドパワーアンプは、従来のシリコン製のものと比較して、より高い信号強度と効率を達成した。これは、消費者にとって極めて具体的なメリットに直結する。
- より長く使えるバッテリー:電力効率が向上するため、同じバッテリー容量でもより長時間デバイスを使用できる。
- より速い通信:ワイヤレス帯域幅が拡大し、高画質な動画ストリーミングや大容量ファイルのダウンロードがさらに快適になる。
- より途切れない接続:信号強度が向上することで、電波の弱い場所でも通話やデータ通信が安定する。
まさに、スマートフォンの体験を根本から向上させるポテンシャルを秘めているのだ。
データセンターと電力網のグリーン化
この技術の恩恵は、個人用デバイスにとどまらない。膨大な電力を消費するデータセンターや、社会インフラである電力網においても、GaNの高い電力効率は大きな価値を持つ。
シリコンからGaNへの置き換えが進むことで、データセンターの冷却コストを含む運用コストを大幅に削減できる可能性がある。これは、AIやクラウドコンピューティングの爆発的な普及に伴う電力消費の増大という、地球規模の課題に対する一つの解決策となり得る。
未踏の領域へ:量子コンピューティングへの扉
さらに興味深いのは、この技術が未来のコンピューティング、特に量子コンピュータへの応用可能性を持つことだ。多くの量子コンピュータは、量子ビットを安定させるために極低温環境を必要とする。そして、GaNはシリコンよりもこうした極低温環境で優れた性能を発揮することが知られている。
今回の技術は、極低温で動作するGaNデバイスと、室温で動作するシリコン制御回路を緊密に統合する道を開くかもしれない。それは、現在のエレクトロニクスの延長線上にあるだけでなく、全く新しい計算原理に基づく未来のコンピュータへの架け橋となる可能性すら秘めているのだ。
専門家はどう見るか:業界へのインパクトと今後の課題
この成果に対し、専門家からも高い評価の声が上がっている。IBMの研究科学者であるAtom Watanabe氏(本研究には関与せず)は、「トランジスタのスケーリングにおけるムーアの法則の減速に対処するため、異種統合は有望な解決策として浮上しています。この研究は、複数のGaNチップとシリコンCMOSの3D統合を実証することで大きな進歩を遂げ、現在の技術的能力の限界を押し広げるものです」とコメントしている。
これは、今回のMITの成果が単なる実験室レベルの成功ではなく、半導体業界全体が向かうべき大きな潮流、「異種統合(ヘテロジニアス・インテグレーション)」を加速させる重要な一歩であると、専門家も認識していることを示している。
もちろん、この技術が市場を席巻するには、製造コストのさらなる低減や、長期的な信頼性の証明といった課題が待ち受けているだろう。しかし、そのポテンシャルは計り知れない。Yadav氏は自信を込めてこう語る。「コストを下げ、スケーラビリティを向上させ、同時に電子デバイスの性能を高めることができるのであれば、この技術を採用しない手はありません。我々は、シリコンに存在する最高の利点と、可能な限り最高のGaNエレクトロニクスを組み合わせたのです。これらのハイブリッドチップは、多くの商業市場に革命を起こすことができます。」
近い将来、私たちの手の中にあるスマートフォンから、広大なデータセンター、さらには軍事・防衛システムに至るまで、あらゆる電子機器の性能を底上げし、より豊かで持続可能なデジタル社会の実現に貢献する日は、そう遠くないかもしれない。
論文
- Radio Frequency Integrated Circuits Symposium: 3D-Millimeter Wave Integrated Circuit (3D-mmWIC): A Gold-Free 3D-Integration Platform for Scaled RF GaN-on-Si Dielets with Intel 16 Si CMOS
参考文献