私たちの身の回りにある磁石は、鉄やニッケルなど限られた素材でできている。物質が磁力を帯びるかどうかは、その物質を構成する原子や電子の性質によって生まれつき決まっているというのが、日常的な直感だろう。しかし、量子材料の世界では、物理的な条件をわずかに変えるだけで、隠されていた性質が突然姿を現すことがある。
ライス大学のMing Yi氏やYichen Zhang氏を中心とし、ミネソタ大学のBharat Jalan氏、ポール・シェラー研究所のMilan Radovic氏らが参加する国際研究チームは、長年「磁性を持たない」と結論づけられてきた二酸化ルテニウムが、特定の条件下で「交代磁性(アルターマグネティズム。英: altermagnetism)」と呼ばれる新しいタイプの磁性を示すことを明らかにした。この発見は、『Science Advances』誌に掲載され、次世代のコンピューターメモリ開発に新たな道を開く知見となっている。これまでは理論上の存在にすぎなかった交代磁性の具体的な制御手法が示されたことで、世界の材料科学コミュニティに波紋を広げている。
磁性を持たないはずの物質
二酸化ルテニウムは、長年にわたって物理学者の間で複雑な議論の的となってきた物質である。ルテニウムという貴金属と酸素が結びついたこの化合物は、導電性の高さから電極材料などとして産業界でも重宝されてきた。しかし、そのバルク(塊)形態がどのような磁気状態にあるのかを理解しようと、世界中で数多くの基礎研究が行われてきた歴史がある。時には磁性を示す兆候が報告されることもあった。これは不純物や結晶の欠陥によるものなのか、それとも物質本来の性質なのかを巡って、理論家と実験家の間で長年の論争が続いていた。数十年に及ぶ検証を重ねた結果、最終的には「純粋なバルクの二酸化ルテニウムは磁性を持たない」というコンセンサスに落ち着いていた。多くの研究者にとって、二酸化ルテニウムの磁性を巡る探求はすでに終わったテーマであると考えられていたのである。
そもそも、物質の磁性とは電子の「スピン(自転のような性質)」が生み出すものである。従来の物理学の枠組みにおいて、磁気秩序は大きく二つに分類されてきた。一つは、すべての電子のスピンが同じ方向を向くことで強力な磁力を発揮する「強磁性(ferromagnetism)」である。鉄やニッケルなど、私たちが日常的に目にする永久磁石の多くはこれに該当する。もう一つは、隣り合うスピンが互いに逆を向いて磁力を打ち消し合うため、外からは磁力がないように見える「反強磁性(antiferromagnetism)」である。

この強磁性と反強磁性の二分法は、一世紀以上にわたって磁性学の基礎をなしてきた。強磁性体は外部磁場によく反応するため、情報の読み書きが容易である。その反面、自身が発する磁場で周囲の物質に影響を与えてしまう。これに対し、反強磁性体は周囲に影響を与えないが、外部からの力に反応しないため、状態を読み書きすることが極めて難しい。これらはそれぞれ一長一短であり、物理学および工学における大きなトレードオフとなっていた。
近年になって、第三の磁性とも呼べる「交代磁性」という概念が理論的に提唱された。交代磁性は、反強磁性のように全体としての磁化はゼロでありながら、結晶の特定の方向に沿っては強磁性のようにスピンが分裂する特性を併せ持つ。これは電子のエネルギー状態が方向によって異なる「クラマース縮退の破れ」と呼ばれる量子力学的な現象に由来する。通常、反強磁性体では反対向きのスピンを持つ電子が同じエネルギー状態にあるが、交代磁性では結晶の対称性が崩れることで、特定の方向へ進む電子のエネルギーがスピンの向きによって分かれる。周囲に磁場を漏らさないという反強磁性の利点と、情報を読み書きしやすいという強磁性の利点を兼ね備えた特性を持つ。
二酸化ルテニウムは、スーパーコンピューターを用いた理論計算の段階では、この交代磁性を示す有力な候補物質として名前が挙がっていた。しかし、いくらバルク形態の二酸化ルテニウムを精密に測定しても、磁性の決定的な証拠を見つけることはできなかった。塊の状態では電子のスピンは特定の秩序を持たず、交代磁性の要件を満たさなかったのである。
形態が生み出す超薄膜のブレイクスルー
研究チームがこの行き詰まりを打破するために目をつけたのは、物質の「形態」である。彼らはバルク結晶の分析に見切りをつけ、二酸化ルテニウムを数原子層の厚さしかない超薄膜(ultrathin film)として作成するというアプローチをとった。数原子層の厚さとは、実寸にしてわずか数ナノメートル以下であり、人間の髪の毛の直径の10万分の1にも満たない極薄のスケールである。グラフェンの発見以降、物質を二次元に近い極限の薄さにすることで全く異なる物理法則が顔を出すことは知られていた。研究チームは二酸化ルテニウムにおいてもその薄膜化が鍵を握ると考えた。
ミネソタ大学のチームが担当した高品質なサンプルの作製は、原子を一つ一つ積み上げるような高度な技術を要した。単に物理的に削るのではなく、真空のチャンバー内で原子を照射し、基板の上に結晶をエピタキシャル成長させていく。この過程で、彼らは「格子歪み(lattice strain)」という圧力を加えた。物質を構成する原子の規則正しい並びに対して、土台となる異なる材料の基板の原子配列との不整合を利用し、物理的な力を加えてわずかに間隔を広げたり縮めたりする仕組みである。基板の原子の間隔が二酸化ルテニウム本来の間隔と異なるため、上に乗る二酸化ルテニウムの膜は基板の模様に合わせて無理やり引き伸ばされたり、圧縮されたりする。この微小な格子歪みこそが、二酸化ルテニウムの眠れる磁性を呼び覚ます引き金となった。
物質の磁気状態を特定するため、ポール・シェラー研究所の協力のもと、研究チームはスピン分解角度分解光電子分光法(spin-resolved angle-resolved photoemission spectroscopy: ARPES)という先端測定技術を用いた。ARPESは、アインシュタインが解明した光電効果を基礎としている。高いエネルギーを持つ光を物質に当て、表面から飛び出してくる電子のエネルギーと運動量を精密に測る技術である。これにスピン分解能を持たせることで、飛び出した電子が上向きのスピンを持っているか、下向きのスピンを持っているかまで捉えることができる。これによって、物質内の電子のスピンが空間的にどのように配列しているか(スピンテクスチャ)を直接観察できるようになった。
歪みが引き出したスピンの整列
測定の結果、予想を超えたスピンテクスチャが確認された。格子歪みを加えた超薄膜の二酸化ルテニウムは、理論的に予測されていた交代磁性に特有のスピン配列をはっきりと示した。電子のスピンがランダムな方向を向くのではなく、結晶の特定の軸に沿って整然と分かれていたのである。研究チームは第一原理計算に基づく理論モデルとも詳細に照らし合わせ、その振る舞いが非従来型の磁性と一致することを確認した。
塊のときには沈黙していた電子たちが、極薄のシートに押し込められ、歪みを加えられることで、整然としたスピンの配列を始めた。この結果は、物質の形態と物理的圧力が、量子材料の性質を根本から変えうることを示している。バルクの状態では観察されなかったスピンの分裂が、格子歪みという外乱によって引き出された形だ。
この発見の核心は、磁性の有無が条件によって明確に切り替わることにある。研究チームの報告によれば、自然なバルク形態のように格子歪みがない状態では、電子スピンに交代磁性の兆候は一切見られなかった。歪みがあるかないかという物理的な圧力の差が、磁性のスイッチの役割を果たしている。
論文の第一著者であるYichen Zhang氏は、「この歪みに依存する性質は、格子歪みを交代磁性を誘起したり制御したりするための『物理的な調整つまみ』として使える可能性を示唆している」と語る。物質の磁性を制御するには、外部から強力な磁場をかけるか、大量の電流を流す手法が一般的である。格子歪みという構造的なアプローチで磁性を制御できれば、外部磁場に依存しない、エネルギー効率の高いデバイス設計が可能になる。
次世代メモリアーキテクチャに向けて
交代磁性の発見と制御は、基礎物理学における重要な一歩であると同時に、実用的な応用への道筋を示している。主なターゲットは、次世代のスピントロニクスとメモリアーキテクチャである。
数十年にわたり、半導体産業は回路を微細化することで性能を向上させてきた。とくに昨今の人工知能モデルの学習や膨大なデータの並列処理においては、データを一時的に記憶するメモリの速度と容量がシステムの全体性能を決定づけるボトルネックとなっている。シリコンベースのデバイスが原子レベルの限界に近づくにつれ、電子の「電荷」の有無だけでデータを記録・処理する従来の手法は、消費電力と発熱の壁に直面している。これに対し、スピントロニクスは電荷に加えて電子の「スピン(自転)」を利用してデータを記憶および処理する技術である。
既存の強磁性体を使ったメモリ(MRAMなど)は不揮発性メモリとしてすでに実用化されている。しかし強磁性体は磁力が外に漏れて隣接するメモリセルに干渉してしまうため、記録密度の向上には物理的な限界が存在した。セル同士を近づけすぎるとデータが破壊されてしまうからだ。反強磁性体は磁力が漏れないため高密度化には向くが、外部からの磁場に応答しないため、状態を読み書きする技術の確立が難航している。
交代磁性は、この両者の課題を解決する性質を持つ。反強磁性のように外部への磁気漏れがないためメモリセルの高密度化が可能でありながら、強磁性のようにスピンの分裂効果を利用して情報の読み書きが行える。スピン軌道トルクと呼ばれる現象を利用すれば、微小な電流を使ってスピンの向きを効率よく反転させることができる。これは、デバイスのさらなる小型化と大容量化、そして処理速度の大幅な向上につながる。データセンターの消費電力を劇的に削減する基盤技術となる要件を満たしている。
実用化に向けては未解決の問いも残されている。今回観察された二酸化ルテニウムの交代磁性が、実際のデバイス環境で求められる室温下でも安定して維持されるかは、今後の検証課題となる。量子効果の多くは極低温でしか現れないため、室温での動作が証明されなければ産業応用への道は開かれない。また、二酸化ルテニウム以外の量子材料でも、格子歪みを調整つまみとした磁性の制御が普遍的に成り立つのかという点もまだ明らかではない。
塊から数原子層の薄膜へ、そして歪みの印加へ。物理的条件の調整によって隠された性質を引き出すこのアプローチが、未知の量子材料の可能性を切り拓く。
