世界最大の半導体ファウンドリであるTSMC(台湾積体電路製造)が、長年同社に貢献した元幹部、Wei-Jen Lo(羅唯仁)博士に対し、競合であるIntelへの移籍に関連して「営業秘密の漏洩」などを理由に提訴した。これに対し、IntelのCEOを務めるLip-Bu Tan氏は、従業員向けの内部メモで同博士を「全面的に支持する」と表明し、両社の緊張は一気に高まりを見せている。

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TSMCによる提訴と「2nm機密」への懸念

事の発端は、TSMCが2025年11月25日、知的財産および商事裁判所(Intellectual Property and Commercial Court)に対し、元シニアバイスプレジデントであるWei-Jen Lo氏を提訴したことにある。

提訴の根拠と「背信」の疑い

TSMC側の主張は痛烈だ。同社は、Lo氏が雇用契約および退職時に署名した「競業避止義務」に違反していると訴えている。さらに深刻なのは、「営業秘密法」違反の可能性が高いとしている点だ。

報道によれば、Lo氏には以下のような疑惑が持たれている。

  • 退職時の虚偽説明: Lo氏はTSMCでの退職面談において、法務責任者に対し「退職後は学術機関に行く」と説明しており、Intelへの移籍については一切言及していなかったとされる。
  • 機密情報の持ち出し: TSMCは、Lo氏が同社の最先端技術である2nmプロセス(N2)やその他の極秘データにアクセス権を持っており、それらを不正に使用、漏洩、またはIntelへ譲渡する「高い蓋然性」があると主張している。
  • 退職後の接触: Lo氏は2024年から2025年にかけて、退職後もTSMCの研究開発スタッフと接触を続けており、その直後にIntelでの職務を開始したとされる。

TSMCにとってLo氏は、単なる管理職ではない。彼は21年間にわたり同社に在籍し、7nm5nm3nmといった歴代の最先端プロセスの立ち上げを主導し、2nm世代の戦略的方向性にも深く関与していた「技術の心臓部」を知る人物である。それゆえに、TSMCはこの移籍を単なる転職ではなく、国家安全保障にも関わる「知的財産の流出」と捉えている。

Intel側の反論:CEOによる「完全擁護」と倫理規定の強調

TSMCの強硬姿勢に対し、Intelは即座に反応した。IntelのCEO、Lip-Bu Tan氏は従業員宛てのメッセージの中で、Lo氏への疑惑を真っ向から否定している。

「告発に根拠なし」とするIntelの論理

Tan CEOの主張とIntelの公式声明から読み取れる反論のポイントは以下の通りである。

  1. 疑惑の否定: 「現在我々が把握しているすべての情報に基づき、Wei-Jenに対する告発には正当性(merit)がないと判断している」と断言。
  2. 厳格なIP管理: Intelは第三者の機密情報や知的財産の使用・譲渡を厳格に禁止するポリシーと管理体制を維持しており、法令違反の意図はないと強調。
  3. 人材流動の正当性: 「働く自由、スキルを適用する自由、企業間を移動する自由は、半導体業界におけるイノベーションの礎である」とし、Lo氏の採用は倫理的かつ正当なものであると位置づけた。

「出戻り」という文脈

興味深いのは、Wei-Jen Lo氏の経歴だ。彼はTSMCに入社する前、実はIntelで18年間勤務しており、サンタクララ(カリフォルニア州)の開発施設で工場長や技術開発ディレクターを務めていた実績がある。つまり、Intel側からすれば、彼は「競合からの引き抜き」であると同時に、「自社の文化を知るベテランの帰還」でもあるのだ。Tan CEOは、Lo氏がIntelの製造部門およびパッケージング事業の変革を支援すると述べている。

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なぜこの移籍が「高リスクな賭け」となるのか

単なる一人の幹部の転職が、なぜこれほど大きな法的紛争、ひいては台湾当局まで動かす事態に発展したのか。その背景には、技術、ビジネス、そして地政学が絡み合う複雑な構造が存在する。

1. 微細化競争の最終局面としての「2nm」

現在、半導体業界は2nm世代(およびIntelの18A)という、物理限界に挑む微細化競争の真っ只中にある。TSMCはこの分野で世界をリードしているが、Intelは「High-NA EUV」露光装置の早期導入や、裏面電源供給技術「PowerVia」、全周ゲート構造「RibbonFET」といった独自技術で猛追している。
Lo氏はTSMCにおいて2nmの量産化に向けた重要情報を握っていたとされる。もし彼が、歩留まり向上のノウハウやサプライチェーンの微妙な調整(機微情報)をIntelにもたらせば、TSMCの優位性が揺らぐ可能性がある。これがTSMCが過敏になる最大の理由だ。

2. 台湾当局による「国家安全保障」視点

本件は一企業の労務問題を超え、台湾政府も注視している。台湾経済部長(経済大臣に相当)のKung Ming-hsin氏は、国家安全保障と核心技術保護の観点から懸念を表明し、検察当局と協力して調査を進める姿勢を示した。
台湾にとってTSMCの技術的優位性は、経済的利益のみならず、国際社会における台湾の安全保障上のプレゼンス(シリコン・シールド)を支える生命線である。主要技術者の海外流出、特に米国企業への流出であっても、技術覇権の観点からは看過できない問題となりつつある。

3. Intel Foundryの「顧客視点」獲得の狙い

報道によれば、IntelがLo氏の獲得で期待しているのは、単なる技術データの転用ではない可能性が高い。Lo氏はTSMC時代、サプライヤーとの関係強化や、米国顧客がファウンドリに何を求めているかを熟知していた。
Intelがファウンドリビジネス(IFS)を成功させるためには、技術力だけでなく、「顧客サービスとしての製造業」への文化変革が不可欠である。TSMC流の顧客対応やサプライチェーン管理のノウハウこそが、Intelが真に欲している「秘密」なのかもしれない。

業界全体への波及効果

この訴訟の行方は、今後の半導体業界における人材獲得競争に大きな影を落とすだろう。

  • 法廷闘争の長期化: 知的財産権訴訟は立証が難しく、長期化が予想される。TSMC株価はこのニュースを受けて下落しており、市場もリスクを織り込み始めている。
  • 人材流動への萎縮効果: かつてシリコンバレーでは、AppleやGoogle、Intelなどが互いに引き抜きを行わない協定を結び、後に巨額の和解金を支払う事態となった(反トラスト法違反)。今回のTSMCの強硬姿勢は、高度専門人材のキャリア移動に対する警告として機能し、業界全体で引き抜きに対する法的リスク評価が厳格化する可能性がある。
  • 技術競争の行方: IntelはLo氏の知見を活かし、2027年以降のプロセス技術や先進パッケージングでの競争力を高めようとしている。一方で、日本のRapidusや韓国のSamsungも虎視眈々とシェアを狙っており、人材争奪戦は台湾・米国間だけでなく、日韓を含めた多極的なものになるだろう。

TSMC対Wei-Jen Lo氏(およびIntel)の訴訟は、2025年の半導体業界を象徴する出来事である。それは「個人の職業選択の自由」と「企業の知的財産保護」、そして「国家の技術安全保障」という三つの利益が衝突する最前線だ。IntelのLip-Bu Tan CEOが「メリットがない」と一蹴した疑惑が、法廷でどのように解明されるのか。その結果は、次世代半導体の覇権の行方を左右する重要なファクターとなるだろう。


Sources