米国の厳格な半導体輸出規制は、中国のAI開発を頓挫させるどころか、皮肉にも国内GPUメーカーに前例のない巨大市場を創出する結果を招いている。この地政学的な逆風を追い風に変え、中国のGPUスタートアップであるMoore Threads Technology (以下、Moore Threads)とMetaX Integrated Circuits(以下、MetaX)が、上海証券取引所のハイテク企業向け市場「STAR Market」への大型上場(IPO)を申請した。両社が目指す資金調達額は合計120億元(約2400億円)に迫り、この動きは単なる資金調達に留まらず、米中ハイテク覇権争いの新たな局面と、中国が国策として推進する「半導体自給自足」の現実を浮き彫りにしている。

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120億元を賭けた中国GPUの挑戦

2025年6月30日に提出された目論見書によれば、各社が目指す野心的な計画の規模が明らかになった。

  • Moore Threads: 80億元(約1630億円)の調達を目指す。
  • MetaX: 39.04億元(約790億円)の調達を目指す。

合計で120億元近くに達するこの資金は、世界最高峰のGPUメーカーであるNVIDIAAMDとの熾烈な開発競争を続けるための研究開発(R&D)、人材獲得、そして市場拡大の原動力となる。このIPOは、両社が米国の制裁というリスクを、中国国内での代替需要という「歴史的な好機」と捉えていることの何よりの証左と言えるだろう。

彼らは目論見書の中で、米国の制裁を事業上の主要リスクと認めつつも、それが国内企業の「国産代替プロセスを加速させた」と指摘。顧客やサプライヤーとの関係を強化する絶好の機会と捉えていることを明確に示している。

制裁が生んだ“真空地帯”:NVIDIA不在の市場という逆説的好機

この動きの背景には、前Biden政権による段階的な対中半導体輸出規制の強化がある。特に、中国市場向けに性能を調整して投入されたNVIDIAのH20 AIアクセラレーターまでもが2025年4月に禁輸対象となったことは決定的だった。これにより、TencentやBaiduといった中国の巨大テック企業は、AIモデルの開発・運用に不可欠な高性能GPUの安定調達という深刻な課題に直面した。

結果として生まれたのは、巨大な「市場の真空地帯」である。これまでNVIDIAが9割以上のシェアを握っていた中国のAIチップ市場は、突如として門戸を開かれた。この好機を捉え、HuaweiのAscend AIチップは既に大手企業に採用されるなど、国産チップへのシフトが急速に進んでいる。Moore ThreadsやMetaXのIPOは、この巨大な国内需要を確実に取り込み、事業を軌道に乗せるための戦略的な一手なのだ。

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巨人の肩の上で:NVIDIA・AMDのDNAを受け継ぐ挑戦者たち

興味深いのは、これら中国GPUの挑戦者たちが、奇しくも米国半導体大手の「DNA」を色濃く受け継いでいる点である。

  • Moore Threadsの創業者、Zhang Jianzhong氏: かつてNVIDIAのグローバル副社長兼中国事業ゼネラルマネージャーとして、中国市場におけるNVIDIAの成功を牽引した人物その人である。彼はNVIDIAの戦略を知り尽くした上で、今やその牙城を内側から崩そうとしている。
  • MetaXの創業者、Chen Weiliang氏: AMDでGPU製品ラインの設計をグローバルに統括してきた経歴を持つ。AMDのアーキテクチャ開発のノウハウが、MetaXの製品開発の根幹にあることは想像に難くない。

彼らは単なる模倣者ではない。世界のトップで戦ってきた経験と知見を持つリーダーたちが、米国の制裁によって生まれた特異な環境下で、新たなエコシステムを構築しようとしている。この人的背景こそが、中国GPU産業のポテンシャルを測る上で見過ごせない重要な要素である。

売上を遥かに超える研究開発費と巨額赤字の意味

しかし、その道のりは決して平坦ではない。IPO申請に伴い公開された財務状況は、壮大な挑戦の裏にある厳しい現実を物語っている。

両社は過去3年間で、売上高を遥かに凌ぐ巨額の研究開発投資を行っており、それが巨額の累積損失に繋がっている。

  • Moore Threads: 2022年から2024年にかけての研究開発費は合計38億元に達し、これは同期間の売上高の実に626%に相当する。累積損失は50億元に膨らんでいる。
  • MetaX: 2024年単年で売上高7.43億元に対し、14億元の純損失を計上。2022年から2024年にかけての研究開発費は22億元で、売上高の282%に達した。

この数字は、短期的な収益性よりも長期的な技術開発を優先する明確な意志の表れだ。NVIDIAが年間130億ドル以上を研究開発に投じ、40年以上の技術的蓄積を持つことを考えれば、この巨額の「先行投資」は、追いつくための最低条件とも言える。IPOで調達する資金が、この出血を伴うマラソンを走り続けるための生命線となることは明らかだ。

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“技術のガラパゴス化”か、“新たな生態系”の誕生か:中国半導体自給自足の行方

Moore ThreadsとMetaXのIPOは、中国のGPU産業における重要なマイルストーンとなるだろう。しかし、その先に待ち受けるのは二つの可能性だ。

一つは、世界の最先端技術から切り離され、独自の進化を遂げる「技術のガラパゴス化」のリスクである。NVIDIAのCUDAエコシステムのような、長年かけて築き上げられたソフトウェアの壁は高く、性能面でのギャップを埋めるには長い時間を要する。Moore Threadsがエンティティリストに掲載され、TSMCのような最先端ファウンドリへのアクセスを絶たれている事実は、そのハンディキャップの大きさを物語る。

しかし、もう一つの可能性は、巨大な国内市場と政府の強力な後押しを背景とした「新たな生態系」の誕生である。中国市場では、必ずしも世界最高の性能が求められるわけではない。むしろ、米国の政策一つで供給が途絶えるリスクを回避できる「供給の安定性」が、性能以上に重視されるケースが増えている。この特殊な環境が、国内メーカーを育て、独自のソフトウェアスタックやエコシステムを成熟させる土壌となり得る。

今回のIPOは、中国が「性能の劣位」を受け入れながらも、「供給の安定」を確保するという国家戦略を、民間企業を巻き込んで本格化させていることのシグナルである。果たして彼らは、NVIDIAやAMDが君臨する世界に風穴を開けることができるのか。それとも、中国国内に閉じた巨大なローカルプレイヤーに留まるのか。ワシントンが意図せずして点火した中国GPU開発競争の炎は、世界の半導体地図を塗り替えることになるかもしれない。


Sources