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iPhoneでPixelのカメラが使える?元Google開発者によるAdobeの新カメラアプリ『Project Indigo』が登場

Y Kobayashi

2025年6月20日

スマートフォンのカメラは、もはや「いつでも撮れる便利なカメラ」ではない。Google Pixelが切り拓いたコンピュテーショナルフォトグラフィの世界は、小さなセンサーとレンズの物理的制約をソフトウェアの力で超越できることを証明した。その立役者であり、「Pixelカメラの父」とも称されるMarc Levoy氏。彼がGoogleを去り、クリエイティブツールの巨人Adobeで新たな挑戦を始めたことは、業界に大きな衝撃を与えた。

そして今、その成果が姿を現した。Adobe LabsからリリースされたiPhone向けカメラアプリ、『Project Indigo』は、Pixelの思想を受け継ぎながら、スマートフォン写真が陥った「作られた美しさ」へのアンチテーゼを掲げ、写真撮影の根源的な体験を再定義しようとする、野心的な試みだ。なぜPixelの魂は、ライバルであるiPhoneに宿ったのか。その魔法の正体と、我々の写真体験をどう変えるのかを見ていこう。

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Pixelの父、なぜAdobeでiPhoneアプリを?

アプリについて詳しく見てみる前に、まずMarc Levoy氏と、彼の右腕であるFlorian Kainz氏が何者であるかを知る必要がある。彼らはGoogleにおいて、Pixelシリーズのカメラを伝説的な地位に押し上げた中心人物だ。夜景モード(Night Sight)やHDR+といった、今や業界標準となった技術は、彼らのチームが生み出したものだ。その哲学は、複数の画像を高速で撮影・合成し、人間の目が見たままの自然な光景を、ノイズや白飛び・黒つぶれなく再現することにあった。

2020年、Levoy氏はGoogleを退社し、Adobeへ移籍。その目的は「ユニバーサルカメラアプリを構築するため」と語られていた。そして今回リリースされた『Project Indigo』は、その壮大な構想の第一歩と言えるだろう。

しかし、なぜ最初のプラットフォームがAndroidではなくiPhoneなのか? この疑問は多くのPixelファンやAndroidユーザーが抱くはずだ。Adobeは明確な理由を語っていないが、いくつかの推測は可能である。

一つは、ハードウェアの統一性だ。多種多様なメーカーとモデルが存在するAndroidとは異なり、iPhoneはAppleがハードウェアとOSを厳格に管理している。これにより、特定のモデル(Project IndigoはiPhone 12 Pro/Pro Max以降、非Proは14以降に対応)に最適化された、安定した開発が可能になる。特に、コンピュテーショナルフォトグラフィのような高度な処理には、プロセッサ性能やメモリ(6GB以上を要求)といったハードウェアの仕様が重要となるため、iPhoneは理想的な開発・テスト環境だったのかもしれない。

もう一つは、Adobeのエコシステムとの親和性だ。写真愛好家やプロフェッショナルの多くは、すでにLightroomやPhotoshopといったAdobe製品を愛用している。彼らが多く使用するiPhone上で、撮影から編集までシームレスに繋がる体験を提供することは、Adobeにとって極めて合理的な戦略と言える。

「作られた美しさ」へのアンチテーゼ。Project Indigoの核心思想

近年のスマートフォンカメラは、AIによるシーン認識や被写体補正が進化し、誰でも「見栄えのする」写真が撮れるようになった。しかし、その一方で多くの写真愛好家が「スマートフォン・ルック」と呼ばれる画一的な描写に不満を抱いているのも事実だ。過度に明るくされたシャドウ、不自然なほど青い空、のっぺりとした肌の質感――。これらは小さな画面で目を引くかもしれないが、PCの大きなモニターで見たり、作品として鑑賞したりするには、あまりに「作られすぎている」と感じることはないだろうか。

『Project Indigo』は、この流れに真っ向から異を唱える。彼らが目指すのは、「ゼロ・プロセス」のような単純な無加工ではない。Adobeの公式ブログで語られているのは、「一眼レフ(SLR)で撮影したかのような、より自然なルック」だ。

具体的には、過度なトーンマッピング(明るい部分を暗く、暗い部分を明るくする処理)を抑制する。特に、画像内の領域ごとに処理の強弱を変える「ローカルトーンマッピング」を極力抑えることで、不自然なコントラストや質感の破綻を防ぐ。これは、AdobeがLightroomなどで提供しているカラープロファイル「Adaptive Color」の思想にも通じるものであり、物理的に正しい光の関係性を尊重しつつ、豊かな階調表現を目指すアプローチだ。

結果として得られる写真は、派手さはないかもしれないが、光と影が織りなす繊細なニュアンスを保ち、じっくりと鑑賞するに値する深みを持つ。これは、まさに写真という表現の本質に立ち返る試みと言えるだろう。

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魔法の正体:進化したコンピュテーショナルフォトグラフィ

『Project Indigo』が目指す「自然な高画質」は、精神論だけで実現できるものではない。その根幹には、Pixelで培われたコンピュテーショナルフォトグラフィをさらに進化させた、驚くべき技術が横たわっている。

最大32フレーム合成が生む、驚異の低ノイズとダイナミックレンジ

多くのスマートフォンカメラと同様に、Indigoもシャッターボタンが押されると複数の画像を連続撮影(バースト撮影)し、それらを合成することで1枚の写真を生成する。しかし、そのアプローチはより徹底している。

第一に、意図的にアンダー露出(暗め)で撮影する。これにより、明るい空や照明などのハイライト部分が真っ白に飛んでしまう(白飛び)のを強力に防ぐ。
第二に、最大で32フレームもの画像を合成する。物理法則上、合成する枚数を増やすほどノイズは低減する。Indigoはこの原則に忠実に、より多くのフレームを処理することで、暗い場所のノイズを劇的に抑制するのだ。

Adobeが公開した低照度(1/10ルクス)で撮影された時計の作例は、その効果を雄弁に物語る。iPhoneの単写ではノイズまみれでディテールが潰れているのに対し、Indigoで撮影された写真は、暗部まで滑らかで、かつ時計の木目や金属の質感をしっかりと捉えている。この圧倒的な差は、より多くの情報を光から引き出すという、Indigoの執念の現れだ。

手ブレさえも味方に。デジタルズームの常識を覆す「マルチフレーム超解像」

スマートフォンのズーム機能は、多くの場合、センサーの一部を切り出して拡大する「デジタルズーム」であり、画質の劣化は避けられなかった。Indigoは、この常識をも覆そうとしている。

ピンチズームで一定以上の倍率(メインカメラで2倍以上など)にすると、「マルチフレーム超解像」機能が作動する。これは、ユーザーの自然な手ブレによって生じる微細な視点のズレを利用する技術だ。複数のフレームを撮影し、それぞれの画像に含まれるわずかに異なる情報をパズルのように組み合わせることで、1枚の画像からでは得られない、より高精細な画像を再構築する。

これは、一部の高性能ミラーレスカメラに搭載されている「ピクセルシフトマルチショット」と同様の原理だ。重要なのは、AIが「こうだろう」と推測してディテールを生成する(Hallucination)のではなく、実際に撮影された複数の画像から「本物の」ディテールを復元している点にある。サンフランシスコの街を10倍ズームで撮影した作例では、iPhone標準カメラの画像と比較して、Indigoの画像がビル群の窓のディテールをより鮮明に、かつノイズを抑えて描いていることが確認できる。

コンピュテーショナルフォトグラフィの恩恵を受ける「本物のRAW」

プロやハイアマチュアにとって、RAW撮影は必須の機能だ。編集耐性が高いRAWデータがあってこそ、現像で自身の表現を追求できる。Indigoは、このRAW撮影にも革命をもたらす。

通常、RAW撮影は単一の画像フレームを記録するため、コンピュテーショナルフォトグラフィの恩恵(ノイズ低減やダイナミックレンジ拡大)を受けられないことが多かった。しかし、Indigoでは複数フレームを合成した結果を、Adobe独自のDNG(Digital Negative)形式のRAWファイルとして出力できるのだ。

これにより、ユーザーはノイズが少なく、ハイライトからシャドウまで豊かな情報を持った、極めて高品質なRAWデータを得ることができる。これは、編集の自由度を飛躍的に高める、画期的な仕様だ。さらに、AppleがProモデル限定で提供している「ProRAW」とは異なり、Indigoは(対応機種であれば)非ProモデルのiPhoneでもこの高画質なDNGファイルを出力できる。これは大きなアドバンテージと言えるだろう。

プロも唸る操作性と、Adobeエコシステムとの連携

Indigoの魅力は、内部の高度な処理だけではない。写真家が意のままにカメラを操るための、優れたインターフェースとエコシステム連携も備えている。

写真家のためのフルマニュアルコントロール

シャッタースピード、ISO、フォーカス、露出補正、そして色温度と色かぶりの両方を調整できるホワイトバランス。Indigoは、写真家が必要とするフルマニュアルコントロールを提供する。

特筆すべきは、コンピュテーショナルフォトグラフィの根幹である「バースト撮影のフレーム数」さえも手動でコントロールできる点だ。これにより、ユーザーは撮影時間とノイズレベルのトレードオフを、撮影意図に応じて自ら決定できる。

また、「長時間露光」モードを使えば、三脚に固定して川の流れを絹のように滑らかに描写したり、光の軌跡を捉えるライトペインティングといったクリエイティブな表現も可能だ。これはもはや、単なるスナップ用カメラアプリの域を超えている。

Lightroomとのシームレスな連携

撮影した写真は、Indigoアプリ内のフィルムストリップからワンタップでLightroom mobileアプリに転送できる。JPEG+DNGで撮影していれば、自動的に編集耐性の高いDNGファイルがLightroomで開かれる。Adobeの「Adaptive Color」プロファイルと親和性の高い思想で設計されているため、Lightroomでの色調整や編集もスムーズに行える。撮影から現像、共有までの一連の流れが、Adobeのエコシステム内で完結するのだ。

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iPhone標準カメラとの比較で見えた「思想」の違い

理論は素晴らしいが、実際の写りはどうなのか。DPReviewによるiPhone標準カメラとの比較レビューは、両者の「思想」の違いを浮き彫りにしており、非常に興味深い。

  • iPhone標準カメラ: 全体的に明るく、パッと見の印象が良いSNS映えする絵作り。しかし、時に不自然なシャープネスや、色味の偏りが見られる。
  • Project Indigo: より現実に忠実で、コントラストと豊かなシャドウを活かした、ミラーレスカメラで撮ったような描写。過度なシャープネスがなく、被写体の質感が自然。より「写真作品」としての完成度を重視している印象。

どちらが良いかは個人の好みが分かれるだろう。しかし、「見たままの光景を、より高品質に記録する」というPixel以来の哲学が、Indigoにも確かに息づいていることは間違いない。

課題と未来への期待:これはまだ「旅の始まり」

もちろん、『Project Indigo』はまだ完璧ではない。まず、日本のApp Storeからはまだインストールが出来ないため、多くの日本ユーザーには利用が出来ない状況だ。また、まだまだ、パフォーマンスの不安定さ、スマートフォンの著しい発熱、ポートレートモードなどの機能不足も見られる。しかし、Adobe自身もこれを「旅の始まり」と位置づけており、今後継続的なアップデートを約束している。

将来的には、Android版のリリースをはじめ、ポートレートモード、パノラマ撮影、そしてコンピュテーショナルフォトグラフィを応用した革新的な動画撮影機能も計画されているという。さらに、露出を変えながら撮影する「露出ブラケット」や、ピント位置を変えながら撮影する「フォーカスブラケット」といった、より高度な撮影機能の実装も示唆されており、天体写真やマクロ撮影の可能性を大きく広げるかもしれない。

このアプリは、Adobeが開発する最先端AI技術の「テストベッド(実験場)」としての役割も担う。例えば、写真に写り込んだ窓の反射を除去する機能が、すでに技術プレビューとして搭載されている。Indigoで得られたフィードバックが、未来のLightroomやPhotoshopを形作っていくのだ。

Project Indigoは、スマホ写真の「魂」を取り戻す試み

『Project Indigo』は、単なる多機能なカメラアプリではない。それは、モバイル写真がどこへ向かうべきかという、壮大な問いを我々に投げかける存在だ。

アルゴリズムが作り出す「万人受けする美しさ」が溢れる現代において、Marc Levoy氏とAdobeは、写真が本来持つ「光を記録する」という原点に立ち返ろうとしている。Pixelで培われたコンピュテーショナルフォトグラフィの思想を、Adobeが持つクリエイティブツールとエコシステムの力で昇華させ、誰の手にも「本物の写真」を撮る喜びを届けようとしているのだ。

この挑戦はまだ始まったばかりだ。しかし、その哲学と技術的なポテンシャルは、スマートフォンのカメラ史における、新たなマイルストーンとなる可能性を秘めている。待望のAndroid版が登場する時、モバイル写真の世界は、再び大きく動き出すに違いない。


Sources

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