もはや、高度なソフトウェア開発は特定の高性能マシンが置かれたデスクの上だけのものではなくなった。AIコーディング支援ツールで市場を席巻するAnysphere社が、同社の主力製品「Cursor」のAIコーディングエージェントを、ブラウザ経由で直接管理できるWebアプリケーションを発表した。
この新機能により、開発者はデスクトップやモバイル端末のブラウザから、自然言語を使ってAIエージェントに新たな機能開発や厄介なバグ修正といったタスクを指示できる。エージェントが作業する様子をリアルタイムで監視し、完了したコードの変更点をレビュー、そしてそのままコードベースに統合(マージ)することまで可能になる。
ユーザーはcursor.com/agentsから、すぐに作業を開始することが可能だ。
5億ドルのエンジンが拓く「マルチサーフェス開発」という新常識

今回のWebアプリ発表は、Anysphere社の「マルチサーフェス開発戦略」を象徴する動きだ。同社はこれまで、AIを深く統合した独自のIDEを提供することで熱狂的な支持を集めてきた。しかし、その強力なAI機能を、開発者が日常的に利用するあらゆる「サーフェス(接点)」へと拡張する野心的な計画を加速させている。
その布石は着実に打たれてきた。2025年5月には、ユーザーの監視なしで自律的にコーディングタスクを解決する「バックグラウンドエージェント」機能を導入。続く6月にはSlackとの連携を実現し、チャットで「@Cursor」とメンションするだけで、チームメンバーに依頼するかのようにAIエージェントにタスクを委譲できるようになった。
そして今回、Webアプリという最後のピースがはまった。これにより、以下のようなシームレスなワークフローが現実のものとなる。
- 外出先(モバイル): 通勤中の電車内で、スマートフォンのブラウザから昨夜発見されたバグの修正をエージェントに指示する。
- チーム内(Slack): オフィスでの会議中、次のスプリントで実装すべき機能について議論し、その場でSlackからエージェントにプロトタイプの作成を依頼する。
- デスク(IDE): 自席に戻り、エージェントが生成したコードをCursorのIDEで開き、最終的な微調整やリファクタリングを行う。
Cursorの製品エンジニアリング責任者であるAndrew Milich氏が言うように、これは開発者がAIを利用する上での「摩擦を取り除く」ための戦略だ。AIが、必要なときにいつでも、どこにでも現れる「アンビエント(遍在する)」な存在となる。この体験は、プログレッシブウェブアプリ(PWA)としてインストールすることで、さらにネイティブアプリに近い操作感で利用できるという点からも、同社の徹底したこだわりがうかがえる。
この大胆なプラットフォーム拡張を支えているのが、同社の驚異的な財務力だ。これまでの報道によれば、Anysphere社は年間経常収益5億ドルを突破し、NVIDIA、Uber、AdobeといったFortune 500の半数以上で採用されているという。特にエンタープライズ顧客からの収益が全体の60%以上を占めており、これが月額200ドルの「Ultraプラン」といった高付加価値サービスの開発と、今回のようなエコシステム全体の拡充を可能にする原動力となっているのだ。
「デモウェア」の終焉と「ワークフローネイティブ」の夜明け
AIコーディングエージェントの歴史は、期待と失望の繰り返しだったと言っても過言ではない。初期のエージェントは、派手なデモンストレーションで注目を集めるものの、実際の複雑な開発現場では役に立たない「デモウェア」と揶揄されることも少なくなかった。
しかし、市場は今、大きく、確実に変わっている。Cursorをはじめとする先進的な企業は、AIがすべてを代替する「完全自律型」という一足飛びのようなアプローチではなく、開発者の実際のワークフローに深く根ざした「ワークフローネイティブ」なアプローチへと舵を切っているのだ。
CursorのWebアプリが提供する機能は、まさにこの思想を体現している。
- 透明性と監査可能性: Webインターフェースでは、エージェントが実行したすべてのコマンド、変更したすべてのファイルが「監査証跡(audit trail)」として記録される。これにより、AIの作業はブラックボックスではなくなり、開発者はそのプロセスを完全に把握し、デバッグやレビューを容易に行える。
- 複数モデルによる比較検証: 一つのタスクに対して、OpenAI、Anthropic、Google、xAIなど、異なる企業のAIモデルを搭載した複数のエージェントを同時に実行させ、その結果を比較検討できる。これは、タスクの性質に応じて最適なAIを選択するという、より高度な次元でのAI活用を可能にする。
- 人間とのシームレスな連携: AIエージェントが作成したプルリクエストをチームメンバーがレビューし、フィードバックを与え、人間が最終的なマージの判断を下す。AIはあくまで強力なアシスタントであり、主導権は常に開発者にある。
Anysphere社が「デモウェアではない、実用的なツール」を慎重に開発してきた背景には、AIの推論モデル自体の著しい進化がある。同社CEOのMichael Truell氏は、この技術的成熟を背景に、大胆な未来予測を提示している。
20%の自動化が意味するもの:開発者の未来はどこへ向かうのか
「2026年までに、AIコーディングエージェントはソフトウェアエンジニアの仕事の少なくとも20%を担うようになるだろう」
StratecheryによるインタビューでのTruell氏のこの発言は、単なる景気の良い予測として片付けるべきではない。これは、ソフトウェア開発の生産性、そして開発者という職業のあり方そのものに対する、具体的な未来像の提示である。
この「20%」という数字は、開発者がこれまで時間を費やしてきた定型的、あるいは反復的な作業(単純なバグ修正、テストコードの生成など)がAIに置き換わる可能性を示唆している。そうなれば、開発者はより創造的で、より高度な問題解決、つまりアーキテクチャ設計やユーザー体験の向上といった、人間にしかできない領域に集中できるようになるだろう。
もちろん、この変化の波はCursorだけが起こしているわけではない。市場はまさに群雄割拠の様相を呈している。
- Microsoft: GitHub Copilotを単なるコード補完ツールから、よりエージェント的な能力を持つ存在へと進化させている。
- Cognition AI: 衝撃的なデビューを飾った「Devin」は、完全自律型AIエンジニアというビジョンを掲げ、市場に大きな問いを投げかけた。
- OpenAI: コーディングに特化したモデル「Codex」も、インターネットアクセスなどの機能強化が進んでいる。
この巨人たちがひしめく戦場で、Cursorが選択したのは「開発者との協調」という戦略だ。AIにすべてを任せるのではなく、AIを最高の「ペアプログラマー」として開発者の隣に置き、その能力を最大限に引き出す。今回のWebアプリ発表は、その「最高の相棒」が、もはやデスクに縛られることなく、いつでもどこでも開発者をサポートする時代の到来を告げているのだ。
Sources
- Cursor: Cursor on Web and Mobile
- via TechCrunch: Cursor launches a web app to manage AI coding agents