光学実験台に並べられた無数のミラーとレンズの間で、レーザービームが10行10列の微小な光の格子へと分割される。その100個の独立した光の点に、アルファベットの「Q」という文字の明暗パターンが重ね合わされた。送り手側で光の波が持つ物理的な状態が測定された瞬間、受信側の光学系にある光の格子へ、その量子力学的な波形情報が復元される。

一般に「テレポーテーション」という言葉から想起されるような、物質そのものが空間を飛び越えて消滅と再出現を遂げたわけではない。転送されたのは、100個の空間モードそれぞれが保持する光の振幅と位相という連続的な量子状態である。華東師範大学精密分光科学技術国家重点実験室のJietai Jing教授らが率いる研究グループは、空間的に分離された100系統の光チャネルを用い、それらを同時に制御しながら量子テレポーテーションを実行することに実験室規模で成功した。

この研究は、量子ネットワークの並列処理能力を拡張する新たな光学的アプローチを提示している。従来の量子テレポーテーション研究が単一チャネルや少数の多重化にとどまり、チャネルを1つ増やすごとに検出器や電子制御回路を追加しなければならなかったという工学的な課題に対し、空間光変調と全光学的フィードフォワードによる一括制御という解決策を示した。

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査読付き物理学誌に掲載された100チャネル量子テレポーテーションの原典

今回の成果は、米国物理学会が発行する主要学術誌『Physical Review Letters』に採択され、2026年8月20日付のオンライン版(Vol. 137, Iss. 8、論文番号080801、DOI: 10.1103/rfz9-3prw)に掲載された。論文の表題は「Hundred-Channel Reconfigurable Quantum Teleportation」である。公開されている情報から査読の経緯を確認すると、2026年3月27日に論文が受理され、6月10日に改訂稿が提出された後、6月30日に正式採択に至っている。

  • 測定忠実度
  • 古典限界
実験測定値と古典限界の忠実度比較横棒グラフ。カテゴリ 1 件、系列: 測定忠実度, 古典限界(単位: 忠実度 (0-1))100チャネル平均値100チャネル平均値100チャネル平均値 — 測定忠実度: 0.6忠実度 (0-1)0.6100チャネル平均値 — 古典限界: 0.52忠実度 (0-1)0.52単位: 忠実度 (0-1)
データを表で見る
測定忠実度 (忠実度 (0-1))古典限界 (忠実度 (0-1))
100チャネル平均値0.60.52
実験測定値と古典限界の忠実度比較忠実度は0から1の尺度。量子もつれを利用しない古典通信の上限0.52を上回る0.60を記録した。出典: Phys. Rev. Lett. 137, 080801 (2026)

グラフが示す通り、研究チームが達成した平均忠実度0.60は、古典的な通信のみで到達できる上限値0.52を有意に上回っている。この数値差こそが、転送過程において量子もつれが確かに寄与した物理的な証拠となる。

Yanbo LouとJiabin Wangが筆頭著者として同等の貢献を行い、Yuyan Zou、Lingyue Hou、Shengshuai Liu、Jietai Jingが著者として名を連ねている。責任著者はLiuとJingが務める。研究拠点は上海の華東師範大学精密分光科学技術国家重点実験室を中心に、中国科学院超強超短レーザー科学卓越革新センター、山西大学、浙江師範大学の研究者が参画した。

米国物理学会は本論文を注目論文である「Editors' Suggestion」に選定した。さらに、同学会の物理学解説メディアである『Physics』では、「Teleporting More Quantum States at Once」と題するシノプシス記事を2026年8月20日に公開し、大規模量子ネットワークの拡張を支える新たな光学的手法として紹介している。

ここで、本稿で扱う情報にはアクセス上の制約があることをあらかじめ断っておきたい。米国物理学会の公開ページで誰でも無償で閲覧できるのは、アブストラクト(抄録)と基本書誌事項、シノプシス記事に限られている。論文本文や詳細な測定値分布を記した補足資料、引用文献の全容を閲覧するには購読契約が必要となる。光学素子の具体的な配置や制御系に関する技術的な補足については、INSPIRE-HEPに登録された抄録情報と、IEEE SpectrumやScienceAlertなど技術メディアによる著者インタビューを照合して確認した。

空間光変調と全光学的フィードフォワードが切り開いた並列化の構造

量子テレポーテーションの物理原理は、1993年にチャールズ・ベネット(Charles H. Bennett)らが理論的に提案した枠組みに遡る。送信者と受信者が、あらかじめ量子力学的にもつれた状態にある粒子ペアを分け合い、送信者が手元の未知の量子状態ともつれ粒子を組み合わせて共同測定を行う。その測定結果を古典的な通信経路で受信者に送り、受信者が結果に応じて手元の粒子に適切なユニタリ変換を施すことで、元の未知の状態が受信側で復元される。

従来の実験が直面してきた最大の制約は、チャネルの多重化に伴う装置の大規模化であった。量子チャネルを1つ増やそうとすれば、それに対応するもつれ光子源、光検出器、高速電子処理回路、そして光変調器を丸ごと1系統追加しなければならない。これに対してJing教授らのチームは、空間的な光波面のパターニング技術を取り入れることで、100系統のチャネルを単一の光学系内でまとめて処理する構造を設計した。

この並列光学アーキテクチャの工程は、大きく4段階に整理できる。まず約1 Wの励起レーザー光源から出た光を、重み付きゲルヒベルク・サクストン(Weighted Gerchberg-Saxton)アルゴリズムに基づく位相ホログラムを表示した空間光変調器(SLM)へと導く。SLMはこの単一ビームを、10行10列の格子状に並ぶ100個の独立した空間モードへと変換する。次に、この100本の空間チャネルに入力信号(文字「Q」の形状に対応する振幅側と位相側の直交成分)を担わせるとともに、あらかじめ用意された100対のもつれ光場ペアと結合させる。

続く操作が、電子回路を介さない全光学的フィードフォワードである。送信側で光を検出して電気信号へ変換することなく、光波同士の直接干渉によって100チャネルすべてのフィードフォワード操作を一括して実行する。最終的に、受信側の光学系では、100画素それぞれに対応する光電場の量子状態が忠実度を保ったまま復元される。

このシステムを支える要素は二つある。第一は、重み付きゲルヒベルク・サクストンアルゴリズムに基づくホログラフィック技術である。空間光変調器と呼ばれる液晶デバイスに計算された位相パターンを表示し、そこへレーザー光を通すことで、10行10列の格子状に並んだ100個の独立した空間モードを作り出す。これらのモードは、同一ビーム内で周波数などを重ね合わせる従来の多重化とは異なり、空間的に分離された100本の独立チャネルとして振る舞う。

第二の要素は、「測定を伴わない全光学的フィードフォワード(measurement-free all-optical feedforward)」の実装だ。通常の連続量テレポーテーションでは、送信側でホモダイン検波を行い、得られた電流信号を電子アンプで増幅して受信側の電気光学変調器を駆動する。しかしチャネル数が100に達すると、100系統の高速検出器と電子回路を並行して動作させるための配線や同期が大きな負担となる。研究チームは、光波同士を直接干渉させて位相と振幅を結合する光学系を構築し、電子的な処理を介さずに100個の空間モード全体に対するフィードフォワード操作を一括して行った。

Jing教授はIEEE Spectrumの取材に対し、従来のテレポーテーションが1度に1つの量子状態しか送れなかったことに触れ、大規模ネットワークを実現するには「多数の量子チャネルを同時に生成し、整合させ、操作する技術」が必要だったと述べている。本実験で扱われたのは、単一光子の有無でビットを表す離散変数(DV)ではなく、光波の振幅側と位相側の直交成分という連続量(CV)の物理量である。光電場が持つ微小な揺らぎの状態そのものが、100本の並列光チャネルを通じて転送された。

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画像転送という通俗的理解を正し、忠実度0.60の物理的意味を測る

本研究が科学メディアで報じられた際、「画像がテレポーテーションされた」という見出しが躍った。しかし、この表現をそのまま受け取ると実験の本質を見誤る。家庭用スキャナやファクシミリのように画像ファイルを電子データとして送信したわけでもなければ、紙に描かれた絵が消えて別の場所に現れたわけでもない。

実験で入力信号として使われたのは、10×10の格子状に並ぶ各空間モードを1つの「画素(ピクセル)」に見立て、全体としてアルファベットの「Q」の形状を表現した100次元の光電場パターンである。Jing教授がScienceAlertに対して説明しているように、実際に転送されたのは「振幅側と位相側の直交成分によって特徴づけられる、各空間モードにおける光電場の連続量量子状態」である。各画素に対応する光の波の量子力学的な揺らぎの分布が、もつれ光場を介して受信側へ移された。

量子状態の転送精度を測る尺度は忠実度(Fidelity)と呼ばれる。忠実度は0から1までの連続値を取り、1.00が完全な状態転送に相当する。量子力学において重要な基準となるのが「古典限界」だ。量子もつれを利用せず、古典的な測定を行ってその数値を通信し、受信側で状態を再構築した場合、不確定性原理に起因する測定雑音が必ず混入する。このため、もつれを用いない古典通信による転送忠実度は、どれほど優れた装置を用いても理論上の上限を超えることができない。

本実験の光学系における古典限界は0.52と算出されている。忠実度が0から0.52までの範囲にとどまる限り、それは古典通信のみでも達成可能な領域にすぎない。しかし、本実験で測定された100画素全体の平均忠実度は0.60に達した。研究チームの報告によれば、10×10のすべての空間モードにおいて、忠実度が古典限界の0.52を上回ったとされる。

平均忠実度0.60という数値は、一般的な写真の転送品質という感覚から見れば粗いものに思えるかもしれない。しかし量子力学において、0.60と0.52の差は決定的な意味を持つ。古典的な測定と通信の組み合わせでは原理的に到達できない領域へ、100チャネルすべてが同時に踏み込んだことを示しているからだ。この0.08の差こそが、光の波の伝播において量子もつれという非局所的な相関が機能したことを示す証拠となる。

なお、公開されている学術情報および報道資料では、各チャネルの誤差範囲(エラーバー)や最良値・最悪値を含む分散データは明記されていない。したがって、現時点では0.60という平均値を基準としつつ、チャネル間のばらつきについては今後の追試や詳細データの公開を待つ必要がある。

報告された数値と先行手法の到達点

研究チームが達成した成果の輪郭を正しく捉えるためには、実証された事実、著者による主張、そして今後の開発計画を客観的に比較・整理することが有効である。

評価項目 本研究の報告値・構成 比較基準・従来の状況 根拠の性格と限界
並列チャネル数 100空間モード(10×10格子) 1チャネル、または少数の多重化 実験室の光学定盤上で測定確認
平均忠実度 0.60 古典限界: 0.52 量子性を示す指標、全100モードで超過
フィードフォワード方式 全光学的(測定なし・電子的処理なし) 検出器+電子回路による変調 100チャネルを一括制御する仕組み
励起レーザー出力 約1 W(主たる制限要因) 通常のラボ用CWレーザー 著者らが挙げる物理的制約
将来の計画 1,000チャネル化 100チャネル(本研究) 著者が掲げる構想(未実証)
伝送路 光学テーブル上の自由空間配置 数十〜百km級の光ファイバー/宇宙伝送 距離の実証データなし

実験の規模に関して、Jing教授は「我々が知る限り、同時に実証された独立制御可能な量子テレポーテーションチャネル数として過去最大である」と発言している。この発言は慎重に文脈を読み解く必要がある。これは筆頭研究者自身の認識に基づく主張であり、独立した第三者機関によって絶対的な世界記録として認定されたものではない。

先行研究の多くは、単一の光子ペアによる1チャネルの長距離伝送か、あるいは同一ビーム内の直交偏光や周波数モードを用いた数チャネル程度の多重化にとどまっていた。各チャネルに個別の電子回路を必要とする従来方式では、チャネル数の増加が装置規模の急激な拡大につながっていた。これに対し、本研究が示した価値は「アーキテクチャの拡張性」にある。ホログラフィックな波面制御と全光学的操作により、システム規模を100倍に膨らませることなく、並列度を100まで引き上げられることを示した。

米国物理学会の『Physics』シノプシスが、本研究を「100画素の画像を量子テレポーテーションすることで、量子ネットワークのスケールアップに資する手法を示した」と端的に要約している背景には、こうした工学的合理性への評価がある。Jing教授は「原理的に、このアーキテクチャは将来の量子通信ネットワークに向けた柔軟で大容量のインターフェースを提供し得る」と展望を語っているが、これはあくまで設計思想としての可能性を述べたものであり、すでに完成したネットワーク機能ではない。

ここで混同してはならないのは、通信容量、すなわち並列度の拡張と、伝送距離の拡張という二つの異なる開発軸である。量子通信の分野では、光ファイバー網を用いた数十キロメートル以上の伝送や、人工衛星を経由した千キロメートル超の長距離テレポーテーションが報じられてきた。先行研究の多くは、単一チャネルまたは限られた自由度の転送を対象としてきた。本研究は、同一の光学定盤上で100個のモードを並列処理する空間的インターフェースの実験であり、伝送距離を伸ばすこと自体を目的としたものではない。

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実装を阻む1ワットの壁と検証すべき課題

実験室で得られた成果が、直ちに実用的な量子通信インフラへとつながるわけではない。著者ら自身も論文の考察において、現行システムの物理的な限界を率直に認めている。

100チャネルという配列規模の上限を決定づけた最大の要因は、光学系を駆動するために使用できるレーザー出力にあった。本実験で使用された励起用レーザーの出力は約1 Wである。空間光変調器によってビームを100個の微小なスポットへと分割し、それぞれで非線形光学効果による十分な量子もつれを発生させるには、光の強度が各チャネルに分散されることが大きな制約となる。チャネル数をさらに増やすには、より強力なレーザー光源と、分割された微弱光を高忠実度で増幅する低雑音光増幅器の開発が避けられない。

Jing教授はIEEE Spectrumに対し、研究チームが現在、より高出力のレーザーと高性能な光増幅器を導入することで「1,000チャネルのシステム構築を目指して取り組んでいる」と明かした。ただし、これは研究チームのロードマップ上の目標であり、1,000チャネルでの動作がすでに確認されたわけではない。チャネル数が10倍になれば、光学素子の収差、熱レンズ効果、空間モード間のクロストーク(混信)といった幾何光学・波動光学上の問題が非線形に増大する。

さらに、実験環境についても冷静な見極めが必要である。本研究で行われたすべての測定は、振動や温度変化の影響を高度に抑えた実験室の光学定盤上で行われた。大気中を長距離伝播する自由空間リンクや、敷設された光ファイバーケーブルを介して100個の空間モードを歪みなく伝送する実験は含まれていない。光ファイバー内で複数の空間モードを伝送するマルチモードファイバー通信では、モード間の分散や結合が避けられない。これらを補償しながら量子状態を維持する技術は、いまだ十分に確立されていない領域である。

学術的な検証の観点からは、前述の通り、詳細な生データや補足資料の閲覧には学会の購読契約が必要という情報アクセス上の制約がある。加えて、本成果は現時点ではJing教授らのグループによる単一の実験報告であり、独立した他の研究グループによる追試や再現性の確認はまだ行われていない。

連続量量子テレポーテーションにおいて、100個の空間チャネルを全光学的に並列制御できる手法が確立されたことは、大容量の量子インターフェース実現に向けた有力な一歩である。しかし、それが実用的な量子中継器や都市間量子ネットワークの端末として稼働するためには、励起光強度の制約の克服、長距離伝送路における波面乱れへの対応、そして第三者による測定結果の再現という複数の関門が残されている。