SF作品が描く宇宙進出は、月面都市の建設から始まることが多い。アポロ計画の時代、月は完全に乾燥した不毛の天体だと考えられていた。しかし2009年のエルクロス(LCROSS)探査機による衝突実験などを経て、月の極域にある永久影クレーターに水氷が存在することが確実となった。月はしばしば第8の大陸と呼ばれ、各国政府や民間企業は月面基地を築き、やがて100万人が住む都市や重工業地帯を作るという構想を語り始めた。

しかし、その都市はいつまで存続できるのだろうか。現地で水を調達できれば、地球から重い液体を運ぶ莫大な輸送コストは削られる。それでも、人間の生活と産業を支えるだけの水が本当に足りるのかという疑問が生じる。

2023年9月、米国スミソニアン天体物理観測所のMartin Elvisらはこの問いに一つの答えを出した。最も楽観的な条件を揃えても、月に100万人の都市を維持することはできない。論文は学術誌『Frontiers in Space Technologies』に掲載された。

AD

月極域のコールドトラップが保管する10億トンの水資源

月面には大気がないため風雨による侵食が起きない。自転軸の傾きが地球の約23.4度に対してわずか1.5度と小さいため、極域のクレーター底には約40億年にわたり太陽光が一度も当たらない領域がある。温度が110 K(ケルビン)を下回るこのコールドトラップには、彗星の衝突や小惑星がもたらした水が氷として保存されている。真空の月面であっても、10億年で1ミリメートルしか昇華しない安定した環境だ。

Elvisらは計算にあたり、月面に10億トンの水が存在するという極めて楽観的な見積もりを採用した。これはオリンピックサイズのプール40万杯分、あるいはナイアガラの滝の水量7分間に相当する。NASAの主導するアルテミス計画や中国の嫦娥計画は、まさにこの極域の氷を狙って着陸地点を選定している。2026年以降に予定される嫦娥7号は、小型の飛翔探査機をクレーターの底へ降ろして直接水氷を検出する任務を帯びている。各国の探査の進展によって、レーダー観測で推測されてきた資源の具体的な分布がようやく見えようとしている段階だ。

地球からの持ち込みなしに生活圏を維持するには、現地で調達する水がすべての活動の基盤になる。人間が生活するには、飲料水や衛生用水だけでなく、呼吸用の酸素生成、さらには食糧を育てるための農業用水が必要になる。計算によれば、一人当たり飲料・衛生用として年間125トン(1日あたり約340リットル)を消費し、酸素生成には年間2トンを消費する。農業用水の負担はさらに大きく、一人当たり年間500トンの水が植物の育成と土壌の維持に消えていく。

さらに、月面基地を火星探査などのための中継地点として活用する場合、水を電気分解して作るロケット推進剤の消費量が跳ね上がる。たとえばSpaceXの大型宇宙船Starshipは1回の打ち上げで1,200トンの推進剤を必要とする。地球の重力井戸を抜け出すための莫大な打ち上げコストを避けるため、月面で推進剤を製造する計画は経済的な合理性を持つ。だが、燃料として燃やした水は宇宙空間に散逸し、生活用水のように居住モジュール内で回収して再利用することはできない。推進剤の現地生産は、限られた月面の水資源を最も急速に消耗させる要因になる。

再生率98パーセントでも100年で枯渇する計算

閉鎖環境である宇宙では、使った水をいかに回収し再利用するかが生命線になる。研究チームは、国際宇宙ステーション(ISS)が2023年に達成した最新の水再生技術をモデルに組み込んだ。ISSは尿処理装置や水回収システムに数年にわたる改良を加え、使用した水と空気中の湿気を98パーセントの効率で回収している。

この98パーセントという数字は、単なるフィルターろ過で達成できるものではない。宇宙飛行士の汗や吐息から出る水分を除湿機で回収し、尿は真空蒸留して純水を取り出す。最後に残るブライン(高濃度の塩水)からさらに水分を絞り出すための専用アセンブリが追加され、ようやく到達した水準だ。微小重力下での液体の予測不可能な振る舞いや、尿中のカルシウムによる配管の詰まり、水質を保つための特殊なフィルターの劣化といった運用課題と戦いながら確立された実績である。研究チームは、この高い再生率を月面都市の100万人に適用し、資源の減り方を算出した。

結果は厳しいものだった。10億トンの水は、わずか100年余りで完全に枯渇する。

月面100万人都市の水枯渇までの時間横棒グラフ。カテゴリ 3 件、系列: 枯渇までの時間(単位: 年)再生率94% (水10億t)再生率94% (水10億…再生率94% (水10億t) — 枯渇までの時間: 40年40再生率98% (水10億t)再生率98% (水10億…再生率98% (水10億t) — 枯渇までの時間: 100年100再生率98% (水3400万t)再生率98% (水3400…再生率98% (水3400万t) — 枯渇までの時間: 4年4単位: 年
データを表で見る
枯渇までの時間 (年)
再生率94% (水10億t)40
再生率98% (水10億t)100
再生率98% (水3400万t)4
月面100万人都市の水枯渇までの時間人口100万人、食糧生産・生活用水を含む条件での試算出典: Elvis et al. (2023) の試算モデル

グラフが示す通り、もし再生率がISSの旧水準である94パーセントにとどまれば、枯渇までの時間は40年に縮む。月面ではISSのようなコンパクトなモジュールと異なり、農業用の広大な土壌に吸着する水分や、巨大な居住空間の壁面に結露する水分など、回収を逃れる経路が大幅に増える。したがって、ISS水準の98パーセントを大規模な都市空間で維持すること自体が、すでに極めて困難な前提条件だ。

さらに制約を厳しくするのは、10億トンという前提そのものである。近年のより詳細な軌道上からの観測データに基づく推計では、実際の水量は3,400万トンにとどまる可能性が指摘されている。およそ30分の1というこの現実的な数字を当てはめれば、100万人都市の水はわずか数年で底をつく。都市を築くどころか、建設の初期段階で資源が尽きる計算になる。

AD

電力は余り、水が制約を握る

宇宙での居住を考えるとき、水と並んでエネルギーの確保が課題に挙がる。地球上の大都市を支えるには膨大な電力が必要であり、月面でも小型原子炉の導入などが議論されてきた。しかし、Elvisらの計算は月面において電力が制限因子にならないことを示している。

先述の通り、月の自転軸の傾きはわずか1.5度だ。そのため極域のクレーターの縁など標高の高い場所では、太陽が地平線を這うように動き、ほぼ常に日光が当たる「永遠の光の峰(Peaks of Eternal Light)」と呼ばれる領域が存在する。月面は重力が地球の6分の1と小さく、構造物を破壊する強風も吹かない。したがって、高さ1キロメートルを超える巨大な太陽光発電タワーの建設も不可能ではない。研究チームの推計によれば、これらのタワーを設置すれば約3 GW(ギガワット)の電力を安定して供給できる。

3 GWという電力は、地球上の原発数基分に相当する。これだけあれば、100万人の居住施設のほか、エネルギーを大量に消費するデータセンターや工業施設を稼働させても電力が余る。太陽電池の材料となるシリコンも、月面を覆う砂であるレゴリスに豊富に含まれている。電極となるアルミニウムや鉄も抽出できるため、重い太陽光パネルをわざわざ地球から運ばず、現地で自己増殖的にパネルを生産する道も開けている。

電気は潤沢に作れる。だが、水は増やせない。水素と酸素を結合させて水を作ることは物理的には可能でも、その原料となる水素をどこから調達するかという問題に行き着く。月面の資源を利用する「ISRU(その場資源利用)」の枠組みの中で、電力と水の間には埋めがたい非対称性が存在している。

100万人都市から1000人の村へ

Elvisらの試算が突きつけたのは、水が限られている以上、一度に巨大な都市を築く計画は破綻するという事実だ。月面開拓を推進する起業家たちは重工業の地球外への移転や自己増殖する都市を語るが、その基盤となる資源の収支が合わない。

それでも、初期の規模を絞れば定住は可能になる。人口1,000人規模の村や1万人規模の町であれば、現在の水量予測のもとで数百年以上持続できる。定住を実現するためには、水を大量に消費する従来の農業を抜本的に見直す必要がある。

現在研究が進んでいる技術アプローチの一つが、水を使わない、あるいは極限まで閉鎖循環させる食糧生産技術だ。培地に水を流し込む水耕栽培ではなく、植物の根を空中に露出させ、霧状の養分を最小限だけ吹き付ける噴霧水耕(エアロポニックス)を採用した垂直農業が開発されている。さらに、微生物を利用して二酸化炭素から直接タンパク質を合成する人工光合成ベースの培養設備が導入できれば、農業用水の消費量を数十分の1に抑えられる。

これらの技術革新が伴い、居住区全体の水再生率を99.5パーセント以上に高められれば、月面施設の寿命はさらに延びる。それができなければ、氷を含む小惑星を月軌道に捕獲し、資源を外部から持ち込むという、別の難易度を持つ技術に頼らなければならない。

次の判断材料は、月面にある水の正確な分布と埋蔵量の把握だ。氷がレゴリスの深い層に厚く埋もれているのか、表面近くに霜のように薄く散在しているのか。探査機による直接サンプリングと総量の確定が揃えば、月面にどれだけの人間が、いつまで留まれるのかという限界線が引かれるようになる。