地下深くの空間は、長らく現代のワイヤレス通信技術が及ばない「電波の死角」であった。しかし、韓国の電子通信研究院(ETRI:Electronics and Telecommunications Research Institute)の研究チームが、この常識を完全に覆す画期的な技術を開発した。彼らは、従来の電波(RF波)に依存するのではなく、「低周波磁場」を利用した磁気誘導(Magnetic Induction)技術を用いることで、厚い岩盤に阻まれた地下100メートルの深度において、ワイヤレスでの双方向音声通信に世界で初めて成功したのである。

このブレイクスルーは、単なる通信工学の進歩にとどまらないもので、鉱山崩落事故などの深刻な災害時において、地下に取り残された人々の生存確認や救助活動のあり方を根本から変革する可能性を秘めた極めて重要なものだ。さらには、都市部の地下インフラの管理から、極限環境における軍事オペレーションに至るまで、幅広い分野に新たなパラダイムをもたらす技術であると言えるだろう。

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地下空間における「電波の死角」:なぜ従来の無線通信は通用しないのか

私たちが日常的に使用しているスマートフォンやWi-Fi、Bluetoothなどはすべて、電磁波(RF波:Radio Frequency)を利用して空間にデータを伝送している。電磁波は空気中や真空中を高速で長距離伝播する能力に長けている反面、土壌、岩盤、コンクリート、そして水分といった物理的な障害物に対しては極めて脆弱であるという致命的な弱点を持つ。

電磁波がこれらの媒質を通過しようとする際、「表皮効果(Skin Effect)」と呼ばれる物理現象が立ちはだかる。電磁波が水分を含んだ土壌や密度の高い岩盤などの導電性を持つ媒質に侵入すると、そのエネルギーは媒質内で誘導電流へと変換され、最終的には熱として散逸してしまうのである。周波数が高ければ高いほどこの減衰は激しくなり、一般的な高周波信号は地下数メートルを進むだけで完全に失われてしまう。

そのため、これまでの鉱山や長距離の地下トンネルにおいては、通信を確保するために物理的な有線ケーブルを張り巡らせるか、あるいは「Through-The-Earth(TTE)」と呼ばれる特殊な超低周波通信システムが用いられてきた。しかし、有線ケーブルは崩落事故などの災害時に容易に切断されてしまうという脆弱性がある。また、既存のTTEシステムは岩盤を貫通させるために膨大な電力を必要とし、地上には巨大な送信アンテナ設備を構築しなければならず、迅速な展開やモバイル運用は事実上不可能であった。

災害時、通信ケーブルが断絶した場合、地下に取り残された作業員は地上との連絡手段を完全に絶たれる。地上に駆けつけた救助隊は、生存者がどこにいるのか、怪我人はいるのかといった最も重要な情報が得られないまま、盲目的な救助活動を強いられることになる。通信の途絶は、救命率の劇的な低下に直結する最も深刻な課題であり続けてきたのである。

発想の転換:「放射」ではなく「誘導」を用いる磁気通信技術

ETRIの研究チームは、電磁波の「放射(Radiation)」を利用するという従来の無線通信の概念を捨て、磁場の「誘導(Induction)」を利用するというアプローチへの発想の転換により、この難題の解決を図った。彼らが開発に成功した「磁気場地下通信ソース技術(Magnetic field underground communication source technology)」の核心はまさにここにある。

電界と磁界が相互に連鎖しながら空間を飛んでいく放射性の電磁波とは異なり、磁気誘導技術は、送信側のコイル(アンテナ)に電流を流すことで周囲に「近傍磁場」を発生させる。そして、その磁場の変動を離れた場所にある受信側のコイルで感知し、電磁誘導の法則に従って再び電気信号に変換してデータを読み取るという仕組みである。原理としては、スマートフォンのワイヤレス充電器や交通系ICカードのタッチ決済で使われているものと同じだが、ETRIの技術はそれを前例のないスケールと距離で実現した点に圧倒的な革新性がある。

研究チームがこのシステムのために選択した動作周波数は、約15 kHz(キロヘルツ)という超低周波帯だ。低周波の磁場は、高周波の電磁波とは異なり、岩石や土壌などの非磁性体をほとんど減衰することなく透過するという強力な特性を持つ。この物理的な性質を最大限に活用することで、電磁波を容易に吸収・散乱してしまう分厚い岩盤の壁をすり抜け、深部への安定した信号伝達が可能となったのである。

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限界の環境でデータを送る:高度なハードウェア設計と変調方式

分厚い大地を越えて通信を成立させるためのシステム構成は、その驚異的な到達距離に対して、非常にコンパクトに設計されている。地上側に設置される送信機には、直径1メートル(約0.9×0.9平方メートル)のループアンテナが採用された。これは従来のTTEシステムが要求した巨大な施設設備に比べれば、緊急時に車両等で迅速に輸送・展開可能な画期的なサイズである。一方、地下にいるユーザーが携行する受信側には、わずか数センチメートル規模の超小型磁場センサーが使用されている。

このシステムを通じて伝送されるデータレート(通信速度)は2〜4 kbps(キロビット毎秒)である。現代の5Gネットワーク(数Gbps)に慣れた感覚からすると、一見して極めて低速に思えるかもしれない。しかし、高度な音声圧縮アルゴリズム(ボコーダー技術など)を利用すれば、数kbpsという帯域幅であっても、状況を的確に伝える「クリアな双方向の音声通話」や、「テキストベースのデータ送受信」を遅延なく行うには十分な速度である。極限状況において求められるのは、大容量の動画ストリーミングではなく、「生きている」「ここにいる」という確実な情報伝達なのだ。

さらに、地下のノイズの多い環境下で微弱な信号を正確に復元するため、ETRIは「QPSK(Quadrature Phase-Shift Keying:四位相偏移変調)」というデジタル変調方式を採用した。QPSKは、信号の「位相(波のタイミング)」を4つの異なる状態に変化させることで、1回の波の変動で2ビットのデータを伝送する技術である。これにより、限られた狭い周波数帯域幅の中でも、信号の完全性(インテグリティ)を損なうことなく、安定してデータを送り届けることが可能となっている。

石灰岩鉱山での過酷な実証実験:地下100メートルの壁をいかに突破したか

理論的な計算や実験室でのシミュレーションが優れていても、現場で機能しなければ意味がない。ETRIは開発した技術の真の価値を証明するために、極めて過酷なフィールドテストを敢行した。実証実験の舞台に選ばれたのは、電波を強力に遮断・散乱させることで知られる石灰岩の岩盤環境にある、実際の鉱山である。

研究チームは、地上の鉱山入り口に送信用のループアンテナシステムを設置し、そこから直線距離で100メートル離れた「地下5階層」に受信用の小型磁気センサーを配置した。この数十メートルにも及ぶ純粋な石灰岩の層を隔てた環境下で、彼らは双方向の通信テストを実施。その結果、見事にクリアな音声信号の送受信に成功したのである。

ETRIの研究の歩みは着実なものであった。彼らは2023年の段階で、すでに約40メートルの深度における地下無線通信の実証に成功していた。そこから研究をさらに推し進め、送信回路の駆動方式の最適化、アンテナの磁場放射効率の改善、そして低周波モデムと帯域幅拡張技術(広帯域磁気誘導無線通信技術)を高度に進化させることで、到達距離を2.5倍の「100メートル」にまで引き上げることに成功したのである。

これまで、海外の他の研究機関による同様のアプローチの研究は、到達距離が数メートルからせいぜい数十メートル規模にとどまっていた。地下の岩盤を通して100メートルの直線距離を安定して繋いだ今回のETRIの実証は、まさに世界初の快挙であり、地下空間における無線通信技術が実用化のフェーズに入ったことを示す歴史的なマイルストーンである。

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人命救助からインフラ管理へ:広範な応用がもたらす社会実装の未来

この磁気誘導による地下無線通信技術がもたらす最大の恩恵は、前述の通り、鉱山崩落やトンネル事故などの壊滅的な災害時における「命綱」としての役割である。

万が一、大規模な崩落によって地下施設が土砂に埋もれ、すべての有線通信ケーブルが断たれたとしても、地上に到着した救助隊はこのポータブルな磁気送信システムを即座に展開し、地下の特定の深さに向けて磁場信号を放つことができる。地下に取り残された人々が受信デバイスを持っていれば、瓦礫を掘り進めることなく、即座に直接コンタクトを取ることが可能になる。彼らが無事なのか、負傷者は何人いるのか、どのエリアに避難しているのかといったクリティカルな情報をリアルタイムで把握できることは、救助隊の戦略構築を助け、救助の成功率を劇的に引き上げる。

また、その応用範囲は鉱山や自然災害の現場だけにとどまらない。現代社会の足元には、通信用光ケーブル、高圧電力線、上下水道、高圧ガスパイプラインなどが複雑に張り巡らされた巨大な「ユーティリティトンネル(共同溝)」が存在する。これらの地下インフラの日常的な安全点検作業や、異常発生時の緊急連絡網としても、岩盤やコンクリートの壁を透過するこの無線技術は絶大な威力を発揮する。

さらには、海底の厚い土砂を掘り進む洋上掘削施設での通信確保や、分厚いコンクリートと土に覆われ、外部からの電波を意図的に遮断している軍事用地下バンカーにおける作戦中の通信継続など、これまで「通信インフラを構築することは不可能」とされてきたあらゆる極限環境において、高い信頼性を持つ通信手段として活用されることが強く期待されている。

スマートフォン連携が描く「究極のパーソナル救難システム」

ETRIの野心は、特殊なプロフェッショナル専用の機器を開発することだけにとどまらない。研究チームが現在見据えている次なる重要なステップは、この磁気誘導システムを、誰もが日常的に持ち歩いているスマートフォンなどのパーソナルモバイルデバイスとシームレスに連携させることである。

現在構想されているのは、地上と地下を繋ぐ磁気誘導を利用した「ワイヤレス中継器(アクセスポイント:AP)」の構築である。地下の作業員は、自身のスマートフォンと、ヘルメットなどに装着可能な小型の磁気送受信デバイスをBluetoothやWi-Fi経由で接続しておく。緊急時には、スマートフォン上の専用アプリからメッセージや音声を送信すると、小型デバイスがそれを磁気信号に変換し、岩盤を透過して地上の大型アンテナへと届けるという仕組みだ。これにより、特別な訓練を受けていない一般の作業員であっても、日常的に使い慣れたスマートフォンのインターフェースを通じて、的確に地上へ助けを呼ぶことが可能になる。

近年、Appleが最新のiPhoneに人工衛星を利用したSOS通信機能を搭載したことが大きな話題となった。衛星通信は「地上のセルラーネットワークの圏外(山奥や海上など)」にある人々を、宇宙空間から救う技術である。それに対して、ETRIが開発したこの磁気通信技術は、衛星の電波すら絶対に届かない「地下深くの分厚い岩盤の下」に閉ざされた人々を、地表から直接救い出す技術だと言える。空をカバーする衛星通信と、地中をカバーする磁気通信。この二つの全く異なるアプローチは、地球上のあらゆる通信の死角をなくし、どんな極限環境でも人命を守るための「究極のセーフティネット」の両輪となる可能性を秘めている。

IEEE IoT Journalが認めた革新性

この歴史的な研究成果は、IoTおよび通信分野において世界的に権威のある学術誌『IEEE Internet of Things Journal』において、論文「Wideband Magnetic Induction Wireless Communications in Challenging Underground Environments: A Current-Driven Scheme(過酷な地下環境における広帯域磁気誘導無線通信:電流駆動スキーム)」として詳細に発表された。

また、ETRIは単なる基礎研究にとどまらず、社会実装に向けた動きを加速させている。送受信機、アンテナ設計、低周波モデム、そして通信速度を確保するための帯域拡張技術といった、システムの中核となる技術要素について、韓国内外での特許出願をすでに完了させている。これまでに12件のSCI(Science Citation Index)登録論文の発表、国際学術会議での2件の成果報告、8件の国際特許の取得、さらには民間企業への技術移転プロセスも開始されている。

本プロジェクトを牽引したETRIの電磁波基礎技術研究部門(EM Wave Basic Technology Research Section)の主任研究員であるCho In Kui氏は、「電波が全く届かない過酷な地下環境での双方向通信に成功したことで、鉱山事故時の救助活動において、最も致命的であった『通信の途絶』という事態が発生する可能性を大幅に減らすことができる画期的な技術である」と、その成果を語っている。

また、無線研究部門(Radio Research Division)の副部門長を務めるSeung Keun Park氏も、「この技術は、鉱山のみならず、長大トンネル、地下インフラ施設、洋上掘削、そして国防といったあらゆる極限環境において不可欠となる革新的な技術である。極めて信頼性の高い通信手段として、今後様々な産業部門の基盤として広く活用されていくだろう」と、その社会的なインパクトの大きさを強調している。

地下100メートルの強固な岩盤を突き抜けて、人々の「声」を届ける。かつてはサイエンス・フィクションの領域であった技術が、磁場という自然界の基本原理を巧妙に制御することで、ついに現実のものとなった。韓国ETRIによるこの画期的な無線データ伝送技術は、単なる通信工学上の勝利にとどまらない。光の届かない過酷な環境下で働く人々に「決して孤立させない」という確かな安心と安全をもたらす、人類の技術的、そして人道的な大きな一歩である。


論文

参考文献